4日のJBCレディスクラシックは勝負根性を発揮したアンジュデジールが差し返して大レース制覇を達成しました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は祖母のブラッシングプリンセスになります。ファミリーナンバーは2-n。

ブラッシングプリンセスは1996年のアメリカ産馬。2000年から2003年まで,アメリカで4頭の産駒を産んだ後,種付けされ受胎した状態で輸入されました。なので2004年の産駒からは日本産ということになります。
3頭目の産駒は牝馬。ティックルピンクと名付けられたこの馬は,3歳4月に未勝利戦でデビューしこのレースは勝ったもののその後の3戦は未勝利で繁殖牝馬になりました。この馬がアンジュデジールの母です。アンジュデジールの2つ上の半兄は現役でオープン2勝,重賞でも3着に入ったことがあるアキトクレッセントですから,競走成績からすれば優秀な繁殖成績といえるでしょう。
2012年にブラッシングプリンセスが産んだ牡馬が現役のオールブラッシュ。昨年の川崎記念の勝ち馬です。このレースはメンバーと展開に恵まれた部分が多分にあり,実際にその後は10連敗中です。ただ,大レースはフロックで勝てるというものでもなく,ブラッシングプリンセスの繁殖牝馬としての優秀性を示した1頭とはいえるでしょう。
この牝系は日本ではさほど多くの活躍馬は出ていません。最も近いところで,ブラッシングプリンセスの祖母の子孫から,2013年に中山金杯を勝ったタッチミーノットがいるくらいです。
ブラッシングプリンセスはオールブラッシュを産んだ後,キンシャサノキセキを受胎した状態で韓国に輸出されています。したがって日本で牝系が広がっていくためには,アンジュデジールをはじめとする,残された牝馬から活躍馬が出てくる必要があります。
そのまま母の様子をしばし見守っていましたが,どうもすぐに死んでしまうということはないように感じられました。ですから一旦は1階のコンビニエンスストアに行き,僕と妹の朝食を購入しました。ふたりでそれを母の病室で食しました。
午前7時20分に夜勤の看護師が病室に来ました。このとき血圧を計測しましたが,80台でした。電話で知らせを受けたときには60台まで低下していたのですから,持ち直したことになります。看護師は家族が来て声を掛けるとこのように持ち直すことはままあるといっていました。ただこのときに母の血圧が上昇したのが,本当に僕と妹が駆け付けたからであったのかどうかは何ともいえません。
さらに看護師は,簡易ベッド,これは実際にはストレッチャーのようなものですが,それを1台,この病室に用意してくれました。これは朝早くに起きたからまだ眠いのではないかという配慮からです。とりあえずこのストレッチャーに妹を寝かせました。妹はすぐに眠ってしまいました。
午前9時に医師が来て,聴診器を用いて母を診察しました。胸の音には変化はないとのことでした。ただ,この胸の音というのが,肺の音に変化はなく,母が呼吸について苦しんでいないという意味であったのか,あるいは心臓の音に変化はないので,まだ大丈夫であるという意味であったのかは,今となっては定かではありません。ただ,僕が到着したときに感じたように,すぐにも死んでしまうという状況ではないのは間違いないのだろうと僕は受け取りました。
午前9時35分に,この日の担当の看護師が来て,再び血圧を計測しました。このときにはまた60台まで低下していました。この後,看護師が別室を用意してくれました。これは家族控室という名称の部屋です。そこはわりと大きめの部屋で,テレビもあり,また備え付けのテーブルの前には大きめのソファーがあって,そこで横になることができました。午前10時になってから妹をそちらの部屋に移動させ,毛布を用意してもらって眠らせました。僕は母の病室で,ベッドの横に用意してもらったストレッチャーに横になりました。僕も少し眠ってしまいました。

ブラッシングプリンセスは1996年のアメリカ産馬。2000年から2003年まで,アメリカで4頭の産駒を産んだ後,種付けされ受胎した状態で輸入されました。なので2004年の産駒からは日本産ということになります。
3頭目の産駒は牝馬。ティックルピンクと名付けられたこの馬は,3歳4月に未勝利戦でデビューしこのレースは勝ったもののその後の3戦は未勝利で繁殖牝馬になりました。この馬がアンジュデジールの母です。アンジュデジールの2つ上の半兄は現役でオープン2勝,重賞でも3着に入ったことがあるアキトクレッセントですから,競走成績からすれば優秀な繁殖成績といえるでしょう。
2012年にブラッシングプリンセスが産んだ牡馬が現役のオールブラッシュ。昨年の川崎記念の勝ち馬です。このレースはメンバーと展開に恵まれた部分が多分にあり,実際にその後は10連敗中です。ただ,大レースはフロックで勝てるというものでもなく,ブラッシングプリンセスの繁殖牝馬としての優秀性を示した1頭とはいえるでしょう。
この牝系は日本ではさほど多くの活躍馬は出ていません。最も近いところで,ブラッシングプリンセスの祖母の子孫から,2013年に中山金杯を勝ったタッチミーノットがいるくらいです。
ブラッシングプリンセスはオールブラッシュを産んだ後,キンシャサノキセキを受胎した状態で韓国に輸出されています。したがって日本で牝系が広がっていくためには,アンジュデジールをはじめとする,残された牝馬から活躍馬が出てくる必要があります。
そのまま母の様子をしばし見守っていましたが,どうもすぐに死んでしまうということはないように感じられました。ですから一旦は1階のコンビニエンスストアに行き,僕と妹の朝食を購入しました。ふたりでそれを母の病室で食しました。
午前7時20分に夜勤の看護師が病室に来ました。このとき血圧を計測しましたが,80台でした。電話で知らせを受けたときには60台まで低下していたのですから,持ち直したことになります。看護師は家族が来て声を掛けるとこのように持ち直すことはままあるといっていました。ただこのときに母の血圧が上昇したのが,本当に僕と妹が駆け付けたからであったのかどうかは何ともいえません。
さらに看護師は,簡易ベッド,これは実際にはストレッチャーのようなものですが,それを1台,この病室に用意してくれました。これは朝早くに起きたからまだ眠いのではないかという配慮からです。とりあえずこのストレッチャーに妹を寝かせました。妹はすぐに眠ってしまいました。
午前9時に医師が来て,聴診器を用いて母を診察しました。胸の音には変化はないとのことでした。ただ,この胸の音というのが,肺の音に変化はなく,母が呼吸について苦しんでいないという意味であったのか,あるいは心臓の音に変化はないので,まだ大丈夫であるという意味であったのかは,今となっては定かではありません。ただ,僕が到着したときに感じたように,すぐにも死んでしまうという状況ではないのは間違いないのだろうと僕は受け取りました。
午前9時35分に,この日の担当の看護師が来て,再び血圧を計測しました。このときにはまた60台まで低下していました。この後,看護師が別室を用意してくれました。これは家族控室という名称の部屋です。そこはわりと大きめの部屋で,テレビもあり,また備え付けのテーブルの前には大きめのソファーがあって,そこで横になることができました。午前10時になってから妹をそちらの部屋に移動させ,毛布を用意してもらって眠らせました。僕は母の病室で,ベッドの横に用意してもらったストレッチャーに横になりました。僕も少し眠ってしまいました。