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旧仕様案内標識

2021-11-07 18:54:02 | 昔のこと
秋田市道の「方面及び方向」の案内標識に関連して。
前回の2つ目では、楢山・牛島橋バス停付近の古い案内標識を交換したものを取り上げた。その周辺には、もう2本、古い標識があった。
そこから北に位置する楢山広小路バス停・秋田楢山郵便局の交差点。北側(中央通り・聖霊高校から南進向き)と、西側(下新橋から東進向き)にあった。
前回のコメント欄の通り、北側は2017年7月から2018年7月の間に撤去された(更新されず)。逆L字型の角がアールを描き、標識を吊り下げる柱でサビで茶色くなっていて、表示板はもともとは手書き文字だったのが2012年10月から2015年8月の間に新しいものに交換されていた。牛島橋と酷似した見かけなので、進行方向も同じことだし、同時に設置されたのかもしれない。ただ、こちらの手書き版は文字がはっきりと判読でき(更新の必要なかったかも)、直進が国道13号、左折が「秋田駅(馬編の点が1つにまとまっている)」、右折が「大町」。更新後は直進に「牛島」も追加されていた。

交差点西側のものは、現役(2021年夏頃以降未確認ですが【2021年11月28日時点で現存】)。
左が聖霊・右が牛島橋
これも吊り下げタイプだが、支柱のサビがなく、表示板の文字も異なる。
左折方向は無視。「中通」くらい書いてもいいのに
文字が手書きではなさそうだが、写研「ナール」でもない。そして見覚えがある。
かつてのバスの行き先表示でおなじみ、モリサワの丸ゴシック体だと思われる。ただ、「秋」の「火」の点の向きから、バス方向幕とは同一書体ではなさそう。旧脳研・成人病医療センター前の看板(書き換え済み)など、道路標識類での使用例はなくはない。
モリサワでは、角ゴシック体をベースに丸ゴシック化した書体を、写真植字機時代には何種類か提供していたそうだ。昔は看板やテレビの字幕などでもわりと使われていた。しかし、どれもデジタルフォント化はされていない(例外中の例外でNHKでは特注で使えるらしい)。ナールや最近の丸ゴシック体とはまた違う雰囲気があって、個人的には好きなのに…


ここで、案内標識に関する法令の変遷をまとめておく。以下のサイトに、詳細や写真があります。
 国土交通省 わが国の道路標識の歴史 https://www.mlit.go.jp/road/sign/sign/douro/hist01.htm
 光和産業株式会社 標識デザインの変遷 http://www.kowa-roadsign.com/20200907153336
交差点に設置される方向を1枚にまとめた標識(108系)は、1962(昭和37)年に初登場。当時は手書きで、ローマ字入り。
1971(昭和46)年には、ローマ字表記を廃止。
1986(昭和61)年には、ローマ字を復活。※国交省のサイトでも「英語」ではなく「ローマ字」としている。
この1986年に、文字を手書きでなく活字とすることとし、ナールを用いるのが定着して現在に至る。ただし、必ずナールでなければならないわけでもない。建設省(当時)が示した仕様書「土木工事標準設計図」でナールで例示されたのに、自治体も追随した(自治体単位では規定している所もあるようだ)という、デファクトスタンダード状態なのだろう。

楢山広小路西の標識は、ローマ字がないから、1986年より前の設置だろうか。にしては活字を使ったとなれば、当時としては先進的だったのでは。


ここで場所と時期を変える。
秋田県道233号のうち、保戸野~泉の「原の町通り」と愛称が付けられた部分+アルファの区間(約500メートル)。ここは1985(昭和60)年の春に開通したと記憶する。秋田市街地において、縦型信号機が初めてまとまって設置されたはずだが、大幹線ではない道路としては案内標識が多く設置されたのも目新しかった。開通区間に3つある交差点のうち、すべての方向だから4か所設置された。同じ交差点でも、新規開通でない方向には、その時点から現在まで、まったく設置されていない。
地理院地図に加筆。設置位置はA~D
支柱はアールがなく太く、現行と同様。板は小さめで、色は水色気味(楢山のより薄い)。経年による退色もあろうが、元から薄めだった気もする。ローマ字なし、手書き文字。

いちばん南側のA地点
秋田大学教育文化学部附属中学校近く、マンションアーバン原の町のあるY字路交差点の南進向き。
そう言えば、ここから右折・新国道(高陽幸町交差点)方向は、1985年より若干後に開通した気もする。Y字路に信号機が設置されたのが少し後で、中古品を寄せ集めて、車両用はなぜか横型で設置されていた(2014年交換済み)。

左折が「手形」「千秋トンネル」、右折は「八橋」。秋田市民には通用する。
でも千秋トンネルという、地名や施設でない道路構造物、しかもわずか500メートル先にあるものを表示するのが珍しい。そして「秋田駅」あるいは「大町/中通」はあるべきでは。
「八橋」は妥当だが、「山王」や「県庁/市役所」、新国道を指す「県道56号」もあるべきでは。

逆向き・北進するB地点
秋田生鮮市場保戸野店近くの交差点。ここは当初は左折しては新国道(新川向交差点)までは細い道だっだはず【8日補足・拡幅後は1990年に「泉ななかまど通り」と命名】。
ここも左折は「八橋」のみ。右折は「平和公園」と「添川」でどちらも珍しい。後に設置される標識では、平和公園でなく「天徳寺」が一般的だし、この方面だと「卸売市場(当時は中央卸売市場)」あるいは「外旭川」もあって然るべき。

Cを飛ばして、そのまま右折してすぐ、それ以前からあった交差点との接続部D。したがって開通以前は丁字路で、信号はなかった。
引き続き「平和公園」「添川」。
県道としては直進する。右折は狭いが元県道。1つ手前の生鮮市場の交差点のこの向きには案内標識がないから、手形、大町、秋田駅方向へ行く人は、標識による誘導がまったくされないことになる(さらにもう1つ手前の交差点にはあるが)。この交差点を通り過ぎてしまうと、大町や駅へ行くのは遠回りになる。市道と県道で調整して、標識を増設したほうがいいかもしれない。

戻ってC。
縦の道が2本、「八橋」が2つ
左折して350メートル進んだ、A地点の標識の内容を内包した表示。親切なようではあるが、戸惑う人もいよう。現行ではこのような表示は規定外ではないだろうか。
そして現状では、やはり「秋田駅」「県庁/市役所」「県道56号」さらに「土崎」もあるべき。

旧仕様としては最末期設置と思われる標識。加えて、表示する地点の選択にクセというか偏りがあるように感じられる。特に秋田市中央部へは誘導したくないかのような雰囲気。板や柱の状態は悪くないが、いつまで残るだろう。
秋田市道の古川添交差点の南側・卸町にも、アールなしL型柱の手書き標識がある。
(再掲)現在は本荘と大曲は上貼り修正
書いた人が違うということだろう。タッチが違うかな?
【12日追記】今回のA~Dの中でも、Aだけ「八」の2画目の横が長く、そのほか「橋」の右下のハネ、「形」の右側など、C~Dと少し形が異なる。


Googleマップストリートビューより。新屋の雄物川左岸、雄物新橋から川沿いに下って、雄物大橋(の上)手前。【7日追記・現存しないようだ。】
ローマ字入りで手書き
これは市道だが、国道7号北行き側にも同じ仕様の標識がある。
「雄物川河口」は、いわゆるももさだ海岸。「R.M.」とは「river estuary」か。【8日訂正】河口を英語では「estuary」とも言うが、厳密には「河口域」や高校の地理で習った「三角江、エスチュアリー」を指すようだ。ピンポイントとしての河口はそのまんまの「river mouth」だそうだ。語源としては偶然の一致なのか、それとも関係(どちらかを訳したとか)があるのだろうか。

雄物大橋と続く国道7号秋田南バイパスが開通したのは、1986年10月。案内標識に再びローマ字を入れる決まりに改正されたのと、同月。
したがって、新仕様になった最初期の作例と思われる。建設省(当時)直轄であったはずの国道側でもナールではないということは、手配が間に合わなかったか、最初期はナール使用が浸透していなかったということだろうか。

新基準初期の例について、続く

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6 コメント

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保戸野の存在 (FMEN)
2021-11-07 19:23:17
忘れてました。
こんなにあったのに。
新屋浜は酒田方面がこの出方にならないんで外されちゃいました。
新屋は新川橋旧道、日吉街道にもありました。
茨島は旧7のアスレチックあたりに旧型にしては珍しく標識を貼り付けた案内標識がありますが、もう意味がわかりません。
古川添は大曲本荘のみがシール訂正済み。
あとは古野の南インター近くにも。
なぜか昔の仕様は「湯沢」「青森」がよく出現します。

そして1971年は白看→青看にかわったときでもあります。
秋田は標識がすくなくほとんど使われなく、更新も早いのがもったいない。
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ひっそり残る (taic02)
2021-11-07 20:09:09
地理を知っていると、通行したとしても案内標識に意識は向けないですからね。新屋はなくなりましたか。
旧脳研から久保田町交差点に向かうところにも、広小路と中央通りの一方通行を示した案内標識がありますが、茨島のは要は普通車にはほぼ意味がないでしょう。
表示する都市名は、国交省でいちおう基準のリストがあるようですが、各管理者や時々の気まぐれっぽさも漂うような。

現様式後に設置されたものは、整合性・統一性が低いように感じられ、ほんとうに道案内を求める人には不親切な場面もありそう。カーナビや自動運転が広まるこれからはなくなっていく運命かもしれませんが、残すものは内容を吟味してほしいです。
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楢山広小路の案内標識 (網地 耕部、)
2021-11-10 22:56:59
交差点西側の案内標識ですが、現在でも更新される事無く引き続きそのままの表記でいっていると思います。
でも、更新などで支柱の入れ替えと最新のローマ字付き仕様に変わるかと思われます。
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貴重ではあるものの (taic02)
2021-11-10 23:27:55
貴重な旧タイプではありますが、ローマ字なし、板に筋が出ているし、支柱の寿命対策もあることでしょう。
遠くないうちになくなってしまうでしょうね。
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Unknown (Unknown)
2021-11-13 16:08:11
レアな標識はレトロな雰囲気があっていいですね。雄和のファミマ近く(秋田市雄和田草川太田)にある案内標識もかなりレアで突っ込みどころ満載です。一度ご覧になってはいかがでしょうか。
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県道9号 (taic02)
2021-11-13 20:34:29
でっかい文字で「秋田空港」など書いてあるやつですね。
現秋田空港ができた当時も、旧仕様時代だったわけで、一部は残っているのですね。
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