安上がりなところも「極上」と自負しています。植物を
愛で、自給自足のフラワーアレンジ、そして何かを作る、描くなどです。
極上のひとり遊び
スピリチュアル園芸生活(1)
いつも植物と向き合ってガーデニングを楽しんでいられる方には
理解して頂きやすいのではないかと思うのですが、
美しいお花を観ると人は何故感動したり、癒されたりするのか?
この疑問が、私の中でスピリチュアルと園芸を
結びつけたきっかけのひとつででした。
精神世界→スピリチュアル→スピリチュアリズムと深めていって、
同時に子育てや長い介護生活を経てた中でスピリチュアルと園芸は、
私の中で自然とひとつに繋がってゆきました。
「スピリチュアル」という言葉は、占いやおまじないの
仲間のように思われがちですが、本当は
「スピリチュアリズム」という世界と最も深い関わりがあります。
そして「スピリチュアリズム」は、人は肉体を纏ったたましいの
存在であるということを踏まえた、長い歴史ある人生の哲学で、
宗教とは全く関係ありません。
そのことは、また後ほど詳しく書きたいと思っています。
そのたましいという存在は、実は神様の一部で、
私たちは皆誰もがそれぞれ、神様を宿しているということになります。
それは別の言い方で「良心」とも言い、
人が完全な悪人になりきれないのはそのためです。
しかし、私たちの中の神様はまだ未熟で低級といえますから、
少しでも高級な神様に近づくためこの世に修行に来ています。
また神様は「美」そのものでもあります。
自然界の中には、人間の手では作り出せないような
美しいものや生命がたくさんあります。
たとえば、美しい風景から雪の結晶のような小さなものまで、
そして植物も.................。
それらの美しさに感動したり、癒されたりするのは、
私たちの中に神様がいる証なのです。
何故かというと神様の創られた「美」と私たちの中の神様が共鳴して、
感動したり癒されたりするのです。
ですから美しいものに触れることは、たましいの癒しといえます。
日々の生活の中で植物を育てて、花を愛でることは
自分の中の神様を常に意識できることです。
神様の視点を持つことができます。
(だからといって偉そうにしたり、傲慢になったりするのは
大きな間違いで、高級な神様はとても謙虚です。)
それを知ったときから、私は人生の様々な苦難や苦労を以前より
ずっと楽に乗り越えられ、生きること自体が楽になったと言えます。
例えば、約20年の長い介護生活は、
両親と叔母の3人をたったひとりで看ました。
今から20年以上前ですが、介護が始まった頃は子育て仕事とが
重なって、昨今話題になっているダブルケアの時代もありました。
そんな中、ガーデニングの仕事をしていたこともありますが、
どれだけスピリチュアリズムの視点と植物の美しさに救われたことか。
そのことをこれから、少しずつ書いてゆきたいと思っています。
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