2012年12月01日 岐阜県
旅籠大黒屋
岐阜県瑞浪市日吉町細久手
細久手宿(ほそくてしゅく)は、海抜420メートルの山中に発達した、江戸から48番目の宿場で、東北から南西方向に緩い下り坂が一筋に延び、その長さは400メートル余り(3町45間)。慶長15年(1610)に設置され、江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。 その1軒が、『尾州家定本陣大黒屋』であった。
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。
大黒屋の特徴は、軒廂付切妻造の2階建で、両端に本卯建を上げ、2階が1階に比して目立って低いことは、家の古さを示し、宿場時代の遺構とみられていたが、近年奥座敷前の緑東に「安政6年(1859)12月6日清七 米9合」の墨書銘が発見され、安政5年(1858)の大火類焼直後に再建された家であることが確証された。 旅籠屋で年代の判明した唯一の例として貴重であるとのこと。
cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>大井宿(恵那駅)~御嵩宿(駅)
2012年12月01日 16回目
旅籠大黒屋
岐阜県瑞浪市日吉町細久手
細久手宿(ほそくてしゅく)は、海抜420メートルの山中に発達した、江戸から48番目の宿場で、東北から南西方向に緩い下り坂が一筋に延び、その長さは400メートル余り(3町45間)。慶長15年(1610)に設置され、江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。 その1軒が、『尾州家定本陣大黒屋』であった。
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。
大黒屋の特徴は、軒廂付切妻造の2階建で、両端に本卯建を上げ、2階が1階に比して目立って低いことは、家の古さを示し、宿場時代の遺構とみられていたが、近年奥座敷前の緑東に「安政6年(1859)12月6日清七 米9合」の墨書銘が発見され、安政5年(1858)の大火類焼直後に再建された家であることが確証された。 旅籠屋で年代の判明した唯一の例として貴重であるとのこと。
本文 cosmophantom