コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

笹子峠の説明版~旧甲州街道を歩く(5回目)

2011-12-25 15:25:20 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目

 笹子峠の説明版

笹子峠

徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)を開通させました。笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。

甲州峠唄
作詞 金田一春彦
作曲 西岡 文朗

あれに白いは  コブシの花か   峠三里は  春がすみ
うしろ見返りゃ  今来た道は   林の中を  見え隠れ
高くさえずる   妻恋雲雀    おれも歌おうか あの歌を
ここは何処だと  馬子衆に問えば ここは甲州  笹子道


この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。 佐藤 達明 文

▲作詞は金田一春彦なんだね

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笹子随道~旧甲州街道を歩く(5回目)

2011-12-25 15:11:29 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目

笹子随道

1936年(昭和11年)に着工、1938年(昭和13年)に開通した甲州街道のトンネルで 、全長 239メートル、幅3.0メートル、高さ3.3メートル。笹子峠(標高 1,096メートル)の直下を通っている。

笹子隧道について

四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠です。この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで国庫補助を入れて二八万六千七百円の工費を投入し、昭和十三年三月に完成しました。抗門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります。昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨、遠くは長野辺りから東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。南大菩薩嶺を越える大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、距離十数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多いためまさしく難所で、遥か東の東京はまだまだ遠い都だったでしょう。昭和前期の大役を終え静寂の中にあるこの隧道は,平成十一年、登録有形文化財に指定されました。 大月土木事務所
  

 

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矢立の杉(山梨県大月市笹子町黒野田)~旧甲州街道を歩く(5回目)

2011-12-25 14:59:45 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目

矢立の杉

山梨県大月市笹子町黒野田

かつて、武田の兵士が出陣の際に、この杉に矢を射立てて富士浅間神社を祀り、戦勝を祈願したと言われ、甲斐国志や甲斐叢記などの古書に記されたり、二代広重などの絵にも描かれており、県の天然記念物に指定されている。

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