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甲府城跡2011(舞鶴城公園)100名城 ~山梨県甲府市丸の内

2012-01-02 16:34:20 | 100名城

2011年12月30日 山梨県 

甲府城跡2011(舞鶴城公園) 100名城  

山梨県甲府市丸の内

甲府城は、古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。天正10年(1582)甲斐国は戦国大名・武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。また、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。甲府城は江戸時代の初めは、将軍家一門が城主となる特別な城でしたが、宝永元年(1704)時の城主・徳川綱豊が第5代将軍・徳川綱吉の養嗣子となり、江戸城西の丸へ移ると、この後に祖先が甲斐出身で側用人の柳沢吉保が城主となり、大名の城として最も整備され、城下町とともに大きく発展しました。しかし、吉保の子・吉里が大和郡山城主として転封された後は、甲斐国は幕府の直轄地となり、甲府城は甲府勤番の支配下におかれました。その間、享保年間の大火により、城の本丸御殿や銅門を焼失するなど、次第にその壮麗な姿は失われていきました。 以上甲府市ホームページより

 ▼  稲荷櫓 

   

▼ ヤマナシ

▼ 天守台の石垣

  

▼ 天守台への坂道

▼本丸櫓跡

 天守台(展望台)からの眺め

尖がった塔の奥に見える白い山並みが白根三山 中央やや右 甲斐駒

  

     ▲塔の奥が白根三山?

 

▲ 中央に甲斐駒ケ岳?

 ▼ 天守台からの稲荷櫓

  

 ▲ 銅門跡

▼  内松陰門

 

 

甲府城跡2015  

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