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入来麓(重要伝統的建造物群保存地区)~鹿児島県薩摩川内市入来町

2018-06-09 05:46:30 | 重要伝統的建造物群保存地区

2017年12月24日 【一人でゆく九州2017】 鹿児島県

入来麓 重要伝統的建造物群保存地区

鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名麓

薩摩藩の領地には21の私有地があり、その領主は本宅を「お屋敷」と称して鹿児島城下に置かされ、本領地の領主館は「仮屋」と呼ぶように定められた。入来の仮屋は、鶴丸城を模して造られ、旧大手門前の濠や広馬場、下門口が旧観を留めている。また、この武家屋敷は薩摩藩が置いた「麓」と呼ばれる外城の一つで、川原石の玉石で石垣を積み門口には茅葺や瓦葺の武家門を建て、薩摩藩の外城特有の屋敷構えになっている

▼漆喰壁土蔵 薩摩川内市指定文化財

江戸時代に建造と推測されている。 

 

  

 ▼茅葺門(庶流入来院家)

この茅葺門は鎌倉時代の武家門の型式を現代まで守ってきたもの。

     

▼疱瘡踊りのモニュメント

入来町の疱瘡踊は,疱瘡(天然痘)が流行したときに,ひどくならないように祈願するため,麓上,下集落を単位とした女性のみで,不定期に踊られてきた神事的な芸能です。疱瘡の神を討ち払うのではなく,神様を迎えて踊りで歓待し,神様の機嫌を取って速やかに他所へお越しを願う踊りです。

※そういえば、疱瘡神社がどこかにあったな~

▼麓下の三十三観音塔 薩摩川内市指定文化財

三十三観音は、観世音菩薩の衆生を救いたもう三十三様のお姿を具体化したもので、追善供養または予修供養(生前供養)に用いられた。この石塔は大永7年(1527)に入来院氏一族三十三名の予修供養としてこの地にあった古春庵という寺院の境内に造立されたもので、鹿児島県内にただ一基だけある貴重な文化財である。

  

▼赤城神社の六地蔵塔

 

 
▼旧増田家住宅 重要文化財

▲この堀は清色城に因んだものなのだろうか?

この石碑脇の階段を登ると清色城の遺構があるのかも?

 

階段の上は小学校でした。奥の山が清色城跡?

▼清色城跡

▲堀切

▲本丸跡

▲旧増田家住宅
   

 

2018-06-09 05:46:30

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