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福島正則(武官の中の武官)

2023年04月27日 | 歴史上の人物
🌸福島正則(秀吉子飼いの出世頭)

 ☆武力で貢献した秀吉子飼いの出世頭、福島正則
 ☆秀吉没後は、家康を選択して会津征伐にも従軍した
 ☆福島正則、豊臣家が減びた後は、幕府に処断され領地を奪われた


福島正則、葬儀に秀頼の名代として出席
 ☆「正則=優秀な武将」と言われている
 *正則は、豊臣秀吉の血縁者

 *元々が農民の出で系図はつかえない
 ☆秀吉と血の繋がりがある武将
 *福島正則 、母は大政所の妹(秀吉と正則はいとこ)
 *加勝清正、 母は大政所といとこ (秀吉と清正はまたいとこ)
 *浅野長政 、妻同士が姉妹
 ☆秀吉の人事は能力重視
 *槍の働きよリ、デスクワークを重視していた
 *「血縁者」の出番は無いと思っていた
 *農民では教育を受けるチャンスがなく、デスクワークは苦手
 ☆秀吉の葬儀に於いて、福島正則が秀頼の名代として出席している
 *正則は、秀吉の従弟と考えて良いので
 *秀頼とも血の繋がりがあるから名代を務めた
 ☆秀吉の朝鮮出兵を見据えて
 *清正、行長が、軍事的才能で、
正則よりも上と、秀吉は評価していた

福島正則は、織田家本来の所領を与えられた
 ☆1595年は、秀吉子飼いの武将たち領地を加増された
 *浅野長政、甲斐国主20万石余り
 *石田三成 近江・佐和山20万石余り
 *増田長盛 大和・郡山20万石余り
 *福島正則は尾張・清洲24万石余り
 ☆秀吉の子飼い武将の、領地による序列は定まった
 *領地の価値は京都・大坂に近い方が上ですの
 *文官の双壁が石田三成と増田長盛
 *浅野は大きな所領を獲得したが甲斐にとばさた
 ☆朝鮮の戦場で活躍する武官として
 *加藤清正、小西行長が肥後半国ずつ、20万石余り
 ☆福島正則は、武官の中の武官の評価
 *場所は秀吉の生まれ故郷で、織国家の本来の所領
 *正則こそは秀吉子飼いの出世頭
 ☆秀吉には、血縁だから取りたてる、甘さは持っていなかった
 *福島正則は、武力での貢献を認められるかたちで
 *子飼い随一の地位を築いた
 ☆秀吉は大名同士が勝手な縁組みをするのを禁じていた
 *勢力を広げたい徳川家康
 *真っ先に縁みを申し入れたのが正則でした
 *弟の娘を養女として福島家に送っている

関ヶ原の本戦では「一番槍」を
 ☆正則も、生き残りをかけて家康を選択した
 *自身が豊臣の血縁であることを意識し
 *他者に先んじて家康に近づき
 *家康の会津征伐にも積極的に従軍した
 ☆正則が関ヶ原の本戦に於いて、「一番槍」にこだわったのも
 *自分の立ち位置を確保したかったから
 ☆大坂の陣で豊臣家が減びた後
 *正則は罠に嵌められたようなかたちで領地を奪われた
 *他に例を見ない、あからさまな幕府の処断だった
 *それが福島正則の、遁れがたい運命だったのでしょう
                      (敬称略)
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⛳出典、『THEMIS4月号』



福島正則(武官の中の武官)
(ネットより画像引用)

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