京都競馬場の1200mで争われた第18回JBCスプリント。
やや押してマテラスカイがハナへ。この後ろは集団になりましたが,グレイスフルリープとウインムートが2列目で,3列目にノブワイルド,ラブバレット,ナックビーナスに。ネロとセイウンコウセイがその後ろ。キタサンミカヅキ,テーオーヘリオス,ニシケンモノノフの3頭が続き,レッツゴードンキとモーニンがその後ろ。キングズガード,アンサンブルライフ,ノボバカラの3頭が後方集団という隊列。前半の600mは33秒7の超ハイペース。
直線に入るところでマテラスカイが2番手集団との差を広げました。追い掛けることができたのはずっと内を回ってきたグレイスフルリープだけ。徐々に差が詰まっていき,フィニッシュ目前でついにグレイスフルリープがマテラスカイを差し切って優勝。マテラスカイがクビ差で2着。馬場の中央から追い込んだキタサンミカヅキが2馬身半差の3着。
優勝したグレイスフルリープは東京スプリント以来の勝利。重賞は4勝目で大レースは初勝利。実績は今日のメンバーの中では上位の方だったのですが,いかにも重賞クラスという印象で,大レースを勝つまでの能力はないのではないかと思い,個人的には軽視していました。それは完全に誤った判断であったことになります。内を回ってくることができたという利があったとはいえ,このペースにある程度はついていった上で差し切ったのですから,高めの評価が必要です。少なくともマックスの能力は,2着馬はともかく差してきた3着以下の馬よりはずっと上位と考えなければならないでしょう。父はゴールドアリュール。

騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)に続き4週連続の大レース制覇。JBCは全体を通して初勝利。管理している橋口慎介調教師は開業から2年8ヶ月で大レース初勝利。
僕はこのように,選択の判断を他に委ねるということを,部分的には推奨します。全面的にではなく部分的にであるのは,たとえばある選択が善bonumであることが確実であるならそれを選択するのが賢明であり,逆にある選択が悪malumであるのが確実であるという場合にはそれを避けるのが賢明であるからです。しかしそれ以外の場合,すなわちどの選択が善でありあるいは悪であるかを確実に判断することができない場合には,むしろ自分自身ではそれを選択しないのが賢明であると僕は考えるのです。
たとえば第三部諸感情の定義二七の後悔は,自分自身で選択することによって発生する悲しみtristitiaです。この感情affectusは第四部定理五四備考では害悪より利益を齎すといわれていますが,それは人間が理性ratioに従わない限りにおいてです。むしろ理性に従うなら,いい換えれば自由の人homo liberからみれば,第四部定理五四にあるように後悔をする人間は二重の意味で不幸でありまた無能impotentiaです。そこでもし決断を他に委ねてしまえば,後悔という感情を回避することができるでしょう。ただしここで注意しなければならないのは,他人の決意とみなすことができるような事柄に委ねてはならないということです。これは結局のところ後悔を感じない代わりにその他人に対する憎しみodiumを感じることになるからです。選択を他に委ねるのは単に後悔を避けるためというより,悲しみを避けるためです。第三部諸感情の七にあるように憎しみも悲しみなので,これも避けなければなりません。
一方で,無用の喜びlaetitiaも避ける必要があります。これはたとえば第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaは喜びではあるけれど,第三部定理二六備考が示すように狂気の一種であるから避けなければならないというような意味です。高慢の定義Definitioから分かるように,僕たちはある喜びの原因が自分自身にあると表象するimaginari場合には高慢を感じる場合があり得ますが,他にあると表象するなら感じることは絶対にありません。したがって判断を他に委ねてしまえば,少なくともそのことについて高慢になるということは絶対にないのです。ここから分かるように判断を他に委ねることは,高慢になることを絶対的に回避する方法のひとつなのです。
やや押してマテラスカイがハナへ。この後ろは集団になりましたが,グレイスフルリープとウインムートが2列目で,3列目にノブワイルド,ラブバレット,ナックビーナスに。ネロとセイウンコウセイがその後ろ。キタサンミカヅキ,テーオーヘリオス,ニシケンモノノフの3頭が続き,レッツゴードンキとモーニンがその後ろ。キングズガード,アンサンブルライフ,ノボバカラの3頭が後方集団という隊列。前半の600mは33秒7の超ハイペース。
直線に入るところでマテラスカイが2番手集団との差を広げました。追い掛けることができたのはずっと内を回ってきたグレイスフルリープだけ。徐々に差が詰まっていき,フィニッシュ目前でついにグレイスフルリープがマテラスカイを差し切って優勝。マテラスカイがクビ差で2着。馬場の中央から追い込んだキタサンミカヅキが2馬身半差の3着。
優勝したグレイスフルリープは東京スプリント以来の勝利。重賞は4勝目で大レースは初勝利。実績は今日のメンバーの中では上位の方だったのですが,いかにも重賞クラスという印象で,大レースを勝つまでの能力はないのではないかと思い,個人的には軽視していました。それは完全に誤った判断であったことになります。内を回ってくることができたという利があったとはいえ,このペースにある程度はついていった上で差し切ったのですから,高めの評価が必要です。少なくともマックスの能力は,2着馬はともかく差してきた3着以下の馬よりはずっと上位と考えなければならないでしょう。父はゴールドアリュール。

騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)に続き4週連続の大レース制覇。JBCは全体を通して初勝利。管理している橋口慎介調教師は開業から2年8ヶ月で大レース初勝利。
僕はこのように,選択の判断を他に委ねるということを,部分的には推奨します。全面的にではなく部分的にであるのは,たとえばある選択が善bonumであることが確実であるならそれを選択するのが賢明であり,逆にある選択が悪malumであるのが確実であるという場合にはそれを避けるのが賢明であるからです。しかしそれ以外の場合,すなわちどの選択が善でありあるいは悪であるかを確実に判断することができない場合には,むしろ自分自身ではそれを選択しないのが賢明であると僕は考えるのです。
たとえば第三部諸感情の定義二七の後悔は,自分自身で選択することによって発生する悲しみtristitiaです。この感情affectusは第四部定理五四備考では害悪より利益を齎すといわれていますが,それは人間が理性ratioに従わない限りにおいてです。むしろ理性に従うなら,いい換えれば自由の人homo liberからみれば,第四部定理五四にあるように後悔をする人間は二重の意味で不幸でありまた無能impotentiaです。そこでもし決断を他に委ねてしまえば,後悔という感情を回避することができるでしょう。ただしここで注意しなければならないのは,他人の決意とみなすことができるような事柄に委ねてはならないということです。これは結局のところ後悔を感じない代わりにその他人に対する憎しみodiumを感じることになるからです。選択を他に委ねるのは単に後悔を避けるためというより,悲しみを避けるためです。第三部諸感情の七にあるように憎しみも悲しみなので,これも避けなければなりません。
一方で,無用の喜びlaetitiaも避ける必要があります。これはたとえば第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaは喜びではあるけれど,第三部定理二六備考が示すように狂気の一種であるから避けなければならないというような意味です。高慢の定義Definitioから分かるように,僕たちはある喜びの原因が自分自身にあると表象するimaginari場合には高慢を感じる場合があり得ますが,他にあると表象するなら感じることは絶対にありません。したがって判断を他に委ねてしまえば,少なくともそのことについて高慢になるということは絶対にないのです。ここから分かるように判断を他に委ねることは,高慢になることを絶対的に回避する方法のひとつなのです。