広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

なくなったもの'24 秋田1

2025-02-01 23:04:22 | 秋田のいろいろ
2023年に続き、2024年に秋田市を中心とした秋田からなくなったものの記録。長いので2回に分けます。今回は6月までで、たまたま、すべて秋田市内。
※なくなった日付があいまいなものについては、実際には6月以前とするべきなのに、続きの後半に掲載してしまうかもしれません。

・日本料理店「三四郎」閉店 2024年3月31日
ふぐ料理で知られる。秋田市大町二丁目の旭川沿い、かつて幸橋(さいわい橋、現在は隣に大町公園橋)が接続していた、新秋田ビル(過去の記事)の地下1階に入っていた。
2025年1月時点でも看板は残る。「関西割烹 三四郎」表記も
3月27日の魁によれば、銀座の日本料理店「出井(いづい)」で修行した北秋田市出身の店主(78)と、秋田市出身の妻(76)が、1978年に開店。店主が柔道経験があり、柔道小説「姿三四郎」にちなんだ店名。客足の減少、高齢となり後継者がいないことから、閉店。

上の写真中ほどに、中が障子になったショーウィンドウが見える。今は撤去されたが、そこに掛け軸のようにメニューを掲げていた。まだ掲示されていた2024年5月のGoogleマップストリートビューによれば、右から順に、鶉(うずら)の飛龍頭(ひろうす)、すっぽん料理、三四郎角煮、ぞうすい、ふぐ料理、蟹甲羅揚、野菜会席、美味三昧。2020年以前は、項目は同じで、順番が違っていた。

広小路~名店街、川反という、かつての秋田市のにぎわいのまっただ中にあったことになる。何もなくなったここ十数年、よくぞここまで続けられたと思ってしまう。
大町公園橋から。広小路・旭川側にも看板が残る
新秋田ビルに、今も入居するテナントってあるのだろうか?

【4日追記・画像追加】冒頭の写真は、ビル北端(通町寄り)のドア。昔はここが幸橋とつながる通路だった(ドアがなかった?)。反対の南端(竿燈大通り寄り)にもドアがあって、そこに三四郎のネオンサインがあるのを発見。
フグの絵入り。屋内には行灯も
そういえば、光っていたのを見たような記憶があるようなないような。何色だったかは記憶にないけれど。Googleマップストリートビューを見ると、いちばん古い2012年10月の画像が、薄暗くなりかけた時間帯の撮影だったようで、点灯時の様子が奇跡的に記録されていた!
全部緑色
三四郎とは関係ないと思われるが、2012年にはドアのガラスに茶舗「辻吟」のロゴが出ている。2015年にはなくなっているが、昔はここにも店舗があったのだっけ? それと、2012年も現在も、ドアの左に「VIA大町」と表示があるのは何者?(以上追記)


・地方職員共済組合秋田県宿泊所「ルポールみずほ」閉館 2024年3月31日
秋田市山王四丁目、秋田県庁裏。宿泊16室、宴会場6、レストランがあり、県職員でなくても利用できた。

共済組合が1980年に「みずほ苑」としてオープン。1996年から県所有に(運営は組合秋田県支部)。2005年にリニューアルして「ルポールみずほ」に。
2023年7月の大雨で、地下の電気設備が故障し、復旧費が高額になることから、再開を断念。今後の活用は県が検討。

なお、19~’22で取り上げたように、山王五丁目にあった、同じく1980年にできた警察共済組合秋田県支部宿泊保養施設「ふきみ会館」は、2020年で営業を終え、解体された。


・「秋田予備校」生徒募集停止 2024年度から
秋田駅近く、中央通りから入った秋田市中通四丁目にある、秋田県内唯一の予備校。大学受験科と高校受験科がある。1954年設立。
2024年末
3月18日の魁によれば、大学受験科は「1990年代の最盛期は、年間約200人」、高校受験科は「1980年代後半のピーク時には(略)年間250人ほど」の在籍だったが、「大学受験科は2023年度、25人ほどの在籍」「高校受験科は2020年度に3人を受け入れたのを最後に休止」。
募集停止の理由として人口減少・少子化は直接挙げておらず、入試の多様化と受験科目減少のほか、「情報」科目など教員側の対応困難としている。
「閉校はせず、新たな教育関連の事業を模索する予定」。

21世紀に入ってからだと思うが、広面の城東十字路近くで、現役生向け(高校受験のみ?)専門の進学塾もやっていた。魁ではその言及はないが、そちらも閉鎖されている。
設立者は、後に国学館高校などを運営する、学校法人敬愛学園の理事長にも就いた(敬愛学園高校だったのが国学館高校に改称したのが1979年。その頃?)人。高校と予備校は、長らく別法人だった。2010年前後に、高校側の法人に予備校が吸収合併されたようだ。現在は、設立者の子息が理事長。

ところで、秋田予備校の裏というか横には、旧・社会保険庁の「あきた社会保険センター」という施設があった。いわゆるカルチャースクール・カルチャーセンター。
2009年の社会保険庁の廃止に伴い、学校法人敬愛学園へ移譲されて「あきた文化保健センター」として存続したが、2022年末で事業停止している。
敬愛学園としては、中通四丁目に、空いた建物や土地がまとまってできたことになる。
独特の毛筆文字のロゴ
広告などでは横書きされることが普通で、校舎のひさしも横書き。文字のセンターをそろえた配置。

30年前の我々の頃は、高卒後、大学に入るために浪人するとなると、自宅で自学自習(「宅浪」という言葉はすでにあったか?)するか、仙台や東京に出て大手予備校に通うか、それらでなければ秋田で予備校に通う=秋田予備校に入る、のどれかだった。3つの割合は知らない。
そして、今・2020年代ではそうでもないのだろうが、少し前まで、秋田県に限らず地方では、中卒後、高校へ入学するために浪人する人が、それなりにいた。秋田県では、併願先となる私立高校が少ないこともその一因だが、地方では公立高校志向が強いため。
秋田では、その受け皿が、秋田予備校だった。30年ちょっと前の我々の頃は、高校の中でも進学校に入るために浪人する人がほとんどだったはず。
ちょうど今、秋田魁新報で連載中の「シリーズ時代を語る・友川カズキ(肩書きはアーティスト)」の1月8日付第6回によれば、同氏も秋田予備校OB。
県立能代工業高校でバスケットボールをしたいと、八竜町(現・三種町)の中学校から受験するも不合格。予備校に通わせてほしいと父にお願いし、あっさり認めてもらい、秋田市土崎に下宿して通い、無事、翌1966年に能代工業高校建築科に入学した。「団塊の世代ですから、予備校には浪人生が結構いてね。教室はすごい熱気がありました。」と回想。
秋田市外から、そして進学校ではなく実業系高校に入るために、予備校で浪人する時代があったとは知らなかった。

2020年(?)まであった、高校入試の解答速報番組や、大昔にあった高校合格発表番組では(おそらく)、進学塾などとともに秋田予備校がスポンサーの1つであった。

そのテレビCM。近年はシンプルな内容だったはず。その少し前は「捲土重来」という語を使っていたか。さらに前(1990年代~2000年代とか???)は、とても印象深いCMだった。
うろ覚えだけど内容は、
立派な部屋の立派なデスク(の椅子)に年配の男性が座り、カメラに向かって語る。
それなりの長さだったはずだが、インパクトがあったのは、
「秋田予備校は、東京でも有名ですよ」(細かな言い回しはうろ覚え)。

他の人たちも印象に残っていたようだ。
2000年代、ブログ全盛期に「バトン」なる風習(?)があった。「○○に100の質問」みたいな、テーマに沿った質問リストを、各ブロガーが回答するというもの。
その1つに「秋田人チェック」があった。その中に「「東京でも有名ですよ」の秋田予備校のCMは半信半疑だ。」があった。
【4日補足】発言は「秋田予備校(の教育方針や実績)は、東京(の教育関係者の間)でも有名ですよ」というニュアンスだったかと推測する。だが、多くの視聴者には、その真意が伝わらなかった。

「東京でも有名ですよ」の発言者は、肩書きと氏名が字幕で出ていた。東京理科大学の先生で、長野 東という方。
小耳にはさんだ話では、数学が専門で、秋田予備校に特別講習だか講演だか、そんなので来ることがあったとのこと。
改めてネットで調べると、科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)に、「訃報 故 長野 東先生を偲んで(日本数学教育学会 名誉顧問 池田文男)」があった。
それによれば、長野氏は、2021年6月4日に93歳で亡くなっていた。
愛媛県生まれ。愛媛県や東京都の小学校、中学校、高校での算数数学の教員を経て、1987年に東京理科大学理学部専任講師となり、数学教育を担当。並行して、日本数学教育学会の活動に尽力。
科学研究費助成事業データベースによれば、1998年度時点(70歳頃)でも、東京理科大講師。


【3日項目追加】・JR東日本クロスステーション「イノベーション自販機」順次廃止 秋田駅は2024年5月


・「青山薬局 秋田駅トピコ店」閉店 2024年5月15日
秋田駅ビル・トピコ2階(クロネコヤマトの隣)にあった調剤薬局。平日と土曜午前に処方せん受付。
トピコホームページでは「全国でも珍しい駅ビルにある利便性のよい調剤薬局で、 店内には充実した一般医薬品が並びます。」とあったが、調剤メインで一般医薬品はそんなになかったはず(一般的な調剤薬局のスタイル)。
中通六丁目に「青山薬局 中通店」があるので、そこの経営だったのだろうか。
【2日追記】トピコと中通の青山薬局は、潟上市の「株式会社トップオブビュー」が経営していた。潟上市で「まこと調剤薬局」も経営。
なお、2020年頃まで、大町五丁目(大町五丁目交差点そば、旧・第一会館本館の隣)に「青山大町薬局」があった。それは「有限会社青山大町薬局」経営だったが、関係はあったのか。(以上追記)
秋田駅周辺の他の調剤薬局は、東口のアルヴェなどにある。


・「中通生協本店」店頭販売終了=閉店? 2024年5月31日
南大通りから中通総合病院のほうへ曲がってすぐ、病院手前の向かい側に、こぢんまりとした店があった。所在地は南通築地(道路の向かい=病院側は南通みその町)。
2019年再掲)左向こうの建物。左が南大通り・手前右が総合病院
中はよく見えず、入ったこともなかったが、スーパーのような雰囲気。
2024年3月の定休日
「CO・OP中通生協本店」と表示があり、営業時間は平日 9時30分~18時30分、土曜 同~13時30分。入口が別の「中通生協クリーニング」も併設。
ドアの張り紙

中通生協は「中通生活協同組合」で、本部もここにある。
※生協は「消費生活協同組合」の略だと思っていたが、少なくとも現在では、正式名称に「消費」が付かない生協のほうが主流のようだ。
秋田県内唯一の「職域生協」。中通総合病院などを運営する、社会医療法人 明和会の職員のための生協ということだろう。病院内の売店・食堂(誰でも利用可)も生協運営のようだ。

「本店」は、売店よりも品揃えがある、購買部のような位置付けだったのか。
掲示には「本店の店頭販売を終了致します。」とあったから、注文販売など別の形では継続しているのか。
また、掲示には「居住組合員の出資金に関するお問合わせ」とも。居住組合員とは、職員でない近隣住民も加入でき、本店で(正式に堂々と)買い物できたということだろうか。大学生協でも地域住民が組合員になれるところがあるように。

閉店の理由は不明。ここは2023年7月の大雨は、浸水したかどうか微妙な辺りかと思われるが、大雨以降も営業していたのだから関係はないか。


・「くめかわクリーニング」消滅 2024年6月末


7月以降について続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする