書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

責任の範囲外

2023年01月25日 15時05分49秒 | 意識論関連

山極寿一は持論に対して「細田千尋や川崎真弘の主張と通じるものだ」などと主張していたが

嘘である

ゴリラに限らず「信頼関係」というものは主観的感覚に依存したものであり 細田千尋の主張は「自己客観的に検証する必要性」を説いたものであって 山極の主張と細田の主張は論理的には相反している

ゴリラの信頼関係というものは あくまで主観的感覚としての安心感や満足感という脳内麻薬による働きであり 集団心理によってバカになるヒトの習性と同列のものである

ゴリラやチンパンジーの「信頼関係」というものは 順位序列に基づき 差別や排除も含まれるものであって こうした先天的本能習性としての「信頼関係」には人間性が伴う論証には全くならない

それはヒトにおいても同様で プーチン政権下においてロシア人同士で「信頼関係」を築いても ナチス政権下においてドイツ人同士で「信頼関係」を築いても 日本大学内で田中英寿理事体制内部での「信頼関係」が維持温存されていても 東京電力福島第一原子力発電所において「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わない」としても そうした集団組織内部での偏った「信頼関係」こそが集団を構成する個人に盲目性を発揮させ 組織腐敗を傍観放置温存に加担してしまう原因なのであって そんな先天的「社会性(本能習性としての社会形成習性)」に人間性が伴う論拠には全くならない

「信頼したいか したくないか」「信じたいか 信じたくないか」という主観的感覚によって ヒトは簡単に客観的論理検証性を喪失するものであり これは別に集団密集がなくても生ずるヒトの基本的な思考認知上の欠陥である

 

短期記憶を司るのは海馬だが この海馬というのは大脳辺縁系の一部であり 脳の古い領域であり 動物的情動行動を促すための機構に過ぎない

しかし 論理客観的に真偽判定を行うのは大脳新皮質の前頭葉の働きであり 物事の真偽を論理客観的に検証するためには自発的に「考え」 地頭 自頭として働かせないと情動が優先してしまい 相手の主張を疑いもなく鵜呑みにして受け入れてしまう

大脳新皮質の記憶や思考というのは 海馬や小脳などの大脳辺縁系程は思考速度が伴わないため 短期的にはヒトは物事を深く論理客観的に検証して真偽を判定することが先天的に苦手なのである

短期記憶を司る海馬などの大脳辺縁系は欲望を満たすことが「目的」であり その「目的」達成に合理的選択を付与するのが大脳皮質であって 短期的即応としては主観が優先し 客観性や論理検証性は働きづらいものなのである

人間としての目的意識とは 自己内部の様々な欲望の中から 統合的に優先順位をつけ 目先の欲望や安心満足に惑わされることなく社会安全性や公平性に基づく行動選択であって これは先天的本能として組み込まれているものではなく 単に大脳新皮質の肥大の結果的認知能力に他ならない

これを養老孟司や山極寿一や衆愚マスコミは「理不尽」だと称して否定したがるが ヒトという存在は別に「神」などによって合理的に保証された存在ではなく 遺伝的進化によって偶発的に発生した「結果」以上の存在でしかないのであって 選択不可能な自己存在の中において 本当に自由選択可能なものが何なのかを理解認識しなければ 本当の自由意志選択にもならないのである

情動としての安心満足に溺れているのであれば それは辺縁系に脳がジャック(乗っ取り)されている「バカの状態」そのものである

よく知能の試験で思考速度を知能の基準として用いることが多いが 深く物事を検証する際にはむしろ思考速度が速いことは思考が短絡的で 既知の知識や思考パタンをなぞるだけの能力しか測っておらず どんなに思考速度が速かろうが 短時間暗記能力が高かろうが 論理客観的検証能力とは相関がない

 

山極の主張する「身体性」云々の話は 養老孟司の主張を引用したものであるが これは要するに主観的安心感や満足感を優先する主張であり むしろ客観的論理検証性を否定するものでもある

ヒトは別に集団密集状態でなくとも そもそも短期的には客観的論理検証が働かないという先天的な認知上の重大な欠陥を先天的に持っているため 空間を共有して権威肩書を持った山極のような相手の主張には疑ったり検証したりする客観性を簡単に喪失し 嘘やデマでも当たり前のように鵜呑みにするものなのである

「信頼」とは すなはち「安心」のことである

「信じるものは救われる」とはキリスト教の一節だろうが 観念的「信頼」は盲目性の源であって むしろ「救われない」原因である

本論や私のことは 別に観念的に「信頼」して頂かなくて結構である 多数衆愚に信頼されて人気を集めて金儲けをすることが私の目的ではないからである

重要なのは 誰の話であっても真偽を検証する主体的な論理客観性であって 「テレビやマスメディアで言ってた」とか 「カズレーザーが納得していた」などという「他人の判断」を鵜呑みにしないことである

ヒトは盲目的に誰かを信頼しておいた方が安心できる

これは哺乳類として 子供が親を盲目的に信頼(甘え)する習性が共同体に転移した形で発現する

相手は誰でも構わなくて 宗教の教祖だろうが 学術権威(肩書)であろうが マスメディアやクイズ芸人だろうが構わず 主観的に安心さえできれば誰でも良いのが先天的習性(本能的な社会形成によって促される情動行動)である

自分の頭で真偽を検証するためには 自己の主観的安心をもたらす盲目性をも疑う必要があり 精神的には「安心」であるとは限らない

ヒトは一度信じ込んだ相手や論説を疑うことに拒絶反応を示し 「既に信じてしまっていた自分」の頭の悪さを認めないことで認知的不協和を解消し 主観的な安心満足に溺れて思考停止に陥る習性がある

「バックファイア効果」のメカニズムも一緒である

 

コロナ禍以前では 選挙運動において候補者はやたらと有権者との握手を求めていた

その行動は客観的にはまるで流れ作業を「消化」するかのように機械的に行われていたものであるが 有権者であるヒトというのは接近して握手をして肌を触れ合うことによって観念的な「信頼」を獲得できるため 得票数を得るのに有効であるため 選挙の手法として経験則的に確立された「手法(手口)」である

だが こうした手法で有権者が「信頼」した候補者が 本当に候補者としてふさわしいかどうかとは関係がなく 単なる無意識な情動バイアスを用いた「結果」しかもたらすことはない

候補者が嘘つきだろうが 差別主義者だろうが 有権者には候補者の真意はわからなくても 観念的「信頼」さえ獲得すれば得票数を水増しすることは簡単なのである

 

養老孟司や山極寿一による思考撹乱は 詐欺師や占い師ペテン師のそれと手法は同じである

論理的には嘘であることが明確であっても 観念的「信頼」を獲得することによって相手の論理検証性の欠落を利用して鵜呑みにさせ 主観的安心満足感だけを与えて何かが「わかった」ような錯覚に陥れ 思考を撹乱し信用させる

こうしたペテンは哲学界や生物学界に蔓延しているものであり イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの 実証不能の謎の「叡智界」を 「哲学者」共や衆愚マスコミは主観的安心満足によって鵜呑みにし100年以上も誰もマトモな反論をしてこなかったことや 生物学界においては遺伝的進化には目的や戦略が存在していないにも関わらず「目的のために進化を選んだ」などという非科学的「説明」を続けているという大失態を未だに継続しているのである

これは特定の集団組織による陰謀のようなものではなく 単に多数衆愚の論理客観的検証性の欠落による痴呆状態に過ぎず マスコミも含めてバカであることにおいて同罪である

 

脳肥大と集団規模との相関は おそらく実証的な事実であろう

だが それだけでは「集団規模が大きくなったから脳が肥大した」のか それとも「脳が肥大したから集団規模が大きくなった」のかはわからない

もし集団規模が大きくなったのが先であるならば 脳が肥大進化するためには 脳が小さい個体が生存や繁殖に不利になるなどの淘汰圧力が働く必要がある

より脳の大きな個体が脳の小さな個体を淘汰するような圧力が必要になる

言い換えれば 「記憶容量の小さなバカは殺してしまえ」という差別による淘汰圧力が必要になる

SNS上の差別や民族同士の紛争からも ヒトは差別排除をするのが大好きな習性があることからも こうした差別による「正義の振り回し」が本能的快楽として進化の過程で組み込まれていてもおかしくはない

もしそうだと仮定すれば ヒトに先天的人間性など組み込まれていないことの論証になる

逆に 配偶者選択による幼形成熟によって偶発的に脳肥大が生じて 結果的に集団規模も大きくなった場合にも 見た目のより幼い配偶対象以外が繁殖や生存のできない差別(ルッキズム)による淘汰圧力が必要となる

どのみち脳肥大の過程には差別による淘汰圧力は必要であり 差別は人間性から乖離した野獣の本能的情動行動に過ぎない

脳肥大化の進化が止まった原因は 一定の大脳肥大によって認知能力が高まり「本能的な差別意識(無意識的情動行動バイアス)に人間性が伴わない」ことに気づいたことが原因かも知れない

先天的本能情動的には差別序列を求めたがるのだが こうした先天的行動バイアスに踊らされていることに「自由」意志選択可能性がないことが自覚できる程に脳肥大が起きたため バカげた差別行動から決別したことで脳容積やそれに伴う記憶容量を基準とした差別による淘汰圧力が働かなくなったことで脳肥大が止まった可能性がある

そうした「気付き」が人間性であるとするならば これはむしろ理性による先天的本能習性からの決別が人間性を作り出しているのであって 山極寿一が主張するような主観的感覚に過ぎぬ「信頼関係」などの本能習性的安心満足とは全く別の能力である

先天的本能習性や それに伴うあらゆる情動行動バイアスの全ては選択不可能な「既存在」であり無意識だが 先天的本能習性に無為に流されずに主体的に合理性ある選択ができて初めて「人間」として機能するのである

大脳辺縁系にジャックされ(乗っ取られ)ていて自由意志もスッタクレもない

「欲望そのものを欲することはできない」が 欲望のままにしか行動が決定しないなどという不自由性には自由はない

欲望に抗えば安心満足感は得られないこともあろう

ナチスに反対してスイス山中で自決を余儀なくされれば 到底安心でも満足でもなかろう

イジメに反対して自分がイジメの標的にされても同じである

内部告発によって組織から「裏切り者」扱いされても同じだろう

むしろ腐敗した暴力威圧的権力組織に対しては 同調迎合忖度服従して正当化しておいた方が安心で満足できるものである

多数派に同調しておいても安心満足だろう

そうした主観的安心満足や「信頼関係」というものに 論理客観的信憑性が伴うかどうかは 全く別の話である

それを衆愚マスコミの大半は誰も気づかない

理由は簡単である

自分の頭で論理客観的に考え検証しないバカだからだ

バカが治らなくて誰も望まない結果に陥ったとしても それは私の所為ではない

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする