そんなわけで土曜日(9/27)に、世田谷区内の老人ホームで職員さんたちがお芝居をするというので覗かせてもらいました。
演劇経験のある介護職員S氏を中心に、リハビリの先生やヘルパーさんで、何とクボマンに挑んでいました。
世田谷線世田谷駅からほど近い、ある老人ホーム。1階のおそらく食堂だろう部屋が会場でした。テーブル等を片付けてスペースを作り、平台と箱馬で、ちゃ~んとステージが作られていました。芝居はほとんどが、部屋の中で座した形だったから、60㎝強の高さがなければ見えなかったことでしょう。
何しろ、入居者がざっと見て70名はいて、さらに職員さんが20~30名。入居者の家族や職員の友人なども10名ほど(僕もこの中の一人)いて、つまりは軽く100名以上のオーディエンス。
演技者は、かなりのプレッシャーだったろうなぁ、と。
あ。順番が逆になりましたが、クボマンこと久保田万太郎は、文学座の結成時のメンバーの一人です。
なので「文学座」のHPから抜粋引用すれば。。。
明治22年、東京・浅草生まれ。明治44年「三田文学」に小説「朝顔」、戯曲「遊戯」を発表して作家デビュー。その後、新派、築地小劇場、築地座、文学座などで数々の演出を手がけ、日本演劇界の重鎮としてその発展に多大な功績を残した。
また、俳人としても名高い。昭和32年、文化勲章受賞。昭和38年5月6日死去。享年73歳。
。。。とのこと。
つまり劇作家で小説家で俳人で。文学座の財産演目『女の一生』初演の演出家でもあったりします。
そのクボマンの『秋の夜』という静謐な世界を、見事に演じきった“役者達”に脱帽しました。
前述したように食堂だから、部屋の奧の配膳室から本番中に食器を洗う音がジャンジャンしていたのである。けれども皆、集中して見ていて、役者も動じずに芝居をしている。照明設備も音響設備も整ってない中で、けれども、厳格な父と、後添えの母と、その二人の間に生まれた娘(妹)と、母とは血のつながりのない息子という家族の像が、くっきりと浮き上がっていて、終盤の母の〈私は確かに産みの母ではないけれど、育ての母だ〉という訴えに、客席からは「どうして解ってやらないの」と、父をなじる声も上がったほどだ!
演劇の原点が、そこにはあった
もう少し細かく語れば……。
食事、リハビリ、入浴等々、細かく時間配分されたホームの生活の中での上演は、前述したように昼食の片付けから夕食の準備が行われている中で行われるわけで、そこには物理的制限が生まれる。また主たる対象が老人であれば、そこに適した生理的制限も存在する。
その二点を鑑みた30分のドラマ。さらには観客のターゲットを熟慮したレパートリー選択にも、我々プロは学ぶところ多し、と思った。
客席に媚びるつもりはないけれど、「今」にふさわしい上演時間、開演時間はあって、我々プロは、それを解っていながら目を逸らしている部分がないと言えば嘘になる。
今回は、劇評というより演劇の本質を突きつけられ、大いに反省するの図って感じになりましたネ。