昨年3月の記事で、JRの踏切の名称(土取場踏切とか袋小路踏切とか)を取り上げた。
その時、秋田市北部の奥羽本線に「支所踏切」という名の踏切があるが、そばには何の“支所”も存在せず、由来が分からないことをちょっと記した。
その謎が、たぶん解明できたという記事です。※憶測や間違いがあるかもしれません。
以前の記事では支所踏切の所在地を「秋田市土崎の」としていたが、実際には踏切の南西が「土崎港北七丁目」、北西が「飯島道東(みちひがし)一丁目」、東側が「飯島松根西町」だった。
つまり、土崎地区と飯島地区の境目ということになる。
この一帯、土崎駅の前後数キロは、西から国道7号線・旧国道(市道)・奥羽本線の3つがほぼ並行して南北に伸びる。土崎駅付近では線路から7号線まで400メートルほど離れているが、駅より北では3つが徐々に寄り添い、やがて7号線と旧国道が「飯島三叉路」で合流する。
まずはその旧国道へ。
土崎付近は歩道がなくて狭いが、飯島地区ではやや広く歩道がある
飯島三叉路の土崎側150メートルほど手前にバス停(寺内経由・新国道経由土崎線等)がある。
「飯島コミュニティセンター入口」
上の写真で、左に駐車場があるが、その向こうの左端に踏切がある。それが、支所踏切。
バス停のそばに丁字路があって、そこを線路側に曲がってすぐに踏切がある。
支所踏切
歩道部分はなく、踏切内で車がすれ違うのは難しく、やや狭いが、どこにでもある踏切だ。通行車両はひっきりなしではないが、わりと多い。
旧国道から踏切に向かって、若干上り坂になっているので、冬は危険かもしれない。
「支所踏切」
福島から308キロ118メートル地点。秋田駅から北に向かう、通称奥羽“北線”「15」番の踏切(廃止されて欠番になった踏切があるので、「15個目の踏切」ではない)。
列車乗務員向けの表示も「支所」
ちょうど踏切の北側が緩くカーブしていて、その700メートルほど先に「上飯島」駅がある。(ちなみに土崎駅までは約1.7キロ)
これから踏切に向かってくる、土崎・秋田方面の上り普通列車が上飯島駅に停車していると、踏切(東側)から列車のヘッドライトが見える。その段階では、もう遮断機が下りているので、待ち時間は長め。
ススキの穂を揺らして上り列車が通過
旧国道から踏切を越えると、道は南東方向へ角度を変える。道が狭いのに車が比較的多く通るので注意。
農家らしきお宅や畑・空き地などの中を抜けて250メートルほど進むと、小さな道どうしが交わる、小さな交差点に出る。
左方向が支所踏切(撮影方向が紛らわしくてすみません)
見通しがあまり利かず、狭い、いかにも古くからの農村部らしい道路の交差点に過ぎないようにも見えるが、ここがこの記事の主役。
まず、交差点の北にあるのがこちら。
(奥が支所踏切)「秋田信用金庫」のATMコーナー(港北支店飯島出張所)
こんな狭いところにATMコーナーがあるのが意外。
しかも、3台分の駐車スペースがあって建物周囲の空間が広く、ATMコーナーにしては面積が大きい。他の銀行などでも見られるが、これはかつて有人店舗だったものを廃止(解体・新築)してATMコーナーに格下げしたもの。
Wikipediaによれば、1999年まではここに「飯島支店」があった。かつては「土崎信用金庫」の飯島支店で、1995年に合併により秋田信金になったとのこと。
【30日訂正】信用金庫の飯島支店跡とATMコーナー(飯島出張所)は、同じ場所で解体・新築したのではなく、近くの別の場所にあった支店が、出張所になってこの位置に移転してきたとの情報をコメントでいただきました。
さらに、ATMの向かい、
交差点東側(踏切側から来て正面左)
上の写真中央のシャッターが下りた2階建ては、消防団の倉庫。
その左奥の大きい建物が、
秋田市飯島地区コミュニティセンター
バス停が指していたものが、これだったわけだ。
なお、線路~ATM側が「飯島松根西町」、向かいのコミセン側が「飯島松根東町」。
通称「コミセン」ことコミュニティセンターは、秋田市役所の「地域に根ざしたさまざまな活動の拠点となる施設」。会議や趣味の会合に使える設備があり、各地域住民による運営委員会で運営されていて、市の職員は常駐しないようだ。24か所ある。名称としては「○○地区コミュニティセンター」と「地区」が入る。
ほかに、「地域の自治活動のお手伝いや、住民票、印鑑証明などの取り継ぎを行」う、「地域センター」というのもあり、こちらは市職員がいるらしい。現在は7か所あり、うち2か所はコミセンを併設している。
この飯島コミセン、昨年度(今年3月)までは「飯島地域センター」でもあった。今年度から地域センター機能が廃止され、コミセン単独になったわけだ。
地域センターでは証明書類を即日発行できなかったようだし、本格的な市の窓口である北部市民サービスセンター(旧土崎支所)も遠くないから、廃止されても困る人は、まず、いないだろう。
さらにこの施設の歴史をさかのぼると・・・
と、いうことは・・・
支所踏切の“支所”って、秋田市役所飯島“支所”のことかも?
という、憶測が成り立つ。
なお、秋田市農協(現・JA新あきた)の「飯島支所」もかつてこの辺(飯島松根西町?)にあったというような情報もあるので、それが由来の可能性もなくはないが、単に「支所」と言えば、自治体の支所を指すのが一般的ではないだろうか。
秋田市側ではたびたび施設の名称を変えているが、国鉄/JR側がそれに合わせて「コミセン踏切」とかいちいち改名するわけにもいかないし、(基本的に内部で使う名称なので)その必要もないという判断なのだろう。
これは五能線に「兵舎踏切」や「飛行場踏切」が未だに存在することからも言える。
コミセンの場所に村役場ができたのは、飯島村が合併により消滅するわずか2か月前。当初から市役所の支所にする前提で造られた施設だったのだろう。
ここが役場だったのは2か月間だけだったことになるので、「支所踏切」の前は、「役場踏切」だったのだろうか? それとも別の名? あるいは踏切自体なかった?
そして、こんな(といっては失礼だけど)奥まった場所に、公共施設を作ったのも不思議。どうせなら旧国道沿いにでも作ればよかったようにも思う。
当時はクルマ社会ではなかったし、当時の飯島は宅地開発もされていない海岸近くの農村だったのだろうが、すぐ隣が土崎地区なわけでいわば「村外れ」。もっと位置的に村の中央に設置できなかったのだろうか。
でも、信用金庫もあったのだから、一定の「村の中心地」だったのかもしれない。(ちなみに、「飯島郵便局」は近くの旧国道沿いにあるが、所在地としては土崎地区。「飯島小学校」は村当時から今と同じ、コミセンから少し離れた小高い場所にある)
個人的には、飯島と言えば、海岸の松林や火力発電所、内陸側の秋田高専、田んぼの中の組合病院というイメージが強く、こんな入り組んだ場所に飯島村時代の面影を残すものがあったとは、思いもしなかった。
昔の町の姿に思いを巡らすのも、楽しい。
最後に、バス停の名前。
上記の通り、今年度から飯島地域センターが廃止され、コミセンだけとなったのだが、将軍野と寺内の地域センターでも同時に同様の措置が取られた。
路線バス「寺内経由土崎線」は、このうち寺内と飯島の2つのコミセンのそばを通り、バス停の名称になっている。そのバス停名は、秋田市営バス当時からの名称を中央交通が引き継いで使っている。
先日紹介した、1988年の冊子時刻表にバス停名が記載されている。
55ページより
※現在は、みその病院前→みそのホーム前、青年会館前→青少年交流センター前、市営ガス前→港中央五丁目、踏切前→土崎踏切前(=貨物支線の踏切)と名称が変更されている。
両コミセンに相当するバス停名は今も変わっておらず、「寺内地域センター(前)」と「飯島コミュニティセンター入口」。
両施設とも、「コミセン併設地域センター」→「コミセン」と同時に変遷をたどってきたはずなのに、なぜかバス停名が昔から揃っていない。
秋田市が運営していてたバスなのに…
(寺内地区は1941年に秋田市に編入されたのだが、寺内コミセンの場所もかつては寺内町役場だったのかもしれない)
飯島地区の話題はもう少しありまして、1つ隣の踏切の話などを後日。
その時、秋田市北部の奥羽本線に「支所踏切」という名の踏切があるが、そばには何の“支所”も存在せず、由来が分からないことをちょっと記した。
その謎が、たぶん解明できたという記事です。※憶測や間違いがあるかもしれません。
以前の記事では支所踏切の所在地を「秋田市土崎の」としていたが、実際には踏切の南西が「土崎港北七丁目」、北西が「飯島道東(みちひがし)一丁目」、東側が「飯島松根西町」だった。
つまり、土崎地区と飯島地区の境目ということになる。
この一帯、土崎駅の前後数キロは、西から国道7号線・旧国道(市道)・奥羽本線の3つがほぼ並行して南北に伸びる。土崎駅付近では線路から7号線まで400メートルほど離れているが、駅より北では3つが徐々に寄り添い、やがて7号線と旧国道が「飯島三叉路」で合流する。
まずはその旧国道へ。
土崎付近は歩道がなくて狭いが、飯島地区ではやや広く歩道がある
飯島三叉路の土崎側150メートルほど手前にバス停(寺内経由・新国道経由土崎線等)がある。
「飯島コミュニティセンター入口」
上の写真で、左に駐車場があるが、その向こうの左端に踏切がある。それが、支所踏切。
バス停のそばに丁字路があって、そこを線路側に曲がってすぐに踏切がある。
支所踏切
歩道部分はなく、踏切内で車がすれ違うのは難しく、やや狭いが、どこにでもある踏切だ。通行車両はひっきりなしではないが、わりと多い。
旧国道から踏切に向かって、若干上り坂になっているので、冬は危険かもしれない。
「支所踏切」
福島から308キロ118メートル地点。秋田駅から北に向かう、通称奥羽“北線”「15」番の踏切(廃止されて欠番になった踏切があるので、「15個目の踏切」ではない)。
列車乗務員向けの表示も「支所」
ちょうど踏切の北側が緩くカーブしていて、その700メートルほど先に「上飯島」駅がある。(ちなみに土崎駅までは約1.7キロ)
これから踏切に向かってくる、土崎・秋田方面の上り普通列車が上飯島駅に停車していると、踏切(東側)から列車のヘッドライトが見える。その段階では、もう遮断機が下りているので、待ち時間は長め。
ススキの穂を揺らして上り列車が通過
旧国道から踏切を越えると、道は南東方向へ角度を変える。道が狭いのに車が比較的多く通るので注意。
農家らしきお宅や畑・空き地などの中を抜けて250メートルほど進むと、小さな道どうしが交わる、小さな交差点に出る。
左方向が支所踏切(撮影方向が紛らわしくてすみません)
見通しがあまり利かず、狭い、いかにも古くからの農村部らしい道路の交差点に過ぎないようにも見えるが、ここがこの記事の主役。
まず、交差点の北にあるのがこちら。
(奥が支所踏切)「秋田信用金庫」のATMコーナー(港北支店飯島出張所)
こんな狭いところにATMコーナーがあるのが意外。
しかも、3台分の駐車スペースがあって建物周囲の空間が広く、ATMコーナーにしては面積が大きい。
Wikipediaによれば、1999年までは
【30日訂正】信用金庫の飯島支店跡とATMコーナー(飯島出張所)は、同じ場所で解体・新築したのではなく、近くの別の場所にあった支店が、出張所になってこの位置に移転してきたとの情報をコメントでいただきました。
さらに、ATMの向かい、
交差点東側(踏切側から来て正面左)
上の写真中央のシャッターが下りた2階建ては、消防団の倉庫。
その左奥の大きい建物が、
秋田市飯島地区コミュニティセンター
バス停が指していたものが、これだったわけだ。
なお、線路~ATM側が「飯島松根西町」、向かいのコミセン側が「飯島松根東町」。
通称「コミセン」ことコミュニティセンターは、秋田市役所の「地域に根ざしたさまざまな活動の拠点となる施設」。会議や趣味の会合に使える設備があり、各地域住民による運営委員会で運営されていて、市の職員は常駐しないようだ。24か所ある。名称としては「○○地区コミュニティセンター」と「地区」が入る。
ほかに、「地域の自治活動のお手伝いや、住民票、印鑑証明などの取り継ぎを行」う、「地域センター」というのもあり、こちらは市職員がいるらしい。現在は7か所あり、うち2か所はコミセンを併設している。
この飯島コミセン、昨年度(今年3月)までは「飯島地域センター」でもあった。今年度から地域センター機能が廃止され、コミセン単独になったわけだ。
地域センターでは証明書類を即日発行できなかったようだし、本格的な市の窓口である北部市民サービスセンター(旧土崎支所)も遠くないから、廃止されても困る人は、まず、いないだろう。
さらにこの施設の歴史をさかのぼると・・・
1982年 飯島出張所を飯島地域センターに改称(他地域の施設も同時に改称)
1977年 飯島コミュニティセンター新築開館(出張所併設)
?年(早くても1957年以降?) 飯島支所を飯島出張所に改称
1954年10月 南秋田郡飯島村が秋田市に編入。飯島村役場を秋田市役所飯島支所とする
1954年8月 飯島村役場が(現コミセンの場所に)新築・移転
すなわち、ここは 飯島村役場→飯島支所→飯島出張所→飯島地域センター→飯島地区コミュニティセンター(の単独施設) と変遷をたどったことになる。1977年 飯島コミュニティセンター新築開館(出張所併設)
?年(早くても1957年以降?) 飯島支所を飯島出張所に改称
1954年10月 南秋田郡飯島村が秋田市に編入。飯島村役場を秋田市役所飯島支所とする
1954年8月 飯島村役場が(現コミセンの場所に)新築・移転
と、いうことは・・・
支所踏切の“支所”って、秋田市役所飯島“支所”のことかも?
という、憶測が成り立つ。
なお、秋田市農協(現・JA新あきた)の「飯島支所」もかつてこの辺(飯島松根西町?)にあったというような情報もあるので、それが由来の可能性もなくはないが、単に「支所」と言えば、自治体の支所を指すのが一般的ではないだろうか。
秋田市側ではたびたび施設の名称を変えているが、国鉄/JR側がそれに合わせて「コミセン踏切」とかいちいち改名するわけにもいかないし、(基本的に内部で使う名称なので)その必要もないという判断なのだろう。
これは五能線に「兵舎踏切」や「飛行場踏切」が未だに存在することからも言える。
コミセンの場所に村役場ができたのは、飯島村が合併により消滅するわずか2か月前。当初から市役所の支所にする前提で造られた施設だったのだろう。
ここが役場だったのは2か月間だけだったことになるので、「支所踏切」の前は、「役場踏切」だったのだろうか? それとも別の名? あるいは踏切自体なかった?
そして、こんな(といっては失礼だけど)奥まった場所に、公共施設を作ったのも不思議。どうせなら旧国道沿いにでも作ればよかったようにも思う。
当時はクルマ社会ではなかったし、当時の飯島は宅地開発もされていない海岸近くの農村だったのだろうが、すぐ隣が土崎地区なわけでいわば「村外れ」。もっと位置的に村の中央に設置できなかったのだろうか。
でも、信用金庫もあったのだから、一定の「村の中心地」だったのかもしれない。(ちなみに、「飯島郵便局」は近くの旧国道沿いにあるが、所在地としては土崎地区。「飯島小学校」は村当時から今と同じ、コミセンから少し離れた小高い場所にある)
個人的には、飯島と言えば、海岸の松林や火力発電所、内陸側の秋田高専、田んぼの中の組合病院というイメージが強く、こんな入り組んだ場所に飯島村時代の面影を残すものがあったとは、思いもしなかった。
昔の町の姿に思いを巡らすのも、楽しい。
最後に、バス停の名前。
上記の通り、今年度から飯島地域センターが廃止され、コミセンだけとなったのだが、将軍野と寺内の地域センターでも同時に同様の措置が取られた。
路線バス「寺内経由土崎線」は、このうち寺内と飯島の2つのコミセンのそばを通り、バス停の名称になっている。そのバス停名は、秋田市営バス当時からの名称を中央交通が引き継いで使っている。
先日紹介した、1988年の冊子時刻表にバス停名が記載されている。
55ページより
※現在は、みその病院前→みそのホーム前、青年会館前→青少年交流センター前、市営ガス前→港中央五丁目、踏切前→土崎踏切前(=貨物支線の踏切)と名称が変更されている。
両コミセンに相当するバス停名は今も変わっておらず、「寺内地域センター(前)」と「飯島コミュニティセンター入口」。
両施設とも、「コミセン併設地域センター」→「コミセン」と同時に変遷をたどってきたはずなのに、なぜかバス停名が昔から揃っていない。
秋田市が運営していてたバスなのに…
(寺内地区は1941年に秋田市に編入されたのだが、寺内コミセンの場所もかつては寺内町役場だったのかもしれない)
飯島地区の話題はもう少しありまして、1つ隣の踏切の話などを後日。