人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

考えられない!

2023-10-05 09:42:15 | 現臨、ハタラキ
ダメだ!、私には出来ない!...
”あれ”の侵入の前には為す術が無いのだ!
思うまい、意識すまいと思っても、どうしても私の意識に入ってきてしまう!
もはや、この思いを超えたものによる支配からは逃れられないのだ!
どうして逃れられないのか?
それは...私の本心が望んでいることだからだ!...

私の書いていることには、多く裏表があります。逆説的なことをよく表したりします。
いつもの現臨にある意識状態のことを書いてみたのですが、これは全くかつて思いのがんじがらめの、ノイローゼ状態にあった時の裏っ返しです。
何故、そんなことになってしまったのか?、考えられないことです!

”意識をパッと”あれ”に向けたらいいだけではないか?...いや、そうじゃない!、向けようとしなくたって自ずから向いちゃうだろう...”
”何だって?...思いがこうして固着して、閉ざされた状態になっているのに、何でパッと開かれたりすることになるんだ!...考えられない!”
開かれた状態からは、閉じた状態のことが考えられない!
逆も又同じ...

そもそもその半年前に、思いを超えた世界を目の当たりにしたというのに、何でそういうことになってしまうのかが考えられないことなのです。
その理由はいくつか思い当たることがありますが、直接的にはその恩寵の事態を常識的、理性的な判断でそれにフタをして、否定するような心持ちを抱いたことによるのでしょう。
その動機は、そのことに囚われて、自意識過剰から増上慢の思いに駆られそうになるので、それを防ぐためでした。
だけど、そういう思いに囚われまいとすることと、そのこと自体を否定し去ろうということは、全く違うことなのですよ!
私は自分の思いで、それを覆い、否定することが出来ると思っていたのです。そう思っていただけなのです!...そしてその思いが重しとなって苦境に陥ってしまった訳です。
今、そのように思いで覆い、否定しようとしても...出来ないですよ!
その前に思いを超えたものが臨み、立ちはだかるのですから!...そうしようとすると、瞬く間に意識が向いて、かえってそういうことになってしまうのです。
私は本当には、思いを超えた世界のことが意識に根付いていなかったということ、それに尽きるでしょう。だから自分の思いで操作が出来ると思っていたのです。
自分の人生は、思いが支配している…そう、だからその思いに閉じ込められ、支配されてしまったのです。
私はしかし、確かにあの至福にあった時、聞いていたのです。
声なき声が嘆願しているようにも訴えているのを!
”どうか、私につながって居て欲しい!、いつも私と共にあることを忘れないで欲しい!...それがお前の本心からの願いなのではないか?”、と!
ああ、考えられない!...私はどうあっても出来やしないことを考えていたのです!
あの御方と私自身の願いは一つのもの...もはや疑うことは出来ない!



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