麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

訪中譚⑰~上海その4

2008年04月01日 | 中国公演07

 嗚呼、結局年度を跨いでしまいました
 昨年10~11月のツアーにつき、3月いっぱいには終わらせたかったのですが・・・。

 劇団東演『臨時病室』『恋でいっぱいの森』
 日中国交正常化35周年記念「日中文化スポーツ交流年」認定
 訪中5都市(大連-長春-北京-武漢-上海)巡演レポート
 最終回です。


写真/笹山栄一※

 武漢で中国最大の文化の祭典「第8回中国芸術祭」に参加し、連日プレスにも取り上げられたのに続き・・・、上海では「第9回上海芸術祭」へ招聘され、豪華なパンフレットには、あの、長山洋子さんより大きく掲載されていた我が東演でしたので、2ステージとも熱烈歓迎なうちに、最後の幕を降ろしたのが11月15日。
 温かい拍手に後ろ髪をひかれながらもバラシを終え、退館時間ギリギリで出た我々はバスの中で、おつかれの乾杯。
           
 一ヶ月にわたる苦楽を、グッと飲み干して・・・

 さて。けれども海外公演は、ここからがもう一仕事。
 毎度、トランスポートには苦労するのですが、経済的な面も考慮して、今回は出来うる限り「手持ち」で頑張って日本から来ました。
 中国国内ではトラックで輸送していたものを、総勢32名・・・客演さんや外部スタッフさんにも協力いただいて・・・衣裳や小道具を細分化する作業をホテルにて行い、ようやく日をまたいで、近所の「鍋の店」にて有志による打ち上げ。
ベテランの方々は早めに就寝されたので、若手中心でネ。
 演出の福原さんは、お呑みにならないけれどジャンジャン老酒のボトルを入れてくれて、御馳走になりました。
 この時間、外には、ツアー初日10/18以来の雨が
 まさしく僕らの帰日を惜しむ涙雨が降っていました。。。が、それも翌朝の、我々のバスが走りだす頃には止むという、本当に最後まで天気には恵まれた巡演となりました。
そうそう、空港では、前夜荷造りした、なかなかな量の手荷物について中国の航空会社と交渉するという大仕事があったのですが、ツアーマネージャーの徐くんや通訳の朱さんの粘り強い説明と、紅一点・通訳の常さんが、得意の交渉術で、破格の代金で済ますことができた。

。。。話が逸れるますが、彼女のネゴシエイターぶりは武漢でも発揮されていました。現時点で中国最大の劇場の、外観だけでも見ようとアポなしで行った際も、地元の演劇関係者が「ダメモトで聞いてみます」と話しに行くも、案の定NG。そこで常虹さんが、「日中国交のために来た劇団に、祖国の威信をかけたこの素晴らしい劇場を見せずして何をみせるか」とか何とか言葉巧みに説得して、結果、我々は案内係付きでの見学に相成ったのであった。。。

おっと、キリがなくなります。

 まもなくオリンピック。
 残念ながら暗雲も立ちこめていますが、正すところは正しつつも隣国として。。。語るまでもなく、古くは多くの文化を取り入れさせていただき、ある時期は戦った歴史も持つ中国と。。。良い関係を築くための“平和の祭典”をともに成功に終わらせたいものです。

 この巡演が、両国の絆の、未来への小さなちいさな一つの“紡ぎ”になったのではないか・・・。
 我々東演はそんな思いを胸に、上海から飛び立ちました! 

*芸術写真を好む東演創立メンバーの一人
 笹山栄一の、中国でのスナップの一葉。
 特別どこかは解らないけれど、彼の国のどこかではあります。


 


 

    

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東演のお店~ちっチャ(イ)ナおはなし/九

2008年03月28日 | 中国公演07
 上海に「東泉酒家」というレストランがあります
2002年の訪中公演in上海の会場「上海話劇芸術センター」とホテルの間にあった、小さなお店。
 稽古や本番を終えて帰る途中に寄っているうち、その味と、店員達の人なつっこさにも惹かれて、やがて昼食も含めてツアーメンバーの食事はほとんど「東泉酒家」になった。
 バラシを終えて、深夜になった日の帰り道
 当然店は閉まっていたが、我々を見つけたオーナーが「いいから入れ!」と店を開け、我々を促すや、奧の従業員控室でテーブルを枕に寝ている従業員を叩き起こすと、ニコニコしながら「特別に蛇を仕入れたから食え!」と勧めるなんてこともあった。
 まあ、そんなこんなで前回の中国3都市巡演の数々の思い出の中でも、上位にランキングされる印象を残し、「うちの店」と言ってハバカラない劇団員もいるほどダ。
 その筆頭格の制作・横川は、今回の訪中の下見の際にも「東泉酒家」を訪れていた。店から離れた劇場だったにも関わらず足を運び、なんと帰りにはオーナーの車でホテルまで送ってもらうVIPぶりであったらしい
 帰国後には、冗談で「5年前に我々が落としたお金で店の改装と新車購入もできた」と語る始末。

 前述したように上海話劇芸術センターが近く、その隣には映画館もあるなど元々立地条件は良く、料理も美味しいから当然地元でも人気は高く、それに加えて上海バブルの波が押し上げたのが、言うまでもないが“メチャ右肩上がり”の要因。
数行前に書いた「従業員控室」は今では個室。それでも足りずにさらに店自体が大幅な拡張&改装で、聞けば支店も出したのだと言う。
 そりゃ、オーナーも“ぴかぴかのワンボックスカー”を所有できるわナ。
思えば、今回の1ヶ月に及ぶ旅の中でも、美味しいものを随分と食べました・・・長春のホテルのすぐ裏の餃子屋や北京の劇場近くの麺店など庶民的なところから、各地懇親会での少々ハイソなレストランまで・・・でも、やっぱ前者の方がお口に合ったかしら、僕には。
  
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中国で日本の芝居を観る~ちっチャ(イ)ナおはなし/八

2008年03月27日 | 中国公演07
【文中敬称略】

 中国では、まず長春で漫才のステージを見た。
 照明にムービングが使われ、大音量のサウンドが劇場を揺する、さながらショーアップされた格闘技のような派手な演出にまずド肝を抜かれたが、何より客席がいっぱいなのには驚いた。
 日本も“お笑いブーム”だけれど、長春のそれは一時的でなく完全に生活の一部になっているなぁという印象を受けた。
 通訳さんに後から聞いたが、長春は言葉が綺麗でスピード感もあり「笑い」のメッカなのだという。そういう意味でいえば、僕らはまさに「なんば花月」に入ったようなものだったのダ。

 それから北京では話劇を。(弊ブログ「訪中譚⑨北京その3」07/12/17に詳細)
 そして上海では、我々同様、中国公演にやって来た日本のカンパニーの公演を観る機会を得た。

 文化座の橘さん、弊団の星野と僕の3人で『恋森』の仕込みを終えた「蘭心大劇院」から徒歩で向かったのは「上海芸海劇院」。
 ダウンタウンを抜け、やがて伊勢丹などがある目抜き通りに至り、一気に街の灯が弱まる新興のオフィス街の一角の、新しい劇場へ。
 約30分ほどのお散歩になった

 観たのは東京ギンガ堂『孫文と梅屋庄吉』(脚本・演出/品川能正)
 中国人俳優2人を配し、中国革命に賭けた孫文と、彼との盟約に生きた日本映画界の風雲児で日活の創始者でもある梅屋庄吉との30年に渡る交流を描いた舞台。
 東京を皮切りに日本国内7都市を巡ったあと、北京へ。この上海で公演の後、南京へ移動するツアー。

 実は、通訳の朱海慶からチケットを貰い、チラシ等の情報を得ずに椅子に座ったので、「ルイルイ♪」の太川陽介が梅屋庄吉役で登場したのに続き、その妻として、劇団昴の米倉紀之子が和服姿で登場したのには驚いた!

 僕の好きな女優さんの一人であり、少々懇意にしてもいただいている。ので、1~2幕の休憩の間に慌てて花を買いに走るも、時既に遅く、店は閉まっており…仕方なく、日本のビールを買って差し入れした(笑

 まあ、そんなミーハーな行為はともかく。
 星野も橘氏も、口を揃えて言ったのは「母国語の公演を異国で観て、その客席の反応がすごく勉強になった!」と。
 なるほどである
 我々制作者は、例えば訪中公演でいえば、中国人のお客様とともに客席にいて「ああ、こんなタイミングで受けるのか」「へえ、こういうシーンで笑うのか」と実感でき、それを出来るだけ役者に伝えるようにはしているが、それは間接的なもので、この日のように直接肌で感じることが自分たちの芝居に大いに参考になったというのである。

 それから観劇後・・・孫文役の演技について「日本人があえてたどたどしく話しているんだ」「いや、あのカタコト感は中国人特有ダ」さらには「太極拳もすごかった!」「あれくらいは頑張れば出来る。それよりあの膨大な日本語を覚えるのは無理」と評価が二分した。
 結果は冒頭書いたように、中国人俳優の一人、張春祥だった。

 日本に帰って解ったのだが、彼は北京の京劇院に13年間所属したのち、フィールドを日本に移している俳優であった。在日京劇団「新潮劇院」を主宰し、京劇の普及に務める傍ら、中島みゆき『夜会』、新国立劇場『セツアンの善人』、野田マップ『パンドラの鐘』などで活躍していたのダ。
 なので、どちらも当たりとも言えますわナ


 

  
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訪中譚⑯~上海その3

2008年03月26日 | 中国公演07
 さて。すっかり御無沙汰の、訪中公演の話です。
 いよいよ最終公演地・上海に来ていて…(※文末に解説あり)

◎預園(撮影/笹山栄一) 

 まず、劇場に入って一番驚いたのは『臨時病室』で使う、鉄製のベッドのひとつが下手の袖に、真っ二つになって虚しく置いてあったのを見た時である。
ベッド中央の腰が乗るあたりからポッキリと

 今回、トラックへの荷積みと荷降ろしを現地スタッフに完全委託。
 その分、スタッフ及び若手の役者達の負担は軽減されたが。。。それはそれ、お国柄というか、芝居に対する思いと言おうか。。。とにかく「物扱い」(まぁ、実際「物」には違いないのだが…)で乱暴に扱うので、実は他の公演地でも、まず劇場に着くと修繕から入っていたのは事実。
 でもそれは、キャスターのコマ(台が動くような小さなタイヤ部分)が取れたのを直すとか・・・まあ、これもよほどのことがなければ壊れないと思うが・・・
 で。さすがにベッド真っ二つはお手上げなわけである

 けれども“お芝居の神様”は、ちゃんといて
 中国の美術家さんが溶接面を被り、自らバーナーでベッドを「手術」しててくれました
 今回『恋でいっぱいの森』の、妖精達のアジトであったり、知事の屋敷になったりする鉄製のヤグラを上海で作製してくれた彼が、劇場に駆け付けて来てくれていたおかげダ。

 そんなアクシデントを乗り越えて、いよいよ最終公演地・上海は「蘭心大劇院」の幕は開きます。
 赤い制服の女性と黒い制服の男性が開場が近づくと準備に入る頃、僕たちの舞台を楽しみに待つ観客とダフ屋が劇場前で錯綜するのが、ロビーのガラス越しに見えました。

 ところが、黒服くんは・・・クラブ『香蘭』のお仕事がメインのようで。
7時30分の開演後に訪れる男性を次々と2階へ案内するではないか…。2/27付ブログにも書いたように、ホテルオークラに近いため、日本人ビジネスマンをターゲットにした「日式クラブ」が劇場の2階に2軒もあった(もう一軒の名前は失念)。

 音響さんや照明さんのオペレートルームも、壁を隔てた同じ階にあったから、カラオケが盛り上がると役者の声が聞こえなくて大変だった、と、後から聞いた。

 ⑰に続く。

 ※初めて、このブログに迷い込んだ方へ・・・
  劇団東演が2007年10~11月の30日にわたって巡演した
  訪中リポートです。
  帰国後の11/19から、遅々として進まぬ(?)駄文を
  シリーズでお届けしています。

◎預園は上海の有名な観光地(?)。
 その壁の一部の装飾です。 
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訪中譚⑮~上海その2

2008年02月27日 | 中国公演07
 『臨時病室』を11/13(火)、『恋でいっぱいの森』を11/15(木)に上演した蘭心大劇院は、地下鉄「陝西南路」駅から徒歩2分くらいの劇場。
 地下鉄を降りて、超高級な(?)「花園飯店」。。。日本では「オークラガーデンホテル上海」として知られるホテルの前を過ぎた十字路にあります。
 元々「芝居小屋」だったものが一時「映画館」になり、再び芝居小屋に戻った経緯を持ち、客席や舞台は小さいながら、オペラハウスの様式をとっています。
 全体が木調で・・・とにかくムード満点
 舞台上手と下手にある「貴賓室」、いわゆるVIP-ROOMも西洋式のゴージャスな佇まいで、椅子もアールデコ調。椅子と揃いの足を乗っける台もあるワで、特にベテラン笹山はお気に入りでした
 下手袖から出た、舞台からはやや離れた2階部分にも楽屋はあって、右ウイングが大部屋、左ウイングが5~6人の小部屋という造り。

 劇場付近は、まず地下鉄の駅周辺は目抜き通りで、デパートなどが林立。その一角には、日本のラーメンチェーンの「風々」が“日式拉麺”として出店。
 劇場周辺は、日本の原宿を思わせる洋服や小物を扱う若者向けの小さくておしゃれな店が沢山たくさん並んでいた。
 駅周辺の大通りより、もっぱら僕はこちらを探索

 公園の下をくりぬいた少々怪しげな地下には、ガンダムのプラモデルやエヴァンゲリオンのフィギュアが無数にある店や、タトゥの店などマニアックな店舗群が軒を並べるエリアもあった。

 ホテルオークラのグループホテルがあるのでイコール日本人が多い。
ということで日本食レストランとともに“日式倶楽部”も多数ありました。
 つまり日本にある「クラブ」形態で、かつ日本語も通じちゃう大人の社交場(?)ですネ。店の名前もキョウレツで「銀座」とか、いかにもな名前が…。
ちなみに劇場の2階にも2軒クラブが入っていて、どうやらその収益が劇場収入より多いようであった。。。

 なんか演劇から話がどんどん逸れて行くので、このへんにしておきます。
 さあ、訪中譚16で、ようやく芝居の話をしよう!

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訪中譚⑭~上海その1

2008年02月26日 | 中国公演07
 なんと1月11日ぶりの「訪中譚」である
 重慶で行われたサッカー東アジア選手権
 女子サッカーは本当に大健闘で嬉しい嬉しい国際タイトル初の戴冠。
 かたや駒落ちの男子は、つっても相手も同様でお互い様の中の2位
 そして男女とも2連勝で始まった世界卓球※が広州でと・・・五輪前から次々に国際大会が催される中国に、東演が巡演したのは、昨年10月半ばから11月半ば。
昨日のことのようでもあり、遠い昔のようでもある。

    ※卓球は個人、団体が隔年開催のため今大会は
     女子団体と男子団体を開催。

 武漢からは飛行機移動
 3回の国内移動で唯一の空路でした

 上海の「浦東国際空港」に降り立ったのは、11/11。
 今、この空港と龍陽路駅の間に最高速度430㎞/hと言われるリニアモーターカーが走っている。約30キロを7分間で走り抜けるらしい!

 正式名称は「上海磁浮列車/Shanghai Maglev Train」
 我々はバスでの移動だったが、その脇にレールだけは見えた。
 その途中、通訳の常虹さんが「あ!」と言い、その方向を向いた時にはもう走り去っていた・・・と言えば、その速度も解ろうというものダ。
たまさか窓の外を見ていた二人ほどがラッキーにも目撃した)

 ホテルは、地下鉄「上海体育館」そばの「上海商苑大飯店」。
 とても小ぶりなビジネスホテル。ところが・・・
 部屋に入ってビックリ
 お部屋には、気の利いた“サービス品”のお出迎えがあった。

 外観には「歓迎劇団東演」という、赤い布に白い文字の横断幕が揺れていたのだが、その下に「一泊○○元/1時間○○元」というのも垂れ下がっていて。どうやら、連泊ではない部屋は時間貸し・・・いわゆる「休憩営業」に使っているらしく、主にそれに活用される(?)グッズが入ったカゴが、部屋を入ってすぐの棚に置いてあったのである。

 商魂逞しいというか・・・。確かに日本も営業のおぼつかないところは、そのような二毛作を行っていることもありますヨ。でも、団体客が入る部屋なんだから、普通下げるだろう?

 しかも。一応、日中文化スポーツ交流年の正式招聘劇団なんですけど&上海でも、長山洋子さんらとともに「上海国際芸術祭」参加の、カンパニーなのヨ

 まあ、部屋も、お風呂も広くて全然不便はしなかったのだが・・・。

てなわけで、明日は劇場の話をします。
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面白いニホン語~ちっチャ(イ)ナおはなし/七

2008年02月20日 | 中国公演07
 【維持された冷凍の電子レンジに霜を取り除くことの上で熱するために耐える。】

 これを読んで意味の解る日本人がどれだけいるだろう?
 
 冒頭の文章は、僕が大連で買ったコップの説明書です。
 浙江豪豊塑業有限公司の製造している「Microwave milk cup」の、約5㎝×5㎝の二つ折りの取扱説明書に書かれた日本文です。
 中面は全て中国語ですが、裏表紙にあたるところに上記の“謎な(?)日本語”が印刷されているのです

 嗚呼、大学入試の英作文でアタマを捻って何とか書き上げる英文も、きっとこんな感じで、採点する教授は「おいおい!」と答案にツッコミながら笑っているのだろうなぁ・・・って、今時はマークシートか?


 【環境保護のため、もしベツドシートを換えたくないないと思うならば、大変申し訳ございませんが、このカードを枕の上に置いていただければ幸いと存じます】

 こちらは大連のホテル。
 間違ってはいないが、カタイですわナ

 英語の先生が文法で「何ナニするところのものを…」みたいに訳す時、そんな日本語ねえ!と思ったものだが・・・
 あと、どうやら小さい「つ」とか「え」のイメージ。。。上で言えば「ベッド」。。。がないようで。いや訳した人は認知しているのだが、印刷するソフト自体がないって可能性も大だな・・・。

 まあ、5年前の広州の回転寿司屋で、サーモンを「蛙」って書いてあった驚きに勝るものはない。
漢字の国の人が・・・しかも鮭は中国語でも「鮭」なのに(簡体字ではあるが…)

 とどのつまり、言葉とは難しいということだ。
 ・・・かくいう東演も『紅い荒野に洗濯機』ではキャスト達は宮城弁に、そして一部の役者は中国語にも挑戦中

 劇団東演第129回公演 
       『紅い荒野に洗濯機』
        いよいよ3/3~本多劇場にて。
        詳しくは東演公式HPを
        ご覧いただければ幸いと存じます
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中国ハイテク事情~ちっチャ(イ)ナおはなし/六

2008年02月19日 | 中国公演07
 小さな超市(スーパー)。。。スーパーと言っても、日本で言えばチェーン展開している大手ではなく、八百屋さんや魚屋さんがスーパー化(?)した、むしろ「よろず屋」的な個人経営の小さな店。。。のレジにインタレスティングを感じた話をします。
武漢でブラブラしていた時に入った、そんな小さな「超市」のレジはPCでした。おお!中国のハイテク化進みまくりじゃんと思いきや・・・明らかに外と繋がっておりません。
 つまり、ただ計算機として使っていて、僕がお金を出すと、PCと連動していない、モニターとキーボードが乗っている机の引き出しをただ手で開けて、釣り銭を出すのです。
 その「釣り銭箱」がまた洒落ていて、タバコのカートン箱を丁寧に切って金種ごとに並べている大変ハンドメイドな「金庫」だったりして

 決して馬鹿にしているわけでなく、個人的にこーゆーセンス好き AND、今の中国の現状を物語っているなぁと思いつつ店を出たのであった。

 出て、さらにテクテクと、自動車部品の小売店が並ぶ街を歩きながら・・・固定電話が普及するより先に携帯電話が広まった中国において、ガチャガチャとパンチャーを打つとチーンとお金の入った箱(?)が出てくるレジスターより、今や中古のPCの方が安いのだと思ったのダ。
 場合によっては、近所から「これ古くなって使わないから陳さんにあげるヨ」と頂戴したマシンやも知れない。
「使えるの?」「張さんトコに計算ソフトがあるからそれをコピーすれば十分ヨ」・・・決して、そんな受け渡し現場を目撃したわけではないけど、当たらずしも遠からずではないかしらん

 とにかく携帯電話屋さんは日本に負けず劣らずあって、デコ屋(携帯をオリジナルにデコレーションするショップ)も多く見掛けた。勿論、後者は若者が集まるような繁華街だが…。
 
 上海の地下鉄は、日本のような紙の切符ではなく使い切りの「カード型切符」であった。無人改札に通すと、入場時は改札内に出て来るから各自ピックアップし、出場の際はカードが改札機内部に収用され、人のみが出て行く仕組みだ。

 そんなこんなでハイテク化、デジタル化が進む中で、冒頭のようなアナログなんだかデジタルなんだか分からない部分が、ふと目に付く。そして、何だか和む・・・。 

 和むと言えば、オリンピックに向け、エネルギー効率を考えたハイブリッド車を導入する一方で、市中央には昔ながらのトロリーバスが走る北京のバス事情も面白かった
 なんたって一仕事終えて路線を変える場合、車掌が降りて手仕事で架線を変えていたものナ・・・。これが結構、力がいりそ~な作業なのだヨ、また。
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黒い妹~ちっチャ(イ)ナおはなし/伍

2008年02月18日 | 中国公演07
 超ひさしぶりの訪中公演の話です・・・

 5都市を巡るツアーの、武漢までを終え・・・
 今日からは最終目的地「上海」、の前にこぼれ話を数回お届け・・・。

                 

 大連から武漢まで4つの都市を廻って、驚いたというか疑問を抱いたことがある。

 「黒妹」というハミガキ粉のシェアはいったい何%なのか?と。

 海外公演は当然ホテル暮らしとなり、その部屋には様々なアメニティグッズが置いてあるわけですが、特別同じチェーンでもない4つのホテルで、ハミガキ粉だけが同じ「黒妹」というブランドだったからです。

 歯ブラシは違うメーカーなのに、袋の中に入っているチューブは全て「黒妹」!
 白地にグリーンのライン、そこに黒字で「黒妹」。

 訪中レポートはまだ「武漢」止まり…。先に答えを言ってしまえば上海で初めて別のハミガキ粉に出逢う。。。「出逢う」ってほど大袈裟じゃないか(笑)。。。なのだが、それにしたってスゲエ!
 いくら社会主義国とはいえ、現にほかの石鹸だのシャンプーだのは色々あったわけだし・・・。
 恐るべし「黒妹」
 (恐ろしいといえば、この「黒妹」…台湾で有害物質が検出されたブランドでもあったりします

 さて今は便利な世の中で、(株)日本能率協会総合研究所のHP内の「中国市場データバンク」によれば。。。
 外資系及び合資ブランドとして、高露潔(Colgate)、佳潔士(Crest)、中華(ZHONGHUA)、黒人(DARLIE)など。
 国内有力ブランドとして、両面針、田七、黒妹、冷酸霊(lESENING)、藍天など。
 有力ニューブランドとして、LG竹塩、納愛斯(NICE)、永南など。
。。。が紹介されており「中小企業製品やその他日常生活用化学品メーカーの展開による製品」は「全体のマーケットにあまり影響を与えていない」としている。

 なんだ、結構いっぱいあるのではないか。
 ただ並び順が、シェア順なのか、古い順なのか、あるいは順不同なのか解らないけど・・・。

 確かにスーパーでは、日本と変わらない商品がバンバン並んでいて、個人的な話だが僕は北京で近江兄弟社のリップクリームを買っている。

 まあ、いずれにしろ、そういう中で「黒妹」に当たり続けたのは偶然にしては確率高すぎだよナ!
 
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訪中譚⑬~武漢その3

2008年01月11日 | 中国公演07
 過去3都市では、同じ劇場で『臨時病室』と『恋でいっぱいの森』を上演してきましたが、前回書いたように、武漢では“大規模な芸術祭”開催中につき、1つのカンパニーが長く1会場を占拠することが難しく、珞珈山劇院から徒歩で10分ほどの京韵大舞台にお引っ越しをして『恋森』の準備に入りました!

 京韵大舞台は武漢では一番由緒ある「京劇」の劇場で、路地を入った目立たない場所ながら、伝統を感じる佇まいでした。
 劇場管理の人も、時間さえあれば舞台袖や廊下にモップを掛けていて、小屋への愛情を感じられました

 ただ資本主義の波は、ここにも押し寄せていて、一階部分の一部をスーパーマーケットにテナント貸し・・・ま、おかげで我々は助かったけど

 11月7日・・・中国に入って3週間
 この日まで、雨知らず。
 というか、訪中公演レポートの初回で既にネタバレさせているのですが、大連空港からバスに乗り込む数分降られたきり、最終日の朝までオシメリなしのツアーだったのダ
 基本的に降られないことは嬉しい。ただ役者達は喉のケアが大変そうでした。武漢の空はスモッグに覆われていて・・・特に!
 
 コンディションって意味で言うと、ここ武漢の『恋森』のみ2ステージ打たせていただきまして、仕込み-本番-バラシの繰り返しから、前日夜の公演後、翌日夜の本番まで体を休められる・・・というのは役者の疲弊したボディには滅茶苦茶オアシスだったようです。
てなわけで、普通でいえば“花金”(最近聞かないけど、死語?)にあたる11月8日は、仲良しの湖北省話劇院の面々と“私的な交流会”が行われたと、噂で聞きました

 制作者の、しかも物販担当で芝居をちゃんと見ていない者のブログなので、肝心の舞台成果について、なかなか触れられないのですが「武漢が一番反応良かった」と複数の役者から聞きました。

 やはり劇場が変われば、様々な課題が浮き彫りになるもので、複数回あれば、改善というか、反省から創意工夫ができ、これは創り手にとっては嬉しいこと。つまり2ステージは、芸術面にとっても大いにプラスに働いたと言えます。
 「中国芸術祭」というフェスティバル感も加わって・・・
 ちなみに、次回=第9回は、2010年広東省の広州市で開催されることが決まっている
・・・OH5年前、公演した街ではないか…。
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