🌸家康が夢見た“開国”
☆徳川家康は、世界との貿易を推し進めた“開国派”
☆徳川家康といえば
*江戸時代の“鎖国”の礎を築いた人物というイメージが強い
☆日本を訪れた外国人が見た家康
*国際情勢を的確に把握し世界との貿易を推し進めた“開国派”だった
☆家康の全方位外交
*政権中枢に思わぬ事態を招き寄せる
*配下に多くのキリシタンが潜伏していることが発覚した
*そして発した禁教令
☆徳川幕府の『鎖国』は嫡男秀忠の真面目すぎる性格から現実化した
⛳徳川家康が”貿易”を考えた理由
☆合戦用火薬の原料の『硝石』の入手が目的
*布教で、来日したバテレンたちの火薬・硝石などに興味を惹かれた
*長年”一向宗徒”に悩まされて来た家康
*『宗教』の持つ危険性に人一倍敏感だったが
☆家康が、”キリスト教布教”を大目に見て来た理由
*”貿易がもたらす果実”である『富』の方に引き付けられて行く
☆家康は金銀鉱山の直轄化
*採掘法と精錬法の革新で産出量の拡大化も実現
*家康は、貿易の独占も含めると秀吉を上回る利殖家であった
⛳徳川家康の『駿府城』はただの”隠居所”だったのではない
☆将軍職を嫡男秀忠へ譲り”徳川氏の世襲体制”を世に示した
*『江戸の将軍』と『駿府の大御所』の支配体制を固めた
☆『貿易』と言う外交政策に関わる『国事』大御所家康が決める
*駿府城に幕府の俊英を集めて家康を支えた
☆実質の”日本政府・首相官邸”であった
⛳徳川家康は外交政策へ専念のために”将軍職”を譲った
☆家康は世に”隠居”のフリをし”駿府城”へ移る
*『大御所政治』で”鉱山増産と貿易拡大”による”資金稼ぎ”に入る
*ピーク時、日本の銀の輸出量が世界の銀生産量の40%を占めた
☆家康は、豊富な資金を使い、日本の『朱印船貿易』を始めた
*ヨーロッパ列強のアジア貿易を圧迫するほど成長させた
☆家康が、駿府城で死去した時
*現在価値1800億円位を秀忠に残したと言われている
⛳徳川幕府の『鎖国』と『貿易』の関係
☆『鎖国』に関しては
*日本国内のキリスト教の信徒数が70万人位
*徳川幕府も危機感を感じ黙認出来なくなっていく
*家康は、国家を揺るがす事態になる前に
*『貿易』のメリットを捨ててでも『禁教』に踏み切った
*『禁教令』の後も宣教師たちの活動は止まらず
*幕府は、更に強力な政策である『鎖国』に踏み切る
☆国を発展させる大きな収入源を失うリスクを犯してでも
*”徳川幕府の存立基盤の保全を優先”させた
☆幕府は、スペインのフィリピン政庁との間でも
*海賊の取締りと朱印船の数についての取決めはした
*求められた布教に関しては断っているなど
☆正式には”禁教”を通告して、キリスト教に一線は引いていた
⛳『鎖国』政策へ至った本当の原因
☆『鎖国政策』は、正式に第3代将軍家光の時代とった
*狙いは、危険と考えられた”ポルトガルの追放”
☆豊臣方の残存勢力とキリシタン信徒が海外の日本人町の壊滅
*幕府は、『貿易』によって得られる利益よりも、
*海外に残存する反徳川勢力の巨大化を恐れた
☆『鎖国』政策は、家康関係なく、第2代将軍以降の責任
*幕府のバテレンに対する迫害は苛烈を極める
*『海外交通貿易制限令』が出された
☆ポルトガル人および家族の国外追放
☆日本船(朱印船)へのポルトガル人航海士の乗船禁止など
*日本の貿易船”朱印船”の海外渡航も大きく制限される
⛳”朱印船時代”の日本
☆巨大な産銀量で、強大な貿易力で東南アジアの貿易都市を席巻する
*タイ国のアユタヤでの山田長政に代表される
*日本人町が主要貿易港に形成されて行く
☆海外では、力を付けた日本に対し『日本人排斥運動』が起こる
*日本資本に押しのけられた華僑とヨーロッパ列強との衝突
☆『三英傑(信長、秀吉、家康)』の中で人気がない家康
☆家康は、非常に熱心に『貿易』をやっていた
☆家康は、政権奪取に成功し、長期政権の基礎を作り上げた
☆家康は、長期政権を『貿易』と『鎖国』で道筋をつけた
(敬称略)
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⛳出典、NHK『英雄たちの選択』『歴史好きのつぶやき』
家康が夢見た“開国”
(『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)
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