コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

寝覚の床(長野県木曽郡上松町)

2012-09-07 13:01:26 | 自然

2012年8月24日 長野県 

寝覚の床(上松町)

長野県木曽郡上松町

 寝覚の床は、巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれてできた自然の彫刻です。その壮大さは列車の車窓からも一望できます。古くは中山道を訪れた文人・歌人などの記録に残り、今では国の名勝史跡天然記念物として伝えられてきました。 現在の寝覚の床の姿は、水力発電のために木曽川の水位が下がったためにあらわれたものです。巨大な花崗岩の白と、川面のエメラルドグリーンが絶妙な色彩を醸し出しています。中央の大きな花崗岩の上には、浦島太郎が弁財天像を残したといわれている浦島堂が建ち、徒歩で辿ることができます。花崗岩の方状節理、岩盤に刻み込まれた歐穴は、国内でも学術的に貴重なものとして注目されています。中山道・木曽路に「木曽八景」として数えられる景勝地。その中でも一番の迫力で有名な寝覚の床は、多くの旅人が訪れています。 上松観光協会より

浦島堂

浦島太郎の位牌?

臨川寺

▲ 浦島太郎の釣竿・・・・・

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寝覚の床(上松町)~旧中山道を歩く(12回目)

2012-09-07 13:01:24 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>木曽福島駅~上松宿
2012年8月24日 12回目 

寝覚の床(上松町)

 寝覚の床は、巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれてできた自然の彫刻です。その壮大さは列車の車窓からも一望できます。古くは中山道を訪れた文人・歌人などの記録に残り、今では国の名勝史跡天然記念物として伝えられてきました。 現在の寝覚の床の姿は、水力発電のために木曽川の水位が下がったためにあらわれたものです。巨大な花崗岩の白と、川面のエメラルドグリーンが絶妙な色彩を醸し出しています。中央の大きな花崗岩の上には、浦島太郎が弁財天像を残したといわれている浦島堂が建ち、徒歩で辿ることができます。花崗岩の方状節理、岩盤に刻み込まれた歐穴は、国内でも学術的に貴重なものとして注目されています。中山道・木曽路に「木曽八景」として数えられる景勝地。その中でも一番の迫力で有名な寝覚の床は、多くの旅人が訪れています。 上松観光協会より

 

本文  cosmophantom


臨川寺(上松町)~旧中山道を歩く(12回目)

2012-09-07 13:01:24 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>木曽福島駅~上松宿
2012年8月24日 12回目 

 臨川寺(上松町)

長野県木曽郡上松町上松

国道19号のすぐ近く、寝覚の床を見下ろすように立つ臨済宗妙心寺派の寺。浦島太郎が変わり果てた自分の姿をなげいて旅立ってしまったが、後に残されていた弁財天の像を祭ったのが開基の由来という。境内には松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火の句碑、姿見の池などがあり、奥の降り口から寝覚の床への近道が通じている。るるぶ.com

浦島太郎の釣竿

 

本文  cosmophantom


本町一里塚跡(72里)~旧中山道を歩く(12回目)

2012-09-07 12:59:55 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>木曽福島駅~上松宿
2012年8月24日 12回目 

本町一里塚跡(72里)

 

江戸時代には、本町(枡形の街並み)の角を曲がり、中町に入った所の左右に二基の一里塚がありました(碑より三十メートル下方)。 一里塚は土を丸く山に盛って造られているので、南に向かって右側を下の山と呼び、左側を上の山と呼んでいました。この一里塚の位置は 京へ六十五里 江戸へ七十二里です。残念ながら現存しません。

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