🌸岡崎功、市庁舎を焼き払った男
⛳終戦直後に起こったクーデター
☆松江騒擾事件 、「皇国義勇軍」を名乗る青年グループ
*島根県庁を襲撃したために庁舎は全焼
*付近の約3000平方メートルが火の海になった
*事件の主役ともいえる人物が、岡崎功である
☆岡崎は、日本の敗戦と降伏に抵抗して
*「降伏は死なり」「戦えば必ず勝つ―」と
*事件の主役ともいえる人物が、岡崎功である
☆岡崎は、日本の敗戦と降伏に抵抗して
*「降伏は死なり」「戦えば必ず勝つ―」と
*本土決戦のための一斉決起を全国に呼びかける
☆岡崎は、20歳前後の男女50人あまりを集めた
*彼らと共に手相弾や短銃などを準備して
*彼らと共に手相弾や短銃などを準備して
*島根県内の主要施設を襲った
☆岡崎はグループの中で
☆岡崎はグループの中で
*最も重い無期懲役の判決を受けたものの
*一度の恩赦で刑が軽減され6年ほどで釈放されている.
⛳執行猶予中の事件
☆岡崎功は、20歳の頃から革命運動に参加し始め
*政府要人の暗殺計画に加わり、未遂に終わったが
*執行猶予付きの判決を下されている
☆憲兵隊の間では要注意人物としてすでにマークされていた
*松江騒擾事件 は、岡崎が執行猶予中に帰郷して起こした事件
*日本が無条件降伏をしたことが国民に告げられたとき
☆憲兵隊の間では要注意人物としてすでにマークされていた
*松江騒擾事件 は、岡崎が執行猶予中に帰郷して起こした事件
*日本が無条件降伏をしたことが国民に告げられたとき
*岡崎は徹底抗戦の一斉蜂起があるものと信じて疑わなかった
☆岡崎は、以前から一部の海軍航空隊や陸軍飛行隊、憲兵隊などと
☆岡崎は、以前から一部の海軍航空隊や陸軍飛行隊、憲兵隊などと
*連携をとって、共に立ち上がるという計画を練っていた
*玉音放送から一週間も経つと軍も憲兵隊も熱は冷めてしまい
*玉音放送から一週間も経つと軍も憲兵隊も熱は冷めてしまい
*蜂起当日にはどこからの協力も得られなかった
☆参加者は岡崎より年下の民間人ばかり
*間に合わせの武器を手に事件は決行された
*最後にメンバーが放送局に集結した頃
☆参加者は岡崎より年下の民間人ばかり
*間に合わせの武器を手に事件は決行された
*最後にメンバーが放送局に集結した頃
*武装警察官と松江連隊に包囲されていた
☆事件は報道管制が敷かれ
☆事件は報道管制が敷かれ
*岡崎らの蜂起が全国的に知られなかった
⛳岡崎は、事件後は静かに過ごす
☆岡崎は取り押さえられてすぐに
*「自分が死ぬ代わりに若者たちを釈放してほしい」と願い
*隠し持っていた刃物を取り出すと、その場で自殺を図っている
*病院に運ばれて命を取り留めた
*病院に運ばれて命を取り留めた
☆その後は刑に服し間もなく出所、86歳で他界している
☆岡崎の大望だった日本国民による一斉蜂起
☆岡崎の大望だった日本国民による一斉蜂起
*現実のものとはならなかったが、彼が起こした凶悪な事件
*何の罪もない人の市民を死に追いやり
*県庁舎の全焼という甚大な被害を出した
☆日本の敗戦をにわかに信じられないままに事件を起こした岡崎
*戦争の傷跡から復興した日本を見ながら、何を思っていたことだろう
(敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』
「岡崎功」「松江騒擾事件」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)
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