取手記念の決勝。並びは吉沢に松谷‐五十嵐の神奈川,山中‐和田の千葉,吉田‐林の愛知で山崎芳仁と山崎賢人は単騎。
林と和田がスタートを取りにいき,内の林が誘導の後ろを確保し吉田の前受け。3番手に山中,5番手に吉沢,8番手に山崎賢人,最後尾に山崎芳仁で周回。山崎芳仁は山崎賢人をマークするレースになりました。残り2周のホームの入口で吉沢が動き出すと,先んじて動いた山中が吉田を叩き,吉沢は山中を叩く形に。このラインを山崎賢人も追いましたが,山中が五十嵐の後ろから引かなかったので,4番手が山中と山崎賢人の併走になって打鐘。ここではまだスローペース。吉田がコーナーで追い出しにかかったので吉沢がホームから発進。4番手の併走はバックまで続きましたが,外の山崎賢人はそのまま発進。これを松谷が止めにかかり,山崎賢人はあっさりと乗り越えましたが山崎芳仁は離れました。捲った山崎賢人はそのまま後ろを千切って優勝。捲られた後で発進した松谷が3車身差の2着。松谷の外を伸びた山中が4分の1車輪差の3着で逃げ粘った吉沢が4分の1車輪差で4着。大外の吉田が4分の1車輪差の5着で和田と吉田の間になった山崎芳仁が微差の6着と,2着争いは5人による接戦でした。
優勝した長崎の山崎賢人選手は7月の奈良のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初優勝。今年の1月にS級に特別昇班した新鋭。FⅠではすでに4回も優勝していましたし,ビッグの決勝にも進出していましたから,記念競輪も手が届くところに来ていました。ここは吉田や山中は積極的に先行するタイプではなく,単騎になった山崎賢人に対して吉沢には神奈川勢がマークしてラインができましたので,吉沢の先行1車に近いメンバー構成。なので自分のペースで駆ければ吉沢が有利ではないかとみていました。実際にそういうレースになったのですが,脚を溜めにくい中団の外併走から楽に捲ってしまった山崎賢人の力がほかを凌駕していたという結果。相当の活躍を見込んでいい選手だと思います。
8月1日,水曜日。この日は午後から見舞いに行きました。
最近は僕が到着したときには眠っているということが多かったのですが,この日は横になっていたものの目覚めていました。この日から酸素吸入器が,鼻から管を通す方式のものから,鼻と口にプラスチック製のマスクを当てるものへ変化していました。これはもちろん血中の酸素の濃度がそれだけ薄くなってきていたからです。
この後,母はベッドを起こして水とお茶を飲みました。鼻から管を通す吸入器であればそのまま飲食をすることができますが,この日からはマスクですからそれを外す必要がありました。また,水とお茶は飲んだのですが,口にすることができるのはそういった飲み物だけになりました。つまりこの日からは何かを食べるということはできなくなったわけです。
前夜にあったお寺の住職の奥さんの電話の話については,実際にはTさんからの報告だけではなく,今後のことも含まれていましたから,Tさんのことだけではなく,そうしたことも伝えました。もしかしたら母自身が奥さんと会って最後に何か言っておきたいことがあるかもしれないと思いましたので,そのことについても尋ねましたが,自分の死後のことについては僕と奥さんが相談してすべてを決定すればよいので,奥さんには見舞いには来てもらわなくてもよいとの返事でした。
この後,看護師が母のベッドを交換してくれました。これはマットレスを空気式の柔らかいものにするという交換でした。母はまだ何とか寝返りを打つことはできたのですが,もう少し時間が経過すればそれもできなくなることが想定されました。もちろん,どんなにマットが柔らかかろうと床擦れは起こしますから,看護師が寝返りさせてくれますが,少しでも効果的ではあるでしょう。また,食べられなくなったのはこの日からでも,前日までに食べていた量というのも非常に少なく,栄養は明らかに不足してましたから,母はかなり痩せてきていました。したがって硬めのマットレスの上に寝るとそれだけで痛みを感じることがあったようで,その痛みを和らげるための交換でもありました。母は楽になったと言っていました。
林と和田がスタートを取りにいき,内の林が誘導の後ろを確保し吉田の前受け。3番手に山中,5番手に吉沢,8番手に山崎賢人,最後尾に山崎芳仁で周回。山崎芳仁は山崎賢人をマークするレースになりました。残り2周のホームの入口で吉沢が動き出すと,先んじて動いた山中が吉田を叩き,吉沢は山中を叩く形に。このラインを山崎賢人も追いましたが,山中が五十嵐の後ろから引かなかったので,4番手が山中と山崎賢人の併走になって打鐘。ここではまだスローペース。吉田がコーナーで追い出しにかかったので吉沢がホームから発進。4番手の併走はバックまで続きましたが,外の山崎賢人はそのまま発進。これを松谷が止めにかかり,山崎賢人はあっさりと乗り越えましたが山崎芳仁は離れました。捲った山崎賢人はそのまま後ろを千切って優勝。捲られた後で発進した松谷が3車身差の2着。松谷の外を伸びた山中が4分の1車輪差の3着で逃げ粘った吉沢が4分の1車輪差で4着。大外の吉田が4分の1車輪差の5着で和田と吉田の間になった山崎芳仁が微差の6着と,2着争いは5人による接戦でした。
優勝した長崎の山崎賢人選手は7月の奈良のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初優勝。今年の1月にS級に特別昇班した新鋭。FⅠではすでに4回も優勝していましたし,ビッグの決勝にも進出していましたから,記念競輪も手が届くところに来ていました。ここは吉田や山中は積極的に先行するタイプではなく,単騎になった山崎賢人に対して吉沢には神奈川勢がマークしてラインができましたので,吉沢の先行1車に近いメンバー構成。なので自分のペースで駆ければ吉沢が有利ではないかとみていました。実際にそういうレースになったのですが,脚を溜めにくい中団の外併走から楽に捲ってしまった山崎賢人の力がほかを凌駕していたという結果。相当の活躍を見込んでいい選手だと思います。
8月1日,水曜日。この日は午後から見舞いに行きました。
最近は僕が到着したときには眠っているということが多かったのですが,この日は横になっていたものの目覚めていました。この日から酸素吸入器が,鼻から管を通す方式のものから,鼻と口にプラスチック製のマスクを当てるものへ変化していました。これはもちろん血中の酸素の濃度がそれだけ薄くなってきていたからです。
この後,母はベッドを起こして水とお茶を飲みました。鼻から管を通す吸入器であればそのまま飲食をすることができますが,この日からはマスクですからそれを外す必要がありました。また,水とお茶は飲んだのですが,口にすることができるのはそういった飲み物だけになりました。つまりこの日からは何かを食べるということはできなくなったわけです。
前夜にあったお寺の住職の奥さんの電話の話については,実際にはTさんからの報告だけではなく,今後のことも含まれていましたから,Tさんのことだけではなく,そうしたことも伝えました。もしかしたら母自身が奥さんと会って最後に何か言っておきたいことがあるかもしれないと思いましたので,そのことについても尋ねましたが,自分の死後のことについては僕と奥さんが相談してすべてを決定すればよいので,奥さんには見舞いには来てもらわなくてもよいとの返事でした。
この後,看護師が母のベッドを交換してくれました。これはマットレスを空気式の柔らかいものにするという交換でした。母はまだ何とか寝返りを打つことはできたのですが,もう少し時間が経過すればそれもできなくなることが想定されました。もちろん,どんなにマットが柔らかかろうと床擦れは起こしますから,看護師が寝返りさせてくれますが,少しでも効果的ではあるでしょう。また,食べられなくなったのはこの日からでも,前日までに食べていた量というのも非常に少なく,栄養は明らかに不足してましたから,母はかなり痩せてきていました。したがって硬めのマットレスの上に寝るとそれだけで痛みを感じることがあったようで,その痛みを和らげるための交換でもありました。母は楽になったと言っていました。