気を抜くと安藤サクラとヒコロヒーが混同する
声が似ているのかしら
顔もちょっと似ているかな
キョコロヒー 齊藤京子の代打で川田陽菜 ハルロヒー
◇追記:「ヒナロヒー」だった いろいろ気が抜けている
Ende;
気を抜くと安藤サクラとヒコロヒーが混同する
声が似ているのかしら
顔もちょっと似ているかな
キョコロヒー 齊藤京子の代打で川田陽菜 ハルロヒー
◇追記:「ヒナロヒー」だった いろいろ気が抜けている
Ende;
ヒトは権威肩書を持った すなはち「順位序列が上」とみなした対象の主張を鵜呑みにし その真偽を自分の頭で検証したりはしない習性がある
アセチル化やヒストン修飾などのエピジェネティクス現象というものは 何一つ「遺伝子を主体的に選択できる可能性」の論証にはなっていない
どの遺伝子がアセチル化やヒストン修飾されるのかは 個体の意図目的で選択できるようなものではなく あくまで生息環境による淘汰圧力の働きによってもたらされる収斂進化の「結果」以上の何も論証されておらず
エピジェネティクス現象も所詮は遺伝的進化のアルゴリズムの範疇に入るものである
エピジェネティクス現象が発見される以前においては 遺伝子だけが遺伝を決定するものだと「思われて」いたが 遺伝はそれだけでは決定せずに親世代の環境は行動が遺伝子発現に影響を及ぼしていたことが発見されただけに過ぎず
何一つ「遺伝的要素を選べる可能性」の論証には結びつかない
こんな簡単なことすら 大多数の衆愚マスコミ 学術研究者の大半も気づかない程に ヒトという種の生物はバカなのである
バカの原因はわかっている 既に幾度も説明済みである
自分の頭で主体的に真偽を検証しないからバカなのであり
権威肩書を持った 順位序列を上とみなした対象の主張を盲目的に信頼して鵜呑みにするから 存分にバカを発現するのである
権威肩書を持った対象の主張を鵜呑みにしておいた方が 気分的には安心で楽である
自発的な真偽の判断を放棄しても責任逃れができると「思って」いるからであり 大多数のヒトは多数が疑わなければ 疑わないことの方が「正常」だと「思って」いるからである
これらの「思い」込みを作り出すのが 生物学上の「社会性(社会形成習性)」であり 盲目的統率的協調行動によって「大きな力」を発揮したことで 生存や繁殖において有利に働いた結果的収斂進化によって組み込まれた本能的習性である
統率的協調行動は 環境資源の奪い合い競争において有利に働くものであり 暴力団やヤクザは独裁政府などというバカげた集団組織が現存しているのも 組織を構成する個人が誰も主体的行動選択をせずに盲目的に組織に服従し 組織の利益を優先することで組織内部での地位権益を獲得することで 現状体制を維持し続けられるため 生存や繁殖において有利に働くことで 収斂進化が促された遺伝的進化の「結果」でしかない
ヒトという種の生物の遺伝子やゲノムは 誰の意図目的も介在しておらず それゆえヒトは頭の悪さを発揮してバカげた腐敗体制組織集団への同調迎合忖度服従や傍観放置を平気で行う本能的習性が存在しているのである
イジメに反対すれば イジメの標的にされるし
ナチスに反対すればスイス山中で自決を余儀なくされる
東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を主張すれば 東京電力を退職して四国で農業に就くことにもなる
内部告発者は「裏切り者」として組織から排除の対象となり 誰も守ってなどくれない
「怖い相手」には逆らわず 「怖くない相手を攻撃排除」しておけば主観的に安心満足感を得られるため 自分が属する集団組織の腐敗の責任は自分にはないと「思う」ことにしておくという 先天的な認知上の重大な欠陥を持っているのである
こうした欠陥は 自分では選択できない
「欲望そのものを欲することはできない」のであって 遺伝的進化のアルゴリズムによって収斂進化が促された「結果」でしかないからだ
ヒトも含めたあらゆる生物には「目的」など存在しておらず 現存している結果的存在が「生物」と分類されているに過ぎない
どんなに無責任でバカな先天的本能習性があるとしても その本能習性の存在そのものは誰にも責任を問うことはできず 選択することもできない
「自由」意志とは 選択可能性の中に存在するのであり 選択不可能な先天的本能習性や情動の中には存在しない
意識するよりも先に 脳内に情動の発火が生ずるとしても その情動の発火そのものは何ら選択不可能なものであり それそのものは「自由」選択可能性は存在せず 「自由」意識とは無関係である
「殴りたい」という情動が働いたからといって 殴る以外の行動選択が一切不可能であることの証明はなく 合理的行動選択によって「殴るべきか それとも殴る以外の選択をすべきか」を選択することは可能であり この選択可能性の中にこそ「自由」意志は存在するのである
凶悪な殺人犯に対して 死刑などの極刑や懲罰を与えれば主観的には満足安心感が得られるため ヒトは司法裁判の判決を「解決」だと倒錯し 合理性や実効性のある原因究明や再発防止には一切興味を持たなくなる
これをヒトは「道徳」などと称して 主観的満足安心を「正義」だと勘違い錯覚するのである
こうした盲目性もまた ヒトの権威服従性や統率的協調性や社会形成習性による先天的行動バイアス(錯覚)によって促されるのである
「自分だけは絶対に錯覚などしていない」 そう「思って」おけば安心である
振り込め詐欺師に騙される被害者が一向に減らないのも 主観的安心満足が優先して自己客観的危機意識や危機管理がおろそかになってしまうからであり 主観的に「怖い」とか「安心」して信じているものを一切疑わなくなるという 自己客観性の重大な欠落が働くからである
生物学者共による論理的根拠のないデマや誤謬を 大衆マスコミの誰も自覚認識できずに鵜呑みにしているのも メカニズムは同じである
「自分は認知機能が衰えた高齢者ではないから 絶対に騙されたりはしていない」と主観的に「思って」いるからこそ 何の根拠もない生物学者共の嘘やデマにも気づくことができず 大多数が気づかないことを根拠に 気づかないことの方が正常だと倒錯し 嘘やデマが公然とまかり通ってしまう結果をもたらしているのである
イマヌエル:カントやオルテガ:イ:ガセットの主張した 理論的には何の根拠もない「叡智界」なんぞを現状の「哲学者」共や衆愚マスコミは鵜呑みにし
論理整合性もスッタクレもない養老孟司の屁理屈を鵜呑みにし
何ら倫理とは無関係な「トロッコ問題」で「悩む」ことを「考え」だと錯覚してマイケル:サンデルを盲信し
日本大学田中英寿理事体制に大多数の職員が同調迎合忖度服従し
東京電力福島第一原子力発電所においては大多数の職員が原発の津波に対する脆弱性を放置し
生物学者共のデマや嘘によるはぐらかしを鵜呑みにするのは
結局詐欺師やペテン師や占い師や宗教を信じ込んで安心する盲目性と メカニズム構造やプロセス過程は一緒である
「信頼」とは 主観的に安心する相手に対する盲目性であって 論理客観的真偽の判定とは全く別のものである
別のものであるにも関わらず ヒトは先天的にはこれが区別できないという認知上の重大な欠陥を持っている
だからヒトは騙されるし 何度も同じ過ちを繰り返すし 「歴史から学ぶこと」もままならいのである
過ちを漫然と繰り返さないために必要なのは 失敗学や危険学による論理客観的な徹底した原因究明と再発防止策の策定であり 事故以外の戦争や犯罪も含めたあらゆる「人災」においても失敗学や危険学のメソッドは有効なのである
凶悪事件が発生した際に 実行犯を確捕すれば その地域の安全性は一定程度確保されたことにはなるものの 凶悪事件の原因究明や再発防止にはならず 潜在的危険性は放置されたままである
通り魔やテロリストを死刑にしても 「なぜテロや通り魔などの無差別的暴力破壊による最終解決を選択するという非合理な行動を採るようになったのか」についての具体的で論理的根拠を伴う原因については闇の中である
だが 現状の社会制度上では司法裁判による判決だけが唯一絶対的な「解決」だとみなされ 大多数の衆愚マスコミは一切疑うことはない
こうした根源的原因究明がなされないことの責任は 衆愚マスコミによる「多数」によって共感されることで 個人の主体的判断責任が多数によって薄まると倒錯し 傍観放置されているのである
これは陰謀論のような複雑怪奇で主観的に「面白い」ものではなく 単なるヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の重大な欠陥に起因するものであって 自分の頭で考え判断すれば真偽を見極めることはそれほど難しいものではないはずである
理論的には何ら難しいものではないにも関わらず 理解が一向に進まないのは 「自分の頭で考え真偽を判定する主体性」が 大半の衆愚マスコミには欠落しているからである
論理客観的な「考え」が働かなければ 行動を左右するのは主観的な「思い」という先天性の情動バイアスだけであり こうした行動選択はイヌやサルのそれと何ら違わない「バカの選択」に過ぎない
原理的に選択不可能な情動や「思い」に振り回されているからこそ ヒトは主体的に真偽の判定をしなくなりバカになるのである
Ende;
「従来、学校は苦労を美徳とし、我慢を強いて、100点を目指して足りないところを埋めるために頑張らせるところがあるけれど、目が見えにくかったら眼鏡を掛けるように、できないことがあるなら、どうすれば困らないようにできるかを考えることが合理的配慮だ」と藤井先生は言います。
↗出典:「特別支援と通常学級の子は違う」を取り払う、インクルーシブ教育の本質 -東洋経済
⇨苦労を美徳とし 我慢を強いて 文部省の基準で決めつけた能力や評価基準に則った「教育」に適した子供が本当に知能的であることの論拠は何もない
そもそも教えた内容を 教えたままに鵜呑みにし 自律的には真偽かどうかを判定しないのでは到底人間としての知能としては働かないのである
「苦労を美徳 我慢を強いる」という因習体質もまた 「そう教わること そう教えること」を全く無批判に鵜呑みにする頭の悪さもまた「人間としての知能」が働いていない証拠である
ヒトという種の生物は 先天的には親大人を盲目的に信頼し 教えられたことを無批判に鵜呑みにする習性があり これは幼児期には生存に関わる本能的「習性」ではあるものの あくまで「結果」であって「目的」ではなく 決して万能ではない
「目的」意識に基づいた主体的行動選択をする上においては 教えられた内容に対しても真偽を検証判断する必要性があり そのためには先天的な盲目性や服従性に抗う必要性もある
頭の悪い教師や大人は 自分が強要された教育方法こそが「正しい」と行動学習的(刷り込み学習的)に「学習」してしまうために 生徒や子供達に苦労を美徳とし我慢を強いるようになってしまう頭の悪さを存分に発揮してしまうのである
宮台真司が生徒に対して「自分の頭で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」などと言い出したのも 宮台当人が「自分はそう教えられた」と公然と自慢げに述べている
こうした因習の連鎖はヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的習性であり 自分が強いられた我慢や苦労を事後正当化する形(認知的不協和を解消する形)で何が何でも「正しい」と盲目的に連鎖するようになる習性が普遍的に存在しているのである
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における 論理的根拠の全くない実証不能の謎の「叡智界」について 100年以上も誰も批判してこなかったのも 教えられた内容を盲目的に鵜呑みにするヒトの先天的な認知上の重大な欠陥に起因するものである
こうした先天的な認知上の重大な欠陥というものは 決して都合よく進化によって解消するようなものでは決してなく むしろ盲目的に権威の命令に服従するヒトの多数による統率協調的行動習性を持った個体への収斂進化を促してしまうものでもある
つまり ナチス政権下においてはナチスに同調迎合忖度服従し プーチン政権下でも 日本大学田中英寿理事体制でも 東京電力福島第一原子力発電所においても 組織を構成する大多数のヒト(個人)は「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった」が故に組織腐敗や組織の暴走に歯止めが効かなくなったのである
赤字で引用したのは畑村洋太郎による「国会原発事故調査委員会報告書」における「原発事故の最も根源的原因」として書かれていたものを引用したものである
クイズ芸人のカズレーザーは 安易に「ヒトは歴史からは学べない」と断言したが 「なぜ学ぶことができなかったのか」を論理客観的に理解認識し 合理性のある具体的対策を施せば歴史から「過ち」を学ぶことは不可能ではない
それこそが本当の「人間としての本質的な知能」なのであり クイズの正解率や学力偏差値は相関がなく 無関係である
自分の頭で真偽を判定できないのであれば 如何なる基準も全く「人間としての本質的な知能」としては機能することはなく あらゆる「人災」も再発防止の具体的対策も放置されることになるのである
それで迷惑を被るのは全人類共通であり 個人的利益は無関係である
Ende;