アイルランドから1頭,イギリスから1頭が招待され,北海道から1頭が遠征してきた第38回ジャパンカップ。
サンダリングブルーは発馬後に寄られる不利を受けました。先手を奪ったのはキセキ。2馬身くらいのリード。2番手はアーモンドアイとノーブルマーズ。4番手にガンコ。5番手はスワーヴリチャードとウインテンダネス。7番手にハッピーグリンとシュヴァルグラン。9番手がサトノダイヤモンドとサウンズオブアース。11番手がサトノクラウンで12番手にカプリ。ここから3馬身ほど開いて13番手にミッキースワローで最後尾にサンダリングブルー。最初の1000mは59秒9のスローペース。
キセキは早めにスパートし,4コーナーを回るところでリードは4馬身。2番手を内で併走していたアーモンドアイはキセキの外に進路を選択。この外からスワーヴリチャードが追ってきたのですが,直線ではスワーヴリチャードは逃げるキセキと追うアーモンドアイにまた離される形になり優勝争いは前の2頭。キセキも止まってはいないのですがアーモンドアイの脚がそれを上回り,差し切ってレコードタイムで優勝。逃げ粘ったキセキが1馬身4分の3差で2着。スワーヴリチャードは3馬身半差の3着でさらに後ろから伸びたシュヴァルグランがクビ差で4着。
優勝したアーモンドアイは秋華賞に続いて大レース4連勝となる4勝目。ここまでの成績およびレース内容から,相手関係は一気に強化されるものの,能力は間違いなく通用するだろうと思われました。この距離に対する適性が高いとはみていませんでしたので,よほどスタミナを問われるレースになってしまうと崩れることもなきにしもあらずとは考えていましたが,メンバーをみればそういうレースにはなりそうもなく,実際にその通りでした。これまでの記録を大幅に更新するレコードタイムが出たのは,2着馬があまりペースを落とさずに引っ張ったことと,馬場状態の影響もあったでしょうが,この馬の能力の証のひとつといえます。日本最強のみならず世界最強クラスの馬の筈です。父はロードカナロア。母がフサイチパンドラで祖母がロッタレース。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/73/f06c4bb20f0d4ca0583be9bfc78a00f4.jpg)
騎乗したクリストフ・ルメール騎手はJBCスプリント以来の大レース制覇。第29回以来9年ぶりのジャパンカップ2勝目。管理している国枝栄調教師は秋華賞以来の大レース15勝目。ジャパンカップは初勝利。
すぐ看護師が病室に来てくれましたので,僕はどうも母が呼吸をしていないようだと伝えました。看護師は手首の脈と瞳孔を診察し,すぐに医師を呼んでくれました。医師もすぐに来て,母の死亡を確認しました。午前9時18分でした。
こういうわけで,母の死亡診断書には死亡したのは午前9時18分となっています。ただ,僕はそれ以前から母を見守り,呼吸の間隔が長くなり,やがてそれが停止するのを目撃していたわけですから,妹を呼ぶのはともかく,看護師を呼び,医師が確認するといったことは,一連の儀式のようなものにすぎませんでした。それを儀式のようなものと感じたのは,おそらく父の最期の時に行われた一連の流れと完全に同一だったこともひとつの理由としてあると思います。
母が死ぬということは前もって理解していましたから,悲しみの感情はさほど湧きませんでした。感慨としていえば,母は僕にとって「波の上」の人になったという気持ちが強かったです。このときは「永久欠番」になったのではなく,あくまでも「波の上」の人になったという気持ちでした。僕はこのときの感情についてはこれ以上はうまく説明することができません。
母は自分が死んだときにだれに連絡するのかということをノートに書き残してありましたので,まずそこに連絡を入れました。お寺,親戚,母の友人たちです。ただ,ロサンゼルスの伯母には電話では連絡できませんので,メールで連絡を入れました。葬儀や通夜については,お寺の信者に葬儀社の方がいますので,お寺の方からそちらに連絡を入れてもらいました。少しするとその葬儀社から連絡があり,午前11時ごろに霊柩車で迎えに行くとのことでした。
母は死化粧をするためにベッドに乗せられたまま別室に運ばれました。僕は前にいった一連の儀式のすべてを目撃させるために,ナースコールのボタンを押す前に家族控室で眠っていた妹を起こして病室へ連れてきたのですが,妹はこの時点ではまだ母が死んだということを理解できていなかったようです。ただ,妹がそれを理解していないということについては,僕はこのときには分からず,後で判明することになりました。
サンダリングブルーは発馬後に寄られる不利を受けました。先手を奪ったのはキセキ。2馬身くらいのリード。2番手はアーモンドアイとノーブルマーズ。4番手にガンコ。5番手はスワーヴリチャードとウインテンダネス。7番手にハッピーグリンとシュヴァルグラン。9番手がサトノダイヤモンドとサウンズオブアース。11番手がサトノクラウンで12番手にカプリ。ここから3馬身ほど開いて13番手にミッキースワローで最後尾にサンダリングブルー。最初の1000mは59秒9のスローペース。
キセキは早めにスパートし,4コーナーを回るところでリードは4馬身。2番手を内で併走していたアーモンドアイはキセキの外に進路を選択。この外からスワーヴリチャードが追ってきたのですが,直線ではスワーヴリチャードは逃げるキセキと追うアーモンドアイにまた離される形になり優勝争いは前の2頭。キセキも止まってはいないのですがアーモンドアイの脚がそれを上回り,差し切ってレコードタイムで優勝。逃げ粘ったキセキが1馬身4分の3差で2着。スワーヴリチャードは3馬身半差の3着でさらに後ろから伸びたシュヴァルグランがクビ差で4着。
優勝したアーモンドアイは秋華賞に続いて大レース4連勝となる4勝目。ここまでの成績およびレース内容から,相手関係は一気に強化されるものの,能力は間違いなく通用するだろうと思われました。この距離に対する適性が高いとはみていませんでしたので,よほどスタミナを問われるレースになってしまうと崩れることもなきにしもあらずとは考えていましたが,メンバーをみればそういうレースにはなりそうもなく,実際にその通りでした。これまでの記録を大幅に更新するレコードタイムが出たのは,2着馬があまりペースを落とさずに引っ張ったことと,馬場状態の影響もあったでしょうが,この馬の能力の証のひとつといえます。日本最強のみならず世界最強クラスの馬の筈です。父はロードカナロア。母がフサイチパンドラで祖母がロッタレース。
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騎乗したクリストフ・ルメール騎手はJBCスプリント以来の大レース制覇。第29回以来9年ぶりのジャパンカップ2勝目。管理している国枝栄調教師は秋華賞以来の大レース15勝目。ジャパンカップは初勝利。
すぐ看護師が病室に来てくれましたので,僕はどうも母が呼吸をしていないようだと伝えました。看護師は手首の脈と瞳孔を診察し,すぐに医師を呼んでくれました。医師もすぐに来て,母の死亡を確認しました。午前9時18分でした。
こういうわけで,母の死亡診断書には死亡したのは午前9時18分となっています。ただ,僕はそれ以前から母を見守り,呼吸の間隔が長くなり,やがてそれが停止するのを目撃していたわけですから,妹を呼ぶのはともかく,看護師を呼び,医師が確認するといったことは,一連の儀式のようなものにすぎませんでした。それを儀式のようなものと感じたのは,おそらく父の最期の時に行われた一連の流れと完全に同一だったこともひとつの理由としてあると思います。
母が死ぬということは前もって理解していましたから,悲しみの感情はさほど湧きませんでした。感慨としていえば,母は僕にとって「波の上」の人になったという気持ちが強かったです。このときは「永久欠番」になったのではなく,あくまでも「波の上」の人になったという気持ちでした。僕はこのときの感情についてはこれ以上はうまく説明することができません。
母は自分が死んだときにだれに連絡するのかということをノートに書き残してありましたので,まずそこに連絡を入れました。お寺,親戚,母の友人たちです。ただ,ロサンゼルスの伯母には電話では連絡できませんので,メールで連絡を入れました。葬儀や通夜については,お寺の信者に葬儀社の方がいますので,お寺の方からそちらに連絡を入れてもらいました。少しするとその葬儀社から連絡があり,午前11時ごろに霊柩車で迎えに行くとのことでした。
母は死化粧をするためにベッドに乗せられたまま別室に運ばれました。僕は前にいった一連の儀式のすべてを目撃させるために,ナースコールのボタンを押す前に家族控室で眠っていた妹を起こして病室へ連れてきたのですが,妹はこの時点ではまだ母が死んだということを理解できていなかったようです。ただ,妹がそれを理解していないということについては,僕はこのときには分からず,後で判明することになりました。