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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

戦争と日本人の信仰

2018年07月27日 | 宗教
日本には国家神道以前から「生活的な信仰」があった

戦争による神社の誕生
 ☆明治時代以降、国に貢献した志士は神となり神社に祀られた
 (吉田松陰を祀る松陰神社等)
 (尊王攘夷の志士たちを祀る招魂社(天皇の発案で京都東山に建立)
 ☆戊辰戦争による戦死者の霊を祭神とする東京招魂社(靖国神社)が創建された
 (新政府の最高司令官大村益次郎の献策)
 ☆日露戦争についても、乃木希典大将、東郷平人郎元帥
 (乃木神社(東京都他)、東郷神社(東京都)に神社も現れた
 ☆満州事変から太平洋戦争の終結まで功労のあった軍人を「軍神」と称した
 (戦意を鼓舞するようなことも行われていた)
 ☆靖国神社は国家神道の象徴となり、別格官幣社として帝国が管理した
戦後、政教・祭政分離により、政府との分離が図られた
 ☆A級戦犯の合祀問題等をめぐりアジア諸国との間で物議をかもしている
 ☆日本人の伝統的な価値観
 (「死んだ人の罪は問わない」「死者は手厚く葬らないと崇る」との考え方がある)
 ☆宗教観を異にする国の人々にとっては逆に理解しがたい
天皇のもとで人間は平等
 ☆西洋のように王権と対決する民主主義革命は、日本では起こっていません
 ☆西洋の民主主義のなかに「神の前で人間は平等」という意識がある
 ☆日本人にとってどうして人間は平等なのかを定義すること
 (考えたことのない日本の政治にとって難しい問題であったと思われる)
 ☆そこで編み出されたのが
 (「日本人は日本の国を創った神の子孫である天皇のもとで平等」という考え方)
 ☆日本人の近代化、平等の前提は、天皇制だった
 ☆敗戦での「国体の護持」が最重要課題であり、天皇の人間宣言が論議を呼んだ
 ☆明治政府以降に進められた国家神道はきわめて政治的なもの
 (天皇家の系統を定めるために記紀神話は二重に政治利用された)
古神道と呼ばれる大古の自然信仰
 ☆延々と日本人の精神世界に根付いています
 ☆政治的な神道とは異なった「生活的な信仰」です
 ☆それを理解すれば、日本の信仰の複雑さもまた理解しやすい
日本に仏教が伝来
 ☆日本人は常に時代の情勢に合わせて、宗教とどう付き合うか考え続けてきた
 ☆日本は、明治時代と戦後の高度成長時代
 (国際水準に追いつくために2度無理をしています)
 ☆旧来の思想を離れ、欧米の文化を盲目的に信奉する一面が強く出た
 ☆経済成長が一段落した平成の現在
 (他の国の宗教や文化との付き合いなどを考え直す時期です)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


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超エリートが「幼い性」に疾る事情

2018年07月27日 | 皇室
勉強秀才がリーダーになっても若い女性に異常な関心や行動に出る「闇」に迫る

 ☆米山氏や前川氏のように、社会的地位のあるエリートが「出会い系」 で女性と知り合って援助交際する
 ☆彼らの、協調性や社会性の欠如を露呈している
 ☆その意味でも、彼らは「公職」に就く資質に欠け、職務を全うする責任感を持っていなかった

女子大生に「3万円」を渡して
 ☆前新潟県知事の米山氏がネットの「出会い系」を利用し複数の女性と援助交際をしていた
 ☆米山氏は出会い系サイトの『ハッピーメール』を通じ有名私大に通うAさんと知り合う
 (2人は月1回のペースで会う)
 ☆米山氏は女子大生のB子さんとも関係を持つ
 (定期的に肉体関係を持ち「1回3万円、月2回」の契約で会っていた)
 ☆B子さんの当時の交際相手が援助交際の事実を知り米山氏とトラブルになる
 (「何をどのように希望されている?」など金銭での解決をほのめかすメールを送る)
 (以後は代理人の弁護士を立てて逃げた)
 ☆それが結果として、大々的にマスコミに報じられた
 ☆米山氏の言動や母親の応対から「彼は強いマザコンと思う」という見方が多く出た
 ☆それが彼の女性観に影響を与えたのか?
超エリート街道を突っ走ってきた政治家、官僚、 一流企業の社員
 ☆中高年に差し掛かったとき、出会い系やSNSでうっ屈を吐き出す?
 (「幼い性」に疾るケースは多い)
 ☆昨年に発覚した前川文科省前次官の「出会い系パー通い」
 (前川氏は、歌舞伎町の「ラブオンザビーチ」に足しげく通っていた)
 (省内では「赤坂の女子大生キャバクラ『B』に嵌っていた」という噂もある)
 (前川氏は「ロリコンだつた」との指摘も)
外務省セクハラ事件の「実態」
 ☆超エリートの女性醜聞は後を絶たない
 ☆外務省の毛利ロシア課長が起こした「セクハラ事件」
 *毛利氏は省内の女性に次々と手を出すことで知られていた
 *例の女性とも課長席の脇のソファで行為に及んだとの情報もある
 *セクハラ事件が発覚したのは複数の女性との三角関係が原因といわれる
 ☆06年には、それまでの6年間で外務省の男性職員10人がセクハラで処分を受けていた
 ☆10年前にはレイプ事件も起き、加害者は当時のロシア課長
 (ロシア課長も事実を認めたが、それが表面化することはなかった)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS7月号』


勉強秀才がリーダーになっても若い女性に異常な関心や行動に出る「闇」に迫る
(『THEMIS7月号』記事より画像引用)



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知名度低いが”戦国最強”の武将・水野勝成

2018年07月27日 | 歴史上の人物
武将水野勝成は徳川家康のいとこ

 ☆最後の最後まで「戦国の武士」だった水野勝成
 (87歳で、約36m離れた的を鉄砲で撃ち抜いた)
 (「鬼」と称された勝成の強さ、存在感は別格)
 ☆15年間も全国を放浪し、さまざまな大名のもとを渡り歩いた人物
 ☆天下太平の時代には、10万石の大名として領内の治政に力を発揮した
 ☆福山藩(広島県福山市)の初代藩主として歴史に名を残す

水野勝成が大名たちに重宝された理由
 ☆織田信長にも認められたほどの強者の武将
 ☆気性が激しく、荒くれ者たちが多かった戦国時代のなかでも異彩を放つ
水野勝成の逸話
 ☆16歳のとき、高天神城攻めで15の首級をあげた
 (主君だった信長から戦巧者として永楽銭の旗印をもらう)
 ☆19歳のとき、甲州黒駒合戦で北条軍の首級300をあげる
 ☆21歳のとき、父親の家来を殺し勘当される
 ☆偽名を使って、名だたる武将へ仕官し大活躍する
 (佐々成政、黒田長政、小西行長、加藤清正等)
 ☆36歳で父親が暗殺され実家に帰って家督を継ぐ
 ☆関ヶ原の戦いで徳川家康に呼ばれて参戦
 (大坂の陣では軍監(軍の最高責任者)に任命される)
 ☆大坂夏の陣では、軍の責任者なのに先陣に立って戦う
 (大坂城に一番乗り)
徳川家が天下統一後、福山藩を与えられる
 ☆一国一城の主となる
 ☆猛将として最前線で戦うような勝成の治世、最後は名君として領民から愛される
 (庶民から「名君」と慕われた)
 ☆島原の乱では、幕府からの要請で最高責任者として活躍する
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、学研パブリッシング、歴史秘話ヒストリア、WIKIPEDIA




武将水野勝成は徳川家康のいとこ(歴史秘話ヒストリアより画像引用)

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