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☆平安京に都を定めた桓武天皇は、国家の立て直しに力を注ぐ
(東北に征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣し勢力圏を広める)
☆桓武天皇は、国史編纂事業にも注力、『日本書紀』から『続日本紀』を編纂
☆桓武天皇は、先進文化・学問の輸入のため遣唐使が派遣した
(最澄と空海はともに官費の留学生として別ルートで唐に渡る)
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☆最澄は、東大寺において受戒、比叡山の草庵で修行する
☆仏典研究を行った最澄は、天台教に興味持つ
☆桓武天皇の信認を受け、唐に渡り翌年帰国し日本の天台宗を開く
☆最澄の目的は、日本に新しい天台仏教を広めることでした
☆比叡山中で、自力で戒を授ける戒壇「大乗戒壇」設立を目的にした
(比叡山を一大仏教アカデミーとするのが目的)
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☆空海は、日本で官立の学校に学ぶが満足せず、独自の修行に入る
☆密教の経典『大日経』に巡り会った空海は、密教研究を開始する
☆空海は、官費の留学生で20年の長期留学とされていた
☆短期で帰国した最澄とは違って自身で密教を究めることがその最大の目的でした
☆空海は、仏教の経典を原語で読めるよう、サンスクリツト語の学習から始めた
☆空海は、中国密教の正式な継承者、恵果と巡り会った
☆恵果から密教の奥義を授かり「灌頂(阿閣梨の座の継承儀式)」を受けた
(一留学生が、インドから伝わった中国密教の頂点に立った)
☆空海は、密教に必須の法具や曼茶羅の制作にとりかかる
☆空海は、密教の奥義を修得したので、当初の予定を切り上げ2年で帰国
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☆最澄の留学は、天台の総合的な仏教を取り込むことが主目的
(広く浅く中国の仏教界を視察できた最澄)
☆空海の留学は、密教にしぼっていた
(空海は密教をより深く究めた)
☆唐から帰国した最澄と空海はそれぞれ別の道を歩み始める
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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桓武天皇が見出した、秀才(最澄)とスパースター(空海)
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)