スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&呼吸停止

2018-11-24 19:33:48 | 将棋
 倉敷市芸文館で指された第26期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 谷口由紀女流二段の先手。里見香奈倉敷藤花の三間飛車に先手が向飛車に振っての相振飛車。先手の序盤戦術が稚拙で作戦負けになったと思いますが,戦いが始まったところではまだ何とかできそうな感じもしました。
                                     
 5六で銀が交換され,先手の☗5七歩に飛車が引いた局面。これが本格的な戦いが開始された局面です。
 先手は☗4六銀と打ちました。交換したばかりの銀を一方的に受けに使うのでは苦しいのでしょうが,後手が5筋を攻めてくるのは目に見えていますので,あらかじめ受けておいた手。苦しい手が必要なのはそれ以前の局面に原因があり,この手はここではいい手だったのではないかと思います。後手は☖3三桂と跳ねました。先手は☗3六歩と立て直しを図り後手は桂馬が跳ねる足場を作る☖4五歩。
 ここから☗6五歩☖同歩☗3五銀と進めたのですが,この一連の手順が悪く,挽回するのが難しい差がつくことになったのではないかと思います。後手が☖1五角と逃げたところで☗3七桂と跳ねましたが,これなら何もせずに跳ねておいた方がまだよかったでしょう。後手は☖4五桂とぶつけました。
 ここで☗1六歩と突くのは仕方がなかったと思いますが☖4二角が絶好の引き場所。先手が☗4六銀と引いたところで☖7五角と大転換されてしまいました。
                                     
 第2図となっては飛車が逃げるほかなく,角交換から後手が先んじて馬を作ることになります。この手順が成立したのは後手が6筋を突き捨てたからで,その順もよくなかったということになるでしょう。
 連勝で里見倉敷藤花が防衛第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期に続く四連覇で通算9期目の倉敷藤花です。

 幸いにして歯科に行っている間に母の様態が急変することはありませんでした。僕たちは計算の受付だけして,病室に戻りました。この間にクラークが来て,7月分の入院費の請求書を置いていきました。7月は緩和病棟の有料の病室に入院している期間が長かったので,18万円でした。これはさすがにこの日のうちに払える額ではありません。ただ,妹の医療費の精算は必要ですので,計算が終っているだろう頃合いを見計らい,僕は再び1階に行き,精算を済ませました。何度かいっているように妹の医療費は無料ですので,支払いをするというわけではなく,次回の予約票を受け取るのが主です。
 そのまま妹とふたりで母のそばに待機していましたが,様子が変わるところはありませんでした。午後6時35分に看護師が診察をしましたが,やはり変化はないとのことでした。ただ,このまま帰宅するわけにいきませんから,この時点でこの夜は病院で過ごすことを決意しました。このためにこのブログはこの8月10日だけは投稿がありませんでした。
 看護師が変わりはないと診断してくれましたので,さしあたり僕はまた1階に行き,夕食を買ってきました。妹が先に食べ,僕が食べたのが午後7時25分でした。食べ終わってまだ様子を見守っていましたが,やはり変化はないようなので,午後9時半になって妹を家族控室に移動させ,そちらで眠らせました。僕は病室に戻り,母のベッドの脇のストレッチャーに横になりました。
 深夜から未明,また夜が明けてからも何度も看護師が訪れ,母の様子を窺い,また寝返りを打たせてくれたりしていました。夜が明けても母の状況は変わりませんでした。
 8月11日,金曜日。午前9時ごろになり,母が呼吸をすることがだいぶ難しくなってきているような感じを受けました。1回の呼吸が荒く,また呼吸と呼吸の間隔も長いのです。しばし見守っていましたが,どうもそのまま呼吸が途絶えたようでした。この呼吸の止まり方は父の最期とそっくりでした。この時点でまだ妹は家族控室で眠っていましたので,僕は妹を起こし,ふたりで病室に戻りました。それからナースコールのボタンを押しました。
コメント
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