4月30日に指された第85期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は森内俊之竜王・名人が0勝,村山慈明七段が1勝。
振駒で村山七段の先手。森内竜王・名人のノーマル向飛車。先手は穴熊を目指しましたが,後手が早々に2筋の歩を交換し,先手が積極的に咎めにいったので,早くに中盤の戦いが開始されることになりました。
これはもう終盤戦。後手が銀取りに角を打った局面で,まだ難しそうには思えます。ここで先手は▲1八角。この手は実戦の△2七桂で働きが乏しくなるので,桂馬を使わせるという意図。
▲4六香は銀取りを受ける手。第1図で▲6五金と打つと△6三桂で困るというのが先手の読み。読み筋はここで△4三桂ともう1枚使わせ,後手の持ち駒から桂馬をなくして▲6五金であったと思われます。しかし後手は△6一飛と指しました。この手が先手の読み抜けで,どうやらこれが勝敗の帰趨を決したよう。相変らず▲6五金とは打てないので▲6五桂と打ち,△8四銀に▲4二香成と修正しましたが,△5五角成と好位置に馬を作られ,先手の攻めが遅くなりました。
ここからもう少し受けに回った後手が反撃に転じ,勝利しています。
森内竜王・名人が挑戦者に。棋聖戦は第75期以来10年ぶり2度目の挑戦で,初戴冠を目指します。第一局は来月2日。
朝倉の考え方は,ふたつの個物res particularisとres singularisは異なった概念で,res singularisが第二部定義七の有限な事物だけを意味するのに対して,res particularisにはres singularisと間接無限様態が含まれるということになっています。しかし今回の僕の考察主題との関連について朝倉が探求するとき,このことは前提となってはいません。むしろ僕が理解するところでは,間接無限様態はres singularisに類するもの,もっといえばres singularisそのものであるということが前提になっています。朝倉がres singularisとres particularisの相違について結論するのは,むしろその後,二重因果性の問題が解消されてからなのです。
それではなぜ朝倉は間接無限様態をres singularisそのものと前提することが可能になったのかということを疑問に思われる方がいらっしゃるかと思います。それは佐藤一郎の『個と無限』という著書のうちにあります。僕はこの本を入手できていないのではっきりとしたことはいえないのですが,朝倉によればこの本の中に,間接無限様態がres singularisでなければならないということ,そしてこの解釈が従来のどの解釈とも異なるということが書かれているようです。したがって,無限様態をres singularisに類するものと解釈するフロンティアは,この佐藤一郎であったと思われます。福居純が『スピノザ「共通概念」試論』において直接無限様態をres singularisに類するものであるという際にも,この『個と無限』に関する言及があります。
朝倉も福居も,佐藤の考え方を全面的に受け入れているというわけではなく,どちらかといえば佐藤の考察は不徹底であるというニュアンスが込められているように僕には感じられます。ただ僕は現時点では佐藤の論考を詳細に分析できませんので,その点について何かをいうことはできません。ただ,朝倉の論じ方からして,佐藤の関心の中心は二種類の因果性にあったようです。
振駒で村山七段の先手。森内竜王・名人のノーマル向飛車。先手は穴熊を目指しましたが,後手が早々に2筋の歩を交換し,先手が積極的に咎めにいったので,早くに中盤の戦いが開始されることになりました。
これはもう終盤戦。後手が銀取りに角を打った局面で,まだ難しそうには思えます。ここで先手は▲1八角。この手は実戦の△2七桂で働きが乏しくなるので,桂馬を使わせるという意図。
▲4六香は銀取りを受ける手。第1図で▲6五金と打つと△6三桂で困るというのが先手の読み。読み筋はここで△4三桂ともう1枚使わせ,後手の持ち駒から桂馬をなくして▲6五金であったと思われます。しかし後手は△6一飛と指しました。この手が先手の読み抜けで,どうやらこれが勝敗の帰趨を決したよう。相変らず▲6五金とは打てないので▲6五桂と打ち,△8四銀に▲4二香成と修正しましたが,△5五角成と好位置に馬を作られ,先手の攻めが遅くなりました。
ここからもう少し受けに回った後手が反撃に転じ,勝利しています。
森内竜王・名人が挑戦者に。棋聖戦は第75期以来10年ぶり2度目の挑戦で,初戴冠を目指します。第一局は来月2日。
朝倉の考え方は,ふたつの個物res particularisとres singularisは異なった概念で,res singularisが第二部定義七の有限な事物だけを意味するのに対して,res particularisにはres singularisと間接無限様態が含まれるということになっています。しかし今回の僕の考察主題との関連について朝倉が探求するとき,このことは前提となってはいません。むしろ僕が理解するところでは,間接無限様態はres singularisに類するもの,もっといえばres singularisそのものであるということが前提になっています。朝倉がres singularisとres particularisの相違について結論するのは,むしろその後,二重因果性の問題が解消されてからなのです。
それではなぜ朝倉は間接無限様態をres singularisそのものと前提することが可能になったのかということを疑問に思われる方がいらっしゃるかと思います。それは佐藤一郎の『個と無限』という著書のうちにあります。僕はこの本を入手できていないのではっきりとしたことはいえないのですが,朝倉によればこの本の中に,間接無限様態がres singularisでなければならないということ,そしてこの解釈が従来のどの解釈とも異なるということが書かれているようです。したがって,無限様態をres singularisに類するものと解釈するフロンティアは,この佐藤一郎であったと思われます。福居純が『スピノザ「共通概念」試論』において直接無限様態をres singularisに類するものであるという際にも,この『個と無限』に関する言及があります。
朝倉も福居も,佐藤の考え方を全面的に受け入れているというわけではなく,どちらかといえば佐藤の考察は不徹底であるというニュアンスが込められているように僕には感じられます。ただ僕は現時点では佐藤の論考を詳細に分析できませんので,その点について何かをいうことはできません。ただ,朝倉の論じ方からして,佐藤の関心の中心は二種類の因果性にあったようです。
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