今回の名古屋記念の優勝候補は何といっても小嶋選手だったと思うのですが,残念ながら二次予選で失格。今日の決勝(動画)には進めませんでした。
Sは小倉選手が取り,友定選手の前受け。中川選手が3番手,吉田選手が7番手で周回。残り2周のホームから吉田選手が上昇し,まずは中川選手の外で蓋。平沼選手がこちらのラインに切り替えました。打鐘で友定選手が誘導との車間を開けると吉田選手が一気に発進し,そのままかまして先行。中川選手がホームから巻き返すと,神山選手がバックの入口で強烈な牽制をしましたが,中川選手は行ききりました。遠沢選手は離れ,中川選手,渡辺選手のふたりで抜け出して直線勝負。渡辺選手が中川選手を交わして優勝。2着には中川選手が残り,3着には神山選手。
優勝した静岡の渡辺晴智選手は先月の豊橋記念に続いて記念競輪連続優勝で,通算3度目の記念競輪制覇。今日は吉田選手も中川選手も別ラインを後ろにつけていたので,どのようなレースになるかがひとつの注目点でしたが,中川選手が行ききった時点で勝負あり。渡辺選手としては今日は付いていくだけでOKでしたので,レースとしては意外に楽であったかもしれません。
そういう意味では2着の中川選手は強いレースをしたといえるでしょう。まだ記念競輪の優勝はありませんが,かなり近い位置まできていると感じました。
明日は船橋でダイオライト記念です。距離も乗り換りも心配ですが一応はフリオーソ◎が中心。力ではアジュディミツオー○。あと,マコトスパルビエロ▲,ボンネビルレコード△,サカラート△としておきます。
この観念と意志の関係が重要であるのは,ある有限知性,たとえば人間の精神のうちに,混乱した観念があると考えられる場合にも,この関係が成立しているとスピノザが考えているからです。第二部定理四九系でスピノザが本来は示したかったことの主旨は,意志が知性を超越するということはないということであったと思いますが,このことは同時に,スピノザはたとえば人間の知性というときに,それは十全な観念と混乱した観念との両方から成立していると考えていることを意味していると思います。逆にいえば,もしも知性なるものが単に十全な観念のみから成立すると仮定するならば,スピノザは意志は知性を超越し得るといわなければならなかったでしょう。混乱した観念の場合にも,それを肯定ないしは否定する意志というのがあるのであって,この観念はそうした意志作用なしには考えることができませんし,逆にこの意志作用は,この混乱した観念なくして考えることができないからです。
ただしこの場合は,観念と意志の関係を,事物と本性との関係そのままに理解することはたぶんできません。混乱した観念の本性というのは,実際には考えることができないようなあるものだからです。したがって混乱した観念とそれを肯定あるいは否定する意志作用の関係は,一方がなければ他方は考えられないような関係ですが,意志作用の内容は観念の実在性を定立するようなあるものであるというよりは,もしもそれを本性というものが示す真の意味から考えるならば,矛盾を抱えている本性のようなもの,別のいい方をすれば,もしも十全な観念という視点から見た場合には,むしろその観念の実在性を排除するようなあるものであると考えるべきだろうと思います。
Sは小倉選手が取り,友定選手の前受け。中川選手が3番手,吉田選手が7番手で周回。残り2周のホームから吉田選手が上昇し,まずは中川選手の外で蓋。平沼選手がこちらのラインに切り替えました。打鐘で友定選手が誘導との車間を開けると吉田選手が一気に発進し,そのままかまして先行。中川選手がホームから巻き返すと,神山選手がバックの入口で強烈な牽制をしましたが,中川選手は行ききりました。遠沢選手は離れ,中川選手,渡辺選手のふたりで抜け出して直線勝負。渡辺選手が中川選手を交わして優勝。2着には中川選手が残り,3着には神山選手。
優勝した静岡の渡辺晴智選手は先月の豊橋記念に続いて記念競輪連続優勝で,通算3度目の記念競輪制覇。今日は吉田選手も中川選手も別ラインを後ろにつけていたので,どのようなレースになるかがひとつの注目点でしたが,中川選手が行ききった時点で勝負あり。渡辺選手としては今日は付いていくだけでOKでしたので,レースとしては意外に楽であったかもしれません。
そういう意味では2着の中川選手は強いレースをしたといえるでしょう。まだ記念競輪の優勝はありませんが,かなり近い位置まできていると感じました。
明日は船橋でダイオライト記念です。距離も乗り換りも心配ですが一応はフリオーソ◎が中心。力ではアジュディミツオー○。あと,マコトスパルビエロ▲,ボンネビルレコード△,サカラート△としておきます。
この観念と意志の関係が重要であるのは,ある有限知性,たとえば人間の精神のうちに,混乱した観念があると考えられる場合にも,この関係が成立しているとスピノザが考えているからです。第二部定理四九系でスピノザが本来は示したかったことの主旨は,意志が知性を超越するということはないということであったと思いますが,このことは同時に,スピノザはたとえば人間の知性というときに,それは十全な観念と混乱した観念との両方から成立していると考えていることを意味していると思います。逆にいえば,もしも知性なるものが単に十全な観念のみから成立すると仮定するならば,スピノザは意志は知性を超越し得るといわなければならなかったでしょう。混乱した観念の場合にも,それを肯定ないしは否定する意志というのがあるのであって,この観念はそうした意志作用なしには考えることができませんし,逆にこの意志作用は,この混乱した観念なくして考えることができないからです。
ただしこの場合は,観念と意志の関係を,事物と本性との関係そのままに理解することはたぶんできません。混乱した観念の本性というのは,実際には考えることができないようなあるものだからです。したがって混乱した観念とそれを肯定あるいは否定する意志作用の関係は,一方がなければ他方は考えられないような関係ですが,意志作用の内容は観念の実在性を定立するようなあるものであるというよりは,もしもそれを本性というものが示す真の意味から考えるならば,矛盾を抱えている本性のようなもの,別のいい方をすれば,もしも十全な観念という視点から見た場合には,むしろその観念の実在性を排除するようなあるものであると考えるべきだろうと思います。