書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

アホ理論。

2023年01月15日 13時25分31秒 | 日記

 ↗ハイビームorロービームのアホ理論。

自転車だって法律上は「車両」なんだから 前照灯の構造もちゃんと法整備しておくべきなんだと思う

小池都知事は興味ないのかしら

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クソ名門大学

2023年01月14日 23時48分24秒 | 意識論関連

東京大学の河合祥一郎(文学部)はケンブリッジ大学院卒だが

大脳生理学研究者や進化生物学研究者の主張の論理整合性については何も指摘できないデクノボウである

 

「3年間教えて面白い生徒かどうか」がケンブリッジ大学の合格基準だそうだ

バカげた大学だな

教授の主観に一体どれだけの社会的価値が存在していると倒錯しているのであろうか

教える側の身勝手な主観的観念で生徒を評価していても 教育機関の社会的役割を果たしていることの論証にはならない

そもそも一方的に主観的観念で物事を決めつけているにも関わらず 生徒にだけ論理思考を求めている時点でとんでもない大ペテンである

大学に限らず学校というのは教師が一方的に生徒を評価するばかりで 教師の方を審査するシステムが著しく欠けている

そんなんだから日大のような組織腐敗も起きるし 東大脳生理学研究者共による「自由意志など存在しない」などという荒唐無稽な非科学的デマがまかり通ってしまうのである

「板チョコを何回割ったら28等分できるか」などという命題で論理思考能力を測っても そもそも大学の構造的問題には誰も気づかないバカ教授とバカ生徒のデクノボウ集団に過ぎない

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共感という罠

2023年01月14日 12時31分29秒 | 意識論関連

梅田聡(慶應義塾)

共感性を短絡的に「社会性」だと括るのは間違いである

暴走族が暴走族に共感しても「人間としての社会性」の論証にはならず 先天的な本能習性としての「社会形成習性」を発揮しても人間性の論証にはならない

それは「ヒトという種の生物」の傾向性(習性)の論証にしかならない

「相手の感情を読み取り共感する」からこそ 日本大学田中英寿理事体制に「恐怖」を抱き 多くの職員が同調迎合忖度服従している状況に「共感」することによって組織腐敗は引き起こされるのである

「みんなで仲良く組織腐敗」されても「人間としての社会性」の論証になどなるわけがないのである

 

バカな大半の生物学系研究者共は 何が何でも先天的本能習性によってヒトには人間性が先天的に組み込まれているかのように説明したがるが これは衆愚が「自分は先天的に優秀な存在だ」という身勝手な解釈をこじつけるのに都合が良い衆愚迎合に過ぎない

 


島皮質が前頭葉との相関が取り沙汰されているが 感情がむしろ理性を抑え込んでしまうからこそ ヒトは簡単にバカになってしまうのである

ヒトという種の生物の脳は 別に理性が優先するよう先天的に出来上がっているわけではなく ただ大脳新皮質の容量が肥大しているだけであって 感情という主観的感覚が優先することによって理性を簡単に失い 意味のない非合理な行動も平気で促してしまうという先天的な認知上の重大な欠陥を持っているのである

松永莉子パパの苦しみに「共感」することは必要だが 単に「加害者に厳罰」を主張しているだけでは松永莉子パパの「感情」に「共感」しているだけであって 莉子パパの本当に望んでいる「再発防止を優先して欲しい もう誰にもこんな地獄は味わって欲しくはない」という理性的願いを「理解」しているとは言えないのである

ただ感情に共感しているだけでは人間としての社会性にはならず むしろ共感というものは組織腐敗を助長する側面も持った動物的な先天的本能習性に過ぎない「結果」でしかない

「目的意識」という言葉があるように 理性によって「意識」的に「目的」行動選択をするための「考え」が伴って初めて「人間としての社会性」として機能するのであって

ただ感情的に「共感」すれば「(人間としての)社会性だ」という話にはならず それは単に動物本能的な社会形成習性でしかなく 組織腐敗や暴力集団の形成温存維持をもたらす危険性も持っているのである

 

「人間としての社会性」というものは断じて進化的に先天的に都合よく組み込まれているようなものではなく 論理客観的に「どの感情を優先すべきか」を選択してこそ発揮されるものである

怒りの感情に共感してヘイトスピーチに同調しても人間性にはならないし

暴走族に共鳴して集団協調的に迷惑行為をしても人間性の論証には全く該当しない

民主化デモに便乗して暴動を引き起こし 民主化運動を反社会的暴動にすり替えてしまうのも これもまた身勝手な「共感」が引き起こすものである

民主化デモによって独裁政権に反対する場合には 怒りの感情は伴うものではあるものの だからといって感情任せに暴動を引き起こせば反社会行動にしかならず 民主化運動の「目的」や本質を汚すことにしかならない

 

島皮質は 情動によって理性を抑制してしまい 振り込め詐欺師の言いなりに被害者を誘導してしまう原因でもある

脳の構造そのものはヒトでもサルでもさしたる違いはなく ただヒトは大脳皮質が大きいという違いしかない

「刑法判決で解決だ」とか「厳罰化で抑止」といった懲罰という暴力威圧による行動抑圧を「道徳」だと「思って」いることもまた 理性を欠いたヒトの先天性の錯覚である

実際には厳罰化を廃止した北欧の「リゾート刑務所」の方が再犯率を大幅に引き下げ 「受刑者」の自律的な社会的責任判断選択を促進することは 統計的にも理論的にも立証されているのである

それでも「懲罰で解決」だという倒錯から逃れられないのは それが先天的本能習性だからである

チンパンジーなど野獣の群れの中では順位序列による統率や 暴力による相互行動抑圧は群れ社会を形成する上においては生存や繁殖維持において有利に働くものではあるものの 順位序列による統率性は「怖い相手に逆らわない」という行動も促し 組織腐敗の温床ともなるものでもある

一方で独裁政権への反発として民主化運動をすれば その独裁反対による怒りの感情が優先して暴動に発展し 民主化運動がただの暴動になってしまうのも 「共感」性による倒錯や 暴力的破壊を「懲罰」として錯覚しているヒトの先天的な認知上の重大な欠陥が原因である

 

「ヒトという種の生物には 先天的に人間としての社会性が組み込まれている」とでも言っておけば バカな衆愚は主観的に安心満足し 共感し 多数人気を集めることは簡単である

その主観的安心満足を多数で共有しておけば いかなる論理的齟齬や整合性の欠落も「なかったこと」にしておいても 「何とも思わない」だろう

その「思わない」という「自分の主観的感情」に 何の疑いも持たないのは 自己の主観的感情こそが自分の意識の本質だと錯覚しているからである

ヒトの主観には必ず錯覚が混入する危険性が伴うものであり 錯覚を錯覚として認識するために必要なのは論理客観的検証性(考え)である

主観的に「何とも思わない」からこそ 論理客観的に「考え」なくなるのであり これがヒトの先天的な認知上の重大な欠陥として働くことで ヒトは簡単にバカになるのである

その「何とも思わない」ことをいくら多数で「共感」しても それは「人間としての社会性」の論拠にはならず むしろ「多数で頭の悪さを正当化」しているに過ぎないのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単な話

2023年01月14日 00時11分26秒 | 意識論関連

ユダヤ人にだけ土地を与える「神」って

随分不公平で心の狭い「神」だな

特定の民族にだけエコヒイキする「神」って

それ 本当に「神」なのか?

「人」としても随分薄っぺらだろ

きっとロシア人にとってはプーチンが神で

日大職員達にとっては田中英寿理事が神で

東京電力福島第一原子力発電所においては原発の津波に対する静寂性を傍観放置することを勧める上司が神だったんだろう

それが信じるに価するかどうかを自分では判断しなかったことが組織腐敗や破綻の根本的原因となった

 

構造的には簡単な話だ

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幼稚な言い逃れ

2023年01月13日 15時16分53秒 | 意識論関連

霊長類研究者の中ではサルの利他的行動習性を「人間性の萌芽」などと主張しているが

先天的行動習性という遺伝的進化の「結果」を都合よく抽出しても人間性の論証にはならない

そもそもサルの社会においては平等や公平という概念はなく 高崎山のサル達は餌のサツマイモを与えれば我先に奪い合いをするものであり

奪い合い競争で生き残った個体の遺伝子の方が拡がりやすく遺りやすかったという淘汰圧力による収斂進化の「結果」でしかない

ヒトにおいても 自己が属する集団組織に対する忠誠忠実さを優先することによってユダヤ人大量虐殺が引き起こされたのであり 振り込め詐欺師が仲間内に飯をおごっても人間性の論証にはならず 東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を傍観放置したのも 日本大学において組織腐敗を傍観放置したのも それが先天的に安心満足であるという本能習性による「社会形成習性」に因るものであり ニホンザルが毛づくろいをする「習性」があるとしても 先天的本能習性で「人間としての社会性」を立証することは原理的に不可能である

そもそも先天的本能習性というものは あくまで環境依存的に決定するものであり チンパンジーがゴリラを襲うのも食料資源の枯渇による奪い合いであり こうした「結果」によって引き起こされる淘汰圧力は より凶暴な個体種への収斂進化を促すものでしかない

平素 環境資源が安定的で奪い合いの必要がないにも関わらず サルは必死になって奪い合いをするものであり それこそ環境資源が枯渇すれば殺し合いも全く厭わない生物である

断じて「小さな子供を優先しよう」などとはサルはせず 力の強い身体の大きな威圧的個体が環境資源を独占する利己的な野獣に過ぎない

ヒトにおいても先天的には同じであり 力の弱そうな少数派を攻撃することによって多数派に同調迎合忖度服従するという忠誠忠実さを発揮することによって 集団内部における評価や報酬を得ながら 同時に個人が自律的な社会的責任判断選択を放棄できることによる安心満足によって ヒトは独裁などの組織腐敗を傍観放置する先天的本能「習性」を発揮するからこそ 人間性を著しく損なう結果に陥るのである

 

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」とでも主張しておけば 衆愚マスコミは「自分達には先天的に人間性が組み込まれている優秀な生物なんだ」とでも勝手に勘違いし その論理的には根拠のないデマで安心満足することで鵜呑みにし 何の批判もしなくなるという重大な認知上の欠陥(バカ)を持った生物である

衆愚に人気のある論説を垂れ流しておけば 人気取りや金儲けにおいては有利であり 論理的根拠の欠落や反証の一切を無視して「学術権威(肩書)の多数」だけを根拠に少数派の意見を平然と黙殺排除するのがNHKを筆頭とするマスコミの「習性」である

太平洋戦争において新聞社が反戦意見を黙殺排除した原因とは 民衆からのバッシングやボイコットなどによる経営上の不利が理由であり 結局マスコミは先の無謀な戦争からは何も「反省」もしていなければ「学んで」などいないのである

気分的には「反省」しているような感覚があるのかも知れないが 実質的には「なぜ組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったのか」については全く理解しておらず 組織内部の多数決や大衆迎合を優先することによって組織を構成する個人が自律的な論理検証をしなくなるという 先天的な認知上の重大な欠陥によって非科学的デマや嘘が平然と垂れ流されることになるのである

「バックファイア効果」や「認知的不協和理論」や スタンレー:ミルグラムによる権威に対する服従心理実験の結果というものは 多数大衆からは人気は得られないのはわかっている

そうした「自分にとって都合の悪い話」や「気分が悪い話」には耳を貸したくないという「心理(情動)」が働くからである

こうした「心理(情動)」そのものがヒトの先天的な認知上の重大な欠陥なのであり 気分や感情が短絡的に「自分の意識」だと錯覚しているからこそ 様々な組織腐敗をも引き起こす原因となるのである

NHKの職員達は 生物学者共の嘘やデマや誤謬を垂れ流しておいても 何とも「思わない」であろう

その「思わない」という主観的情動こそがデマや嘘を傍観放置する原因であり 自己の主観的な「思い」こそが「自分の意識の本質」だと錯覚している慢心があるからこそ 論理的に根拠のないデマや嘘が平気で「常識」として通用してしまうのである

 

サルが利他的行動を採ることはあるが 決して利他的行動だけを主体的に選択することはなく 状況や環境によっては平然と凶暴性を発揮するのが「遺伝的進化によって結果的に組み込まれた先天的な本能習性」というものである

これは「ヒトという種の生物」においても全く同じことが言えるのであり どんなに多数のヒトが平和的であることを枚挙しても 「ヒトは平和的にしか行動しない」ことの科学的論証には一切ならない

プーチン政権内部においては プーチン体制にとって有利な「利他的行動」が働いているからこそ プーチン政権が維持可能なのであり 振り込め詐欺師であろうと日本大学田中英寿理事体制であろうと 原発の津波に対する脆弱性を傍観放置した東京電力福島第一原子力発電所などの組織腐敗も 子供のイジメであろうとメカニズム構造は全く同じである

「ヒトは勝てそうにない相手には逆らわない」ものである

テロリストや通り魔が狙うのは大抵無抵抗な女子供であり 暴力団や暴走族が標的にされることはない

学術権威の肩書を持った生物学研究者に対しては NHKなどのマスコミは一切逆らわずに何の検証も反論も持たずに鵜呑みにし 平気で垂れ流すのも 権威肩書に逆らうことが主観的に「怖い」からであり 同時に漫然と鵜呑みにしておいた方が「安心」だからである

それなら少数派の反論は隠蔽黙殺しておいた方が「安心」なのは当然であり ヒトの先天的本能習性的には「必然」ですらある

だが そうした「ヒト」の先天的本能習性に因る認知上の重大な欠陥こそが あらゆる組織腐敗を温存放置傍観し 嘘やデマでも鵜呑みにしてしまう最も根源的原因なのである

遺伝的進化というものは決して万能ではない

「(後天的に)思ったように進化すること」ができるような都合の良い 衆愚の気分が良くなるようなものではない

ヒトの女性が性的暴力を振るわれた際に 萎縮して戦意を喪失する性質があるのも 性的暴力を振るわれた際に抵抗できない女性の遺伝子の方が拡がりやすく遺り易かったという「結果」である

現代人が生活習慣病に陥り易いとしても 単に現代社会の中で繁殖を繰り返しただけでは生活習慣病にならないような「進化(淘汰圧力による収斂)」が生じるメカニズムやアルゴリズムは働かない

バカな芸能人は「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などと言い出すものだが 遺伝的進化が促されるためには必ず淘汰圧力による収斂が必要であり 月経の痛みが少ない個体以外が全て死ぬか 繁殖できない環境条件が必要であり 月経が痛い女性が全員社会的排除を受けるような社会でなければ「遺伝的進化によって月経の痛みがなくなる」ことはないのである

どんなに自分が属する集団組織に対する利他的行動を採ったとしても むしろそれこそが個人の自律的な社会的責任放棄による組織腐敗の温床となるのであり 断片的な日和見主義を発揮して主観的に安心しても 結果的に論理的根拠に基づいた少数異端の意見を黙殺排除することによって マスコミは嘘やデマを充分に排除することができなくなるのである

東京大学の脳生理学研究者の全員が「ヒトには自由意志などない」などと主張しているとしても それが論理的根拠に基づいた科学的論証であることの証明にはならない

意識よりも先に情動行動を促す脳神経細胞の反応があるとしても それは単に情動や欲望が意識より先行しているだけの話であって 「殴りたいと思ったからといって殴る以外の選択が一切不可能である」ことの論証には全く当たらず 「ヒトには自由意志などない」という主張は非科学的デマでしかなく これを訂正しないというのはNHKを筆頭としたマスコミの怠慢である

「欲望そのものを欲することはできない」のは確かだが ヒトの全てが欲望のままにしか行動選択が不可能であることの論証にはならない

欲望と行動が直結しているのであれば それは単なる「バカ」か 知能の低いサル以下の認知判断能力しか持たない生物の話にしかならない

デマをデマとして認識できないのであれば それはもはや「人間」としての認知能力としては働いていないということである

 

たとえプーチン政権幹部を国際司法裁判所で刑罰の判決を下したとしても それが腐敗した独裁政権が形成される根源的原因究明や再発防止につながることはない

それはオウム真理教幹部や教祖を死刑にしてもカルト宗教団体がなくならないことや 通り魔やテロリストを死刑にしても刑務所に入れても通り魔事件やテロ事件がなくなる論理客観的根拠には一切ならないのと同じであり

そもそも「刑法判決で解決」というヒト(衆愚)の先天的「道徳」観念こそが社会安全性を著しく損なう最も根源的原因であり 失敗学や危険学において刑法停止措置を行うのも ヒトの先天的な「道徳」観念による倒錯を排除するのが目的である

錯覚を錯覚であると認知識別するのは 論理客観的検証性(考え)である

どんなに強く「思って」も「悩んで」も それは全て主観的感覚に過ぎず 論理客観的根拠に基づいた真実の論拠にはならない

ところがヒトという種の生物は マイケル:サンデルの「トロッコ問題」などという悩ましいだけの命題で「悩んだ」ことによって あたかも「自分はたくさん考えたから 頭が良くなった」などと倒錯し 「頭を良くしてくれたサンデル先生」を主観的に「好き」になることで簡単に批判精神を失い 「トロッコ問題が解決できれば倫理的問題も解決する」と勝手に勘違いするバカである

養老孟司の意味のない話に人気が集まるのも オウム真理教などのカルト宗教に人気が集まるのも 「自分の気分が良くなること=頭が良くなった」という身勝手な慢心が働くからであり ヒトという種の生物である以上は全てのヒトに程度の差こそあれ 先天的な認知上の重大な欠陥は存在しているものであると考えるべきであり

自らの頭の悪さを自覚することを「怖れ」てはならない

自分の頭がどのようにバカなのかを自覚できれば バカに陥らずに済むのであって その分は「頭が良くなった」とは言えるのである

つまり 「頭が良くなる」というのは決して「気分が良くなること」ではなく むしろ自分の先天的な頭の悪さを論理客観的に自覚する必要性を伴う「嫌なこと」でもあるのだ

多数派や権威に逆らうことは 多数派に迎合同調しないということでもあり 決して気分が良くなるわけでも 主観的に安心できる話でもない

ヒトという種の生物は 先天的には主観的気分が安心満足であることを短絡的に安全性か何かだと錯覚するという 認知上の重大な欠陥を持っている存在であり これは遺伝的進化によって解消されるメカニズムもプロセスもアルゴリズムも存在していない

だからこそ未だに戦争が引き起こされたり 「軍拡競争=安全保障」などというバカげた観念に囚われてしまうことに陥るのである

 

苫米地英人は最新型トマホークによる敵基地反撃能力の保有が反って危険だと主張していた

トマホークという亜音速の巡航ミサイルは中国にもロシアにも通用せず むしろ相手国からの攻撃を誘発する「理由」にされかねないのだという

ヒトは「攻撃能力こそが抑止力だ」と錯覚する性質がある

相手を力ずくで抑え込むことこそが安全だと「思って」いるからであり これは話の一切通用しないバカなヤクザや薬物中毒患者には通用するが 国際外交においては話が別である

ロシアや北朝鮮は現状無法なヤクザ国家にようになってしまっているものの 太平洋戦争の時には日本もまた同じような暴力国家だったのであり 陸軍将校達による昭和天皇に対する下剋上によって 事実上天皇の意向を無視した無謀な戦争へと突入してしまったのである

軍隊という「同じヒトの集団組織」を どうして文民が統制しなければならないのかと言えば 兵隊というのは上官に対する命令に逆らうことない非民主的組織であるが故に個人が自律的な社会的責任判断選択をしない性質があるからである

上官の命令にさえ従っておけば 組織内部において評価報酬が得られるが 逆らえば如何なる理由があろうとも軍法によって理不尽な懲罰を受ける立場だからこそ ミャンマー軍事政権のような暴力的政権も成立してしまうのである

畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書にあるように 最も根源的原因として「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が挙げられており これは原発事故に限ったことではなく あらゆる「人災」において共通する普遍的原因でもある

 

無責任なデマを撒き散らしている霊長類研究者や 認知科学研究者や 哲学者は学術界からは徹底排除する必要がある

そのためにはまずマスコミが「何がデマや嘘なのか」を責任持って理解認識しなければならない

幼稚園児じゃあるまいし「だってみんなが言っているから」などという言い逃れが通用して困るのは私個人だけではない

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バカは大抵健康である

2023年01月09日 01時31分33秒 | 意識論関連

「(ヒトには)自由意志などない」だの 「微生物には意志があるかもしれない」などといった荒唐無稽な生物学者共のデマを垂れ流しておいて よくもまあ「信頼できるメディア」を標榜出来たものだと NHK職員達は相当にバカなのか ふざけているとしか思えない

生物というのは あくまで特定環境下において生存や繁殖に適して現存するものを生物と分類しているのであって 生物が目的に基づいて自らの遺伝的要素を選択するようなメカニズムは遺伝的進化のアルゴリズムには存在していないのである

目的が存在しておらず 主体的に選択不可能である以上 「生存戦略」などという概念は存在せず 生物学上の誤謬やデマでしかないのだが 論理思考の苦手なマスコミや衆愚共は理解することができず あたかも遺伝的進化が万能で「素晴らしいもの」であるかのような解釈をすることで主観的満足を「理解」だと倒錯することで 科学を逸脱したデマがいつまでも温存されてしまっているのである

生存は結果的なものであって 目的ではない

目的ではないただの結果に戦略もヘッタクレもないのである

トキソプラズマがネズミの行動に変化を与えるとしても 行動に変化を及ぼすような変異を起こした株種の遺伝子の方が拡がりやすかったという結果でしかない

ロイコクロリデュームがカタツムリの行動に影響を及ぼしても ハリガネムシがカマキリの行動に影響を及ぼしても そもそも自らの遺伝子を都合よく書き換えるメカニズムなど存在しておらず 全ては「結果」的収斂進化であって 「結果」がいかに巧妙に「見える」としても 遺伝的進化に「生存戦略」など存在していないのである

ヒトという種の生物が組織腐敗を傍観放置し 同調迎合忖度服従することで組織腐敗の温床となる「社会形成習性」を発揮してしまうのも あくまで「結果」であって「目的」があるわけではない

組織腐敗による独裁体制というものが いかに論理的に持続可能性や公平性に重大な問題があるとしても ヒトの先天的本能習性としての結果的情動行動は独裁腐敗を傍観放置することで独裁腐敗は生ずるものなのである

脳科学者としての学術権威の肩書を持った者が「ヒトには自由意志などない」などと言い出せば バカなマスコミは鵜呑みにし 垂れ流しておいても「自分達には責任がない」と思っているのであろうが そうした責任逃れこそが自律的な社会的責任の放棄であり あらゆる組織腐敗やデマの温床の原因となるのである

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内受容感覚とは主観である

2023年01月09日 00時21分09秒 | 意識論関連

生物学者や医師は 共感性を短絡的に「社会性」などと規定しているが

共感性も 動物の本能としての社会形成習性も 組織腐敗の原因となるものでもある

 

内受容感覚とは所詮は「主観」であり それが健康と密接に相関があるとしても 健康なら組織腐敗を傍観放置しても構わないという話にはならない

自律的な社会的責任判断を放棄し 自分が属する集団組織の腐敗を無責任に傍観放置しておけば さぞかし気分的には安心満足で 身体的にも健康であろうが それは「サルの健康」に過ぎない

ナチスの吏官アドルフ:アイヒマンは ユダヤ人大量虐殺計画書の作成に邁進することによって気分的安心満足を得ていたのであり 気分的安心満足でありさえすれば「人間としての社会性」として働くわけではない

東京電力福島第一原子力発電所において 上司の言いなりに原発の危険性を放置しておいた方が気分的には安心満足だったからこそ 自律的な社会的責任を放棄したのであり 「組織の体質」だの「組織は頭から腐る」などと個人の主体的責任判断を放棄しておいた方がさぞかし身体的には「健康」なのであろう

日本大学の組織腐敗においても 多数派に同調迎合忖度服従していた方が気分的には安心満足でいられたのであろうが 「人間としての社会性」の放棄にしかならない

腐敗した組織の中で 組織に迎合せず 自律的に社会的責任として判断選択すれば 腐敗組織の中では排除迫害の標的にされ 気分的には安心も満足も得られないであろう

ナチスに反対すればスイス山中で自決を余儀なくされるのであれば ナチスに迎合同調忖度迎合しておいた方がさぞかし気分的にも身体的にも「健康」でいられるのであろう

島皮質の働きによる内受容感覚が促す「共感性」という主観的安心満足を短絡的に「人間としての社会性」と混同するというのは極めて社会的に無責任なデマである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車のブレーキを黙らせてみた

2023年01月08日 12時38分21秒 | 日記

自転車の後輪によく用いられているバンドブレーキというのが

物凄くうるさい

キーキーキーキーずっと鳴っている

長い下り坂とか近隣住民への迷惑が心配でブレーキをかける意欲が失せる

前輪のブレーキはこんなにうるさくないのだから 後輪もリムを挟み込む形式のブレーキにすればよかろうと思うのだが なぜか後輪にはバンドブレーキが使われ続けている

自転車メーカーってバカしかいないの?

あまりにうるさいので 自転車屋に「何とかならぬものか」と訊ねたら「ローラーブレーキは薬剤があるのだが バンドブレーキはどうにもならない」とのこと

本当になんともならないのか 油をさしたらダメなのは明らかだが 何か他に薬剤はないものかと

試しに中性洗剤(キュキュット泡スプレー)を注してみた

洗剤ならダメだった時には水で洗い流せると思ったのだ

洗剤が馴染むまでは若干効きが悪くなったものの すぐに回復 強くかけると音はするものの 普通にかける分にはおとなしくなった

とは言え 推奨はしない

ハブ軸のグリスに悪影響があるかも知れない

あくまで自己責任で

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満月とカラスウリ

2023年01月08日 00時18分30秒 | 日記

狙ってたのは昨日の満月だった

すっかり忘れてた

 

カラスウリが豊作

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハーフマラソン大会があるそうな

2023年01月05日 11時29分02秒 | 写真

1月8日と15日 共に日曜日は荒川河川敷でハーフマラソン大会があるので 自転車で走るのはちょっと厳しい

扇大橋の近くに巨大な建設機械があった

杭打ちの機械だと思うが 一緒に写っている重機と比べるとかなりとんでもない巨大さだと思う


初日の出はみんなありがたがるけど

締め日の入りだって同等に扱っても良いんじゃないのかしら

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無数の小さなバカ

2023年01月03日 14時19分45秒 | 意識論関連

私個人は 故あって脳があまり男らしい感覚や欲求がないので 主観的にはよくわからないのだが

男の脳というのは順位序列に異常執着する先天的習性があるらしいのだ

 

一般的に順位序列への執着は権力欲が働いていると思われているのだが

実際には権力者など 自分よりも上と見なした相手の判断に判断責任を丸投げしておきたい欲求の方が強いようである

イヌの「社会性」というものは あくまで服従する対象としてのボスや飼い主への忠誠忠実さを発揮している状態こそが情動的安定を得ているのであって ナチス政権下のアウシュビッツ ビルケナウ ユダヤ人絶滅収容所で大量殺害計画書を作成したアドルフ:アイヒマンも自己の体制に対する忠誠忠実さを主張していた

アイヒマンは別に権力が欲しかったのではなく あくまでナチス政権下における評価や報酬が欲しかったに過ぎない

 

他人からの評価や報酬が優先すれば 自律的責任判断はしなくて済む

日本大学田中英寿理事体制においても「組織は頭から腐る」などと称して判断責任を「頭」の所為にしておけば 自分の自律的責任判断選択を放棄正当化できると「思って」いるのである

東京電力福島第一原子力発電所においても社員達は「組織の体質が悪い」などと称して 組織を構成している個人には何の責任もないかのように言い張るのも これらは全て組織を構成する個人の自律的な社会的責任判断の欠落への「意識」が抜け落ちているからである

アイヒマンもまた 時代やナチス体制こそに原因があって 当人には何の責任もないかのような言い逃ればかりを繰り返していた

生物学や哲学においても その内容に論理的整合性や根拠が伴わないとしても 肩書としての手続き的権威の主張に対しては誰もが異論を唱えることはなく 荒唐無稽な非科学的デマや誤謬が平然と傍観放置され続けているのも メカニズムとしては同じである

ヒトの大半は自分の頭で真偽の検証などしないものである

ただ漫然と肩書としての権威や役職を持った責任者に服従しておいた方が 気分的には「楽」だからである

こうしたパターナリズム的な「楽」こそが あらゆる組織腐敗の根底にある

これは要するに「精神の怠慢」である

自分の頭で何も考えないバカは 必ずこう言い出す「だって 教わってないから」だの「権威が言っていることなら誰もが信じるものだ」と

これこそがバカがバカ足りうる所以である

 

自律的に責任を負わないバカというのは 組織にとってはとても便利であり 命令に対して忠誠忠実に服従するために バカげた戦争であろうと組織腐敗の温床となろうと「自分には責任がない」と 主観的に「思って」いるのである

軍隊というのは こうしたヒトの先天的無責任性を応用した集団組織であり 過酷な訓練をすることによって上官に対する盲目的服従性を醸成し 上官という権威に逆らうことへの恐怖心を植え付けることで バカげた戦争であっても唯々諾々と行えるようになるのである

イヌは訓練次第では盲導犬や介助犬 救助などにも便利に使うことができるが 訓練を間違えてしまえば服従対象を見失い 飼い主の手を噛んだり 誰彼構わず吠えかかったりするようにもなる

そもそもイヌは 野犬で群れを形成して統率的に狩りを行う先天的習性があり ヒトが介在しなければ凶暴な野獣でしかない

当然ながら群れ同士では環境資源の奪い合い競争も起こり 断じて「平和的」なものではない

更には メスが出産する場合には 生まれた子供が群れのオスから攻撃されることを避けるために 出産直前に妊娠したメスは群れから離れて出産し 強制的に何頭もの子供をワンオペ育児しなければならない

群れから離れれば当然天敵から子供が狙われるにも関わらず 群れの中にいる危険を避けるためには他に選択肢がないのである

イヌなどにも見られる先天的本能としての社会形成習性というものは 狩りなどにおいては有効に働くものではあるものの 断じて万能な「人間としての社会性」として機能するようなものではない

実際にナチス政権やプーチン政権 日本大学田中英寿理事体制や東京電力福島第一原子力発電所における組織腐敗というものは 先天的本能としての「社会形成習性」によって形成されるものであり そこに「人間としての社会性」が働く機能など一切ない

そこにあるのはただ「組織の利益追求」だけであり その利益追求にも合理性はなく ただトップの個人的欲望を満たすためだけに働くものであり 大抵の場合腐敗した組織は暴走的に破綻への道を突き進むものである

ヒトに なぜそのような本能習性が組み込まれているのかと言えば それは社会形成習性に限らず あらゆる本能習性の全ては祖先の生息環境において生存や繁殖において有利に働いた「結果」に過ぎない

遺伝的進化というものには目的や合理性が伴うものではなく あくまで「拡がりやすい遺伝子が拡がった」という「結果」以上の何も存在していないのである

「死んでいないから生物」なのであって 生物やその遺伝的進化に目的や合理性が伴う論理客観的証拠や根拠は誰も立証できないのである

どんなに大量の「結果」的事実を陳列枚挙しても それが合理性のある「目的」であることの論証にはならない

それは どんなに大量の生活習慣病患者を挙げても 「ヒトは生活習慣病になることが目的である」ことの論拠にならないのと同じことである

 

組織腐敗においては 責任者やトップは「少数派」であり 組織腐敗を傍観放置した無責任な個人の方が「多数派」であるため 多数派である傍観者を短絡的に「正常」だと勘違いすることによって 責任者やトップだけに全ての責任を丸投げしておけば個人の判断責任から逃れることができると「思って」いるのである

「思って」いるのは主観であり 感覚であり 錯覚が混入する可能性を否定できない

どんなに強く「思って」も それは論理客観的根拠を伴った「考え」ではなければ「真理」でもない

科学や哲学は 「なぜ」を論理客観的に追求することによって より高次の真実を導き出すことが可能となったのであって 客観的探究心を失わせる最大の原因は「主体性の欠落」である

自律的な社会的責任判断もまた主体性の中にあるものであり 主観的感覚そのものを客観的に分析するのもまた主体的な「考え(理性)」によるものである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」をバカな「哲学者」共や衆愚マスコミが鵜呑みにしたがるのは 主体的な「考え(理性)」を放棄するのに都合の良い屁理屈だからであり 実証不能の謎の「叡智界」さえ信じておけば主観的な安心満足によって自律的な責任判断選択をしなくても赦されると「思える」からである

 

犯罪者の大半はバカである 身勝手な主観的観念が優先し 論理客観的合理性など一切考えることなく目先の欲望を叶えるためだけに犯罪に手を染める

だが こうした頭の悪さというものは一般大衆が抱く「刑法判決で解決」という観念に囚われている頭の悪さと同根である

刑法判決というものに「尊厳」などというものをこじつけておけば 再発防止のための徹底した原因究明や再発防止は後回しにできるものであると 多くのヒトは倒錯している

通り魔やテロリストが暴力によって何かが解決すると倒錯しているのは 一般大衆が「刑罰で解決」だという倒錯に基づいたものであり どちらも結局は何の解決にもならない合理性を欠いた実証不能の観念に過ぎない

犯罪者というのは基本的にバカなので 頭の悪さを「治療」しないことには治ることはなく 何年刑務所に入れておいても再犯する奴は再犯するのである

犯罪者という「重大なバカ」がどういうものなのかについての徹底した知見を得ることができれば 「重大なバカ」の影に潜む無数の「一般大衆の頭の悪さ」についても教訓知見となり あらゆる「人災」の根源的原因から撲滅することも可能となるのである

本当に安全で公平な社会を求めるのであれば 単に独裁者を非難するのではなく 腐敗した独裁体制組織が作り出されるプロセス過程やメカニズム構造を論理客観的に知る必要がある

それは学力偏差値や学歴肩書なんぞよりも重要な「人間としての知能」でもある

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車用プロジェクター式ライト

2023年01月03日 00時04分51秒 | 日記

20Ωのカーボン皮膜抵抗を 並列で12個11個使うとおよそ1.8Ωになり

計算上は1Aになる

(12個だと1.6Ωだった)

電源はニッケル水素充電池4本なので フル充電で5V以上だが 徐々に電圧が下がってゆくので電流値も低下してゆく(らしい 手持ちのテスターが300mAまでしか測れないので 実際の明るさから推測しているだけだが)

LEDはCREEの5WタイプパワーLEDなので 1.8Wなら充分に余裕があるはず

知らんけど(実際にある程度使ってみないとわからない)

プロジェクター形式として 透明UVレジンで直径22mmの半球レンズで集光

で 極寒の荒川河川敷で使ってみた

 

ISO3200 35mm F2開放 1/50秒

京浜東北の鉄橋橋脚に向けてみた 距離は10mくらいかな

垂直の壁に向けると結構明るいのだが

 

水平方向の路面だと 新荒川大橋の下で橋の街灯が河川敷の道路にも届いている明るさと同じくらいの明るさに見える

路面はそんなに明るくは見えないが 歩行者を見落とすことはほとんどない

照射範囲は10m先で横幅4mくらい 1車線程度なので ふらつかなければ対向車には防眩になっているのではないか

知らんけど

岩渕水門(青門)の橋部分 青い柵は非常に明るく見えた

角度によってかなり違う

っていうか ここ街灯点いてないじゃん 壊れてんのかしら

 * * *

発熱するカーボン抵抗でグリップヒーターもこさえたんだが 無風の室温17℃だと結構熱くなるものの 気温4.5℃の屋外だと温かいとは感じない でもヒーターのない左手は死にそうになるが ヒーターのある右手は死にそうにはならない

冬の夜中では両手に欲しい

 

発熱するのはカーボン抵抗なんだけど リード線や圧着端子やネジ留めしている電線まで熱が伝わるので 全体を保温しないと屋外ではヒーターとして機能しない

なので 使い終わって乾いちゃた除菌シートを重ねて袋状にしてホチキスで留めて

アルミ蒸着フィルムでくるんで保温

ここに手袋をした指先を入れておくと極寒でも指先が死なずに済む

素手でサイズ決めたもんだから 小指が保温材の中に入らない

手袋をした状態でサイズ決めないといけなかった

ポリエチレンの不織布は風通しが良いもんだから 風が通らないフィルムなどで包まないと全然保温にならない

高密度スポンジ的なものの方が保温には向いているかもしれない

隙間がちょっとでも空くと急激に冷えてしまう

恐るべし 冬の荒川河川敷

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

踏む力

2023年01月02日 10時44分46秒 | 日記

アクセルペダルって高速の合流とか急坂でベタ踏みすることはあるんだけど

踏み間違いで力いっぱい踏むのとは明らかに違うはずなので

アクセルペダルを一定以上の力で踏んだらイグニッションが切れるようにしたら踏み間違い重大事故は減るのではないか

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和に必要な真実

2023年01月01日 16時38分40秒 | 意識論関連

本質的な人間としての意識の有無とは 単なる結果的事実に対する傍観か 目的意識に基づく論理客観的真理の追求かの違いである

ただ結果的事実を陳列するだけでは何の役にも立たず 何一つ科学的論証にもならない

例えば 長谷川眞理子は日本において犯罪が減っていることに対して 「これから犯罪が減るのかどうか 楽しみだわ」などと言っていたが 犯罪がどういう理由や仕組みによって減ったのかについては何一つ科学的根拠を示しておらず これはただの傍観であって論理客観性ではない

理由もわからず 結果的に犯罪が減ればラッキーではあるものの 理由根拠がわからなければ何の応用性もなく 本当に減り続けるのかどうかも何の保証もないのであり 「楽しみ」にすべきことではない

養老孟司は「ヒトとは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた」という結果的事実に対し 「ヒトとはそういうものである」などと勝手に決めつけただけで 具体的になぜヒトが実証不能の観念を振り回してしまうのかについての論理客観的な知見は何一つ提示しておらず 当然ながら何の応用性もないのだが 衆愚マスコミはこうした話で何かを理解したかのように勝手に錯覚し 満足安心して養老を信用するようにもなる

養老は死体を担ぎ出して「実証だ」などと言っていたが それは死体という結果を持ってきただけの「犬のお使い」にしかならず 死体から目的意識に基づいた意味のある証拠や根拠を導き出して初めて科学的実証と言うことができるのである

与えられた仕事業務をただ漫然とこなしているだけならイヌでもサルでも訓練次第で可能だが 人間としての目的意識に基づいて問題解決を「考え」なければ何も「立証」したことにはならないのである

それでも養老に人気があるのは むしろ積極的に結果だけを鵜呑みにし 養老の論説は物事を論理客観的に考えないように促してくるからこその人気である これはフリードリヒ:ニーチェの勝手な決めつけに多数の衆愚やエセ「哲学者」共が満足したり 人気を集めることが可能だからである

ところが 一方スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験のように 科学的に「ヒトは盲目的に権威の命令に従ってしまう習性がある」ことを立証した知見に対しては無視しようとし 何の根拠も示さず「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと決めつけたり 「自分だけは絶対に間違えることはない」などと慢心し まるで他人事のように傍観し 意識から外し 「なかったこと」にすることで満足しようとする

 

太平洋戦争の時の日本人の多くが戦争に反対しないばかりか むしろ戦争を美化推奨する方向へと傾倒したことや ナチス政権下のドイツ人の多くがユダヤ人迫害や侵略戦争を正当化したり傍観放置したのであるが

それらはまるで政権指導者達だけに責任をなすりつけておけば 政権に全く反対しなかった大多数の大衆には何の責任もなかったかのように責任逃れをすることによって 多数の大衆は自分達を正当化出来ていると倒錯しているのである

これは現在のロシア プーチン政権においても同じように大多数の国民が戦争に加担賛成するか 他人事として傍観放置するのと同じ状況である

NHKの戦争時代を扱ったドラマでは まるで国民のほとんどが軍事政権の被害者であるかのような描かれ方しかしていないが 実際には戦争に賛成し 政府を批判するような記事を書いた新聞社が国民によってボイコットされることすらあった

ドイツのナチス政権もまた民主的に選ばれた政権であり 一応形式的にはプーチン政権もまた民主的選挙によって選ばれたものでもある

 

日本大学田中英寿理事体制に対し 日本大学の職員は「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任をなすりつけ 組織腐敗を傍観放置した事実をまるで「なかったこと」のようにはぐらかしているのも同じことである

東京電力福島第一原子力発電所事故においても 「組織の体質が悪かった」などと称し 組織を構成していた個人には何の責任もなかったかのように言い逃れをするのも同じことである

畑村洋太郎は国会原発事故調査委員会報告書において 最も根源的原因として「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」を挙げており 「組織の体質」を作り上げていたのもまた組織を構成する個人の責任でもあって 特定の取締役員だけを「悪者」として扱うことは むしろ組織を構成していた大多数の個人の責任逃れやはぐらかしにしかならないのである

ヒトが腐敗組織に対して批判しなくなるのは 数の論理によって批判者が「裏切り者」として排除差別されるからであり 批判を控える理由として「生き残るためには」という屁理屈をこじつけるのである

それは 学校や職場におけるイジメに対して批判すれば 批判者の方がイジメの標的にされることを「怖れ」ることによって 批判を控えて傍観放置者や「加害者」の方に回るのである

ヒトは権威などの「怖い」相手には逆らいたくはない

だが それはヒトという種の生物の習性としての「結果」であって 目的意識に基づいた合理性のある行動選択を阻害することはあっても 組織腐敗を解消自浄させる方向としては働かないのである

ヒトという種の生物は 先天的に権力や暴力を振りかざす「怖い相手」に同調迎合忖度服従し 組織腐敗を知っていても他人事のように傍観放置し 後になってから「組織は頭から腐る」だの「組織の体質が悪い」などと称し 組織を構成していた自分個人の判断責任を「なかったこと」にはぐらかすことができると「思って」いるのである

この倒錯こそが あらゆる組織腐敗の根源的原因である

特に軍隊というものは 上官に対する絶対的命令服従を旨とした組織であり 自律的な社会的責任判断選択など一切しない無責任さを持っているからこそ 文民統制が必要となるのであり

プーチンのように元KGBという「兵隊」が追求するのは世界全体の安全性や公平性ではなく 利己的国益追求や国民だけからの評価報酬だけである

それはかつて日本も巻き込まれた列強諸国による侵略植民政策の暴走も同じ原因であり 絶対権力であったはずの昭和天皇に対する下剋上によって勝ち目のない戦争へと突き進むことに至った

軍隊という組織には民主的決定は存在しておらず 自分の頭で物事を考え 責任ある行動選択を誰も求められることがないからこそ 戦争などというバカげた行為もさせることが可能となるのである

それらは全て「結果」的事実ではあっても 目的意識に基づいた再発防止のための科学や哲学の「真理」の論証にはならない

海上自衛隊でパワハラやイジメが起きるのも 陸上自衛隊で卑劣なセクハラが起こるのも 自衛隊という組織は法律上「軍隊ではない」だけであって その内部は軍隊のそれと全く同じものであり 上官に対する命令に対する絶対的服従を旨とする非民主的組織であるが故の結果でもある

誰も自分の頭で物事を論理客観的に「考え」 目的意識に基づいて行動選択をしなくても済む集団組織であるからこそ 糞しょうもない卑劣な行為も発生してしまうのである

それはもはや未成年学生レベルの幼稚な判断能力しか育っていないからである

こうした幼稚性というものは 別に自衛隊や軍隊に限ったことではなく むしろヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的習性であり

ヤクザだのゲリラだのテロリスト集団の形成においても働くものであり 軍隊というのはこうしたヒトの先天的習性を利用した為政者や無責任な衆愚にとって便利に使える いわば「生贄」であって 軍事力任せにしておけば自分達が守ってもらえる「安全保障」だと倒錯しているに過ぎない

スタンレー:ミルグラム著「服従の心理」においても ヒトの盲目的服従性に対して進化的有用性を正当化するような解釈もされており これは遺伝的進化万能論に基づいた非科学的見解である

遺伝的進化というものは あくまで「拡がりやすい遺伝子が拡がる」という結果に過ぎず それが結果的に生存や繁殖にとって適しているのは 生存や繁殖に適した遺伝子を持った個体種への収斂進化の結果であって 断じて「生物の目的は生存や繁殖」であることの科学的論証には全くならず

遺伝的進化というものは決して個体種にとって都合よく起きるものではないのである

糖の摂り過ぎによる生活習慣病が ヒトの祖先の生息環境によって収斂進化の結果的傾向性であり どんなに多くのヒトが生活習慣病に陥るという結果を陳列しても「ヒトは生活習慣病になることを目的としている」ことの科学的論証にはならない

結果的事実をいくら大量に陳列枚挙しても それが短絡的に合理性のある目的の論証にはならない

ヒトの大半は自分の頭で物事を論理客観的に検証(考え)判断せずに ただ既存の権威肩書に「怖れ」ることで盲目的に鵜呑みにするばかりで 何が真実なのかは誰も考えようともしないものである

山極寿一のように 「ヒトの大半は戦争をせず 平和を求めている」などという結果的事実だけを陳列しておけば 安心満足して衆愚人気を集めることは簡単である

しかし ヒトが武力暴力や国家権力による懲罰によって全てが解決したかのように倒錯するメカニズム構造や先天的習性を論理科学的に説明しても 自己に対する過信を喪失する恐怖心から「なかったこと」にして無視し 論理客観的根拠や統計的証拠も示さずに頭ごなしに否定し 忘れようとするのである

通り魔やテロリストを死刑にしておけば通り魔事件やテロ事件が起きなくなるわけでもないのと同様に 戦争犯罪者に懲罰を加えても全く戦争はなくなることはない

なぜなら 刑法懲罰によって根源的原因究明や それに伴う再発防止策が全く「見えて」いないからである

大衆マスコミは殊勝ぶって「先の戦争から学んで再発防止」などと主張しているが 「お涙頂戴」の悲惨な結果だけを陳列して被害者面ばかりをしていて 加害者側に無意識に加担していた客観的事実を忘れていて再発防止もヘッタクレもあったものではない

「遺伝的進化というものに目的が存在しているはずだ」という錯覚は ヒトという種の生物が遺伝的進化によって先天的人間性が組み込まれているはずだという希望的願望に基づいたデマに過ぎず フランシス:ゴルトンの優生学は進化生物学における間違った「常識」に基づいた妄想であり これを認識理解しようとしないNHK教育番組制作者達はデクノボウの集団としか言いようがない

未だに生物学者の多くは「○○のために進化を選んだ」などという説明解釈を続けているが その一方では「進化は選べない」とも言っているのであり この論理矛盾を傍観放置している頭の悪さを大多数の衆愚マスコミは全く自覚していない

 

ロシア軍による虐殺や拷問をどんなに立証して戦争犯罪者として懲罰で裁いても それは「戦争が起きる原因」の解明にも再発防止にもつながらない

「悪者探し」で懲罰報復すれば 気分的には満足することができることはわかっている ヒトとはそういうものであるが それはあくまで「結果」的事実でしかない

どんなに残虐な「犯人」に どんなに苛烈な罰を与えても 原因究明にも再発防止にもならないことに誰も気づかない頭の悪さがヒトには普遍的に存在しているのである

衆愚マスコミの大半は 懲罰的報復こそが尊厳だの正義だと倒錯しているが 倒錯を倒錯として理解認識できない頭の悪さを自覚しないことには戦争や犯罪も含めたあらゆる「人災」の再発防止にはつながらないのである

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする