8日に高知市で指された第8期女流王座戦五番勝負第二局。
里見香奈女流王座の先手で5筋位取り中飛車。戦いが始まってすぐに差がつく将棋でした。

6八にいた金が上がった局面。ここで後手の清水市代女流六段は☖7二飛と寄りました。金がいなくなった7筋を牽制する一手でしたが,これが軽率だったようです。
先手は形は☗4七金ですがチャンスとみて☗5六金と攻めに使うことを選択しました。これが好判断。後手は☖5四歩と打ったのですが☗5五歩と合わせ☖同歩☗同銀☖5四歩☗6四銀☖同歩で銀の交換になりました。たぶん後手はこれで一旦は収まるとみていたのだと思いますが,もしそうならそれは判断ミス。したがって最初に☖5四歩と打つところでは別の手が必要で,正着は☖3三角だったようです。ただこの手は中央が争点となっている局面では発見しにくいかもしれません。

先手は☗5五歩と合わせていきました。後手はこの手を軽視していたようです。ここに至っては☖同歩☗同金☖5四歩と進めるほかなかったようです。しかし☗6三銀と打たれました。
飛車を逃げては歩を打った意味がありませんから☖5五歩☗7二銀不成はそう進むところなのでしょう。そのとき先手は☗5五飛~☗8五飛と回る手が生じているので受けなければなりません。ただ☖5四銀と上がると☗8一銀成以下,後手の駒損が拡大してじり貧になります。よって☖6七銀不成をみせて☖5六銀と打ちました。ただこれには桂馬を取るのではなくて☗6三銀成。

第3図で☖6七銀成としてしまうと構わずに☗5五飛と走られて困ります。よってこの局面はすでに後手が収拾がつかなくなっていました。
里見王座が連勝。第三局は21日です。
この日は看護師だけでなく,医師からも話を聞くことができました。もう話ができませんから本人がどのように感じているかは正確には分からないのだけれども,聴診器で聴く肺の音から判断する限りでは,痰が絡んでいるという様子もなく,苦しみを感じているということはないだろうとのことでした。
母は話すことはできませんが,こちらからは声を掛けたり,言いたいことを言ったりはします。ことばはありませんが声は出しますし,また,目の反応などはありました。ただ,こちらが喋っていることを正確に理解できているのかどうかまでは分かりません。ただ,それが理解できているかどうかがこちらからは不明であるがゆえに,むしろ話しやすいと思えるようなこともあります。ものすごく単純にいってしまうと,普段であれば気恥ずかして口に出せないようなことであっても,このような状況であれば率直に話せるという類のことです。もちろんそれは母が理解できると確信がもてる間に言っておくべきことだったのかもしれませんが,このような状況を少しの間だけでも僕に与えてくれたことについては,僕は今でも有難かったと思っています。
そしてこの日から,僕は母の病室で夕食を摂ってから帰宅するようにしました。これは少しでも長く母のそばにいられるようにするためであると同時に,母の病状がさらに悪化したときに,病院に滞在していた方がいい,つまり不測の事態に備えるというふたつの理由からです。この8月7日から何日かの間,このブログはそれまであるいはそれ以後と比較したときに,投稿の時刻が少しばかり遅くなっていますが,これはこの事情によるものでした。
帰宅してから,Yさんから電話がありました。Yさんは母が入院したということを知りませんでした。KさんはFさんには伝え,そのためにFさんは見舞いに来てくれたのですが,Yさんには伝えていなかったようです。これはおそらく,KさんとFさんほど,KさんとYさんは親しい間柄ではなかったからだと思います。Yさんはそれなら見舞いに行きたいと申し出てくれたのですが,すでに母は会話をできる状態ではありませんでしたので,お断りしました。
里見香奈女流王座の先手で5筋位取り中飛車。戦いが始まってすぐに差がつく将棋でした。

6八にいた金が上がった局面。ここで後手の清水市代女流六段は☖7二飛と寄りました。金がいなくなった7筋を牽制する一手でしたが,これが軽率だったようです。
先手は形は☗4七金ですがチャンスとみて☗5六金と攻めに使うことを選択しました。これが好判断。後手は☖5四歩と打ったのですが☗5五歩と合わせ☖同歩☗同銀☖5四歩☗6四銀☖同歩で銀の交換になりました。たぶん後手はこれで一旦は収まるとみていたのだと思いますが,もしそうならそれは判断ミス。したがって最初に☖5四歩と打つところでは別の手が必要で,正着は☖3三角だったようです。ただこの手は中央が争点となっている局面では発見しにくいかもしれません。

先手は☗5五歩と合わせていきました。後手はこの手を軽視していたようです。ここに至っては☖同歩☗同金☖5四歩と進めるほかなかったようです。しかし☗6三銀と打たれました。
飛車を逃げては歩を打った意味がありませんから☖5五歩☗7二銀不成はそう進むところなのでしょう。そのとき先手は☗5五飛~☗8五飛と回る手が生じているので受けなければなりません。ただ☖5四銀と上がると☗8一銀成以下,後手の駒損が拡大してじり貧になります。よって☖6七銀不成をみせて☖5六銀と打ちました。ただこれには桂馬を取るのではなくて☗6三銀成。

第3図で☖6七銀成としてしまうと構わずに☗5五飛と走られて困ります。よってこの局面はすでに後手が収拾がつかなくなっていました。
里見王座が連勝。第三局は21日です。
この日は看護師だけでなく,医師からも話を聞くことができました。もう話ができませんから本人がどのように感じているかは正確には分からないのだけれども,聴診器で聴く肺の音から判断する限りでは,痰が絡んでいるという様子もなく,苦しみを感じているということはないだろうとのことでした。
母は話すことはできませんが,こちらからは声を掛けたり,言いたいことを言ったりはします。ことばはありませんが声は出しますし,また,目の反応などはありました。ただ,こちらが喋っていることを正確に理解できているのかどうかまでは分かりません。ただ,それが理解できているかどうかがこちらからは不明であるがゆえに,むしろ話しやすいと思えるようなこともあります。ものすごく単純にいってしまうと,普段であれば気恥ずかして口に出せないようなことであっても,このような状況であれば率直に話せるという類のことです。もちろんそれは母が理解できると確信がもてる間に言っておくべきことだったのかもしれませんが,このような状況を少しの間だけでも僕に与えてくれたことについては,僕は今でも有難かったと思っています。
そしてこの日から,僕は母の病室で夕食を摂ってから帰宅するようにしました。これは少しでも長く母のそばにいられるようにするためであると同時に,母の病状がさらに悪化したときに,病院に滞在していた方がいい,つまり不測の事態に備えるというふたつの理由からです。この8月7日から何日かの間,このブログはそれまであるいはそれ以後と比較したときに,投稿の時刻が少しばかり遅くなっていますが,これはこの事情によるものでした。
帰宅してから,Yさんから電話がありました。Yさんは母が入院したということを知りませんでした。KさんはFさんには伝え,そのためにFさんは見舞いに来てくれたのですが,Yさんには伝えていなかったようです。これはおそらく,KさんとFさんほど,KさんとYさんは親しい間柄ではなかったからだと思います。Yさんはそれなら見舞いに行きたいと申し出てくれたのですが,すでに母は会話をできる状態ではありませんでしたので,お断りしました。