慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

ゴッドファザー、総督カード

2019年04月29日 | 宗教
「親が創価学会」だとどうなるのか1

「親が創価学会」だと、生後すぐに直面する「命名」問題
 ☆誰が赤ん坊の名前を決めるのか
 ☆創価学会の会員では、「池田先生」に命名してもらう選択肢がある
 ☆会員は、池田氏のことを「池田先生」と呼んできた
 *創価学会では「師弟不二」が強調されてきた
 (師匠と弟子が一体であることを意味する)
 *池田氏は師匠であり「先生」なのだ
 ☆池田氏に赤ん坊の命名をしてもらいたいとき
 *地域の拠点となる会館に出向き、そこで申請用紙に記入する
 *命名がおこなわれると、書類を提出した会館から返事がある
 ☆命名してもらった会員は、他の会員からうらやましがられることが少なくない
 ☆名づけ親が池田氏であることで嫌な思いをする子どももいる
 *学校で、自分の名前がどのようにしてつけられたのか調べる授業もある
 *子供は、名づけたのは親ではなく、池田氏だということを知る
 *自分だけ違うということがコンプレツクスになったりする
池田大作氏は創価学会のゴッドファザー
 ☆ゴッドフアザー
 *「名づけ親」を意味し、親に代わって命名するのが名づけ親
 ☆社会によっては、どの立場にある人間が名づけ親になるかが決まっている
 ☆池田氏は、創価学会の会員のゴッドファザーである
 ☆親自身が、創価学会にちなむ名前を子どもにつけることがある
 *男の子では、大作や、池田氏のペンネームに由来する伸一などが代表
 *女の子だと信子が代表的
創価学会の「統監カード」
 ☆「親が創価学会」の子どもは、生まれてすぐ創価学会に入会する
 *当然、本人の意思ではなく、親の意思で
 *片方の親だけが会員というときには、トラブルが起こりやすい
 ☆創価学会に入会する
 *その人間のことは「統監カード」に記される
 ☆統監カード
 *創価学会の組織における住民票のようなもの
 *支部のなかにある「統監部」で管理される
 ☆創価学会の組織はピラミッド型の構造のように思える
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『親が創価学会』

ゴッドファーザー、統監カード(ネットより画像引用)
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神宮神道、別表神社

2019年04月29日 | 宗教
おわりに(神社は再生できるのか)2

 ☆別表神社(神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社)
 ☆別表神社は、人事の面で以下のような特別の扱いがされる
 *一定以上の基準に達すれば宮司の下に権宮司を置くことが認められる
 *宮司・権宮司は明階以上の階位を有する者でなければ任用されない
 *禰宜は正階以上の階位を有する者でなければ任用されない
 *権禰宜は権正階以上の階位を有する者でなければ任用されない
 *宮司・権宮司の在任中の身分は特級、一級・二級上以外の者は二級とする
 *宮司・権宮司の任免は各都道府県の神社庁長の委任事項としない

神社本庁の「責任」
 ☆富岡八幡宮は神社本庁との包括関係を解消しその傘下にはない
 ☆世間はそのようには受けとらない
 *神社本庁も富岡八幡宮も同じ神社界に属していると認識している
 ☆富岡八幡宮が離脱する上での神社本庁からの軋轢
 *神社本庁が、殺された富岡長子氏を宮司として認めず
 *それが神社本庁を離脱の決定的な原因になった
 ☆神社本庁も神社界の失地回復をはからなければならない 
 ☆地方の神社が立ち行かなくなっている現実もある
 ☆戦後の経済成長により、神社間の経済格差は拡大している
神社本庁の一番の問題
 ☆神宮神道というイデオロギーを掲げている点
 *神宮神道は、古代から受け継がれてきたものではない
 *近世になるまで、伊勢神宮に対する信仰が、日本全体で共有されていてない
 ☆近代以前
 *全国各地では、地元の神社が信仰を集め、村の人々全体でそれを守ってきた
 *神宮寺のあるところでは、僧侶が神社の祭祀を担っていた
 *村人が当番制で神主役をつとめるところも少なくなかった
現在の神社本庁がめざす方向性
 ☆明治以降の体制を踏襲している
 ☆伊勢神宮を本宗と位置づける伊勢神宮中心主義
 *伊勢神宮を守り、その式年遷宮をつつがなく実行していくこと
 ☆神社本庁自体、伊勢神宮の権威を借りて、神社界に君臨してきた
 *別表神社の人事権を掌握していることが大きい
 ☆神社本庁の体制が根本から問い直される事態に至っている
 ☆各種の政治運動で、神社界の権威を高めようとする試み
 *伊勢神宮や靖国神社の国家護持運動等、失敗したものも少なくない
 ☆戦前の体制への回帰をめざす神社本庁の運動方針
 *国民の意識とずれてきてしまっている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』






神宮神道、別表神社(ネットより画像引用)



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興福寺 七転び八起き

2019年04月29日 | 歴史
興福寺7度の火災から不死鳥のごとく蘇った

 ☆日本の文化はここで生まれた(仏師運慶・世阿弥)
 *火災から守るために生まれた乾漆造りの仏像
 *阿修羅像が重さ15キロ
 *運慶をはじめとした仏師たちの工夫
 *世阿弥は興福寺再建の為の資金集めに演劇人に
 ☆再興する歴史の中には、僧侶たちの不屈の魂
 *火災から仏像を救い出した僧侶たちの努力
 ☆興福寺は、南都六宗の一つ
 *法相宗の大本山の仏教寺院
 *藤原氏の祖・藤原鎌足らの藤原氏の氏寺

興福寺と火災と再建
 ☆現存するものは火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い
 ☆興福寺には、運慶ら慶派仏師の手になる仏像も数多く作られている
 ☆江戸時代の火災
 *時代背景の変化もあって大規模な復興はなされず
 *焼けた西金堂、講堂、南大門などは再建されなかった
興福寺の歴史
 ☆創建は、藤原鎌足夫人が夫の病気平癒を願う
 *鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として創建した
 ☆平城京遷都で、藤原鎌足の子不比等は、現在地に移転し「興福寺」とした
 *710年が実質的な興福寺の創建年
 *中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始された
 *天皇・皇后、藤原家によって堂塔が建てられ、伽藍の整備が進められた
 ☆「造興福寺仏殿司」という役所が設けられた
 *藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められる
 ☆興福寺は、奈良時代(四大寺)、平安時代(七大寺)の一つに数えられた
 ☆鎌倉・室町時代興福寺は、大和武士と僧兵等を擁し強大な力を持っていた
 *幕府は守護や守護大名を置くことができなかった
 *大和国は実質的に興福寺の支配下にあった
 ☆安土桃山時代の織豊政権に興福寺は屈する
 ☆江戸時代、春日社興福寺合体の知行として約2万石とされた
廃仏毀釈による興福寺の破壊
 ☆明治時代の、神仏分離令で、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こした
 ☆春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった
 ☆興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主
 *還俗し水谷川家、松園家と名乗った(奈良華族)
 ☆子院は全て廃止、寺領はの上知令で没収され、僧は春日社の神職となった
 ☆境内は塀が取り払われ、樹木が植えられ、奈良公園の一部となった
 ☆廃仏政策が反省されだし興福寺の再興が許可された
 ☆興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備される
 ☆興福寺には、塀が無く公園の中に寺院がある
 *興福寺は「信仰の動線」が欠落していると言われている
 *廃仏毀釈の名残である
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK『歴史秘話ヒストリア』
















興福寺7度の火災から不死鳥のごとく蘇った
(『歴史秘話ヒストリア』テレビ画面より画像引用)





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