2021年12月の弘前。工事が多い弘前公園に続いて、定番の弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)裏手・西側から2か所。
ツイッターを始めとするネット上に情報をアップしてくださる皆さまのおかげで、動きがあることは事前に分かっていて、計画的(ただし効率的とは言えず、若干失敗)に訪れることができた。情報がなければ、知らないで行かずに終わるか、行ってびっくりするかになってしまうところ。
まずは、教育学部裏・富士見町。弘南鉄道大鰐線の線路際の崖上に、大正時代に作られた私設変電所の跡地がある。ここ数十年は、うっそうと樹木が茂る閉鎖された広い土地として存在していた。
それが2020年8月。更地になってしまった。1年前の訪問時(変電所の詳細等もこの記事参照)は不動産会社管理地だったが、その後、追記したように建築条件付宅地分譲「サンヒルズ富士見町」として、44区画が分譲されることになった。テレビCMが流れたり、弘南鉄道と弘南バスの車体広告も行われているとのこと。
土手町循環100円バスで運用されていた。「弘前中心部の新しい街」
1年前はすべて解体済みで未整地だったのが、整地され区画が分けられ通路ができて、道路際南側にモデルハウス2棟が出来上がっていた。その他の区画は、南寄りで数件、建築が始まっていて、大部分は未着工。
富士見町の名に恥じない津軽富士の眺望
看板によれば、南側寄りの13区画が申し込み済み。
看板には「弘前中心エリアにありながら閑静な住宅地」、「医療・教育・商業すべてが揃う便利な住環境」のキャッチフレーズ。
具体的な施設として「(仮)弘前総合医療C」「弘前大学」「メガ富田店」。
弘前総合医療センターとは、弘前大学向かいの国立病院機構弘前病院(大学病院でなく、厚生労働省所管)の位置に、同病院と弘前市立病院を統合させ、2022年4月にできる、新中核病院。看板の写真は国立病院の文字が読める状態。
メガ富田店は、焼肉モ~モ~、Uマート弘大前店(旧マルサン→マルエス)の跡地にできたドラッグストア。※現況は続編にて。
今どきのドラッグストアは、食料品などたいていの物がそろっているけれど、ドラッグストアをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしてしまっていいのか。いちばん近いスーパーマーケットだと、弘前学院大前駅のコープあおもり西弘店や、桔梗野小学校向かいのUマート桔梗野店(旧マルエス)で800~900メートル。実際には多くが車で買い物に行くだろうし、弘前駅前も充分近いので問題ないが。
弘前大学は「徒歩1分75m」とされている。今は教育学部の裏手に小さい門ができたから、それで間違いではないけれど、大学があることをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしまっていいのか。
下に小さく、通学区は大成小、第三中と記載(文京小学区じゃないのか)。小と中で真逆の方向の通学になるが、どちらも1キロ前後。ちなみに、線路・土淵川を越えると桔梗野小、第四中もあるが、ここからだとそれらも同じ程度の距離。
北西奥角には「緑地」ができることになっている。
この時は、そこまで入っていかれそうな雰囲気ではあったが、夜間は立入禁止で封鎖している柵を動かして、建築工事関係車両が入っている雰囲気でもあったので、やめておいた。岩木山や弘南鉄道は、高低差や線路向かいの建物の関係から、南寄りのほうがよく見えそうなので、眺望はそれほどでもないかもしれない。
変電所跡から南へ進んで西に曲がると、弘南鉄道「西ヶ丘踏切」。その先の下り坂が、西ケ丘町と寒沢町の境のいわゆる“寒沢スキー場”。
岩木山の姿は変わらないが、向こう側の光景が変わった。
(再掲)2020年11月
大学側から見て左・西ケ丘町側の建物がなくなり、更地になった!
今年10月頃までにこうなったそうで、今は整地されて、建物が建つ枠と思われる印も付いていた。昨年は「変わらぬ風景」としていたのに。
なくなった建物は、ソニーや三菱電機の看板を出していたお店。「SONY」は「SO」時代を経て、2013年2月~5月の間に完全撤去。個人的には、岩木山とともにこの店が寒沢スキー場に欠かせないアイテムだったので、ちょっと惜しい。
さらにお店の踏切側の隣、一段高い土地も、同じように整地されている。むしろそちらのほうが広い。
(再掲)2009年の寒沢スキー場の最初の記事
(再掲)2013年2月
何があったのか思い出せなかったが、再掲写真2枚の手前に写っているように、白い2階建ての民家があった。同じ建物が、南方向(踏切すぐから県道130号へ出る南方向への狭い道路沿い)にさらに2棟並んでいて(計3棟)、これらは2013年5月から2015年8月の間ですでに解体されていたが、整地されず、道路際の木の塀のような柵のようなものはそのままだった。
さらに、その3棟のさらに南隣には、ブロック塀をはさんで2階建ての別の民家があったが、2019年10月のGoogleストリートビューで解体されて基礎だけになっていた。
今回、それら南方向計4棟の跡地も、整地されたのだった。
坂の下から。右手前が電気屋跡、その上が4棟の家跡
そんなわけで、寒沢の坂の南側の沿道が一変した。
3棟の南端付近。左にもう1軒分土地が続く。右の白い車が上っているのが坂
県道へ抜ける道では、坂を横から見ることが可能になった。
傾斜が分かる
1971年の地形図でここを見ると、建物もできてはいるが水田も点在していた(“棚田”風だったのかも)。その10年後には今と同じような状況になっていた。だから、50年前なら、同じように坂を横から見られたのかもしれない。
面積、立地からすれば学生向けアパートが建つのだろうか。段差があるから1棟ではないだろう。この辺りは古いアパートも少なくなかったが、世代交代が進んでいきそう。
「りんご畑鉄道」のラッピング車両(7038-7037の編成)
文京町地区の反対側、正門周辺の富田大通りでも、けっこうな変化が生じているので続く。
ツイッターを始めとするネット上に情報をアップしてくださる皆さまのおかげで、動きがあることは事前に分かっていて、計画的(ただし効率的とは言えず、若干失敗)に訪れることができた。情報がなければ、知らないで行かずに終わるか、行ってびっくりするかになってしまうところ。
まずは、教育学部裏・富士見町。弘南鉄道大鰐線の線路際の崖上に、大正時代に作られた私設変電所の跡地がある。ここ数十年は、うっそうと樹木が茂る閉鎖された広い土地として存在していた。
それが2020年8月。更地になってしまった。1年前の訪問時(変電所の詳細等もこの記事参照)は不動産会社管理地だったが、その後、追記したように建築条件付宅地分譲「サンヒルズ富士見町」として、44区画が分譲されることになった。テレビCMが流れたり、弘南鉄道と弘南バスの車体広告も行われているとのこと。
土手町循環100円バスで運用されていた。「弘前中心部の新しい街」
1年前はすべて解体済みで未整地だったのが、整地され区画が分けられ通路ができて、道路際南側にモデルハウス2棟が出来上がっていた。その他の区画は、南寄りで数件、建築が始まっていて、大部分は未着工。
富士見町の名に恥じない津軽富士の眺望
看板によれば、南側寄りの13区画が申し込み済み。
看板には「弘前中心エリアにありながら閑静な住宅地」、「医療・教育・商業すべてが揃う便利な住環境」のキャッチフレーズ。
具体的な施設として「(仮)弘前総合医療C」「弘前大学」「メガ富田店」。
弘前総合医療センターとは、弘前大学向かいの国立病院機構弘前病院(大学病院でなく、厚生労働省所管)の位置に、同病院と弘前市立病院を統合させ、2022年4月にできる、新中核病院。看板の写真は国立病院の文字が読める状態。
メガ富田店は、焼肉モ~モ~、Uマート弘大前店(旧マルサン→マルエス)の跡地にできたドラッグストア。※現況は続編にて。
今どきのドラッグストアは、食料品などたいていの物がそろっているけれど、ドラッグストアをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしてしまっていいのか。いちばん近いスーパーマーケットだと、弘前学院大前駅のコープあおもり西弘店や、桔梗野小学校向かいのUマート桔梗野店(旧マルエス)で800~900メートル。実際には多くが車で買い物に行くだろうし、弘前駅前も充分近いので問題ないが。
弘前大学は「徒歩1分75m」とされている。今は教育学部の裏手に小さい門ができたから、それで間違いではないけれど、大学があることをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしまっていいのか。
下に小さく、通学区は大成小、第三中と記載(文京小学区じゃないのか)。小と中で真逆の方向の通学になるが、どちらも1キロ前後。ちなみに、線路・土淵川を越えると桔梗野小、第四中もあるが、ここからだとそれらも同じ程度の距離。
北西奥角には「緑地」ができることになっている。
この時は、そこまで入っていかれそうな雰囲気ではあったが、夜間は立入禁止で封鎖している柵を動かして、建築工事関係車両が入っている雰囲気でもあったので、やめておいた。岩木山や弘南鉄道は、高低差や線路向かいの建物の関係から、南寄りのほうがよく見えそうなので、眺望はそれほどでもないかもしれない。
変電所跡から南へ進んで西に曲がると、弘南鉄道「西ヶ丘踏切」。その先の下り坂が、西ケ丘町と寒沢町の境のいわゆる“寒沢スキー場”。
岩木山の姿は変わらないが、向こう側の光景が変わった。
(再掲)2020年11月
大学側から見て左・西ケ丘町側の建物がなくなり、更地になった!
今年10月頃までにこうなったそうで、今は整地されて、建物が建つ枠と思われる印も付いていた。昨年は「変わらぬ風景」としていたのに。
なくなった建物は、ソニーや三菱電機の看板を出していたお店。「SONY」は「SO」時代を経て、2013年2月~5月の間に完全撤去。個人的には、岩木山とともにこの店が寒沢スキー場に欠かせないアイテムだったので、ちょっと惜しい。
さらにお店の踏切側の隣、一段高い土地も、同じように整地されている。むしろそちらのほうが広い。
(再掲)2009年の寒沢スキー場の最初の記事
(再掲)2013年2月
何があったのか思い出せなかったが、再掲写真2枚の手前に写っているように、白い2階建ての民家があった。同じ建物が、南方向(踏切すぐから県道130号へ出る南方向への狭い道路沿い)にさらに2棟並んでいて(計3棟)、これらは2013年5月から2015年8月の間ですでに解体されていたが、整地されず、道路際の木の塀のような柵のようなものはそのままだった。
さらに、その3棟のさらに南隣には、ブロック塀をはさんで2階建ての別の民家があったが、2019年10月のGoogleストリートビューで解体されて基礎だけになっていた。
今回、それら南方向計4棟の跡地も、整地されたのだった。
坂の下から。右手前が電気屋跡、その上が4棟の家跡
そんなわけで、寒沢の坂の南側の沿道が一変した。
3棟の南端付近。左にもう1軒分土地が続く。右の白い車が上っているのが坂
県道へ抜ける道では、坂を横から見ることが可能になった。
傾斜が分かる
1971年の地形図でここを見ると、建物もできてはいるが水田も点在していた(“棚田”風だったのかも)。その10年後には今と同じような状況になっていた。だから、50年前なら、同じように坂を横から見られたのかもしれない。
面積、立地からすれば学生向けアパートが建つのだろうか。段差があるから1棟ではないだろう。この辺りは古いアパートも少なくなかったが、世代交代が進んでいきそう。
「りんご畑鉄道」のラッピング車両(7038-7037の編成)
文京町地区の反対側、正門周辺の富田大通りでも、けっこうな変化が生じているので続く。