麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

◯勝✕敗

2025年02月02日 | 身辺雑記

歩巳の住まう処は都会ではない。

通学のため玄関を出て凡そ15分、

無人駅まで信号は三つ。

歩巳は高2になった途中から

その勝敗を記録し始めた。

 

 

止まらずに渡れる青なら勝ち、

赤で止まったら負け。

一度も止まらない日はなかなかない。

一方、全部赤で3回立ち止まることは

多い気がした。それを検証すべく、

選択日本史が半年で終わって

余ったノートに日付と勝敗、

ついでにその日の何かも箇条書き。

 

・JAのバン左リヤタイヤがパンク気味。

乗ってたの、たぶん支援課のウゴさん

・国語の里先生が珍しく青系の服

・麻子と花田先輩、破局の噂

・琴扇堂に頼んだ「こっきり饅頭」を

帰りに受け取り

 

など道すがらのこと、学校のこと、

母から頼まれた用事など雑多で

何も記さない日もある。

 

 

歩巳は後期から窓側の席になり、

つい見慣れているはずの山並に

目が行きがちだ。

前に座る山川は東京の大学を目指し、

休み時間も勉強していて、

背中を突っつく空気ではなく、

隣の淵は大概寝ている。

引退したのにまだ朝練に出て

後輩の指導に熱心だからだ。

大工を継ぐが、数年は高崎に出て

建設会社での修行が決まっている。

 

歩巳は一応進学希望だが、

実のところ未来が見えていない。

指定校推薦は無理だし一芸もない。

そも、行きたい大学も専攻学科も

或いは専門学校もない。

 

1月は24勝27敗だった。

さて、これからの長い人生を

何勝何敗で終えるのか?

ちなみに今日は「勝・負・勝」で

2勝1敗。

幸先良い月のスタートになった。

 

景色に飽きて、ノートを前にめくる。

足利義輝の辞世に蛍光マークした

 五月雨は露か涙かほととぎす

 我が名をあげよ雲の上まで

が目に止まる。

その下にマーカーなしで、訳

 五月雨は露なのか私の涙なのか

 我が名を雲上に広めてくれ、時鳥!

 

日本史なのに古文の授業みたいだ。

桜井先生らしい。

それにしても、原文と書下し文と訳文が

あまり変わらない時があって、

何だか損をした気になるのは自分だけか

と思っていたところにチャイム。

英語の授業が終わった。

ほぼ聞いていなかった。

というより開いているのが

例の記録ノートだ。

 

山川がスッと立って教壇に向かう。

分からなかったところを質問するのだ。

中学時代は一緒にバカをやっていたが

変化にむしろ感心し、

少し妬ましくさえある歩巳だった。

 

一方「我が名を雲上に」の心持ちの

欠片もない自分が情けないと

内心が動くならまだ良いが

それもなく淡々とする自分を

どう捕らえたら良いのだろう。

 

そもそも人生の勝ち負けとは?

 

山並の上の雲はゆったりと

西から東へ動いている。

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休館で。

2025年02月01日 | 身辺雑記

 

すぐ上の写真。

ガラス越しに撮ったので

分かりにくいですが

東京芸術劇場の入口です。

 

昨年の9月末から今年7月まで

設備更新工事のため休館中。

まぁ「劇場」は閉まっていても

諸々仕事はあるのだろうけれど、

テナント入居のおむすび屋さんや

カフェなどはその間どーしてる?

と、他人様のことながら気になった。

 

計画は早くから決まっているから

契約を休館のタイミングで一度終了

と考えるのが普通か。

社員は他の店に異動?

⋯⋯他店舗があればだが

実は郵便局もあって、

そういう巨大企業は問題ないか。

 

本題は、芸劇のテナントではなく、

劇場の休館や閉館が多いという件です。

ここにも書いたけれど、

六本木の俳優座劇場の終幕が

いよいよ近づいてきた。

 

Bunkamuraはシアターコクーン、

ザ・ミュージアム、ル・シネマなどが

閉じていて、オーチャードホールのみ

日祝を中心に営業継続中。

街そのものが大変動している「渋谷」と

ある意味で連動している。

 

あたまに働いている側について触れた。

当然、使う側にも影響は大きい。

東京芸術劇場の地下のギャラリーで

毎年開催していた美術展も

今年は芸劇のすぐ近くのギャラリーに

場所を移した。

と書くと

まるで毎年それを楽しみにしていたようだが

家から駅への道筋にあるオレンジギャラリーに

ふらりと入ったら、先客が主催と会話していて、

「いつもは地下のギャラリーの両方を借りて、

でも今年は……」と説明しているのが聞こえた。

「けっこうふらりと入って来る方も多くて」

と説明は続いていた。

 

池袋のランドマークの芸劇での上演や展示は

そんなプラス面に加え、

誇らしくもあるだろうと思いつつ

絵やオブジェを見た。

 

ただ私のように、ここだから「あ!」

と認めて立ち寄る者もあるだろう。

芸術劇場という建物に踏み入るのに

臆する人は少なくないから。

 

ちなみに覗いたのは

「東京朝鮮中高級学校美術部展〜流転」。

先月には大正大写真同好会、

今月末には東洋大書道研究会が

作品展を開催。

彼らも休館影響派なのか、

このギャラリーが主戦場なのかを

私は知る由もない。

 

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周年2025

2025年01月31日 | 身辺雑記

早いもので今年の1月も今日迄。

あと11ヶ月っきゃなくなるのだな

 

そんな2025年に「周年」を迎える

いくつかについて書く。

 

プリクラ30年。

筆者にとっては新しいもの、

というイメージなので「もう?」

って思うわけだけれど、

指折り数えたら三十路手前に出現。

あの頃「何それ」と訝って

遠ーくから眺めてたという記憶。

 

ポカリスエット45周年。

確かに中学の部活で飲み始めた。

が、先行したのはゲーターレード。

 

カルビーポテトチップスが50年。

これは逆にそんな最近?

そうかカルビー製がであって、

紐解けば(いや皮むけばか…)

湖池屋が67年に発売していて

66年生まれの僕的には

物心ついたときにはあった勘定。

さしずめ「ポテチネイティブ」!

きのこの山も同期らしい。

 

 

ヤクルト90周年。

そんなに歴史があるのだな〜。

  

我がスワローズも今季は上位に

(優勝とはいわない)食い込み

記念イヤーに花を添えたいな

 

さて、90まできたら100だ

近畿、天理、東邦といった

「大学」がそれぞれ

大阪専門学校、天理外国語学校、

帝国女子医学専門学校として

1925年に創設して、100年。

ほか徳島洋服学校から四国大学、

南都正強中学から奈良大学など

大きな節目を今年迎えるそう。

 

 

あ、昨日紹介した「月刊住職」も

そういえば昨年が発刊から半世紀。

 

昨年は、新劇の始祖とされる

築地小劇場の誕生から100年という

マイルストーンだった演劇界。

幾つかの劇団の周年も重なり

特に新劇畑は賑やかだったけれど、

今年は「大小劇場」の新感線が45th!

いのうえ歌舞伎『紅鬼物語』を

記念興行として大阪・東京で打つ。

 

本家の歌舞伎を届ける松竹は130th!

『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』

『義経千本桜』の三大名作一挙上演と

気合が入っています。

 

『仮名手本〜』は観たいなぁ

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守備範囲(PK戦)

2025年01月29日 | 身辺雑記

1/17、同/22と続いて……

 

皿が割れる音がして

「コンチキショー、出て行きやがれ!」

の怒声が言い終わらないうちに

「言われなくても二度と帰らねーよ!!」

と女性とは思えぬドスの効いた声が

壁の向こうから。

 

もう慣れてきた。

「二度と」を聞いたのは両手で足りない。

年中派手に喧嘩して、

だけれども本当に別れることはなく、

ごま塩短髪の七十絡みの夫が

「何遍言ってもできねえな、バカ」

「バカにバカ呼ばわりされたくないね」

紫に染めたいが白髪が勝っている頭と

唇には近年見かけない濃い赤をさした

妻が数日後には喚き合いながら

狭い狭い路地を並んで歩く。

 

近所迷惑甚だしい声高な口論の二人。

だが、漫才師顔負けの応酬だから

ただで寄席にいると思えば、

多少我慢もできる。

その境地に達するまでに隣家は

暦を随分掛けかえたけれど。

 

※※※

 

全国高校サッカー選手権一回戦。

監督となり苦節16年、初めての県代表。

小峰は競技場のいかめしい時計を見る。

既に80分は過ぎて残すはロスタイム。

1対0とリードしている。

 

近距離の守備にめっぼう強い武田を

スイーパーに送り出して、15分が経過。

力では上の全国常連校の分厚い攻撃に

チームは耐えていた。

 

主審はチラリと腕時計に目を落とす。

相手GKがピッチ中央まで上がり、

ゴール前に蹴り込む。

 

バイタルエリアは大密集。

スマートボールのように

敵味方の足、膝、足、踵と弾かれて、

最後はキーパーが身を挺して抑えた

……かに見えたが、こぼれて。

赤と黒の縦縞ユニの足が伸びる!

 

9年前の県予選決勝。

GKとCBが一瞬見合って敗れたシーンが

小峰の脳裏に蘇る。

 

そこに、コンマ秒早く武田の爪先!

近距離でのレーダーが危機を察知、

ダークオレンジのスパイクが!!

 

ボールはゆるゆるとラインを割り、

長い長いホイッスル。

 

※※※

 

小さな自分たちの暮らしのみに

視界を置いて生きている。

「なんだよ、茶がぬるいぞ、タコ」

「電気もガスも値上がりしてたんだ、

黙ってすすれ!」

今日も諍いながらも当人同士は

楽しいのだろう。

 

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万才

2025年01月24日 | 身辺雑記

渡辺文雄、竜崎勝、友竹正則、宍戸錠、

川津祐介、梅宮辰夫、村野武範、

辰巳琢郎、山下真司、宍戸開、松岡修造。

歴代くいしん坊 初代から順番に!

 

松岡、友竹、山下、梅宮、村野、辰巳、

渡辺、宍戸錠、竜崎、宍戸開、川津。

出演回数順のくいしん坊!

 

トップ修造はダントツの1000回超え。

つづく声楽家・友竹は794回。

最少の川津でも228回。これを約1年で。

そう以前は週5の帯で流れでいた

(サラリーマンみたいに土日休ではなく、

火曜と金曜休みという編成)。

現在は週一、日曜日のオンエア

 

テーマ曲は愛場俊彦。

1974年から半世紀を超える長寿番組だ。

 

「万才」は、祝いや喜びの気持ちを込めて

唱える言葉で、その動作のことも言い、

そのかたちから、別の意味にも使う。

降参すること。「お手上げ」の同意として。

  

 

本来は〝くいしん坊に長久の繁栄あれ〟

という、ある意味呑気な、よく言えば

大変に平和なコンセプトなわけで……。

それが、それを放送する局の不手際に

「お手上げ」だから一寸お休みになった。

 

でも余りに過剰と思うのは私だけか。

保身を優先した企業に対して、

「わが社はそれに賛同しません」という

態度もまた保身ではないか。

将棋倒し的に広がるCMオフエアに至る

空気も仕方ないのだろうが。

・・・と

書いていた1月23日午前に入った

ニュースにびっくりした。

pensionering

余りに驚いてスエーデン語になったが、

日本語では「引退」。

 

彼の不祥事にではなく

局に対してのリアクションだから

「はい、じゃ休止取り下げます」とは

すぐにならないわけで。

嗚呼、早く……

呑気で平和な番組の復活を願うばかり。

 

非凡なMCが芸能界を去った次は、

バラエティの王から社長になった男の

辞任という流れかしら。

 

「正義」があらぬ方向に動いている、

ような気もしないでもないが

はて? どんな着陸になるのだろう。

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あした悲別で

2025年01月23日 | 身辺雑記

『昨日、悲別で』はテレビドラマ。

日本テレビ系列で1984年に放送された

倉本聰脚本の。

出演は天宮良、石田えり、布施博、

梨本謙次郎、五月みどり、ほか。

 

北海道の悲別と、東京が舞台で

上京した主人公(天宮)は

赤坂でタップを踏んでいる。

同級生の、おっぱい(石田)、

駅長(布施)、与作(梨本)を絡めた

青春グラフィティ

 

石田以外の3人が、この作品から

ブレイクした点もドラマチックな名作。

 

と、懐かしい作品を持ち出したのは、

舞台『マクベス』の公演情報を目にして。

 

その出演者・・・

藤原竜也、土屋太鳳、河内大和、

廣瀬友祐、井上祐貴までの

フォントが大きくて、

稲荷卓央から小さいのだが、

その中に冒頭作品の主演俳優

〈天宮良〉の名前を見つけたから。

 

彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd

(蜷川演出からバトンを受けた

吉田鋼太郎による後継シリーズ)の

第2弾『マクベス』は今年5月、

彩の国さいたま芸術劇場ほかにて。

 

小フォント20人のあと、たかお鷹、

演出も兼ねる吉田が大フォント。

 

大書が主要キャストと推測され、

ホームページを見ると、

藤原=マクベス、土屋=マクベス夫人、

河内=バンクォー、廣瀬=マクダフ、

井上=マルカム、たかお=ダンカン、

魔女=吉田と、7人だけ配役あり。

 

かつての人気ドラマで主役を張っても

この舞台では特別扱いはしません!

という大変フラットな座組だ

 

芝居は過去の栄光でやるもんじゃない。

同様にまた、役に大小はないとも

よく言われる話である。

 

いずれにしろ。

出世作のイメージから北海道出身と

思われがちだが、実は東京三鷹が地元。

トライアスロンが趣味の壬寅年の、

天宮が何役なのかが気になります。

 

多くの方はご存知でしょうが

悲別は架空のまちなのだけれど、

『悲別〜かなしべつ〜』という

演歌もあって、歌唱は川野夏美。

作詞が仁井谷俊也(にいたにとしや)

で2013年発売。

 

今回の話とはまるで関係ないが、

作詞家とブログ筆者の名前が

同じよしみでサビを少々

 

♫ここは悲別 北の悲別

 あなたに帰る汽車は来ないけど

 この胸の 胸の線路は

 今もあなたに続いています♪

 

ド演歌

 

 

悲別のモデルは、空知郡上砂川町と

言われているが写真はフリー素材で

北海道のまた別の駅のもの。

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守備範囲(延長戦)

2025年01月22日 | 身辺雑記

1/17のつづき

 

武田兄がシャドー。

センターバックが主将の熊澤。

キーパーに副将・中山(以上3年)。

ワントップが唯一の2年・杉本。

 

この4人を中心に堅守速攻の

オーソドックスなサッカー。

もちろん、勝ち上がるためには

ラッキーボーイも必須。

左インサイドハーフの伊豆が

まさにそうだった。

2回戦での同点弾が彼の公式戦

初めての得点で、最後のゴールは

準決での決勝ヘッドになった。

つまり高校生活の全得点が

最後の県大会の、かつ重要なゴールに。

 

※※※

 

〈自分まわりに圧倒的な力を注ぎ、

周辺には関心がない人〉の具体例。

ある日の路線バス。

 

最後列の5〜7人は座れる長椅子の、

通路に面した中央に陣取り

両サイドに行きづらく座る御仁。

豹柄ジャケットにサイケなシャツ、

細身の黒パンツに赤い靴下とくれば

当然靴は先がとんがっている。

パーマ、サングラスという

絵に書いたようなイデタチの、

とどめはオーデコロン。

無駄に多く振り、匂いが強すぎる。

 

スマホをいじっていたと思ったら、

前の二人掛に一人で座る

寿司でも握りそうなごま塩短髪の

七十絡みの男性に話しかけた。

 

彼も窓側を空かせており、

足は通路に投げ出している。

普通なら二人掛けに並ぶものだが、

何しろ〈自分まわり〜〉なので。

「座りたければ一声くれればどくよ」

という発想なのだ、きっと、どちらも。

類は友を呼ぶとはよく言ったもの。

いや二人が友人知人なのが家族なのか

知る由もないけれど(汗)

 

いずれにしても。

「一声〜」に関しては間違ってはいない。

と脳内でグルグルしていたところで

七十絡みの電話が鳴った。

 

※※※

 

やはり全国の壁は厚かった。

完全に相手ペースでの展開は

前半0対2。

 

素人目には五分五分に見えたが

名門はこちらのカウンターを避け、

ゆったりと攻めてきた。

焦れたところでボールを奪うと

その気持ちが災いして意思疎通がずれ、

逆にインターセプトから

速攻を食らっての失点だった。

 

特に2点目は、ゴール前の密集で

熊澤と中山が一瞬譲りあって、

滑り込んだ敵FWの足が先んじた

手痛いシーンとなった。

 

どちらの守備範囲でもあり、

だからこその躊躇だった。

それも一瞬の。

 

後半開始早々、ハーフウェイで

インターセプトした伊豆が

杉本に長いパスを放り込む。

大きなCBに競り負けたが、

詰めていた武田兄の前にこぼれ出る。

県大会ではゴールを許していない

鉄壁の背番号21だったが、

当たりどころが悪いのが幸い、

結果的にループシュートとなり

ゴール隅に転がって一点差。

 

しかし、35分。

この日何度目にしただろう

波状攻撃に耐えきれずに3点目。

勝負はほぼ決した。

さすがの「史上最高」のイレブンも

下を向いた。そんな中、

武田兄だけは皆を鼓舞し、

杉本の背を抱いて具体的指示を出す。

 

※※※

 

当然、ごま塩氏はスマホに出た。

通話は他愛ない、今晩のおかず。

「今、バス」と切れば良い話だが

「馬鹿、そんなもん食えるかよ〜」

とキツい口調の会話。

だが、それがきっと彼らの日常であり、

幸福な毎日なんだろうと確信した。

 

つづく

 

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なかい

2025年01月19日 | 身辺雑記

新宿、渋谷、池袋、あるいは

錦糸町、北千住といった

そのエリアの核となる街に

乗換駅が存在するのは当然のこと。

 

もともと栄えている場合もあれば、

駅の設置により栄えた場合も……。

 

設置といえば。

新しい路線は、既にある所を

縫って行くことも多いので、

「わっ

こんな駅で乗り換えできるの」

と思うことがあったりなかったり。

 

「中井」もそのひとつ。

 

新宿区の北西端、中野区と接する

住宅街と言ってよいだろう。

赤塚不二夫が飲み歩いた街の一つ

・・・隣町の中落合に住んでいた

天才漫画家の愛した場所で、作品に

居酒屋「権八」や「白雪寿司」など

実在の店が多数登場し、

彼のファンの聖地・・・であり、

林芙美子記念館のある町である。

 

そんな名もなき(?)小さな町で

西武新宿線と都営大江戸線が

リンクしている。

ちょいと離れてはいるのだが。

実は、西武中井駅が中落合1丁目、

大江戸中井駅は上落合2丁目と、

中井からちょいと離れていたりする。

……つまり中井にはないのだ。

 

 

というか、町名というのは儚いもので。

落合村から落合町と移りゆくなか、

字(あざ)として存在した「中井」は

1932年、落合町が東京市に編入した際、

淀橋区「下落合」となり中井は消滅。

1947年に新宿区となった折

(淀橋区と四谷区・牛込区が合併)も

下落合のまま。

1965年の住居表示実施で復活している。

 

と、いかにも詳しそうだが、

大学の後輩に連れて行かれたのが初めてで、

恐らく20年くらい昔だ。

「もう一軒行きましょう」と新宿から

タクシーで移動した。

なので上述の半分以上はwiki参照。

以来、縁がなかった。

最近それこそ乗換で、離れている駅間を

「面影もあるけど、随分変わったな〜」と

キョロキョロしながら歩いた程度。

変貌のなにより一番は、

西武中井が地下になったこと。

 

そうそう、演劇界目線で言うと。

アンダーグランド演劇の雄のひとつ

「新宿梁山泊」のアトリエ

芝居砦満天星の最寄駅のひとつといえる

(公式HPには中野、東中野、落合の

3駅表示で中井はないけれど)。

 

嗚呼、町や駅と無関係の〈なかい〉は

このまま地下にもぐったまま

復活はないのかしら。

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守備範囲

2025年01月17日 | 身辺雑記

競技場のいかめしい時計を確認し、

グランドコートの両ポケットに

手を突っ込んだまま小峰は、

首だけをベンチに向けて

「タケ行くぞ」と声を掛けた。

 

高校サッカーの監督になって16年、

悲願の全国大会出場を

歴代2番目に強いチームで勝ち得た

その初戦。

 

前半37分にあげた先取点。

下馬評では格上の相手は当然、

そのあと前掛かりになり、

自陣で耐える時間が長い闘いに。

その後半も25分が過ぎた。

 

背番号19の武田は監督の

「タ」でもう立ち上がり、

袖を通さず羽織っていたコートを

脱ぎ捨て、2回腿上げジャンプ。

この時間に合わせて

体は充分に温めてある。

 

野球でいうクローザー的な

センターバックの武田は

狭い範囲の守備に長けていたが、

その分ワイドに守らせると弱かった。

なのでなかなかベンチ入りならず。

最終学年になり、リードした試合の

逃げ切りにようやく活路を見い出す。

 

ダブルボランチの主将佐久間を

一枚にして、相棒の2年磯川を下げ

3-5-2から4-4-2に。

センターバックが2枚。

この時、中盤の両サイドには

高い位置をキープするように

強く指示している。

が、まだ高校生には難しい。

そこをコントロールするのが、

普段は無口だが試合では饒舌な

10番の佐久間。

まさにボランチ、舵取りだ。

 

※※※

 

世の中には様々な人がいる。

自分まわりに圧倒的な力を注ぎ、

周辺には関心がない人。

眉をしかめていたけれど、

齢をとり、それはそれであり?

と少し考えが「ゆるんだ」。

 

彼らの思想はそれなりに正しく、

何より幸せそうだ。

 

そんな心境の変化を感じながら、

サッカーをテレビで見ていたら、

架空のチームが脳内に出現した。

 

※※※

 

ピッチに向かう武田の背を見つめ、

小峰は史上最強チームのことを

思い出せずにはいられなかった。

就任7年目の県大会決勝!

 

監督業に慣れてきた5年目に

蹴球に熱心な新入生が数人入った。

その中に、武田の兄もいた。

うまくはなかったが「熱心」で

向上心も高い者が4分の3いた。

3年続いたのがその面々で、

下級生の頃から積極的に使い、

手塩にかけ「良いチーム」に仕上げた。

 

強くはなかったが、負けないチームで

OB達からも歴代最高と言われた。

県大会も競り合いを制して、

全国常連の第1シードと決勝戦。

 

つづく

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大小江戸

2025年01月16日 | 身辺雑記

「小江戸」と呼ばれる街がある。

江戸時代の風情のある地を指して、

埼玉の川越、千葉の佐原のほか

「遠州の小江戸」と呼ばれた静岡の

掛塚(現在は磐田市。旧竜洋町)等、

日本各地に点在している。

 

その筆頭はやはり川越。

教養キャンパスが東武東上線の

朝霞台駅最寄だったので、

大学時代に訪れた記憶がある。

すでに「小江戸」と呼ばれていたが、

鄙びた感じがあった。

 

 

演劇の世界。これまた少々昔に、

歌舞伎などの伝統演劇に対して

西洋から取り入れたスタイルを

「新劇」と称したのだが、

やがてアングラや小劇場などの

さらに新しい波が押し寄せ

〈旧新劇〉と揶揄されたり。

小さい劇場で上演していたことから

「小劇場」と括られた中から

人気を博して大きな会場に進出した

一部のカンパニーを〈大小劇場〉と。

 

そのノリでいえば、数日前に

30年以上の時を経て歩いた川越は

〈大小江戸〉であった!

完全な(?!)観光地化がなされ、

内外からの人が溢れて、

情緒というものが残念ながら皆無

 

ただ。

テーマパークにしないと、

人は集まらないのだろうなぁ

と理屈は充分に理解できる。

 

一枚目の写真は、そんな川越の

ランドマーク「時の鐘」。

鐘の鳴る時間目掛けて多くの人波。

個人的には、鐘の裏手の住居で揺れる

洗濯物とのコントラストが

一番印象に残ったりした。

 

 

人の住まう町だから当然洗濯はする。

我々と変わらない日常を生きている。

その一方で、しもた屋が

家を改装して饅頭だのお面だのを

売っていて、それも興味深かった。

 

静かに暮らしたいのに、

とんでもない数が押し寄せる。

だったらいっそ商いをしちゃえ的な

なんと人間的な思考ではないか!

 

 

商家ではない一般の家の意味で

しもた屋を使ったけれど、

辞書では二番目に置かれていて。

先に来る意味は、商売をやめた家。

⋯⋯その意味では「逆しもた屋」だ。

 

商売という観点では。

東武とJRの「川越駅」と

「小江戸」エリアを結ぶ

クレアモールという商店街が

(他に西武新宿線「本川越駅」からの

ルートもある)

見事にチェーン店。

ラーメン、カフェ、薬局にジムetc.etc⋯

それはそれである種の

テーマパークといえるラインナップ。

 

繰り返しになるが。

まずは生活する人々がいて、

周辺で暮らす方々も含めて

それがとても便利なことは知っている。

 

ますます情報が手軽に入手でき、

悲しいかな、それに踊る時世。

自らの足で〈楽園〉を見つけ出すのは

容易ではないのも分かっている。

〈穴場〉と発信された瞬間に

そこはもうそれでなくなってしまうし。

 

話は変わるが。

鄙びていた頃の「大小江戸」になる前の

川越に、確かに行ったのだが、

面子がまるで思い出せない。

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