スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フリオーソ&特別乗車券

2018-11-20 19:40:04 | 名馬
 7日の平和賞ヒカリオーソが一杯に逃げ切りました。父はフリオーソです。ふたつ下の半弟に2012年の金盃大井記念,2013年の金盃に勝ったトーセンルーチェ。Furiosoはイタリア語で猛烈に。音楽用語です。
 2歳7月にデビュー。連勝して出走した平和賞は追い込み届かずハナ差で2着。内田博幸騎手に代わった全日本2歳優駿を2馬身差で優勝して大レース制覇。NARグランプリの2歳最優秀馬に選出されました。
 3歳初戦は中央に遠征した共同通信杯。これは1秒差の7着。中舘英二騎手が乗ったスプリングステークスで大敗し,芝のクラシック路線から撤退。内田騎手に戻って羽田盃が3着,東京ダービーは2着。内田騎手が中央馬に騎乗したため今野忠成騎手が乗ったジャパンダートダービーで大レース2勝目。秋は内田騎手に戻ってJBCクラシックヴァーミリアンの2着。ジャパンカップダートはヴァーミリアンの11着と大敗。再び今野騎手が乗った東京大賞典もヴァーミリアンの2着でした。NARグランプリの年度代表馬に。
 4歳初戦の川崎記念は2着。戸崎圭太騎手を主戦に向えたダイオライト記念は5馬身差で圧勝。帝王賞で大レース3勝目。秋は川島正太郎騎手が乗った日本テレビ盃は2着。戸崎騎手と遠征したJBCクラシックはヴァーミリアンの4着でジャパンカップダートカネヒキリの7着。東京大賞典もカネヒキリの5着。この年もNARグランプリの年度代表馬に。
 5歳初戦の川崎記念もカネヒキリの2着。ダイオライト記念は4馬身差で連覇。かしわ記念エスポワールシチーの5着。帝王賞がヴァーミリアンの2着。遠征したブリーダーズゴールドカップは4着。年末の東京大賞典からの復帰で7着と,この年は重賞1勝,大レースは未勝利。NARグランプリも4歳以上最優秀馬に留まりました。
 6歳初戦の川崎記念はミルコ・デムーロ騎手でカネヒキリの2着。戸崎騎手に戻ったダイオライト記念を5着に負けて暗雲が立ち込めましたが,かしわ記念でエスポワールシチーの2着になると帝王賞でカネヒキリを降して大レース4勝目。秋は日本テレビ盃を優勝し,JBCクラシック,東京大賞典と連続2着。NARグランプリの年度代表馬に。
 7歳初戦の川崎記念は圧勝で大レース5勝目。デムーロ騎手で挑んたフェブラリーステークスは猛烈な追い込みで2着。かしわ記念で大レース6勝目をあげました。秋は復帰戦に予定していた日本テレビ盃を競走除外となり,この年は後半は全休。NARグランプリの年度代表馬に。
 8歳初戦の川崎記念が復帰戦となり3着。ダイオライト記念はハイペースに巻き込まれ5着。かしわ記念はエスポワールシチーの2着。ここから休養に入り東京大賞典を引退レースに。これは6着でした。この年は未勝利でしたが他との比較でNARグランプリの4歳以上最優秀牡馬に選出されています。
 地方所属で大レースを勝ちまくった馬は現在のところこの馬で最後。種牡馬としては登録産駒は少なくはないのですが,地区重賞どまりで南関東重賞の勝ち馬も4年目の産駒となるヒカリオーソが初。正念場にあるといえそうです。

 帰宅して午後9時ごろに,Yさんから電話がありました。Yさんは僕が到着する前に見舞いに行っていたのですが,そのことの報告でした。
 8月9日,木曜日。この日は午前中に見舞いに行き,母の隣で昼食を摂りました。これは午後から妹を迎えに行く必要があったからです。ところがこのとき,ひとつの失敗を犯してしまいました。
 横浜市では重度知的障害者に対しては,タクシーの割引券か,バスや地下鉄の特別乗車券のどちらかが支給されることになっています。これは有料ですが,値段はきわめて安価で,タクシーはともかくバスと電車に関しては無料のパスといってもそんなに不適当ではありません。妹はバスを利用しますから,バスの特別乗車券の方を支給してもらっています。これは10月1日から翌年の9月30日まで有効のもので,事前に指定の料金を払えば,郵便局で発行してもらえます。
 このパスは,妹が今の通所施設に通うようになった当初は,送って行った日の朝に,通所施設の職員に渡し,グループホームで管理してもらって,帰って来る日に妹に持たせてもらうようにしてもらっていました。ところがグループホームの利用者の中に,紙を細かく切ってしまうのが好きな人がいて,このパスが切られそうになったという報告がありました。なのでそれ以来,送って行ったら僕が持ち帰り,迎えに行く日に持っていくようにしていたのです。ところがこの日はそれを家に置いてきてしまいました。見舞いに行くということの方に気が回っていて,その後で迎えに行くということを出掛けるときに度忘れしてしまったためだと思います。なので,病院からそのまま通所施設に向かうのではなく,一旦は家に帰らなければなりませんでした。そのため,それまでの同じ日に比べると,病院を早めに出なければならなくなったのです。
 妹はこの後,夏休みに入るのでしばらく家に滞在することになっていました。このために見舞いの回数や時間が減少してしまう可能性がありましたし,緊急時には妹も連れて行く必要があるので,母の臨終に間に合わない可能性もそれだけ高くなっていました。こうしたことを母に聞かせて,病院を出ました。
コメント
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