麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

老爺音

2023年12月04日 | 身辺雑記

僕の母方の祖父は隣の部屋で

ラジオを聴いていることが多かった。

 

僕と父母と、のちに弟が暮らす社宅が

川崎のはずれ「柿生」にあって。

そこから徒歩で5分と掛からない距離に

祖父母の借家があった。

 

祖父は絵に書いたような明治の男。

寡黙で厳しい人だった。

 

例えば、食事中に行儀が悪いと、

佐々木小次郎の燕返しより速く、

箸の太い側からクルリと持ち手を

細い先端にかえて、無言でピシャリ!

当該者の手の甲を打ち据えるのだ。

ちゃぶ台をひっくり返したことも

珍しくなかった。

 

僅か二間の小さな家の、テレビのある

祖母や叔母らが団欒する居間と

襖一枚を隔てた隣室で、

祖父は独りイヤホンでラジオ。

 

今思えば、普段は「あるじ」の祖父が

見たいテレビ番組を見ていて、

孫の僕がいる日限定のフォーメーション

という可能性もなくはない。

が!

恐らく彼の中にテレビジョンへの興味が

少なかったのだろうと思う。

 

今や己が老域に達して痛感するのは

「あれれ、俺はテレビ見てっけど、

世の中は違うメディアを楽しんでる。

嗚呼、あの頃の爺ちゃんと同じじゃん」

という事実を下敷きにして。

 

そして当たり前だが、今度は

YouTube等々が古くなってゆく。

一方、ラジオもテレビも消滅はしない。

・・・たぶん

映画や演劇、落語に講談なども

数の多少はおいて楽しまれてゆく

 

なんなら、ぐるっと回って

脚光を浴びる可能性がある。

 

僕の母方の祖父は隣の部屋で

ラジオを聴いていることが多かった。

彼とほとんど会話した記憶がない。

寡黙で厳しい明治の男で、

きっと孫への接し方が判らなかったのだ。

 

お正月

恐る恐る襖を開けて新年の挨拶を

お爺ちゃんにする。

耳にはイヤホン

 

それが箱根駅伝だと知るのは、

中学生になってからだったか……。

 

100回記念の「それ」まで30日を切った。


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