麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

べべ閉店

2025年03月06日 | 身辺雑記

江古田駅(西武池袋線)を降りたら、

駅前の「べべ」が閉店していた。

驚きはしたが、見た目はいつ終わっても

不思議のない佇まいではあった。

 

 

知らない人も多いだろうから

改めて紹介すれば、正式名称は

「ファッションパークべべ江古田店」。

さる2月20日、営業終了。

40年に渡り江古田の顔だった

地上3階地下1階の……なんとゆうか

昭和の匂い満載の、小ぶりな百貨店?

でした。

 

公式SNSによれば

「最終日の閉店時、強風で寒い中を

大勢のお客様に見守っていただき、

従業員一同胸が熱くなりました。

皆様の温かいお気持ちに

心より御礼申し上げます。

本当に有難うございました」と

千秋楽の様子を綴っている。

 

最近はイトーヨーカドー各店で

ジモティーが別れを惜しむ絵を

よく目にするけれど、

それが「べべ」でも起きたようだ。

 

江古田は稀に用事で訪れる程度。

けれども待ち合わせや開演より

早く着いた時にふらりと寄るのが、

「べべ」だった。

それでも古き良き時代を

否が応でも想起させる品揃えは、

インパクト大だった。

 

たぶん片手から少し余る程度の

べべ体験しかない私ですら

「えっ!!」と心が少震したのだから、

親しんだ人々の心中たるや

 

ただ前述の某大手スーパーの

業績不振という理由ではなくて

建物老朽化によるようで、

此処しか知らなかったけれど

「江古田店」って言うからには

他でも展開しているのでしょうね

いずれにしろ「お疲れ様でした」

 

健康診断での江古田行だった今回。

総合病院への道すがら、

電信柱のチラシにも目が行った。

 

 

「辛いもん対カラクナイもん」の

〈江古田カラフェス2025〉って、

じゃ、対象は全部じゃね?と

間髪なくツッコミたくなるけれど。

べべにしろフェスにしろ

縁の薄い者にすると

〈とても江古田っぽい〉のである。

 

何故だろう。

日藝もあるせいか、変な…

もとい個性的な人々が多いから?

よく知る「劇団一の会」も

良い意味で〈本格的に妙〉だしな〜

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いま熱海

2025年03月03日 | 身辺雑記

昨日のブログでは熱海イコール

「貫一お宮」で押し通したけれど、

『金色夜叉』に深い思い入れはなく、

作者の尾崎紅葉も読んだ記憶がない。

ただ『金色〜』が尾崎の病死により

未完であったり、熱烈な読者の求めに

紅葉門下がその後を書き継いでいたり、

多くの映画化ドラマ化の中で

〈天下の大女優〉田中絹代は納得だが、

我々の印象は〈個性的なおばあちゃん〉

浦辺粂子もお宮を何度も演じていて、

少し意外に感じながら、

「けど、彼女にも若い頃はあって、

器量もあって女優になったんだろうし、

加えて地元静岡出身だし」と思い直す。

そーゆー観点でいえば、興味深い。

 

 

「貫一お宮」の像をつくったのは

舘野弘青。彼の別の作品が

熱海駅の新幹線改札に建っている。

 

そのダイナミックな裸体の脇に

目についたのが〈記念スタンプ〉

東海道新幹線60周年の。

かわゆいコスチュームをまとって

敬礼するのは渡辺曜……というらしい

 

 

『ラブライブ!サンシャイン!!』に登場の

スクールアイドルグループ「Aqours」。

9人いるメンバーのひとりで

上記作品の舞台が沼津だそうだ。

 

『金色〜』の有名過ぎる台詞

「来年の今月今夜、この月を

僕の涙で曇らせてみせる」は

知っていても『ラブライブ!』は

とんと解らない。

ただどちらも二次元発で、

そこからメディアミックス展開して

静岡を盛り上げた点は同じなのだ!

 

花火やお城、神社、梅園に遊覧船、

干物、プリン、レモンなどなどと

力をあわせて。

 

 

そいでもって・・・

2064年、新幹線開業100周年。

熱海の海を見下ろすホーム。

「職員さん、私がまだ若い頃に

60周年のスタンプを押したんだ。

沼津が高津千歌、静岡が国木田花丸、

熱海はえーと…渡辺曜だったかな。

しゅかしゅーこと斉藤朱夏が声でさ」

廃業したホテルを改築した施設で

ネパールと中国のミックスドレースの

介護職員に話しかける。

・・・そんな風景があるのかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱海

2025年03月02日 | 身辺雑記

 

熱海といえば「貫一お宮」である。

昭和レトロだ、熱海プリンだと

若者の支持も得、V字回復した温泉街

なわけだけれども。とはいえ、

熱海とはいえば「貫一お宮」だろう。

 

 僅か3行挟んで断言が推量に?

それはともかく、月末に熱海へ。

 

そして泊まったのが「ホテル貫一」。

貫一お宮の像が建つサンビーチを

真下に見下ろす高台に位置する

昭和25年開業の、旅館の色合いが残る

7階建にお世話になった。

 

 

あえて新幹線を使わず、

小田急で小田原。東海道線で5駅。

そして熱海の駅から坂を下って

辿りつくと、中国人男性がお出迎え、

客室の料理など諸々はネパール女性。

どちらも流暢な日本語で、

男性は白シャツ黒ズボンで

洋風のホテルマンだったが、

仲居さんは和服をビシッと。

 

熱海海岸の波音は穏やかながら

国際化の波は今や全国津々浦々に!

 

15時過ぎの駅前は賑わっていて、

一方ホテルまわりは静か。

夕食後に繰り出した21時過ぎの

海岸はむしろ閑散。

歓楽街もさほど往来はなかった。

 

 

上の写真が熱海銀座の一軒、

ストリップ劇場で

下がホテルロビーのお雛様。

 

そうなのだ!

チェックインから8時間ほどで

弥生を迎え、その3月1日は

義父の誕生日

その祝いも兼ね、彼と彼の姉と妹、

揃って80超えの紳士淑女との旅。

 

と言いながら……

午年83歳の記念日の午前に

ふた周り下の午年の私は

仕事のため離脱し帰京。

遊覧船などに乗る予定だそうだが、

その道中は知らない。

 

 

そんなこんなで、熱海といえば

「貫一お宮」であり、二人が主人公の

『金色夜叉』の作者・尾崎紅葉も

二人の隣にレリーフになり、居る!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髪を引っ張る

2025年03月01日 | 身辺雑記

あるコメンテーターが、

「韓国ドラマを見ていると

髪を引っ張る喧嘩が多くて驚く」

という内容を話し、

実際の渡韓でも目にしたと続けた。

……ここまでは良い。

その後に「日本ではない」と断言!

 

 

そうかしら?

わたしは日本でも見たぞ。

そのコメンテーターは若かった。

現代日本では消滅したのか?

彼女の周辺がたまたま気高かったのか?

 

公共の電波に乗せているから

テレビ局のスタッフもいて、

中には年長者もいただろうに……。

関わる全員がそうならば

それは平和で良いことだ。

 

ここで一度冷静になり、

胸に手を置いて考える

まぁ確かに随分と喧嘩を見ない。

髪うんぬんでなく、喧嘩そのものを。

 

これは逆に「あなたのまわりはね、

でもあたしの近所じゃ日常茶飯事で

年柄年中ドタンバタンが絶えないわ」

と突っ込まれる、かも

 

小学生の喧嘩のシーンで、

先生が飛んできて二人の襟首を掴み、

持ち上げて止める、なんてのも定番だ。

が、実際には見たことがない。

 

逆に、同級生が止めに入り、

「お前は関係ねーだろ!」

と振り払った手が顔に当たって、

「あ、やったな〜」てな感じで

新たな諍いになる図は、ある。

 

それは大人にもあって。

駅で揉めているところに駅員より先に

仲裁に入った者と、

火がついている一方とやり合うのは

珍しくない風景だ。今でも……。

 

ホームから少し俯瞰する。

某強国の返り咲いたガキ大将が、

小国と大国の長引く戦争を

「解決する」と鼻息荒く出張ってきた。

 

格好良く裁ければ賞賛だけれど、

贔屓目に見てもそうはならなそう。

誰か、あの個性的な髪の毛を

引っ張って「いい加減にしろ」

もしくは「doubt」と言えないかな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンダル〜変わりゆく街の一例題

2025年02月25日 | 身辺雑記

 

昨日『住みたい街』ってお題で書き、

街は変わりゆくものと

その中で当たり前の一節も。

 

そんな移ろい行く街のひとつに

謎のサンダルを見たのは、

今年の正月明けくらいだったかと。

 

 

駅からさほど遠くない寺社脇の

駐車場を背にしたの自販機、の前。

 

落ちている、というよりも

脱いであるが相応しい

「配置」なのが印象に残った。

実際は落ちていたのでしょうが)

何がどうしてこうなったのか、

絶対に気になるヤツだ。

 

 

よく歩く所ではないので、

1ヶ月後くらいに通ったら

駐車場は工事現場になっていた。

嗚呼まさに変わりゆく街。

 

念の為に添えておくと、

サンダルと工事にはタイムラグがあり、

業者の方の履物ではない。

 

 

駅から近いと冒頭に書いた。

普通に考えたらマンションが建つ。

低層は当然テナントで

 

三枚目にぼんやり写り込んでいるが

奥の集合住宅に垂れ下がる

メッセージもなかなかに苛烈で

それはサンダルとは別に気になる。

 

〈カネ カネ カネ

境内地にしろとは何事か〉

 

 

つまり隣の寺社と集合住宅の

諍いのようなのだが……。

詳細はわからない。

地元の人々には知られた案件と

想像だけはできるが。

 

さて、冒頭の石。

サンダルから随分北にある公園のもの。

サンダルとも懸垂幕とも無関係。

「そーゆーの気になるんだよ」と

思われる方もいるでしょうから、

補足しておしまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住みたい街

2025年02月24日 | 身辺雑記

ある不動産・住宅情報サービスが

「住みたい街ランキング」を発表。

首都圏シングル編の栄えある1位は

北千住

なんだか最近色んなランキングで

上位に来ますな〜

 

足立区の中心地と筆者は

さほど関わりがないけれど

 

縁でいえば・・・

5位の高円寺は今暮らす家の前に

住んでいた街で。

婚姻届も杉並区役所に出した。

 

その頃の勤務先はシモキタと

サンチャの中間にあったのだが、

三軒茶屋が4位にランクイン。

で、3位池袋に現在進行形で居住。

 

さて意外にも川崎が2位。

ここは生まれた地。

あの頃は公害で有名で……

またヤクザも跋扈する危険な街。

 

それを言えば池袋も少し前まで

銃声の止まない(は盛り過ぎだが)

荒れた印象なのは間違いなかった。

 

つまり1位以外には偶然にも

ゆかりがあるという小さな自慢。

それはそれとして。

街も人と同じで変わるという。

 

で、そもそも論になるが、

ランキングはシングル編なので

若い独り身が「住みたい街」。

本当に暮らしている所とは異なり、

また実際暮らして良かったとは

必ずしもならないってことだ。

 

 

本文とは直接関係ないけれど、

住みたい部屋っぽいイメージとして

挿入してみた

 

池袋のふたつの商業施設の共有通路、

つまり普段は人が往来している空間に

短期展開した店舗。

 

上階から写すとこんな感じ。

zoffとGAPでした。

わりと服やアクセサリーが

多くて、珍しくてパシャ。

 

百貨店も売上向上のために

スペースを有効活用でき、

小売店もビジネスチャンスが広がる

winwinの……あ、これはまた

別の話でやんすな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧江戸川乱歩邸ただいま休館中

2025年02月18日 | 身辺雑記

ウィリアムズ、ロイド、タッカー、

ポール・ラッシュと聞いて、

大学名がスッと出てくれば、

貴方は立教大学出身者でしょう。

おっと。

現役や親族の可能性、それから、

志望者もあるか?

 

そんなセントポールは、

小学校を建替工事中

立教といえば池袋駅が最寄だが、

隣駅の椎名町に近い

旧真和中学校に一時移転しており、

完成は2026年9月の予定。

 

 

また、旧江戸川乱歩邸の改修整備も

昨年1月から始まっている。

豊島区指定有形文化財に指定された

乱歩邸は、土蔵とともに2002年、

立教大学に譲渡され、今回の工事は

学院創立150周年事業の一環でもある。

 

で、その施工者が「飛騨の匠」

岐阜県中津川市の工務店で、

鉄骨製作を愛知県新城市の工場が

担っているのを「へぇ〜」と

思うのはあたしだけかしらん

 

なんだかこだわりをひしひしと

感じざるを得ません。

 

江戸川乱歩こと平田太郎は、

三重県名張市の生まれ。その縁で

豊島区と名張は「交流都市協定」を

結んでいたりする。

 

三重、愛知、岐阜は全て東海地方。

それと関係はあるのだろうか。

そもそも早稲田大学出身の乱歩と

ミッション系の立教との関連が……

と。

 

1952年、立教大学文学部非常勤講師。

53年、立教大学文学部社会科助教授。

60年、同学部教授。

66年、立教大学ミステリクラブ顧問。

68年、社会学部長。

86年、立教大学名誉教授。

長男の平井隆太郎の経歴が!

ナットク

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かごめかごめ

2025年02月17日 | 身辺雑記

『かごめかごめ』を

純然たるわらべうたと捉える以外に

歌の裏側に様々な意味をみる向きあり。

その解釈は沢山あって怖いものも多い。

 

そう思うと、あのゆっくりした曲調も

なんだか怖く聞こえてくるから不思議。

 

 

『ロンドン橋』もだ。

こちらはマザー・グースの一編で、

英国古来の童謡だけれど、

1000以上あるとも言われる中には

ビビるものも少なくない。

マザー・グース自体がまず怖い

 

天災等で何度も落ちた「ロンドン橋」に

人柱が用いられ、それに選ばれる歌♫

という説と、この遊びで

両サイドから落ちる腕の輪に囚われる

あの感覚があいまって……

 

実際には、幼い当時の僅かな怖れ

(無自覚なそれともいえる)に

アガサ・クリスティの

『そして誰もいなくなった』や

ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』など

のちに読んでから怖くなったのか。

日本では横溝正史などを。

 

 

以上、前段。

かごめかごめの後ろの正面、

ロンドン橋が落ちて捕まるのも、

たまたまのタイミングだけれど。

 

不祥事におけるトップ辞任も

当人の起こした場合は別にして、

その時に「だった」ことも多々ある。

それでも責任は取らないとならない。

 

そんな場合に脳裡に

♪夜明けの晩に 鶴と亀が滑った〜

とイ短調が流れるのかしら?

 

あるメディアを安易に思ってではなく

相対として。

昨日、ドロケイのことを綴ったりして、

なんだか浮かんだ些事。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けいじとけんじ

2025年02月16日 | 身辺雑記

【きのうの話と連動】

 

フルが千葉に越して

……そうそう1970年代後半、

古川顕司は川崎市多摩区

(当時。現在は分区して麻生区)

から千葉県市原市へ。ヨンダこと

依田真由美は同県の柏市へ。

村崎歩は茨城県稲敷郡へと、

東京を飛び越えた新興住宅地に

次々転校して行った。

そういう御時世でした。

 

東柿生小学校から出る者があれば、

小学校の敷地内に住む者もいた。

 

わが母校には用務員宅が校庭にあった。

校庭の南西のプールの脇に。

そこに子どもが二人いて、

兄が僕らと同学年の甲斐健二。

(妹の名前は忘れちゃった

 

健二はのちに市営バス運転士になるが

父は市立小学校で働いており、

ケンジだけに堅実な生き方だ!とか、

何故長男なのにケンイチじゃないのか、

とかは脇に置いて。

 

 

フルが千葉に越して、

僕らは高学年になった。

「ドロケイ」(ケイドロと呼ぶ地も

あるらしいが…)が流行って、

学校中を走り回っていた。

 

 

泥棒と警察、または泥棒と刑事で

「ドロケイ」というチーム戦の鬼ごっこ。

牢屋はプール脇の築山だった。

頂上からハの字に伸びた滑り台の

あいだの斜面が捕まったドロの牢屋、

つまり健二の家のそばでもあった。

 

悪賢いドロが健二の玄関内に隠れ、

刑事が出払ったのを隙間から見て、

逮捕されたドロを逃がす手を使い、

すぐに「ケンジんち禁止」が

ルール化された。

 

嗚呼、なんて平和な小学生時代。

  

「ドロケイ」で刑事として

泥棒を追う際には当時人気の

『太陽にほえろ』のテーマ曲を

口ずさみながら走っていたな〜

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けんじとけいじ

2025年02月15日 | 身辺雑記

【ふるかわけんじ】

 

1967年山口県生まれ。

慶應義塾大学理工学部電気工学科卒。

山梨医科大学医学部医学科卒業し、

消化器外科医の古川健司医学博士。

 

繊維の町・一宮で互いに刺激を受け、

新たな何かをつくれるのでは?と

「つくる。」という団体を立ち上げ

運営している庭師の古川乾提。

 

日本のオルタナティヴ・ロック・バンド

「ビアンコネロ」のVo、Pianica、Harp

の古川けんぢ(2022年解散)。

 

などなど沢山の「ふるかわけんじ」が

ネット検索すると出てくるけれど、

僕のふるかわけんじは〈古川顕司〉だ!

 

小学校の時のクラスメートで、

バイオリンを弾く男だった。

絵も上手だった。千葉に転校した後も

手紙のやりとりをしていた記憶がある。

 

彼の誕生日会で、蝶ネクタイをして

バイオリンを演奏したのは、

今も強く脳裡に焼き付いている

小さい頃の映像を8ミリで

映写したのにも、おいらとは別世界じゃ

とビックラこいた。

お母様も上品で、さらには家に

お父様もいらしたことに驚愕。

(僕のおやじは仕事柄、

家に滅多にいなかったので)

 

 

それから、別の日。

二人で教室の机の下に隠れたこと。

 

当時はガキ大将が当たり前にいて、

各組のケンカ自慢が、ヤクザよろしく

他の組に(おっと、抗争が組単位なのも

まさに『仁義なき戦い』みたいじゃん)

攻め行って、それをクラスの男が防衛。

するってぇと真面目な女子が職員室へ。

だから抗争はあまり激しくなる前に

担任及び学年の先生が飛んできて、

せいぜい一人が殴られて泣いていて、

机が4、5台ひっくり返った程度で

終焉するわけである。

 

そんな時、僕は「フル」と二人、

大概正義感に溢れて「やめなよ〜!」

と喧嘩を止める女子より後方の、

かつ机の下に隠れていたのだった。

今でもだが、争いごとは苦手

 

さて。

古川顕司も僕もケンカに加え

体育も当時はさっぱりだった。

のに!

中学でのフルは陸上の長距離走に

活路を見出し、大会で上位に入る

変貌を遂げていた。

「おぉ」と手紙の文字に声を出す僕。

たいへん喜ばしいことで、

けんじならぬ漢字二字なら「慶事」。

 

負けじと僕も、バレー部で1年夏から

ぼちぼちと練習試合に起用され、

3年の抜けた新チームではエースだよ

と返事を書く。

まぁ、同地区に全国準優勝校、

県ベスト4と8までいて、公式戦は

あまり勝てなかったのだが

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする