

☆地の利や風水のよき地を求めた桓武天皇は、長岡京に遷都する
☆わずか10年で「祟り」「方違え」の理由で平安京へと遷都しています
(「方違え」とは、出かける方向に凶相がある場合)
(いったん別の方向に出て、そこにとどまり出直して凶相を回避すること)
☆都をわざわざ造営してまでこだわったのかは判然としない
☆「祟り」・「方違え」にせよ、権力者たちは何を畏れたいた出来事です

☆平安京に遷都した桓武天皇は、唐の文化導入に熱心で風水にも造詣が深かった天皇
☆大内裏の場所
(東の大文字山、西の嵐山を結ぶ東西ラインと、北の船岡山から延びる南北ライン上に設置された)
(南を向いて(座北朝南)、設置された(天心十時の法))
☆北に玄武(船岡山)、東に青龍(鴨川)、西に自虎(山陰道)、南に朱雀(巨椋池)を配する
(地相が、最適な地とされた)
☆鬼門の方角、比叡山に延暦寺を配す
(北から入る龍脈にある大内裏には龍をとどめるために龍水、神泉苑を設けた)
☆都の入口、羅城門の東西に東寺・西寺を配した
☆平安中期の陰陽師・安倍晴明の邸宅も、内裏の鬼門を封じている
☆平安京は、明治天皇が江戸城に移るまで約1,000年、天皇の居城として存続し続けた
(京都の地相の力?!)


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10年で放棄された長岡京は「怨霊のがれ」だった?!
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)