テレビや新聞の受け売りで恐縮ですが、秋田と意外な関係があるもの・人について、個人的備忘のためにアップします。
●遠くで汽笛を聞きながらと秋田
7月30日にテレビ朝日系で放送された「朝だ!生です旅サラダ(大阪の朝日放送制作)」で、堀内孝雄氏が秋田を訪れていた。
堀内氏が「アリス」時代の1976年9月にリリースされた、「遠くで汽笛を聞きながら」のレコードジャケットの写真が、秋田で撮影されたものだという。
うっすらと雪が積もった朝焼け(?)の田舎の駅のホームの写真で、まっすぐに伸びる単線の線路や田んぼと思われる周囲の雪原、ホームの柱に電球が1つ灯っているのが印象的。
堀内氏はその場所を探して、訪れるべく、秋田へ来たのだった。
撮影場所探しそっちのけで秋田市内などを観光したのは遠回りだったが(←ご本人も突っ込んでいたが)、JR奥羽本線の横手駅にたどり着き、駅員に写真を見せると「これは醍醐駅ですね」とあっさり判明し、堀内氏が列車で降り立った。
横手駅から上り側に2駅隣(十文字の1つ手前)の横手市平鹿町(旧平鹿町)「醍醐(だいご)」駅で撮影されたものだった。
ジャケット写真では、線路の上に架線(電線)がないのだが、すなわち1975年10月に電化開業する前(正確にはその前の電化工事着工前か)の撮影ということになる。
現在は、もちろん架線が張られて、たしか電柱類はコンクリートに変わるなどしていたが、ジャケット写真のアングルは基本的に大きな変化はなかった。(写真には写っていないが、駅舎は建て替えられている)
秋田とは直接関係がないであろう名曲のジャケットが、秋田で撮影されていたとは知らなかった。昭和の、国鉄の鉄道の風景写真としても、貴重な記録かもしれない。
【2012年6月9日追記】2012年6月9日の朝日新聞「be(土曜版別刷り)」、「うたの旅人」でこの歌が取り上げられ、醍醐駅のことや写真が掲載された。
醍醐駅は「レコード会社のデザイン室にストックされていた写真の中から」偶然選ばれたもので、堀内氏は昨年の旅サラダに出演するまで「秋田県らしい、ということしか、番組で訪れるまで知らなかった」そうだ。
旅サラダの「放送後、アリスファンの間ではひそかな話題になったが、地元でも当時のいきさつを人はほとんどいない。」そうで、横手市内のレコード店員(61)は、発売間もない頃に女性客からジャケットの写真が醍醐駅であることを聞いたことくらいしか覚えていないという。
なお、記事冒頭では「2両編成のワンマン電車が」発車していく描写がある、一方、その横に掲載されている、夕闇迫る醍醐駅を発車していく電車の写真に写っているのは、車掌が乗務する3両編成の電車。(「N-2」という編成番号表示や、車掌の帽子のつばが少し見えている)
本文と写真が連動している必要はないのだろうし、2両も3両もたいして違わないけれど、ちょっと紛らわしい。
【2012年11月29日追記】2012年11月29日の秋田魁新報、県南地域面のコラム的な「地方点描」欄で、「醍醐駅」というタイトルでこのことに触れていた。「夕闇迫る雪景色の中」だそうだ。
「民放の紀行番組で、昨年7月に放映された。」とはあるが、さすがに朝日新聞土曜版のことには触れていない。
●アズミ大臣と秋田
※以下は特定の政党や政治家を支持するものでも、批判するものでもありません。
昨日発足した、ノダ内閣。
その財務大臣が、アズミジュン氏。
ミンシュ党の国会対策委員長で、宮城県石巻の自宅が震災の津波の被害を受けるなど、報道されることが多かった。(個人的には、話し方が新沼謙治氏に似ていると思う。彼は岩手県大船渡出身だけど、同じ三陸だから?)
アズミ氏にはそこまでしか知識がなかったが、今日の秋田魁新報社会面で、秋田と関係があることが分かった。
アズミ氏は、かつてNHKの記者だったそうだ。(それにしては話し方が垢抜けないような・・・)
そして、「1985年から約5年、秋田放送局に勤務した」のだそうだ。
記事では触れていないが、アズミ議員の公式サイトの経歴によれば、秋田が初任地。(サイトでは「秋田“支局”」となっているが、「秋田“放送局”」ですよ。自分の元勤務先の名前ぐらい、正確にお願いします。※NHKの放送局と支局は、明確に区別される別物)
その後、東京の政治部に異動し、1993年にNHKを退職している。
秋田に“アズミ記者”がいたのは、ぜんぜん印象になかった(アナウンサーと違ってあまりテレビに出ないし)。
ちなみに、現在「おはよう日本」キャスターの阿部渉アナウンサーが、初任地の秋田放送局にやって来たのが、1990年。入れ違いだったのだろうか。
内藤啓史(現名古屋局)、大沼ひろみ(今年から福井局の管理職!)両アナウンサーとは同職していたかもしれない。【4日追記】「ニュースウォッチ9」のナレーションをしている福井慎二アナウンサーも、秋田局にいたことがあり、たぶんこの頃だと思う。
さらにそれだけでなく、アズミ氏の夫人が、秋田市出身。
素子さん(48)という人(アズミ氏本人は49歳)で、旧姓・小林。「(夫人は)同局の元キャスター。同局在職中に知り合い、アズミさんが初出馬後、結婚した。」とのこと。
(アズミ氏の初出馬は1993年らしいが、その時は落選している)
NHK秋田のコバヤシモトコさんといえば、覚えている。
新聞では、現在の呼称に従って「キャスター」としているが、当時は「アシスタント」と呼ばれていたはず。NHKの正式な職員ではなく、期間を定めた契約職員のこと。
現在の契約キャスターは比較的長年(5年前後)同じ局に在籍したり、他県出身者もいるし、正職員のアナウンサーと同じ業務(1人でニュースを読むなど)をしているし、応募・採用前におそらくアナウンス学校みたいなところで基礎を身に着けているのだろう、初めてテレビに出るにしては皆さん上手。
しかし、当時は、地元出身者が1~2年だけ、男性アナウンサーと組んで夕方のニュースをちょっとだけ読むといった程度の扱い(まさにアシスタント)であり、あまり練習する機会もなかったのか、初めはたどたどしく、やっと慣れてきたかと思った頃に別の人に代わってしまっていたと記憶している。
そんな中、子どもながらに上手いなと思ったのか、僕の印象に残っていたのが、コバヤシモトコさんだった。たしか、秋田局での出演最終日に、「4月からは東京(のNHK)でラジオに出演します」とあいさつをしていたと思う。(【5日追記】秋田局アシスタントから東京のラジオへ移った人がいたのは確実。コバヤシさんじゃない可能性もあるが、たぶんコバヤシさんで間違いないと思う)
実力が認められて東京から声が掛かったのだろうと思っていたけれど、アズミ氏の後を追いかけて行ったことになる(あるいは逆にアズミ氏が追いかけた)のか。
●遠くで汽笛を聞きながらと秋田
7月30日にテレビ朝日系で放送された「朝だ!生です旅サラダ(大阪の朝日放送制作)」で、堀内孝雄氏が秋田を訪れていた。
堀内氏が「アリス」時代の1976年9月にリリースされた、「遠くで汽笛を聞きながら」のレコードジャケットの写真が、秋田で撮影されたものだという。
うっすらと雪が積もった朝焼け(?)の田舎の駅のホームの写真で、まっすぐに伸びる単線の線路や田んぼと思われる周囲の雪原、ホームの柱に電球が1つ灯っているのが印象的。
堀内氏はその場所を探して、訪れるべく、秋田へ来たのだった。
撮影場所探しそっちのけで秋田市内などを観光したのは遠回りだったが(←ご本人も突っ込んでいたが)、JR奥羽本線の横手駅にたどり着き、駅員に写真を見せると「これは醍醐駅ですね」とあっさり判明し、堀内氏が列車で降り立った。
横手駅から上り側に2駅隣(十文字の1つ手前)の横手市平鹿町(旧平鹿町)「醍醐(だいご)」駅で撮影されたものだった。
ジャケット写真では、線路の上に架線(電線)がないのだが、すなわち1975年10月に電化開業する前(正確にはその前の電化工事着工前か)の撮影ということになる。
現在は、もちろん架線が張られて、たしか電柱類はコンクリートに変わるなどしていたが、ジャケット写真のアングルは基本的に大きな変化はなかった。(写真には写っていないが、駅舎は建て替えられている)
秋田とは直接関係がないであろう名曲のジャケットが、秋田で撮影されていたとは知らなかった。昭和の、国鉄の鉄道の風景写真としても、貴重な記録かもしれない。
【2012年6月9日追記】2012年6月9日の朝日新聞「be(土曜版別刷り)」、「うたの旅人」でこの歌が取り上げられ、醍醐駅のことや写真が掲載された。
醍醐駅は「レコード会社のデザイン室にストックされていた写真の中から」偶然選ばれたもので、堀内氏は昨年の旅サラダに出演するまで「秋田県らしい、ということしか、番組で訪れるまで知らなかった」そうだ。
旅サラダの「放送後、アリスファンの間ではひそかな話題になったが、地元でも当時のいきさつを人はほとんどいない。」そうで、横手市内のレコード店員(61)は、発売間もない頃に女性客からジャケットの写真が醍醐駅であることを聞いたことくらいしか覚えていないという。
なお、記事冒頭では「2両編成のワンマン電車が」発車していく描写がある、一方、その横に掲載されている、夕闇迫る醍醐駅を発車していく電車の写真に写っているのは、車掌が乗務する3両編成の電車。(「N-2」という編成番号表示や、車掌の帽子のつばが少し見えている)
本文と写真が連動している必要はないのだろうし、2両も3両もたいして違わないけれど、ちょっと紛らわしい。
【2012年11月29日追記】2012年11月29日の秋田魁新報、県南地域面のコラム的な「地方点描」欄で、「醍醐駅」というタイトルでこのことに触れていた。「夕闇迫る雪景色の中」だそうだ。
「民放の紀行番組で、昨年7月に放映された。」とはあるが、さすがに朝日新聞土曜版のことには触れていない。
●アズミ大臣と秋田
※以下は特定の政党や政治家を支持するものでも、批判するものでもありません。
昨日発足した、ノダ内閣。
その財務大臣が、アズミジュン氏。
ミンシュ党の国会対策委員長で、宮城県石巻の自宅が震災の津波の被害を受けるなど、報道されることが多かった。(個人的には、話し方が新沼謙治氏に似ていると思う。彼は岩手県大船渡出身だけど、同じ三陸だから?)
アズミ氏にはそこまでしか知識がなかったが、今日の秋田魁新報社会面で、秋田と関係があることが分かった。
アズミ氏は、かつてNHKの記者だったそうだ。(それにしては話し方が垢抜けないような・・・)
そして、「1985年から約5年、秋田放送局に勤務した」のだそうだ。
記事では触れていないが、アズミ議員の公式サイトの経歴によれば、秋田が初任地。(サイトでは「秋田“支局”」となっているが、「秋田“放送局”」ですよ。自分の元勤務先の名前ぐらい、正確にお願いします。※NHKの放送局と支局は、明確に区別される別物)
その後、東京の政治部に異動し、1993年にNHKを退職している。
秋田に“アズミ記者”がいたのは、ぜんぜん印象になかった(アナウンサーと違ってあまりテレビに出ないし)。
ちなみに、現在「おはよう日本」キャスターの阿部渉アナウンサーが、初任地の秋田放送局にやって来たのが、1990年。入れ違いだったのだろうか。
内藤啓史(現名古屋局)、大沼ひろみ(今年から福井局の管理職!)両アナウンサーとは同職していたかもしれない。【4日追記】「ニュースウォッチ9」のナレーションをしている福井慎二アナウンサーも、秋田局にいたことがあり、たぶんこの頃だと思う。
さらにそれだけでなく、アズミ氏の夫人が、秋田市出身。
素子さん(48)という人(アズミ氏本人は49歳)で、旧姓・小林。「(夫人は)同局の元キャスター。同局在職中に知り合い、アズミさんが初出馬後、結婚した。」とのこと。
(アズミ氏の初出馬は1993年らしいが、その時は落選している)
NHK秋田のコバヤシモトコさんといえば、覚えている。
新聞では、現在の呼称に従って「キャスター」としているが、当時は「アシスタント」と呼ばれていたはず。NHKの正式な職員ではなく、期間を定めた契約職員のこと。
現在の契約キャスターは比較的長年(5年前後)同じ局に在籍したり、他県出身者もいるし、正職員のアナウンサーと同じ業務(1人でニュースを読むなど)をしているし、応募・採用前におそらくアナウンス学校みたいなところで基礎を身に着けているのだろう、初めてテレビに出るにしては皆さん上手。
しかし、当時は、地元出身者が1~2年だけ、男性アナウンサーと組んで夕方のニュースをちょっとだけ読むといった程度の扱い(まさにアシスタント)であり、あまり練習する機会もなかったのか、初めはたどたどしく、やっと慣れてきたかと思った頃に別の人に代わってしまっていたと記憶している。
そんな中、子どもながらに上手いなと思ったのか、僕の印象に残っていたのが、コバヤシモトコさんだった。たしか、秋田局での出演最終日に、「4月からは東京(のNHK)でラジオに出演します」とあいさつをしていたと思う。(【5日追記】秋田局アシスタントから東京のラジオへ移った人がいたのは確実。コバヤシさんじゃない可能性もあるが、たぶんコバヤシさんで間違いないと思う)
実力が認められて東京から声が掛かったのだろうと思っていたけれど、アズミ氏の後を追いかけて行ったことになる(あるいは逆にアズミ氏が追いかけた)のか。