2003年まで国道7号線だった秋田県道56号線を、秋田市中央部から南西部方向に進むと、茨島(ばらじま)と新屋(あらや)の間で長さ583.6メートルの「秋田大橋」を渡る。
※現地訪問・写真撮影は今年9月。逆光で見づらい写真があります。
茨島側の橋の手前「秋田大橋前」バス停付近
両岸側とも、秋田大橋の手前で道路が緩くカーブし、道路端には歩道のような植え込みのようなスペースが広く取られている。これは、秋田大橋が架け替えられた名残。
2009年に記事にしたように、秋田大橋は2001年に架け替えられた。先代の橋の下流側のすぐ隣に今の橋が架けられた。
そのため、先代の橋では両岸の道路と橋がほぼ一直線だったのが、架け替え後は、橋の部分だけ数十メートル下流側にはみ出てズレた配置になった。それで取り付け道路が動いたことに伴い、余ってしまったかつての道路跡が、広めの歩道や植え込みとして残っている。
上の写真では、左(上流側)に植え込みがあり、その左にさらに歩道のようなあまり意味のないスペースがある。かつてはこの辺りが道路ど真ん中であった。(植え込みは道路付け替え後にできたはず)
上の写真の反対側、橋のたもとから橋を背にして撮影
さて、その茨島側の植え込みの外の、意味を成さなくなった元道路部分。
左側のスペース
歩行者は進入できるが、先は土だし、右に並行した歩道があるし、あえて通る必要はない。
左の柵付近が元歩道。その右が元車道
かつては車道も歩道も狭かった。
【12日訂正・初回アップ時に別の画像を重複掲載していたので、正しい画像に差し替えます】
この部分は、道路沿いに建物がなく、柵が設置されていて、道路下に空間がある。つまり「橋」。
その下は、
道がくぐっている(見にくいけど柵の向こう)
現在は、歩行者・自転車道が下を通っている。脇道を介して県道の両側を結ぶ形だが、単に県道を横断する目的では、けっこう遠回りになるし近くに信号もあるし、使う必要はない。堤防伝いに船場町~茨島七丁目方面を行き来する時は、使っても悪くはない。夜は暗く、積雪時はどうなるか知らないけれど。
県道の下の道は元々、貨物列車用の線路だった。
羽越本線・羽後牛島駅から分岐し、県道(当時は国道)と秋田運河の間にある各工場へ至る、引き込み線。(場所的には、現在、世を騒がせている偽装肥料会社の工場の1つもそこにある。ルーツをさかのぼれば、この鉄道とも多少の関係はありそう)
僕は線路があった記憶はあるが、列車が走っているのを見たことはない。
1994年3月に鉄道が廃止され、おそらく何年かはそのままで、後にこの付近の一部分が舗装されて供用されている。
ということで、この「橋」は、かつては「跨線橋」、現在は「跨道橋」もしくは「オーバーパス」(歩道から見れば「アンダーパス」?)ということになる。
奥の信号の向こうが今の秋田大橋
上の写真のように、この橋の(雄物川の)上流側には、石でできた「親柱」があり、銘板が付いている。それを見ると、
「秋田小橋」「昭和十三年十月竣功」
そう、これは「秋田小橋」という名前で、1938年にできていた。
旧秋田大橋当時は、道路に向かって「秋田小橋」という大きめの案内標識が出ていたはず【末尾リンクの2001年の記事に写真あり】だから、名前はご記憶の方がいらっしゃると思うし、僕は知っていた。
だけど、できた年は初めて知った。
1934年に開通した秋田大橋の4年後にできたことになるが、これは線路が通ったのがその時ということではないだろうか。
一般的には、反対車線側の親柱に、ひらがなで橋の名前が書いてあるものだが、ここの場合、下流側に道路が広げられたため、親柱がなくなってしまった。(そちら側は柵があるだけ)
だから、正しい読み方は不明。「あきたこはし」「あきたしょうはし」?
【2023年7月29日補足・京都の渡月橋は、片側の岸は中洲(中ノ島公園)に架かっていて、その中州と反対側の岸との間には「渡月小橋」が架かっている。それは「とげつこばし」と読むとのこと。】
下の道を初めて通ってみた。
雄物川上流・かつての線路の羽後牛島駅方向から入る
昔は蒸気機関車やディーゼル機関車が走っていたであろう道を歩く。
親柱の下。右の石垣風の部分が歴史を感じさせる(大橋のほうもこんなのがあったっけ?)
中へ入ると、
途中で天井が低くなる
道路拡張で付け足された部分は極端に天井が低くなる。人が通れれればいいのだから、一般的な地下道の高さ。
下流側へ出て振り返る
秋田小橋の上では、県道のほか、並行して下へ下りる車が通れる細い道も通っていた。(ガードレール部分。県道はその上の柵)
600メートル近い「大橋」(先代は587.4メートル)の直前にあり、ひとまたぎで渡れてしまう「小橋」。かわいらしくて上手いネーミングだと思う。全国的にも「○○小橋」なんてそうそうないだろう。
今の状態では、「橋」であることを意識しながらここを通行するのは不可能に近く、「秋田小橋」の名は忘れ去られつつある。だけどいちおう、今も片方だけながら銘板は残る「橋」なのだから、以前のような道路から見える表示板を設置してもおもしろいのではないだろうか。
※架け替え工事当時はまだ国道だったので建設省~国交省が行った。現在は秋田県管理だけど、県にそんな気の利いたことはできないでしょうね。
【11日22時25分追記】秋田小橋は国道の下に穴を開けて線路を通したような構造(線路は切り通し状)。だから一般的な「橋」ではなく「アンダーパス」に近いのかもしれない。そのため、橋が落ちるなどの危険性は低く、老朽化もあまり問題ではなさそう。
※秋田小橋たもとの2023年の変化(リンク先後半)。
※付近の2001年の写真。
※現地訪問・写真撮影は今年9月。逆光で見づらい写真があります。
茨島側の橋の手前「秋田大橋前」バス停付近
両岸側とも、秋田大橋の手前で道路が緩くカーブし、道路端には歩道のような植え込みのようなスペースが広く取られている。これは、秋田大橋が架け替えられた名残。
2009年に記事にしたように、秋田大橋は2001年に架け替えられた。先代の橋の下流側のすぐ隣に今の橋が架けられた。
そのため、先代の橋では両岸の道路と橋がほぼ一直線だったのが、架け替え後は、橋の部分だけ数十メートル下流側にはみ出てズレた配置になった。それで取り付け道路が動いたことに伴い、余ってしまったかつての道路跡が、広めの歩道や植え込みとして残っている。
上の写真では、左(上流側)に植え込みがあり、その左にさらに歩道のようなあまり意味のないスペースがある。かつてはこの辺りが道路ど真ん中であった。(植え込みは道路付け替え後にできたはず)
上の写真の反対側、橋のたもとから橋を背にして撮影
さて、その茨島側の植え込みの外の、意味を成さなくなった元道路部分。
左側のスペース
歩行者は進入できるが、先は土だし、右に並行した歩道があるし、あえて通る必要はない。
左の柵付近が元歩道。その右が元車道
かつては車道も歩道も狭かった。
【12日訂正・初回アップ時に別の画像を重複掲載していたので、正しい画像に差し替えます】
この部分は、道路沿いに建物がなく、柵が設置されていて、道路下に空間がある。つまり「橋」。
その下は、
道がくぐっている(見にくいけど柵の向こう)
現在は、歩行者・自転車道が下を通っている。脇道を介して県道の両側を結ぶ形だが、単に県道を横断する目的では、けっこう遠回りになるし近くに信号もあるし、使う必要はない。堤防伝いに船場町~茨島七丁目方面を行き来する時は、使っても悪くはない。夜は暗く、積雪時はどうなるか知らないけれど。
県道の下の道は元々、貨物列車用の線路だった。
羽越本線・羽後牛島駅から分岐し、県道(当時は国道)と秋田運河の間にある各工場へ至る、引き込み線。(場所的には、現在、世を騒がせている偽装肥料会社の工場の1つもそこにある。ルーツをさかのぼれば、この鉄道とも多少の関係はありそう)
僕は線路があった記憶はあるが、列車が走っているのを見たことはない。
1994年3月に鉄道が廃止され、おそらく何年かはそのままで、後にこの付近の一部分が舗装されて供用されている。
ということで、この「橋」は、かつては「跨線橋」、現在は「跨道橋」もしくは「オーバーパス」(歩道から見れば「アンダーパス」?)ということになる。
奥の信号の向こうが今の秋田大橋
上の写真のように、この橋の(雄物川の)上流側には、石でできた「親柱」があり、銘板が付いている。それを見ると、
「秋田小橋」「昭和十三年十月竣功」
そう、これは「秋田小橋」という名前で、1938年にできていた。
旧秋田大橋当時は、道路に向かって「秋田小橋」という大きめの案内標識が出ていた
だけど、できた年は初めて知った。
1934年に開通した秋田大橋の4年後にできたことになるが、これは線路が通ったのがその時ということではないだろうか。
一般的には、反対車線側の親柱に、ひらがなで橋の名前が書いてあるものだが、ここの場合、下流側に道路が広げられたため、親柱がなくなってしまった。(そちら側は柵があるだけ)
だから、正しい読み方は不明。「あきたこはし」「あきたしょうはし」?
【2023年7月29日補足・京都の渡月橋は、片側の岸は中洲(中ノ島公園)に架かっていて、その中州と反対側の岸との間には「渡月小橋」が架かっている。それは「とげつこばし」と読むとのこと。】
下の道を初めて通ってみた。
雄物川上流・かつての線路の羽後牛島駅方向から入る
昔は蒸気機関車やディーゼル機関車が走っていたであろう道を歩く。
親柱の下。右の石垣風の部分が歴史を感じさせる(大橋のほうもこんなのがあったっけ?)
中へ入ると、
途中で天井が低くなる
道路拡張で付け足された部分は極端に天井が低くなる。人が通れれればいいのだから、一般的な地下道の高さ。
下流側へ出て振り返る
秋田小橋の上では、県道のほか、並行して下へ下りる車が通れる細い道も通っていた。(ガードレール部分。県道はその上の柵)
600メートル近い「大橋」(先代は587.4メートル)の直前にあり、ひとまたぎで渡れてしまう「小橋」。かわいらしくて上手いネーミングだと思う。全国的にも「○○小橋」なんてそうそうないだろう。
今の状態では、「橋」であることを意識しながらここを通行するのは不可能に近く、「秋田小橋」の名は忘れ去られつつある。だけどいちおう、今も片方だけながら銘板は残る「橋」なのだから、以前のような道路から見える表示板を設置してもおもしろいのではないだろうか。
※架け替え工事当時はまだ国道だったので建設省~国交省が行った。現在は秋田県管理だけど、県にそんな気の利いたことはできないでしょうね。
【11日22時25分追記】秋田小橋は国道の下に穴を開けて線路を通したような構造(線路は切り通し状)。だから一般的な「橋」ではなく「アンダーパス」に近いのかもしれない。そのため、橋が落ちるなどの危険性は低く、老朽化もあまり問題ではなさそう。
※秋田小橋たもとの2023年の変化(リンク先後半)。
※付近の2001年の写真。