2014年12月29日 大阪府
大阪城 100名城
大阪府大阪市中央区大阪城1-1
※ 大阪城は生涯初の訪問。大阪城には多くの歴史があります。ここを訪れる目的は真田丸が今どうなっているか?JR環状線「大阪城公園」で下車し、徒歩で20分位?
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青屋門
青屋口は大阪城二の丸の北に位置する出入口で、青屋門はその枡形の内側に建つ。創建は徳川幕府よる大坂城再築工事が開始された元和6(1620)年頃と考えられ、明治維新の大火によって被災し、その後陸軍によって改築されたものの昭和20(1945)年の空襲で再び大破したが、昭和44(1969)年に大阪市が残材を用いて再建したのが現在の門である。外側はかっては水堀となっていて、橋が掛かっていた。この橋は押し出し引き入れ自在のいわゆる算盤橋で非常時以外は引き入れたままになっていた。青屋の名については、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられている。説明板より
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▲極楽橋
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山里口出枡形
本丸と山里丸とを結ぶ通路に設けられた枡形で、徳川幕府が行った大坂城再築工事によって築かれた。外敵に備えるための、石組みに囲まれた四角い区画を枡形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出していることから出枡形という。南には本丸に通じる姫門、東には山里に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。なお、西は埋門となっていて、隠し曲輪へと通じている。 説明板より
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金蔵 重要文化財
徳川幕府が大坂城本丸に設けた金庫で、幕府の金蔵としては現存唯一の遺構です。入口は三重の扉、窓には鉄格子がはめこまれるなど頑丈な作りですが、江戸時代にはここに忍び込んだ「御金蔵破り」もいました。明治維新の時には、幕臣の榎本武揚(えのもとたけあき)が新政府軍と戦うために金銀を運び出し、軍資金としました。 なにわまナビガイドより
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桜門枡形の巨石
▲蛸石:108t 36畳 とにかくbig
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桜門 重要文化財
桜門の高麗門については、明治20年(1887年)に日本陸軍大阪鎮台によって再建されたもの。
天守閣が見えるぞ
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大手門 重要文化財
改修工事中でした。残念
空堀
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千貫櫓と多聞櫓 重要文化財
千貫櫓:かつて大阪の地にあった本願寺を織田信長軍が攻めた時、本願寺のある隅櫓からの横矢に悩まされ、「銭千貫文出しても取りたい櫓だ。」と言わせたことから、後にこの櫓を人々が千貫櫓と呼ぶようになったと伝えられており、後世の櫓にも同じ名が引き継がれている。
多聞櫓:この櫓には、大門の頭上に「槍落し」の装置があるが、これは敵の侵入に備えて設置されたもので、大門から進入しようとする敵を頭上から槍などを落として防御するためのものであった。
左:千貫櫓と右:多聞櫓
▲千貫櫓
▲多聞櫓
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乾櫓 重要文化財
西の丸の西北(戌亥)(いぬい)隅を守る隅櫓。元和6年(1620)造営の平面L字型、総二階造り(一階と二階の床面積が同じ)の珍しい櫓で、千貫櫓とともに場内最古の建造物。昭和34年(1959)解体修理。
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西外堀
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京橋口と 京橋口枡形の巨石
内堀
▲極楽橋?
▲雁木坂
▲大阪市立博物館が見える
空堀
桜門 重要文化財
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一番櫓 重要文化財
一番櫓は2階建てで高さは14・3メートル。堀に面する東側と南側に窓が多く、玉造口から攻め入る敵を攻撃する役目があったとみられる。
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▲玉造口
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六番櫓 重要文化財
六番櫓は寛永5年(1628)造営で、徳川大阪城再築の末期にあたり、様式・手法などに初期の乾・千貫櫓とは違った特徴がみえる。
真田丸は分からず
2015-02-02 06:25:17
cosmophantom