慶喜

心意気
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「岡崎功」「松江騒擾事件」

2024年03月17日 | 歴史
🌸岡崎功、市庁舎を焼き払った男

終戦直後に起こったクーデター
 ☆松江騒擾事件 、「皇国義勇軍」を名乗る青年グループ
 *島根県庁を襲撃したために庁舎は全焼
 *付近の約3000平方メートルが火の海になった
 *事件の主役ともいえる人物が、岡崎功である
 ☆岡崎は、日本の敗戦と降伏に抵抗して
 *「降伏は死なり」「戦えば必ず勝つ―」と
 *本土決戦のための一斉決起を全国に呼びかける
 ☆岡崎は、20歳前後の男女50人あまりを集めた
 *彼らと共に手相弾や短銃などを準備して
 *島根県内の主要施設を襲った
 ☆岡崎はグループの中で
 *最も重い無期懲役の判決を受けたものの
 *一度の恩赦で刑が軽減され6年ほどで釈放されている.

執行猶予中の事件
 ☆岡崎功は、20歳の頃から革命運動に参加し始め
 *政府要人の暗殺計画に加わり、未遂に終わったが
 *執行猶予付きの判決を下されている
 ☆憲兵隊の間では要注意人物としてすでにマークされていた
 *松江騒擾事件 は、岡崎が執行猶予中に帰郷して起こした事件
 *日本が無条件降伏をしたことが国民に告げられたとき
 *岡崎は徹底抗戦の一斉蜂起があるものと信じて疑わなかった
 ☆岡崎は、以前から一部の海軍航空隊や陸軍飛行隊、憲兵隊などと
 *連携をとって、共に立ち上がるという計画を練っていた
 *玉音放送から一週間も経つと軍も憲兵隊も熱は冷めてしまい
 *蜂起当日にはどこからの協力も得られなかった
 ☆参加者は岡崎より年下の民間人ばかり
 *間に合わせの武器を手に事件は決行された
 *最後にメンバーが放送局に集結した頃
 *武装警察官と松江連隊に包囲されていた
 ☆事件は報道管制が敷かれ
 *岡崎らの蜂起が全国的に知られなかった

岡崎は、事件後は静かに過ごす
 ☆岡崎は取り押さえられてすぐに
 *「自分が死ぬ代わりに若者たちを釈放してほしい」と願い
 *隠し持っていた刃物を取り出すと、その場で自殺を図っている
 *病院に運ばれて命を取り留めた
 ☆その後は刑に服し間もなく出所、86歳で他界している
 ☆岡崎の大望だった日本国民による一斉蜂起
 *現実のものとはならなかったが、彼が起こした凶悪な事件
 *何の罪もない人の市民を死に追いやり
 *県庁舎の全焼という甚大な被害を出した
 ☆日本の敗戦をにわかに信じられないままに事件を起こした岡崎
 *戦争の傷跡から復興した日本を見ながら、何を思っていたことだろう
                       (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史の黒幕』

「岡崎功」「松江騒擾事件」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

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