慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日蓮正宗(大石寺)、板曼陀羅、勤行

2019年04月24日 | 宗教
創価学会とはどういう宗教なのか1

ほかの新宗教との違い
 ☆創価学会の場合創立以来およそ60年間密接な関係を持っていた「日蓮正宗」
 ☆創価学会では日蓮正宗を「宗門」「日顕宗」と呼んだ
 ☆宗門と決別する以前とそれ以降
 ☆創価学会のあり方は大きく変化している
日蓮正宗
 ☆日蓮宗の一派で、鎌倉時代の日蓮が宗祖で、その教えに従っている
 ☆日蓮正宗は一般の日蓮宗とは教えが異なっている
 ☆日蓮正宗は、日蓮の弟子の一人「日興」が伝えられた教えを信奉
 *ほかの日蓮宗とは違いが出てくる
 ☆日興に伝えた教え
 *日蓮正宗以外、いくつかの派ありそれらを総称して「富士門流」と呼ぶ
 ☆日蓮正宗本山大石寺の本尊は、別名「板曼陀羅」とも呼ばれる
 *楠に彫刻されたもの
 *日蓮正宗では、日蓮がもっとも重要視した「本門之本尊」であるとする
 *この本尊、日蓮正宗に独自のもので、他の日蓮宗は認めていない
教育者だった初代会長・牧口常三郎
 ☆創価学会が日蓮正宗との結びつきを持ったのは初代会長
 ☆牧口は日蓮正宗に入信
 ☆牧口は小学校の校長をつとめていた
 ☆日蓮宗では「折伏」という行為を重視する
 *牧口は、代用教員として雇ったこともある戸田城聖を折伏
 *日蓮正宗に入信させ、戸田は創価学会の二代会長に就任する
 ☆牧口が重視した「座談会」
 *現在の創価学会でも活動の重要な柱になっている
 *座談会は、少人数が集まって信仰について話し合うための場
 ☆牧口の「法罰論」という考え方
 *間違った信仰を持つと罰が下される
 *正しい信仰を持つとご利益がもたらされる
 ☆座談会での体験発表を通して証明しようとした
 ☆牧口は、日蓮正宗以外の信仰を否定する立場をとっていた
 *伊勢神宮のお札、神宮大麻の受け取りを拒否し焼却させた
 *牧口は、それを焼き払う「謗法(ほうぼう)払い」をおこなった
 ☆牧口は、当時の治安維持法違反で検挙され投獄された
 *捕らえられても自らの主張を変えず、転向しなかった
 *釈放されず73歳で獄死している
「現世利益」を追求した二代会長・戸田城聖
 ☆戸田には、事業家としてのオ能があった
 *出版社や証券会社など戦前17の会社を経営
 ☆戸田は創価教育学会を創価学会と改称
 *自らその理事長に就任した
 ☆戦後の創価学会は宗教団体としての性格を強く打ち出す
 ☆戸田が、強く訴えたのが、現世利益の実現
 *戸田は、大石寺に祀られた本尊には偉大な力がある
 *大石寺を訪れてそれを拝めば、お金が儲かる
 *苦しい生活つら脱することができると説いた
 ☆創価学会の会員となった信者
 *大石寺に参拝に出かけたが、それは「登山」と呼ばれた
 *日蓮正宗に入信すると、大石寺の本尊を書写したものが渡された
 ☆会員はそれを自宅の仏壇に掲げ、その前で「勤行(ごんぎょう)」をおこなった
 *勤行は、毎日朝と晩におこなうものとされた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『親が創価学会』








日蓮正宗(大石寺)、板曼陀羅、勤行
(ネットより画像引用)

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依代(よりしろ)、神社の社殿

2019年04月24日 | 宗教
揺らぐ神社の権威構造2

社殿は無く、神は常在しない
 ☆天照大神の意思によって仲哀天皇が殺された
 *妻の神功皇后が神の依代(よりつく)となり託宣を下す
 *神は人を依代として、その場に現れた
 *原初的な祭祀の方法は依代(神霊が依り憑く対象物)
 ☆古代の日本社会は、中国や朝鮮半島の影響を強く受けてきた
 *朝鮮半島にはシャーマニズムの文化があった
 ☆シャーマニズム文化が古代の日本に伝えられた可能性が考えられる
磐座(いわくら)で依代となった人物に神が降りる
 ☆古代~中世神の祀る
 *依代となる人間がいて、神はその依代に宿る
 *供応を受けたり、託宣を下した
 *それが、人と神とが交わる方法であった
 *祭祀が行われるときにしか、神はその場に現れなかった
 *神が神社の本殿に常在するという考え方はなかった
 ☆中世のどこかの段階
 *祭祀のたびに神は降りない
 *神は本殿の神体に常に宿っていると見なされた
 ☆中世の神仏習合の時代
 *仏教の寺院では、本尊を祀っていた
 *仏教の世界が、神道の信仰世界にも影響した
社殿の変化
 ☆天皇の即位儀礼である大嘗祭(だいじょう)は、毎年行われる新嘗祭が元
 ☆新嘗祭は新穀を神に捧げる儀式である
 ☆天皇の代替わりは、最初に行われる新嘗祭が大嘗祭
 *大嘗祭では、悠紀殿と主基殿からなる大嘗宮が建てられる
 *大嘗祭だけの建物で、祭祀が終われば解体される
 ☆伊勢神宮の遷宮という行事も周期的に宮を建てる
 *大規模な祭祀を行うというのが元々のあり方
神社に社殿が建つようになったのは鎌倉時代以降
 ☆初期の社殿は、宇治上神社の本殿で、規模の小さな小祠だった
 *出雲大社の本殿内部にあるものも小祠である
 ☆江戸時代の伊勢詣のためのガイドブツク
 *今よりも神と参拝者の距離がはるかに近かった
 ☆明治天皇が伊勢神宮を参拝する(天皇で初めて)
 *その後、伊勢神宮は皇祖神を祀る国家の最重要施設となった
 *神と参拝者の距離は大きなものになった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』








依代(よりしろ)、社殿(ネットより画像引用)



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鬼神の祖は出雲国風土記

2019年04月24日 | 宗教
ダークヒーローと異形の神様10「目一つ鬼(まひとつ)」

 ☆鬼は角が生え、虎のツをはいた姿でイメージされることが多い
 ☆鬼が入ってくるといわれる鬼門の方角が北東
 *丑寅(うしとら)の方角
 *牛と虎に結びついた鬼の姿が生まれた
 ☆かつての姿は違ったようだ
 ☆鬼が登場する『出雲国風土記』
 *その姿は一つ目で、目一つ鬼と呼ばれている
 *目一つ鬼がやって来て、男を食べた
 *鬼に見つからぬよう両親は、竹やぶに隠れる
 *男は、食べられながらも、竹の動きで両親が鬼に見つかるのを心配
 *両親を救うべく青年は「あよ、あよ(竹が動く)」といった

鍛冶職人が信仰する「一つ目」
 ☆目一つ鬼を、目が1つしかない鍛冶の神「天目―箇神」と同一とする説がある
 ☆鍛冶職人は、鍛冶,製鉄の過程で火を見続けることにより失明することも多い
 ☆一つ目の神や鬼を信仰するに至ったと考えられる
 ☆目一つ神を祀る天目―神社(あまのまひとつ)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本の神様図鑑』







鬼神の祖は出雲国風土記
(『日本の神様図鑑』記事より画像引用)




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