人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人生の結節点

2023-05-07 10:02:31 | 人生の教師
私は平成12年から2年ほど、チョイチョイいじっている(?)反面教師のT画伯が主宰していた、五井先生関係の一寸した集会に関係していました。
これは、その少し前に知り合ったFさんに誘われてのことだったのですが、平成14年の年頭の集会で、その年の抱負を披瀝しあうということになって、Fさんは、”かくかく”と言いました。
しばらく後の集会で私はFさんに、”あなたの今年の抱負何を語ったか覚えてますか?”と訊いたのですが、彼はすっかり忘れていました。
しかし、私はしっかり覚えていたのです。今でも忘れていません!
確か、”今年こそ、守護霊、守護神の存在をアリアリと実感したい!”、ということでした。その守護の云々という呼称はともかく、それは宗教的な道の根幹に関わる重要なことだったからです!
これは私的には、”神的な現臨にある意識状態”のことと思ってほぼ間違いないでしょう?
ということはFさんは、私より長く五井先生を信奉していながら、そういうものに与っていなかった、ということなのでしょう?
私がそのこと自体をとやかく言うことは筋の違うことです。それは全くもって、個人の力でどうなるものでもない、神的なものあっての問題、言わば一人一人の宗教的機縁の問題だからです。
ただ、私がT画伯共々言いたくなることは、別のところにあるのです。
何故、Fさんはいつもやれ、”狩りなどで無益な殺生をしていると地獄へ落ちる!”、だの”病院には幽界の生物(動物霊、邪霊?)がうようよ!”とか幽界的、地獄的想念に囚われ続けているのか?、ということなのです。
これは特にFさんに言えることなのですが、どうも同じくベテラン信奉者である、T画伯に同じような陰謀論ネタを提供していたのも彼らしいのです。
五井先生は、陰謀論はともかく、時折幽界的なネタについて語っていたのは確かなことですが、何が本質的なこと、重要なことで、何がそうでないか、本心を開くとはどういうことで、消えてゆく姿とはどういうことか?、ということは見極められないのでしょうか?
それとも、それは前世の因縁の問題ですか?
いやいや、五井先生は常々思いは祈りをもって、神の中に投げ入れる、いつも神への思いで満たしておくことの大切さを説いていたのではなかったのか?!
だから、”無駄に長く一体何やってんだ!”、と言いたいのです!
真摯に、真っ直ぐ神に思い、意識を向け続けているならば、神の方から手を差し伸べて来る...これは私も少しく経験していることです。
五井先生は、言葉では聖霊だとか、神的な現臨のことは説かれませんでしたが、”響きに包まれる”、とかそういう風に言い表していました。
実にこのものにあって、幽界とか闇の勢力とか”将来、人類の多数は淘汰される”、とか諸々の業想念を解き放つ道が開かれるのです。
それは、常にそのことを意識していることで自ずと分かって来るでしょう。常に!
何故一ヶ月後、一週間後、一時間後には、そのことはどっかへ行ってしまい、又諸々の思いに引っかかってしまうのだろうか?
人生の重要な節目、結節点というのは、自分の本心から感じたことをずっと覚えているか、忘れてしまうかで決まるのでしょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする