🌸仏教宗派の誕生
☆同じ仏教なのに、多数の宗派が興った理由
⛳釈尊の時代に宗派はなかった
☆宗派が異なると、教えも異なる
☆宗派が異なると、教えも異なる
*経典や敬う仏、仏事作法なども違ってくる
☆同じ「仏教」なのに、多くの宗派が生まれた理由
☆仏教は、釈尊の教えで成立した宗教で、当初は宗派もなかった
*釈迦は集まる弟子や信徒に対して
☆仏教は、釈尊の教えで成立した宗教で、当初は宗派もなかった
*釈迦は集まる弟子や信徒に対して
* 一人ひとりがそれぞれの方法で悟りに至れば良いと説く
*自分は開祖と思っていなかった
*弟子たちも個々が教えて解釈し派閥を作らなかった
☆釈尊が亡くなると、弟子たちは教えの解釈の仕方をめぐつて分裂
☆釈尊が亡くなると、弟子たちは教えの解釈の仕方をめぐつて分裂
*教えがインドから中国に伝わってまもなく
*宗派が生まれる
☆中国で宗派が誕生した背景
☆中国で宗派が誕生した背景
*中国で広まつていた儒教の存在があった
*儒教には「相伝」で、師弟間で教えを受け継いでいく
*師は弟子を抱え込んで多くの学派をつくつていた
*儒教の発想が仏教にも影響した
☆中国の仏教僧は自分の弟子たちを囲い込んで派閥をつくった
*そのいくつかが宗派に発展した
☆中国では、仏教を悟りに至る実践・修行でなく
☆中国では、仏教を悟りに至る実践・修行でなく
*学問としてとらえる傾向が強かった
*新しい経典がインドから伝えられるたびに
*その経典を研究する集団ができ、それが宗派として発展した
⛳日本には13宗が存在する
☆中国で発展した仏教は朝鮮半島を経て日本へと伝来する
⛳日本には13宗が存在する
☆中国で発展した仏教は朝鮮半島を経て日本へと伝来する
*7世紀初頭の聖徳太子による仏教興隆は目覚ましかつた
☆奈良時代、中国から来日した僧や日本の留学僧
*宗派別に分かれた仏教を伝えた
☆奈良時代、中国から来日した僧や日本の留学僧
*宗派別に分かれた仏教を伝えた
*奈良仏教(法相宗、華厳宗、律宗などの南都六宗)
*奈良仏教系宗派はあくまで学問仏教として受け入れられた
*互いに協調し、対立することもなかった
⛳平安時代、日本の仏教は新しい体系をつくり上げた
☆平安時代、日本独自の宗派を生み出していく
*密教系宗派に分類される天台宗と真言宗
*天台宗を学んだ最澄は、日本天台宗を樹立
*奈良仏教と論争を行ない、新時代の仏教を開拓した
*空海は最澄と同じ遣唐使船団で唐に留学
*本格的な密教を日本にもたらした
*これにより事実上、真言宗が開宗された。
☆平安時代末期から鎌倉時代
☆平安時代末期から鎌倉時代
☆仏法が廃れ、世が乱れるという末法思想が流行する
*浄土宗や浄土真宗などの浄土系宗派
*浄土宗や浄土真宗などの浄土系宗派
(現世での救いよりも、来世の極楽往生を願う人々を惹きつけた)
☆坐禅の実践を重んじる臨済宗や曹洞宗の禅系宗派
*武士層に支持されて禅宗文化を日本に広めた
☆「法華経」を最高の教えとする日蓮宗も登場
*「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば人も社会も救われると説いた
☆江戸時代に禅系宗派の黄栗宗が加わる
☆江戸時代に禅系宗派の黄栗宗が加わる
*奈良仏教系宗派のいくつかが洵汰された
*最終的には今に続く主要な13宗が残った
☆悟りを得るという最終目的は同じでも
*そこに至るまでの過程・解釈が違うという理由で宗派は生まれた
☆多様化の時代を迎え、今後さらに新たな派が起こる可能性は高い
(敬称略)
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⛳出典、『比べてわかる!日本の仏教宗派』
日本仏教には13宗の宗派存在する
(『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事より画像引用)
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