コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

本田家住宅薬医門~東京都国立市谷保

2011-12-01 08:58:01 | 長屋門など

2011年11月29日 東京都

本田家住宅薬医門

東京都国立市谷保

幕末期を下らない江戸後期に建てられたもの。もとは主屋正面に建っていましたが、甲州街道拡幅に伴い、昭和5年に現在建つ敷地南東隅に移築されました。桁行2.5m梁間1.8mで、いわゆる一間薬医門、切妻造銅板葺です。西側に長さ0.8mの袖塀を附属し、西側の袖塀に潜り戸を開きます。軸部は五平の本柱に冠木を架け渡し、梁を受けます。屋敷の門構えとして、武家屋敷に匹敵する格式をもつもので、旧家の表門にふさわしい大型の薬医門で、江戸時代における名主階層の屋敷構成をみる上で非常に重要な遺構です。国立市ホームページより

 

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本田家住宅薬医門(東京都国立市谷保)~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 08:58:00 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 2回目

本田家住宅薬医門

東京都国立市谷保

幕末期を下らない江戸後期に建てられたもの。もとは主屋正面に建っていましたが、甲州街道拡幅に伴い、昭和5年に現在建つ敷地南東隅に移築されました。桁行2.5m梁間1.8mで、いわゆる一間薬医門、切妻造銅板葺です。西側に長さ0.8mの袖塀を附属し、西側の袖塀に潜り戸を開きます。軸部は五平の本柱に冠木を架け渡し、梁を受けます。屋敷の門構えとして、武家屋敷に匹敵する格式をもつもので、旧家の表門にふさわしい大型の薬医門で、江戸時代における名主階層の屋敷構成をみる上で非常に重要な遺構です。国立市ホームページより

 

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熊野神社古墳(東京都府中市西府町)~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 07:41:53 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク>甲州街道>国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 甲州街道 2回目

熊野神社古墳

東京都府中市西府町

国史跡武蔵府中熊野神社古墳は、国内最大・最古の上円下方墳じょうえんかほうふんで、1段目が約32メートルの方形ほうけい、2段目が約24メートルの方形ほうけい、3段目が直径約16メートルの円形を呈する3段築成の古墳です。高さは復元高で約6メートルを測ります。 平成15年の調査により上円下方墳じょうえんかほうふんと確認し、平成17年7月14日に国の史跡に指定されました。省略・・墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石が葺かれ、1段目の外周に切石(きりいし)が並べられていました。墳丘の中心部に、3室から成る複室構造の切石(きりいし)積横穴式石室(づみよこあなしきせきしつ)があり、石室下には掘り込み地業(ちぎょう)が行われています。石室の切石(きりいし)は、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていました。府中市ホームページより

 

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常夜灯~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 07:40:59 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 2回目

常夜灯

 

 

甲州街道は往古水田地帯を通過していた。その古街道が廃され現在の街道と家並が出来たのは17世紀中ば、慶安から寛文の頃であった。しかし台地は水に乏しく人々は度重なる火災に苦しんだと云う。ついに本宿村では「講」を作り遠江の秋葉神社で「火伏せ」の祈祷をなし、寛政4年、1792、この地に常夜灯を設けた。村内に「番帖」講中の氏名を列記した木板をを廻わし毎夕刻受領者は必ずこの灯篭に火を点して無事を祈り隣へと引きついた。雨來一世紀半に亘り村人の祈りは続けられたが大平洋戦争末期灯火管制が強化されて廃止となった。このたび都道新設等により旧地隣接の場所に移転したものである。平成二年二月

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棒屋の坂~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 06:51:13 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク>甲州街道>国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 甲州街道 2回目

棒屋の坂

棒屋の坂  (ぼうやのさか)
坂名の由来は,坂を下りきった所の家が通称「棒屋」と呼ばれたためといわれています。この道は,徳川家康が江戸幕府を開いてから開設された甲州街道です。江戸幕府にとっては軍事的・経済的に重要な街道でしたが,府中にとっても一宿場として往古の繁栄をとりもどす役割を果たした道です。この街道が開設される以前のお香集方面への道は,もっと南よりの狭いハケ道で,今でも所どころに残っており,往時の面影を伝えています。
昭和六十年三月府中市

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札の辻と問屋場跡~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 06:43:22 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 2回目

札の辻と問屋場跡

 

甲州街道(道中)と鎌倉街道が鍵の手に交わるところに高札場があったころから、この界隈を「札の辻」「鍵屋の辻」と呼び親しまれていた。
安政6年(1859)府中宿本町に大火があり、それを機に萬延2年(1861)中久本店の店蔵を防火建築物として再建。
隣地は問屋場<江戸時代の宿駅・人馬・駕籠などの継ぎ替え所>であったため、大道芸人の辻芸を楽しむ人々等で賑わい、武蔵府中の中心として栄えた。

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府中高札場(東京都府中市宮西町)~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 05:31:49 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 2回目

府中高札場

東京都府中市宮西町

旧甲州街道と府中街道の交差点にあり、都の旧跡に指定されています。高札場(こうさつば)は江戸時代、掟書、法度、犯罪人の罪状などを一般庶民に知らせるために設けられた公共掲示板で、御高札または札の辻と呼ばれ、交通の要路など人目につきやすい所に建てられたものです。府中に現在あるものは、大きさの点からも非常に珍らしいものです。この高札場(こうさつば)に隣り合って、大国魂神社の例大祭のとき、八基の神輿が渡御するお旅所があります。府中市ホームページより

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大國魂神社(東京都府中市宮町)~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 05:31:45 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク>甲州街道>国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 甲州街道 2回目

大國魂神社

東京都府中市宮町

大國魂神社は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国の守り神としてお祀りした神社です。この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、俗に福神、又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。大國魂神社ホームページより

 武蔵国府跡の碑

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西光寺と近藤勇の像(東京都調布市上石原)~旧甲州街道を歩く(2回目)

2011-12-01 05:31:44 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク>甲州街道>国領駅~八王子駅 
2011年11月29日 甲州街道 2回目

西光寺と近藤勇の像

東京都調布市上石原

この門は、市内に残る唯一の仁王門で、年代も十八世紀初頭と特定できる貴重な建物である。正面両脇間に仁王像を安置し、また楼上に銅鐘を釣るので、仁王門でもあり鐘楼門ともいう。 寺の記録によると、西光寺中興の大僧都弁雄が宝永年間(一七〇四~一〇)に建てたと記されており、釣鐘にも弁雄の名前が銘記されているので、この時の再建であることが明らかである。平成十二年十二月一日建之 調布市教育委員会

 

 

近藤勇は天保五年(一八三四年)武蔵国多摩郡上石原村(現調布市野水一-六)宮川久次郎の三男として生まれ、幼名勝五郎、幼い頃より武芸に親しみ、嘉永元年天然理心流近藤周助に入門、翌二年近藤家の養子となり、文久元年天然理心流宗家四代目を襲名、府中六所宮で襲名披露の野試合を行った。文久三年、幕府が組織した浪士隊に応募、将軍上洛の警護のため京都に行き会津藩お預かり新選組を結成、局長として洛中の治安の維持にあたる。中でも元治元年六月浪士達が画策した京都の大惨事を未然に防いだ功績で、幕府と朝廷から恩賞を受けた池田屋事件での活躍はあまりにも有名である。 然しながら世情の移り変わり激しく、慶応三年将軍徳川慶喜は大政を奉還し、翌四年の鳥羽伏見の戦いに破れたので、傷心のうちに幕艦富士山丸で江戸に帰った。 その年三月、近藤勇は将軍慶喜から許された大名格(若年寄格)として大久保剛と改名、甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を甲府に向けて出陣した。途中思い出多い故郷上石原では、長棒引戸の駕籠を降り小姓を従えて、遙か氏神様の上石原若宮八幡宮に向かって戦勝を祈願して西光寺境内で休息、門前の名主中村勘六家で歓待をうけた後、多くの村人に見送られながら出立し村境まで歩いた。天下に知られた英雄がふるさとへ錦を飾ることはできたが、戦況利あらず勝沼の柏尾山の戦ぃに敗れ慶応四年四月下総流山(千葉県流山市)で大久保大和として西軍に出頭、同月十五日江戸板橋で刑死、時に僅か三十五歳波瀾万丈の生涯をとじた。会津藩主、松平宮保は【貫天院殿純忠誠義大居士】の法号を
贈りその功績を称えている。
 調布市『近藤勇と新選組の会』は、没後百三十年を記念し、近藤勇座像建立委員会を設け、近藤勇に関わる史実と史跡を末永く伝えるとともに、調布市の観光事業の一助になることを願い甲陽鎮撫隊所縁の地西光寺に座像を建立することとした。奇しくも、人々の安全を守りながら甲陽鎮撫隊をも見送った常夜灯、公武合体を勝ち取るため一身を捧げた近藤勇像、西郷隆盛らが明治政府に反旗をひるがえした西南戦争に従軍した地元出身の人々の招魂碑がここに集設されたことは、改めて歴史の流れを伝えるものとして意義深い。
平成十三年十月八日
近藤勇座像建立委員会代表 土方貢 発起人一同

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