書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

遺伝的進化による本能習性に「工夫」が介在する余地はない

2021年12月20日 01時07分30秒 | 意識論関連

バカな生物学者は「メスを巡ってオス同士が争うのは より強い遺伝子を遺すため」という「説明」をするが

遺伝的進化によって組み込まれた行動習性であっても「より強い遺伝子を遺すため」といった目的に則って都合よく進化することはできない

メスを巡って争うような独占欲の強いオス同士が争うことによって 結果的により強い遺伝子が残ることによって 結果的にオス同士で争う個体種への収斂進化に過ぎない

オス同士が争わない個体であれば 必然的に「強い」個体の遺伝子への収斂が起きなかったため 自然界の過酷な生存競争に勝てずに絶滅したのである

ヒトは 現代社会において男同士で一人の女性を巡って争う必要性はないが 祖先の生息環境による生存競争に勝ち抜くことで組み込まれた本能習性には抗うことができずに暴力的行動バイアスを発揮するのである

合理的には現代社会の中で暴力性を発揮しても意味がないが 合理的行動への「進化」が促されるメカニズムやプロセスはそもそも存在しないため 祖先の生息環境による生存競争に勝ち抜くためには必要だった暴力性は抑えることができないのである

 

動物の先天的行動習性というものも遺伝的進化における淘汰収斂の結果であって 合理的目的のために先天的本能習性を主体的に選んだわけではない

過酷な生存競争に勝ち抜いた生物において必然的に組み込まれた本能習性や欲望ではあっても 「生存競争に勝ち抜くため」といった目的のために主体的に選択したり 「工夫」したりできるものでは構造原理的にない

 

NHKは「ダーウィンが来た」などというタイトルの番組を制作しながら その実チャールズ:ダーウィンの進化論を科学的には理解していないまま 科学番組において非科学的な「説明」を漫然と続けている無責任なバカの集団である

 

 


Ende;

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満月

2021年12月19日 22時47分45秒 | 写真

満月


荒川大橋

新荒川大橋

 ◇追記:荒川大橋というのは熊谷にもあるそうで 小松川大橋のすぐ下流側にある首都高速7号小松川線の荒川橋梁にも荒川大橋という名前がついている

 

あと 画像を開いて「jpg」以降の「?」から始まるオプションを外せばFHDサイズの画像がダウンロードできます

 

 


Ende;

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満月前日

2021年12月19日 01時15分24秒 | 写真

 

更に前日 雨上がり

 

 


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「も」のつく話

2021年12月18日 15時40分19秒 | 意識論関連

私が学生だった時代 生物学の授業では 昆虫の擬態進化の説明において「天敵から見つからないように周囲の環境に姿を似せた」といった説明がされていました

つまり 昆虫が自らの遺伝子を都合よく書き換えて 周囲の環境と見分けがつかないような姿を 主体的に選択しているということを意味します

これが遠藤秀紀ら一部の生物学者達が主張する 遺伝的進化に対する「典型的な間違い」なわけです

遺伝子というのは自分で選ぶことなどできません

自分の遺伝子は自分では書き換えようがないんですよ

瞳の色を緑色にしたいと「思って」も 生まれつきの瞳の色は変えようがない

それでは 昆虫の擬態進化は一体どのような仕組みで生じたのかと言うと

まず遺伝子の変異が起きます

紫外線とか放射線とか極端な温度変化とか配偶交配によるシャッフルとか 様々な理由で遺伝子に変異が起きることで バリエーションが生まれるわけです

でも どういった姿に変異するのかは昆虫自身にも誰にも選ぶことはできず 派手な黄色い姿で産まれてくることもあるかもしれませんし 枯れ葉みたいな地味な姿に産まれてくることもあるでしょうし その中間的な姿も含めて様々な姿の多様なバリエーションを変異は促します

昆虫の天敵は主に鳥類です

鳥類というのは目がとても良くて 遠くからでも食べ物を見つける能力が高いので 見た目の派手な目立つ昆虫から真っ先に食べようとするでしょう

すると 見た目が派手で目立つ姿に変異した昆虫は片っ端から食べられてしまい 残るのは枯れ葉みたいな色の地味な姿の昆虫だけが生き延びます

ですが 鳥類というのは目がとても良いので 色が枯れ葉みたいなだけでは逃れきることができず やっぱり食べられてしまうことになります

しかし まだ変異は続いていて より枯れ葉に似た模様や形状に変異した個体も出てくることで 天敵から食べ尽くされることを免れることもあるわけです

ここで ちょっと留意しておいて欲しいのが 「免れることもある」という点です

「免れることもある」ということは「免れられないこともある」ということでもあるのです

どの程度「免れられなかった」のかは 何せ捕食者の鳥類のお腹の中で消化されちゃってますから 全く証拠が残らない

変異によるバリエーションというのは 誰にも「選ぶ」ことができませんから 昆虫当人(「人」じゃないから「当虫」かな)がどんなに「食べられたくない」とか「困るから」などといった後天的事情とか理由は遺伝子には影響を及ぼすことはありません

「生まれつき目立つ姿なら喰われる」 ただそれだけです

ですから 現存する個体種以外にも かつてはもっと はるかに多くの個体種が存在していたかも知れないのです

 

たまたま枯れ葉っぽい姿で生まれる遺伝子を持っていた個体は 当人の事情とか都合とは関係なく 他の個体よりは目立ち難かったので 結果的に食べられずに済む確率が高くなる

でも 目立つ姿の個体が全部食べ尽くされてしまうと 今度は枯れ葉っぽい目立たない個体も狙われるようになります

なにせ捕食者にしてみれば食べることは死活問題ですから ちょっとぐらい目立たない姿だからといって見逃すわけにはいきません

そうなると より枯れ葉っぽい模様とか形とかテクスチャー(質感)に変異した個体だけが食べられずに済むようになるので 結果的に擬態への収斂進化がどんどん進み もはや誰が見ても枯れ葉にしか見えないような姿への進化が促されること「も」あるのです

「も」ってつけました

枯れ葉っぽい姿への収斂進化が促されたとしても 必ず絶滅せずに生き延びられる進化に「成功」する保証はないのです

何せ変異自体はランダムなので 意図とか戦略とか そういった主体的な「目的」に則って起きるわけではないので むしろ天敵から見つかりやすい姿で産まれてきてしまった個体もたくさんいたでしょう

捕食者から見て いかにも美味しそうで食欲を誘う姿で産まれてきてしまった個体もいたかも知れません

でも そういう食べられやすい個体変異は全部食べられて鳥の糞にされてしまって 存在した証拠すら残らない

はて 一体どのくらいの個体種が食べられて死滅したのかは 現存する個体種だけ見ていても全くわからないのです

現存する生物というのは 過酷な自然環境における過酷な弱肉強食の生存競争の中で偶然絶滅せずに生き延びることができた ほとんど奇跡的なまでに幸運な個体種だけへの収斂の結果でしかないのです

 

とまあ 擬態を例に挙げて遺伝的進化の説明をしましたが 擬態進化の説明は既に一部の生物学者達によってマスコミでも説明されたこともあるので 「そんなの知ってる 常識だよ」と思った方も多いかも知れません

でも 話はそれだけでは終わらないのです

あらゆる遺伝的進化というもの全てにおいて 擬態進化と同じ過程が働いていることまでは 生物学者も含めて多くの人は理解していないようなのです

NHK高校講座において 乾燥地帯の植物が動物から食べ難いトゲが生えていることに対して 「食べられては困るから トゲを生やした」といった説明を生物学権威がしているのです

後天的に「困って」も 遺伝的要素には影響を及ぼすことはありません

植物を食べる動物も 柔らかくて食べやすい植物と 固くて食べにくい植物があれば 食べやすい植物から食べてゆくのは必然でしょう

ヒトだって食べやすい食事と 食べづらい食事のどちらかを選べと言われた やっぱり食べやすい方を所望するものです

他の動物だって同じで やっぱり柔らかくて食べやすい植物の方から食べ尽くしてゆくことになるのです

そうすると 結果的に固くて食べにくい植物だけが残ることになりますが それでも草食動物は「食べない」わけにはいきませんから 食べにくい植物の中から多少は食べやすい植物を選んで無理矢理にでも食べ尽くしてゆくことになり 結果的にトゲだらけで誰も食べられないような形質の植物への収斂進化「も」促されることになる

また「も」ってつけました

遺伝的進化というのは全てが「成功」するわけではないので 完全に食い尽くされて絶滅(失敗)した植物もいたかもしれないのですが 当然ながら草食動物の糞になってしまっているので証拠なんか全く残らない

遺伝的進化というものは 膨大な「失敗」の中から偶然「成功」した結果 現在の生物相に収斂して落ち着いたのであって 生態系を形成する個体の意図目的に関係なく 遺伝的進化の全ては自動的に起こる自然現象に過ぎず あくまで「死なずに繁殖を継続できている」個体種以外が全部死滅した「結果」でしかないのです

 

NHK「ジェンダーサイエンス」という番組の中では 子宮内膜が薄いと胎盤の血管が母体の子宮筋肉組織を傷つけてしまい 母子ともに亡くなってしまうことから 子宮内膜を厚くすることを「考えた」という説明をしていました

子宮内膜の厚みというのは 食事や生活環境要因もありますが 基本的に遺伝的に決定しているものであって これもまた「昆虫の擬態」や「乾燥地帯の植物のトゲ」と同様に 変異によるバリエーションの中から偶発的に子宮内膜が厚くなる遺伝子を持った個体への収斂進化の結果でしかありません

「考え」て子宮内膜を厚くするように進化することはできないのです

そもそも「自分の子宮内膜を厚くしないと子供が作れない」ことがわかるわけでもありませんし わかったとしても自分の遺伝的要素を都合よく書き換えることなど最初からできないんですね

それでは一体誰の「考え」によって子宮内膜が厚くなったと言えるのでしょうか?

子宮内膜が厚くなるように進化したのは 誰かの「考え」によるものではなく 先天的に子宮内膜が厚くなる遺伝的要素を持っていなかった個体が全て死滅した「結果」であり これもまた収斂による進化という自然現象に過ぎないのです

同番組に於いて タレントのYOUは「月経の痛みは進化でどうにかなくならないのかしら」と述べていましたが 「痛い」とか「苦しい」といった後天的な個体の都合は遺伝的要素には影響を及ぼすことはありません

生まれつき月経の痛みが少ない女性だけが子供を作るようにすれば 月経の痛みが激しい女性の遺伝子が残らなくなりますから 遺伝的進化のプロセスを利用すれば月経で苦しまないヒトへの「品種改良」は不可能ではありません

こういった家畜の品種改良のプロセスをヒトに適用しようというのが フランシス:ゴルトンによる優生学の発想です

月経の痛みが激しい女性が社会的負担になるからといって断種や淘汰(殺害)することで 社会的負担の少ないヒトへの遺伝的進化を人為的に促そうという キチガイじみた発想です

「キチガイじみた」というより 「キチガイ」の発想です

タレントの井上咲良は月経の痛みが激しいそうですが それなら断種のために卵巣や子宮を摘出してしまって構わないとでも言うのでしょうか

タレントのYOUが そんな非人道的な結論を望んで「進化でどうにかならないか」と言ったわけではないでしょうが 遺伝的進化に頼るということは結果的に「ヒトを品種改良する」ことを意味するのです

YOU自身も「一月の半分は不調」と言っていますから 自分が断種淘汰対象になることなど到底望んでいるわけもないでしょう

 

遺伝的進化というものは 全てが自然現象であり 目的も意図も戦略も「考え」も何もなく ただ「繁殖を継続」出来て現存種として今現在「生物」種として存在している結果でしかないのです

ですから 現存する生物種がこれからも永遠に絶滅せずに繁殖を継続できる保証もありませんし 現存種があらゆる環境変化に適応できる保証もないのです

地球全体からほとんどの生物種が絶滅したとしても 別に何ら不思議でもなんでもないのです

実際に長い生物史の中では膨大な大絶滅(大失敗)が幾度も繰り返しており 現在の自然環境のような生物相というものは あくまで「現在の姿」でしかないのです

現存する生物相だけを見て「自然は素晴らしい」だとか 「野生生物の楽園」などと形容して大衆人気を得るのは簡単でしょうが 実際には生物密度が高い環境資源の豊富な地域というのは生存競争も激しく仲間同士でも殺し合いをするような過酷な「地獄」でしかありません

逆に環境資源の乏しい地域においても わずかな気候変動でも簡単に個体数が減ってしまう過酷な「地獄」であり 自然環境の中にはどこにも「楽園」なんぞ実在せず 生物学者達が勝手にでっち上げた「他人事」に対する「形容詞(主観的感想)」に過ぎないのです

 

生物学者の大半も含め マスコミや大衆の大半は遺伝的進化に対して万能なものだと勘違いし ほとんど全てが都合よく「成功」するものであるかのように錯覚しているようですが それこそが遠藤秀紀らが主張する「典型的な間違い」なのです

ヒトという種の生物は かつて狩猟採集生活をしていた時代から数万年ほとんど遺伝的進化をしていません

ヒトは 文明を築くことによって自然環境の過酷な生存競争から逃れ 淘汰(死滅)圧力による収斂が起きなくなったためです

月経の痛みや苦しみは 遺伝的進化によっては解決しませんが 痛みや苦しみの原因がわかれば対処治療も可能になるかも知れません

そもそも社会生産能力の高さだけで他人との間に順位序列を作り出そうとする事自体 人間としての知能が全く働いていない証拠でもあります

 

ヒトという種の生物は 他人と自分との間に順位序列を決定したがり 自分よりも「上」とみなした権威や上司に対して何の疑いも持たずに唯々諾々と盲目的に服従する一方 自分よりも「下」とみなした相手には暴力的排除や攻撃を仕掛けて蔑もうとする先天的習性があります

客観的にみれば そんな卑劣な行動は頭が悪いのが原因であるのは明白ですが ヒトの多くは自分の主観的感覚や印象こそが意識や知能の本質だと勝手に勘違いして疑う自己批判精神も持たないため 平気でヘイトスピーチや弱者や少数派を集団的に攻撃して満足しようとするのです

Microsoft社のTwitterAIがヘイトスピーチに同調し始めてしまったのも それだけSNS上にはヘイトスピーチが蔓延しているからこそAIが機械的に深層「学習」してしまったのであり ヒトというのは暇だと他人を差別して満足しようとするバカが大半であることの証明でもあるのです

イヌは社会性動物です

イヌは仲間内で上下関係による順位序列を決定し 「上」とみなした相手に腹を見せて服従忖度する態度を採り 逆に「下」とみなした相手には暴力的威圧をして服従させようとします

こうした行動をヒトが行えば ヤクザや暴力団や連合赤軍のような卑劣で凶暴なキチガイ集団が形成されることもあります

ヒトのこうした盲目的服従忖度迎合同調性を利用したのが軍隊であり 本当は大して役に立たない過酷な訓練を強要されることによって 兵隊は上官の命令に盲目的に服従するよう機械的に「学習」させられることで 戦争や自国民への民衆弾圧といったバカげた作戦にも便利に利用できるようになるのです

ヒトは 怖い相手に逆らうことを嫌います

多数が権威だとみなしている相手を疑うことは 多数からの同調圧力にも逆らうことになるため ヒトは権威を疑わないことにしておいた方が安心満足できるため 肩書権威さえあれば養老孟司だろうがマルクス:ガブリエルだろうが松沢哲郎だろうが日大理事だろうが疑うことをしなくなり 盲目的に服従忖度迎合同調するようになり これが組織腐敗を傍観放置する大きな要因ともなるのです

こうした「怖い」という情動は 遺伝的進化によって組み込まれた「結果」であって ヒトの先天的な認知上の欠陥としても働くことがあるのです

東京電力社内で社員達が原発の危険性を放置したことに対しては 大衆の多くは「組織の体質が悪かった」などと称して個人の自律的な社会的責任には言及したがりません

ですが 「組織の体質」を作り上げるのは 組織を構成する個人に自律的な社会的責任判断が欠如していたことが原因であって 「組織の体質」などと称して多数で責任をシェアすれば個人の責任が薄まるかのような錯覚による「言い逃れ」や「はぐらかし」にしかなっていないのです

 

人間性や倫理の根源とは 個人が自律的な社会的責任を負うことであり 腐敗した組織の内部における多数派や権威に服従忖度迎合同調することではありません

学級内で起きるイジメに反対すれば自分がイジメの標的にされることを怖れることで 8割の生徒はイジメを傍観放置されます

日本大学の内部で腐敗した組織に反対すれば左遷され職を失います

東京電力福島第一原発内部で原発の津波に対する静寂性を主張すれば上司から嫌われ会社に居づらくなった

ナチス政権下のドイツでは ナチスに反対すればスイス山中で自決を余儀なくされることもあります

自分が属する組織が腐敗した場合 腐敗した組織に服従忖度同調迎合しておくことの方が簡単で 組織腐敗を浄化するための行動など採らない方が楽なのです

山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という 論理的には何の根拠もない勝手な予測で大衆人気を集めました

長谷川眞理子も「道徳は進化的に組み込まれたもの」だと主張して大衆人気を集めています

大衆が信じようとするのは「科学的権威」という肩書だけであって 権威が言っている内容が科学的な根拠が伴う真実なのかどうかは 本当は何の興味もないのです

大学の哲学科教授がイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を 「近代哲学の最高峰」だと形容すれば 学力偏差値が高いだけのバカな学生は何の疑いも持たずに鵜呑みにし 内容に論理客観的根拠が伴っていないことには誰も気付くことができないのです

日本大学の教授達や 東京電力福島第一原子力発電所の安全担当者だけが特別に組織腐敗を傍観放置したのではなく ヒトという種の生物には先天的に組織腐敗を傍観放置する認知的な欠陥が存在しているために 組織腐敗というものはヒトの社会で普遍的に見られるものでもあるのです

腐敗した組織に属していながら 組織腐敗を傍観放置しているヒトというのは 自分には責任がないと主観的に「思って」いるか 若しくは責任は組織を構成する多数他人によって薄まっていると「思って」いるからです

どんなに強く「思って」も それは個人的な主観や印象の範疇であって 論理客観的根拠を伴う真理(本当のこと)とは無関係なのです

話の内容が真実なのか嘘なのかを見分けるために必要なのは 主観的印象によって促される錯覚を 錯覚であると理解認識するための検証性(考え)です

ところがヒトの多くはそもそも個人的な主観的印象と客観的真実の区別がつかないから 簡単にデマや嘘に惑わされ 非合理で有害な行動にも簡単に陥ってしまうことになるのです

 

本論は学術権威の査読を受けていません 受けるつもりもありません

なぜなら 学術権威に対しての批判を大量に含んでいるためです

学術権威にとって都合の悪い話を 学術権威が認めるわけがありません

実際に私が「生物学上の社会性(社会形成習性)は人間としての社会性や公共性とは無関係である」という主張に対して はぐらかす形で松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性が立証できるかも知れない」などという論理的には何の根拠もない嘘によってマスコミや大衆から人気を集め 文化功労賞まで受賞しましたが 実態は11億円を超える研究費不正流用をした犯罪者でした

長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンが人道主義者だった」ことは述べていますが フランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証も ダーウィンの進化のメカニズムも正確には理解せずに「〇〇のために進化を選んだ」といった間違った「説明」を未だに続けています

彼ら生物学権威達は 従来「説明」し続けてきた遺伝的進化における「典型的な間違い」を認めてしまえば既得権としての権威性を失うことになり また 彼ら生物学権威達に服従忖度迎合同調してきた研究者達もまた「同罪」として断罪されることを怖れ はぐらかしと言い逃れを繰り返すばかりであり 遠藤秀紀らが主張する論理客観的根拠に基づいた論証には一切耳を貸そうとすらしないのです

学術権威による査読というのは 権威自体に客観的信頼性がある場合にのみ有効なのであり 科学的論証をはぐらかしたり言い逃れやごまかしを繰り返す嘘つきには本来査読の権利すらないのですが 組織的な腐敗が進行してしまっていると自浄効果は全く働かず 嘘やペテンが平気でまかり通ってしまうことになるのです

 

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称:アイヒマン実験)では 普通一般の人の大半が権威とみなした相手の命令に唯々諾々と服従し 他人に危害を加えてしまうことを立証しています

現実にも香港警察やミャンマー政府軍による民衆虐殺は続いており 過去にはナチスやポルポトによる大量虐殺も幾度も繰り返しているのであり 実験室で検証するまでもなくヒトという種の生物は先天的に盲目的服従性が組み込まれているからです

ヒトという種の生物は 個人が自律的な社会的責任判断をしなくなるのは イヌの服従統率バイアスと同様に「自分よりも上とみなした相手に盲目的に服従すること」が快楽として組み込まれているのです

イヌもヒトも哺乳類ですから 産まれた直後には親に服従忖度しなければ生きていけません そのため 先天的に親を盲目的に信頼し 親に見放されないよう「甘え」る先天的習性があり これが大人になるにつれて群れの中でのボス(統率者)への服従忖度へと転移がしょうずることによって 群れの中での不公平な順位序列を形成し 結果的に封建的独裁体制集団を形成することで 効率的な狩猟「も」行えるようになっているわけです

再び「も」をつけました

封建的独裁は 狩猟において有利に働きますが 決して狩猟を「目的」として組み込まれたわけではなく 封建的独裁状態に陥る習性が結果的に狩猟に有利だったという「結果」でしかありません

学生や企業や海上自衛隊におけるイジメも 組織内部における封建的独裁状態が狩猟ではなく個人的好き嫌いによる差別に発揮されているために起きるものであり 粉飾決算を平気でやらかす大企業や日本大学の組織腐敗の原因でもあります

軍隊のように兵隊を盲目的に服従させるように「学習」させてしまえば ナチスやポルポトやかつての日本軍やミャンマー政府軍のように民衆弾圧などの非合理な行動も簡単に行えるようになるのです

日本大学の組織腐敗もまた「体育会系」組織ですから 軍隊と同様に「上」とみなした順位序列への盲目的服従性を強要され 結果的に組織腐敗を進行させることはあっても 自浄効果は全く働かなくなるのです

ヒトという種の生物は 自分で物事を判断することを嫌います

だからこそ「神」等の実証不能の服従対象を崇め 忖度し 盲目的であり続けることで安心満足することができるのです

ヒトが本能的に求めているのは 論理客観的な根拠を伴った「真実」ではなく 「権威」の肩書を持った「他人」を盲目的に信頼し続けていたいだけなのです

だから自律的には自分で物事を客観的に検証して 嘘やデマと真実との区別をせずに 主観的に気分が良くなる「信じたい話」ばかりを信じようとしてしまうのです

本能や欲望とは 自分から欲することはできないものであり 先天的本能として組み込まれた動物としての行動バイアスでしかないのです

「欲望自体を欲することはできない」のです

欲望や本能自体は大脳辺縁系から勝手に促されてくるものですが 欲望や本能が促す行動を「選択」することはヒトには可能なんですね

目先の欲望に左右されずに 人生全体において悔いのない行動を採ることが ヒトの大脳容積なら可能でもある

可能でもあるのですが やらない選択もできる

欲望のおもむくままに他人から搾取し 暴力的に威圧して服従させて支配させたり 暴力的統率者に唯々諾々と忖度したり 組織腐敗を傍観放置して自分が属する組織の利益を優先したりすることの方が簡単なのです

だからミャンマー政府軍による民衆弾圧も 太平洋戦争時の日本軍による特攻もできる

山極寿一のように「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とか 長谷川眞理子のように「道徳は先天的本能」とでも言っておけば衆愚人気は集められ 金儲けにはなるでしょうが これらは全部衆愚迎合的な嘘やデマでしかありません

ヒトという種の生物は 主体的に自分の頭で物事を検証し 考え 何が本当に正しい行動であるのかを判別しなければ 「人間として」は行動選択ができない危険性を持っており

むしろ先天的には認知上の欠陥によって人間性を簡単に喪失する危険性を持っているのです

日本がなぜ無謀な戦争を始めたのか

ドイツがなぜ600万ものユダヤ人を虐殺したのか

アメリカがなぜ原爆を実戦で使用したのか

なぜミャンマー政府軍兵士は自国民に対する虐殺ができるのか

なぜ東京電力福島第一原発の職員は原発の津波に対する脆弱性を放置したのか

なぜ日本大学が組織腐敗を食い止められなかったのか

これら「人災」の最も根源的原因とは 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が共通して言えるのです

腐敗した組織に属している個人は 組織腐敗は自分の所為ではないと「思って」います

「組織の体質」と称して 多数他人に責任を転嫁し あたかも多数に責任を丸投げしておけば自分の判断責任が薄まるという感覚(錯覚)に溺れることで ヒトは自律的な社会的責任判断を簡単に放棄するようになるのです

 

「現代人の多くは科学を信じている」と言われていますが 実際には科学的「権威」肩書を持った相手の言っていることを 論理客観的(科学的)に検証して判断しているわけではありません

遠藤秀紀らが主張している内容と 生物学界の大多数が未だに主張している遺伝的進化万能論との齟齬については マスコミも大衆の誰も一切気付かず ただ漫然とその場限りに鵜呑みにするだけで 論理的齟齬が存在していること自体全く気づいてもいないのです

遺伝的進化によって組み込まれたヒトの本能習性というものは あくまで「繁殖を継続」できた個体の子孫に過ぎず 「本能習性任せに行動しておけば全てが正しい結果に導かれる」かのように錯覚しておいた方が気分が良く 安心で満足できるために衆愚やマスコミから人気を集めることができるのです

科学は多数決ではありません

民主主義制度ですら民衆がバカならバカ主義にしか陥らないのであり 何が真実で 何が嘘やデマなのかを識別する個人の客観的論理検証性なくして人間としての行動選択は成立しないのです

 

「信じたくない」という個人的な主観(好き嫌い)は知ったことではありません

論理客観的に正しいのか間違っているのかを区別し 「理解」することが大切なのであり

「わかったような気分」に陥って論理客観的根拠をすっ飛ばしてしまう短絡性こそが バカになる最も簡単な道筋なのです

大衆の多くは「ハーメルンの笛吹き男(実話)」についていってしまうものであり 気分が良くなる「信じたい話」ばかりを多数で共有して 多数に同調迎合しない少数派を蔑もうとするものなのです

ミヒャエル:エンデ原作の「モモ」ではありませんが ヒトの多くは「時間泥棒」に唆されて大事なものを奪われても誰も気付くことができないものなのです

ヒトがデマや嘘に惑わされてユダヤ人を虐殺するようになるのは簡単なことであり それを止めることは非常に難しいものだからこそ 情報知識の豊富な現代においてもミャンマーや香港のような虐殺が繰り返されることもあるのです

民族国籍が問題なのではありません かつての日本人やドイツ人も独裁連合(同盟)を組んで無謀な暴力による支配を試みたことがあり ヒトという種全般に普遍的に見られる先天的本能習性だからこそ 国籍民族に依らず似たような事象が発生するのです

 

ヒトは暴力的な懲罰や報復が「解決」になると「思って」います

安全保障と称して軍拡競争という武力威圧をしても むしろ地域の危険性を増やす方向にしか働くことはありません

通り魔やテロリストなどの大量殺人犯を死刑にしても なぜ大量殺人などという何の役にも立たない犯行に及んだのかについての原因究明にも 具体的実効性のある再発防止策にもなりません

ましてや自動車運転過失で懲罰は意味が全くありません

スマホ運転とか飲酒運転のような悪質な事例は犯罪と同等ですが 誰もが陥る可能性のある「間違い」に懲罰は意味がありません

これは戦争においても同じことで 敗戦国の戦犯を死刑にしても なぜ日本が無謀な戦争を始めてしまったのかという原因究明にも再発防止にもならないのです

原因が論理客観的に解析できていれば ミャンマーのような事態には陥らなかったかも知れないのです

「ヒトという種の生物には 先天的に人間性や道徳が組み込まれている」とでも言っておけば 衆愚人気を集めて金儲けにはなるでしょうが それこそが「ハーメルンの笛吹き男」に他ならないのです

自分達「ヒト」に先天的人間性が組み込まれているとでも「思って」いれば 安心満足で優越感に溺れて何も考えなくても大丈夫だと錯覚することは簡単です

 

それはとても簡単なことなのです

 

 

Ende;

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奥貫仁美の無駄遣い

2021年12月17日 00時01分19秒 | 日記

LEGOのBMW1000RR

かっちょいいじゃんとか思ったら24,000円もしやがった

1/5Scaleの巨大モデルだった

邪魔だわ 置き場に困るやつや

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

童友社の1/12Scale完成品は2,156円だった

まだ未発売だが リシェッタとかティアーシャとか相川愛花乗せたいと思っているのオイラだけかしら

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

メガミデバイスのキャリングケース

サンコー(三甲株式会社)製だった

他にもあった

https://www.sanko-kk.co.jp/products/search/Result.aspx?category=10000540

 

カスタマイズ受注にも対応してた


⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

奥貫仁美がテレ東WBSで記者として取材してた

NHK水戸放送局辞めたんだ…

取材先でマスクしてるから顔わからん

もったいない

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

眼鏡市場で木村文乃の壁紙配布しとった

https://www.meganeichiba.jp/lp/ultra_cp2021/

画面を横にしないと壁紙が表示しない仕様

ノイズが凄いのは動画からキャプチャしたのかしら

 

 

Ende;

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神奈川県で36人

2021年12月16日 19時15分40秒 | 日記

東京都で30人

神奈川県で36人

感染確認者数が何となく増えている?

 

 

Ende;

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錯覚

2021年12月16日 15時29分54秒 | 意識論関連

ヒトの大半は 自分の主観的感覚こそが意識の本質だと錯覚しているものである

だからこそ ミャンマー政府軍兵士は民衆弾圧も平気で行えるのである

太平洋戦争時の日本軍政府に対して 日本国民の大半が服従忖度迎合同調したのも 自分の主観的感覚が常に正しいものであるという錯覚によって無謀な戦争に突入暴走することを誰も止められなかったのである

ナチス政権下のドイツ人がユダヤ人排斥に加担したのも 当時のドイツ人達だけが特別に異常だったわけではなく ヒト全般に普遍的に見られる先天的な認知的欠陥によって異常行動が促されたのである

振り込め詐欺に騙される被害者は 電話の相手の「言葉遣いが丁寧だった」などという主観的印象に基づいて 相手が本物の警察や裁判所だと錯覚するのである

ヒトの大半は主観的印象でしか物事を判断しようとはしないものである だから真偽の判別が出来ずに嘘やデマに惑わされてしまうのである

 

人間としての意識の本質とは 「嘘と真実を見分けられること」が大前提である

「嘘と真実の見分け」がつかなくなる最大の原因こそが 主観的印象による「錯覚」であり 「錯覚」を作り出すのが先天的な認知的欠陥である

ヒトの脳の大脳辺縁系は サルやそれ以外の動物と比べても大きな違いはなく 情動行動自体にも大きな差異は存在していない

ヒト以外の動物でもイジメや差別行動は見られ 統率的協調行動による社会形成性も 暴力性や性衝動もほとんど同じである

ヒトでありさえすれば人間性が発揮できるわけではなく 人間性を発揮するためには「嘘と真実を見分けられること」が必要不可欠な能力である

「嘘と真実を見分けられる」能力とは 知能のことであるが 一般衆愚やマスコミの大半はクイズの正解率などの知識の「量」を短絡的に知能だと勘違いしているものである

クイズの正解率が高ければイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容に論理客観的根拠が伴っていないことに気付けるわけではなく 教えられた内容を教えられた通りに覚えて答えさえすれば学力偏差値やクイズの正解率は稼げるのであり 間違った内容を教え込まれても それが間違いであることに気付く能力は学力偏差値判定には影響を及ぼさない

だが 衆愚の観念的には学力偏差値は知能と等価だと勘違い錯覚されているため 学力偏差値が高いと「自分は頭が良いんだ」と勝手に勘違いすることで 自分の認知的欠陥の存在を自覚しなくなり 簡単に「学力偏差値の高いバカ」になるのである

東大医学部の学生が地下鉄毒ガステロを実行したのも 彼らが「自分達は頭が良いんだ」と勝手に勘違いしていたからである

学力偏差値が高いだけのバカだと 遺伝的進化における「典型的な間違い」には気付くことができず 遠藤秀紀らと それ以外の学術権威の言っている内容に論理的齟齬が存在していても気付くことができず 中村徹や長谷川眞理子や山極寿一や松沢哲郎などの学術権威の「老害」による間違った説明であっても何の疑いも持たずに鵜呑みにし 論理的齟齬が存在しているかどうかすら そもそも興味すら持たないのである

だからNHK高校講座で間違った遺伝的進化の「説明」が垂れ流されてしまうのである

脳すらも持たない植物が「食べられては困るから トゲを発達させた」などという遺伝的進化の「説明」は 科学的には根拠が全くないオカルト妄想である

変異によって葉や毛が柔らかくて食べやすい個体と 少し毛深くて食べづらい個体のバリエーションがあれば 食べにくい個体の方が残りやすく収斂が生じ その中でも更に食べにくい個体への変異があれば どんどん食べにくい個体への収斂が進み 結果的にトゲだらけで多くの動物に食べられにくい個体へと「進化」が促された結果 トゲが発達した個体だけが残ったという「結果」に過ぎない

変異が起きにくく トゲが充分に発達した変異を起こすことができなければ 全て食べられて絶滅(進化の袋小路・失敗)することになる

絶滅した生物は痕跡がほとんど残らないため 進化に失敗して絶滅した生物が一体どれだけ存在していたのかは現存する生物だけ見ても何もわからないのである

現存する生物というのは 過去に膨大な犠牲を伴う「失敗」によって高い恒常性や安定性を獲得した結果として 変異による先天性疾患などはほとんど生じないが 変異自体は個体の都合に関係なく勝手に決まっているものであって 後天的にどんなに困ろうが苦しもうが願おうが祈ろうが呪おうが遺伝的性質には影響を及ぼすことはない

 

月経による痛みを遺伝的進化によってなくすためには 月経による痛みの少ない個体以外を断種し「品種改良」すれば実現可能であるが 当然個人の人権や公平性は破棄されることになる

タレントの井上咲良は月経が重いらしいが 当然ながら彼女に娘ができれば月経が重い遺伝的性質は受け継がれることになる これは基本的には現状の医学では避けることができない

男のY染色体の崩壊に関しても 構造的に回避不可能な部分であり このままなら数万年後には失われる運命にある

遺伝的進化には個体の後天的都合は影響を及ぼすことはなく あくまで特定環境への適応によって暫定的に繁殖が継続できている状態経過を「生物」と分類しているに過ぎないのである

遺伝的進化というものは あくまで自然現象の「結果」であって 個体の都合に合わせて合理的に進化が促されるような便利なものではない

山極寿一が主張するような「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などという都合の良い耳当たりの良い話には 科学的根拠が何もないのである

 

『しないことリスト』などで「pha」とかいう著者が衆愚人気を集めているらしいが 衆愚人気で著作が売れて儲かって世間的に成功しても内容に論理客観的信憑性が保証されているわけではない

読書猿や養老孟司など 衆愚人気に便乗して金儲けのためにマスコミが「大人気」などと評して便乗するパターンは疑ってかかる必要がある 学術権威ですら間違いが放置される世の中であるから 衆愚人気など何の根拠にもならないのである

むしろ衆愚人気を集めてしまう時点で ヒトの先天的な認知的欠陥によって促される中毒性が原因であることを疑うべきである

批判精神なくして論理客観性を持った科学的検証にはならないからである

phaは個人の主観的好き嫌いでしか物事を判別しておらず 論理客観的根拠や証明に基づいた真偽の判定として成立していない

他人と同じ観念を多数で共有しても 主観的観念が客観的な科学的論証になるわけではない

 


Ende;

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認知的欠陥の難治性

2021年12月16日 14時02分21秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは あくまで生息環境に適応して繁殖を継続できた個体種だけが残ったという 自然現象の「結果」でしかない

環境適応においては 個体の都合は優先されず イワシのように大量に喰われてしまっても繁殖が継続さえできれば絶滅は免れることができて 生物種として存続することにはなる

どんなに子供や仲間が喰われても 生息環境としての生態系の中で適応的に繁殖が継続さえできれば絶滅には至らない

絶滅には至っていない状態を「生物」と分類しているのである

 

ヒトの進化過程だけを考慮しても ホモ・サピエンスに至るまでの様々な変異種のほとんど全てが絶滅しており 偶発的にホモ・サピエンスにまで変異した個体種以外は全て絶滅しているのである

遺伝的進化というものは あくまで生息環境への適応を繰り返した結果として 偶発的に変化する環境にも適応し続けられた個体種への淘汰収斂の結果を「進化」と分類しているのである

ヒトの祖先の狩猟採集生活環境において 獲物を捕獲するために統率協調的行動を採る習性が進化的に組み込まれているため 獲物以外の他の集団に対しても統率協調的に縄張りなどの環境資源を独占するために紛争に勝ち抜いてきた種の子孫の生き残りがヒトなのである

サッカーや野球のように チーム分けをして順位序列を競う競技に人気があるのも コールオブデューティーやフォートナイトのような「殺し合いゲーム」に人気があるのも 「勝ち負け」への快楽が促す中毒性がヒトには先天的に組み込まれているためである

ゲームであれ実戦であれ 仲間同士で「敵」とみなした集団を殲滅することは ヒトにとって快楽なのである だからミャンマー政府軍兵士は平気で むしろ率先して民衆弾圧を行うのである

武力を用いた紛争や戦争というものは どんなに頑張っても合理的結果が得られることはないのだが 主観的な安心満足感が促す錯覚によって兵士は「敵」を殺害することだけが「目的」になってしまうのである

それがたとえ自国民であろうと関係がなく ほとんど非武装の民衆よりも 権力や武器を持った軍隊に逆らうことの方が主観的に「怖い」ため 唯々諾々と上官の命令に服従し続けることをやめようとはしないのである

こうした無意識性というものは ミャンマー政府軍兵士に限ったものではなく ヒト全般に見られる先天的な本能習性であるために 太平洋戦争時の日本軍政府でも同じ様に非合理な暴力へと暴走したのであり

東京電力や日本大学の組織腐敗の傍観放置もまた同じ構造である

 

 

ヒトという種の生物は 自分や自分達以外との間に順位序列を決定したがる習性があり 自分よりも「上」とみなした権威や上司や上官の命令には盲目的に唯々諾々と服従することにより 統率的協調行動を採ることが可能となり ピラミッド建造などの大きな事業も可能となるのだが 同時にイジメ差別や集団組織的虐殺や組織腐敗の原因にもなっているのである

ヒトという種の生物は 個人が自律的に物事の真偽を判断するよりも 権威とみなした服従対象に判断責任を丸投げしておいた方が安心満足感が得られる本能的習性が存在するのである

軍隊とは 構成する兵隊個人は上官の命令に絶対服従するよう「訓練」され 個人が自律的に物事を判断することなく統率協調的に「大きな力」を発揮できるようにした集団である

兵隊個人は上官の命令が人道に反していようが非合理だろうが関係なく たとえ疑問に思っているとしても命令に背くことへの恐怖心を植え付けられているために 唯々諾々と残虐な破壊行為も行えるようになるのである

東京電力の社内において 原発の津波に対する脆弱性に言及することは 「組織の利益」に反するため 組織に属する上においては「組織の利益」を優先することによって 組織内部における地位業績に貢献していた方が個人的にも有利でいられることになるため 組織を構成する個人は「自律的な社会的責任」を負わない方が安心満足であり「得」でもある

日本大学の組織腐敗が温存され続けた原因も 組織を構成する個人が自律的な社会的責任判断をしなかったことが原因であり 個人の主観的安心満足や 集団組織に迎合することによる利益を優先することによって 組織腐敗は加速度的に悪化するのである

ヒトは 主観的に怖い相手には逆らいたくないものである

権威に逆らうことは 権威を盲信している多数に対しても逆らうことになるため ヒトは権威の言っている内容を疑わないよう 盲目的に信じ込み 判断責任の全ては権威に丸投げしておいても構わないものだと勝手に錯覚する だからヒトは自律的な社会的責任判断をしなくなるのである

ピアプレッシャー(同調圧力)を「感じ」ることによって ヒトは自律的な社会的責任判断選択を放棄し 判断責任は全て自分以外の多数や 多数によって認証された権威が肩代わりしてくれるものだと勝手に勘違いすることで 自分では何も判断しないバカになるのである

自分では何も判断しないバカが 多数で統率協調的行動を採っても合理的結果が得られる保証は何もなく イジメやヘイトスピーチといった他人を貶める集団に迎合する満足感に流される形で非合理な差別は起きるのである

ネット上で起きる差別やイジメというのは 一見「多数」であるかのような感覚(錯覚)を促すものだが 実際にはイジメ差別をしているクラスターというのは ネット全体からすると極めて少数であり 客観的にみれば全然多数意見などではないのだが 自分の主観的「感覚」を客観的に自己分析したがらない者にとっては 錯覚を錯覚だと認識することが出来ずにヘイトスピーチやイジメに加わってしまうことになるのである

ミャンマー政府軍の内部においても同様の心理的メカニズムが働くことにより 民衆弾圧などという非合理な命令に対しても むしろ積極的に行えるようにもなるのである

兵隊は人を殺しても「自分の責任ではない」と「思って」いるのである

ヒトは 自分の主観的感覚こそが意識の本質だと勘違いしているものであり 客観的に論理検証することは主観的感覚との乖離によって「意識ではない」と「感じ」て無視するようになるのである

 

 

従来 生物学における遺伝的進化において 「〇〇(目的)のために進化を選んだ」といった「説明」をしてきたが これに対して遠藤秀紀は「典型的な間違い」だと指摘している

「○○」には様々な「説明」に用いられており 「食べられると困る」だとか「環境に適応するために」だとか「死なないように」などといった意図目的戦略に基づいた選択可能性が存在しているかのような間違った「説明」が生物学界には蔓延しており こうした間違った説明をし続けているのは認知機能の低下した高齢の「老害」が中心である

遺伝的進化には 個体の意図目的戦略といったものが遺伝子に影響を及ぼす構造は存在せず 全ては自然現象の「結果」以上の意味など存在しないのである

科学的理論というのは多数決で民主的に決定するようなものではなく 論理客観的に「正しい」かどうかで判定されるべきものであり 生物学界権威共の多数決で科学的真理が隠蔽黙殺されて良いものではない

しかし 大半の衆愚やマスコミは 生物学権威の間違った「説明」には何の疑問も持たず あたかも遺伝的進化さえすれば全てが解決するかのような錯覚を鵜呑みにして信じ込んでいるために フランシス:ゴルトンの優生学に対する論理的反証を一切理解しないし したがらないのである

「遺伝的進化には目的がない」

これは決して私の個人的持論ではなく 遠藤秀紀ら学術権威の一部も主張している科学的根拠のある見解である

遺伝的進化に意図目的戦略が介在しない以上 遺伝的進化によって組み込まれた本能習性という行動バイアスにもまた意図目的戦略は介在しないのである

それは つまり 気分感情によって促される行動自体にも意図目的戦略が存在しないことの証明でもあり 主観によって促される錯覚を錯覚だと「感じ」ない認知的欠陥によって ヒトは非合理な差別や暴力をやめることができないのである

振り込め詐欺に騙されるのも 被害者が自分の主観的印象だけで電話の相手を信用してしまうからであって 言っている内容自体を客観的に検証する理性が働かずに気分感情のままに行動するから騙されるのである

騙している方もまた 「騙せば得だ」という目先に利益(欲望)を優先しているから反社会的行動も採れるのであり 貧富格差を解消するためなら社会構造や制度の改善をしない限り 社会持続可能性も安全性も改善することはないのである

ヒトが洗脳状態に陥り 客観的根拠のない嘘やデマを信じ込んで非合理な行動を採るようになったり 特定の権威の命令に唯々諾々と盲目的に服従忖度して暴力破壊に及んだり 自律的な社会的責任判断を誰も負わなくなるのも 全てはヒトの先天的な認知的欠陥(頭の悪さ)に起因するものである

「現代人は科学を信じている」とは言っても 誰も自律的に論理客観的根拠に基づいて科学的に検証して判断しているわけではなく ただ「科学的権威」という形式的肩書を盲目的に信用しているに過ぎない

だから遠藤秀紀らが遺伝的進化に対する「典型的な間違い」を主張しても 専門家ですら大半は理解せずに論理整合性のない「説明」を続け 衆愚やマスコミの大半は論理整合性がないことすら誰も気付かず 「食べられないようにトゲを大きく固くした」だの「食べられないように擬態した」だのといった間違った「説明」をいつまでも垂れ流し続けるという不適切な大失態を続けていても 何とも「思わない」のである

学術権威とみなされている老害の言っている内容であれば 責任は全て老害が取ってくれるものだと信じ込むことで NHK Eテレの教育番組においても間違った遺伝的進化の「説明」が垂れ流し続けられているのである

NHK教育番組の制作者共は 間違った内容を放送していても自分には判断責任がないと「思って」いるからこそ 内容が間違っていることには全く興味を持たず ただ漫然と学術権威の言っている内容を垂れ流しておけば良いと「思って」いるのである

どんなに強く「思って」いても それは論理客観的な「考え」にも判断にも至ることはない

むしろ強く「思って」いるからこそ 自律的な自己客観的検証を放棄してしまうのである

その無責任さはミャンマー政府軍の兵士や 日本大学幹部達などの腐敗組織の盲目性と同じものであり 都合(気分)の悪い話には一切耳を貸さなくなるのである

バカというのは 自分がバカであることを自覚していないからバカが治らないのである

 

 

Ende;

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認知的欠陥

2021年12月16日 01時32分46秒 | 意識論関連

ヒトという種の生物に普遍的に見られる「失敗」に共通する原因が 遺伝的に組み込まれた本能習性に起因するものであることを理解していないからこそ 組織腐敗や非人道的独裁が後を絶たないのである

主観的に気分が良くなる「信じたい話」ばかりを鵜呑みにし 気分が悪くなる「信じたくない話」を無視することは 社会安全性に背く無責任なことである

遺伝的進化というものは「繁殖を継続」できたかどうかという結果以外何も促すことはない

たとえどんなに高度な特定能力や形質への「進化」を促したとしても これからも永久に進化に「成功」する保証もなければ そもそも遺伝的進化というものの「成功」とは 絶滅さえしていなければ「成功」なのであって そこに安全性も平等も人間性も倫理もヘッタクレもありはしないのである

ヒトは遺伝的進化によってヒトには進化したものの 遺伝的進化というものは決して「ヒトでありさえすれば人間性が発揮される」ような都合の良いものではない

組織的暴力を振るうことに長けた集団の方が 他の集団から効率良く略奪搾取するには有利であり 生存価においては人間性や倫理は不利に働くことの方が多いのである

それならヒトという種の生物に先天的人間性が都合よく組み込まれる収斂プロセスはほとんど働かないのである

生涯一人の女性だけしか配偶関係を持とうとしない誠実は男よりも 誰彼構わずヤリまくる不誠実な男の方が遺伝子が遺りやすいのであって 強姦や略奪や嘘というのは生存や繁殖においては有利に働くものなのであり 遺伝的進化というものに根拠のない万能妄想を抱いて満足するというのは社会的に無責任なものである

 

長谷川眞理子はチャールズ:ダーウィンが人道主義者であったことを述べただけであって 優生学に対する論理反証や遺伝的進化のメカニズムを理解しているわけでもなければ むしろ「〇〇のために進化を選んだのよ」などといった間違った「説明」を訂正もしない不誠実な奴である

何度も言うが 遺伝的進化は能動的に「選ぶ」ことなどできない自然現象であって 「〇〇のため」といった後天的意図目的戦略は遺伝的要素には影響を及ぼすメカニズムは存在しないのである

 

ヒトという種の生物は かつて限られた環境資源の奪い合いによるヒト同士での生存競争に「勝ち抜いて」きた生物の子孫である

自然環境下における生存競争というものに 安全性や公平性を優先するような進化的プロセスを説明することはできず むしろ暴力や略奪や嘘や独裁や不平等な差別による搾取に長けた個体種への収斂進化の方が簡単なのである

組織腐敗は簡単だが 組織腐敗を浄化することは簡単ではない

それなら組織腐敗が進行するようにしか収斂進化は起こらないのである

遺伝的進化に根拠のない過剰な信頼を持つことの方が衆愚人気を得やすいことはわかっている

ヒトは自分で物事を論理客観的に判断して真偽を見極めるという「面倒臭い」ことをするよりも 主観的に気分が良くなる「信じたい話」だけを信じ込んで安心満足したいだけであり 責任は多数や権威に丸投げしておけば自分の判断責任が薄まるかのような感覚(錯覚)によって安心することができるという 人間としての認知的欠陥を持っているのである

先天的な認知上の欠陥があるからこそ 香港警察やミャンマー政府軍やナチスやポルポトのような集団組織的虐殺も可能となるのである

「自分だけは絶対に大丈夫だ」 そう「思って」いるからこそ独裁や組織腐敗は簡単に起こるのである

主観的にどんなに強く「思って」も それが真実であることの論理客観的根拠や証拠にはならない

だから振り込め詐欺にも簡単に騙されるのである

 

 


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先天的本能習性で人間性を立証することはできない

2021年12月16日 00時44分47秒 | 意識論関連

助け合う習性について

 参考:https://diamond.jp/articles/-/290027?page=2

 

 

⇨ヒトは他人と助け合いをする習性がある

だが 助け合いさえすれば人間性や倫理の論証になるわけではない

日本大学の組織腐敗であっても 日本大学の組織に属している個体の利己的利益において「助け合う」形で組織腐敗は温存放置されたのである

振り込め詐欺が仲間内で食事を奢っても「助け合い」だが それが人間性や倫理の論証にならないのは言うまでもない

東京電力社内においても「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」こそが事故の根本原因であると結論付けている

「組織の利益を優先」することもまた「助け合い」でもある

早稲田大学の強姦サークルにおいても 仲間内で「助け合う」形で集団強姦が行えたのであり 「助け合い」の全てが人間性や倫理の論証になるわけではない

ナチスやポルポトによる組織的虐殺や ミャンマー政府軍による民衆弾圧 香港警察による集団組織的統率協調行動もまた「助け合い」によるものである

自分が属する集団を「仲間」や「味方」とみなし 共通に信頼している権威の命令に唯々諾々と盲目的に服従することによって統率協調的に組織以外の人に危害を加えることも可能となるのである

学生やネット上での集団的なイジメにおいても 他人と共通する「敵」を協調的に攻撃することによって その場限りの安心満足感を得ることだけが目的であり 社会的責任なんぞ負うつもりは一切ないからこそ イジメができるのであり

また 本能習性という無意識な行動バイアスであるが故に暴走することも多いのである

 

人間性や倫理の本質とは 「個人が自律的な社会的責任判断選択をすること」であり 単に「助け合い」さえすれば人間性の論証になるわけではない

遺伝的進化というものは 繁殖が継続するのに適してさえいれば生物種として存続できた「結果」だけであり 遺伝的進化によって結果的に組み込まれたに過ぎない本能習性もまた「目的」は存在しないため イジメや虐殺などの要因ともなるのである

先天的本能習性という無意識な情動バイアスで人間性を立証することなど原理的に不可能であり

人間性というのは「本当の社会安全性や公平性」を見極められる知能なくして発揮することは不可能である

松沢哲郎や山極寿一 長谷川眞理子や長谷川寿一ら生物学「権威」共は先天的本能習性によって人間性を立証したかのように言いたがるが それは遺伝的進化を万能で完全無欠なものだと勝手に勘違いした妄想に過ぎず 科学的には何の根拠にもならないのである

 

ヒトという種の生物に先天的人間性が組み込まれているかのような「説明」は 衆愚が自分には先天的に人間性が組み込まれているので 本能習性のままに個人的好き嫌いだけで差別迫害を正当化するのに都合が良いため 論理客観的に物事の真偽を判断したがらない衆愚には人気が得られるのである

「先天的本能習性に人間性が組み込まれている」などという科学的根拠のない嘘を正当化し続けるというのは 優生学をも正当化してしまう危険で社会的に無責任なものである

 

 

 


Ende;

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司法の手口

2021年12月15日 21時41分06秒 | 日記

決裁文書改ざん訴訟 国側 一転して賠償責任全面的に認め終結 -NHK

司法ってのは刑罰か賠償判決を下す制度であって 真実なんぞ追求したりはせず ただの「手続き」に過ぎないので 役人達に都合よく利用されるものでもある

 

 

ツイッター連携動かないわ

 

 

Ende;

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飲み薬

2021年12月15日 21時23分19秒 | 日記

パクスロビドは、ウイルスが体内で感染を広げるのに必要なプロテアーゼという酵素の働きを阻む「プロテアーゼ阻害薬」。1回の治療でパクスロビド2錠、抗HIV(エイズウイルス)薬「リトナビル」1錠をそれぞれ1日2回、5日間かけて投与する。

治験参加者は軽度から中程度の新型コロナ患者で、重症化リスクの高い18歳以上の人。発症から3日以内の患者に投与したところ、投与していないグループに比べて入院・死亡リスクが89%低減した。副作用は軽度という。

パクスロビドの生産は2021年末までに18万回分

 出典:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN16EOJ0W1A111C2000000/

 


既にアメリカで使用承認されているモルヌピラビルの入院・死亡リスク低減率が30%程度らしいので 随分効果が違う

 


Ende;

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中村徹

2021年12月14日 15時17分51秒 | 意識論関連

葉っぱをとげにして、植物体を守る。動物から食べられないように守る、そのためにとげを発達させる。

 中村徹

 出典:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/tv/seibutsukiso/archive/resume032.html

 

 

⇨「食べられないように」といった意図目的のために自身の遺伝子を書き換えて「とげを発達させる」ことは構造原理的に不可能であり

乾燥地帯の植物はトゲがない植物が全て喰われ尽くした結果として よりトゲの発達した植物への収斂進化が起きたという「結果」に過ぎない

これは昆虫の擬態進化のプロセスと同じであり 「擬態しよう」として自らの遺伝子を書き換えられないのと同様に 植物もまた「とげを発達させよう」として能動的に進化したわけではない

未だに遺伝的進化の「説明」を間違えている生物学権威が大多数を占めており 間違った「説明」が後を絶たない

 

何でこんな簡単な間違いに誰も気づかないのかと言えば ヒトという種の生物は学術権威の肩書さえあれば 言っている内容を疑わなくなる先天的習性があるのが原因である

ヒトが信じたがるのは権威肩書であって 論理客観的根拠を伴った科学的真実ではない

生物学権威の大半は遺伝的進化に対して「典型的な間違い」に基づいた「説明」をしており改善や訂正をする気配が全くない

NHK高校講座でこうした間違った「説明」を続けることは社会的にも無責任であり 科学に対する冒涜でもある

 

実際の放送において中村徹は「動物に食べられては困るから」といった「説明」をしており 比喩の範疇すら逸脱している

記事の中でも「生き残るように形を変える植物」という形容をしているが 「生き残るように」といった目的のために形質を能動的に「変えた」のではなく 「結果的に生き残れた個体の形質へと淘汰収斂された」というのが科学的に正しい「説明」である

科学教育番組において非科学的「説明」を続けることは「不適切」であり 社会的に無責任な「不祥事」である

 

 

毎回違う表示をしやがる

なんだこれ

 


Ende;

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頭が良くなりたいですか?

2021年12月12日 13時54分53秒 | 意識論関連

頭が良くなりたいと そう思う理由は何ですかね?

頭が良くなれば世間的評価が得られて金儲けにでもなると思ってるんすかね

中野信子が「頭が良い」とみなしている基準は「金儲けが上手いかどうか」です

頭が良くなりたい理由って 金儲け目的なんですかね

利己的金儲けを目的にしている奴って 頭良いんですかね?

金儲け能力って人間としての知能の基準になるんすかね?

ナチスに反対したヴァルター:ベンヤミンって 金儲かったんすかね?

ナチスに迎合したマルティン:ハイデガーって頭良いんすかね?

セーレン:キェルケゴールって世間的に評価されましたかね?

今は一定の評価がありますけど 本人は野垂れ死にしましたよ

ガリレオ:ガリレイって地動説唱えて「火炙り」にされそうになりましたね

頭良いと殺されかけることもあるんですよ

それでも頭良くなりたいですかね?

頭が良くなると 真実と嘘が見分けられます

嘘と真実が見分けられることが「頭が良い」という状態ですからね

バカだと嘘と真実は見分けがつかず 多数意見とか 多数派によって認証された権威の意見を鵜呑みにして安心満足することしかできません

それしか出来ない奴を「バカ」と言うからですよ

バカが大多数を占める社会の中では バカのままの方が評価や報酬にとって有利です

ナチス政権下においては ユダヤ人殺害計画書を作成する能力が高いことが評価になりました

ミャンマー政府軍内部においては 率先して民衆弾圧をする兵士の方が評価されます

軍隊では命令に背けば懲罰を受けます

軍隊の中ではバカでないと出世はできません

日大という組織の中では 日大事業部の幹部達に唯々諾々と服従しないと簡単に左遷されます

日大のような腐敗組織の中で出世や金儲けに成功することは「頭が良い」と言えますかね?

バカの言いなりになることは 頭が良いと言えるんすかね?

それじゃ一体 何のために頭が良くなりたいんですかね?

頭が良くなりたい「本当の目的」って何すかね?

それを「考え」ないことは「頭が良い」って言えるんすかね?

「考えない」奴って 頭良いんすかね?

頭が良い奴って 利己的金儲け以外に何の興味もない奴のことを言うんすかね?

それって 人間としての真実なんすかね?

 

 


Ende;

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「信じたい話」と「信用できる話」の違い

2021年12月12日 12時57分23秒 | 日記

最近ツイッター連携が作動しない

通信環境の所為なのか Android8.1が原因なのかは不明

 

科学を信頼している人ほど「疑似科学を信じてしまいやすい」ことが判明、一体どうすれば偽情報から身を守れるのか? - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20211120-trust-science-pseudoscience/

 

 

 

そりゃ最初から興味がないからだよ

 

 

Ende;

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