麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

郷土愛とか母校愛とか(中)

2015年12月31日 | スポーツ
第92回東京箱根間往復大学駅伝競走は
青学、駒沢、東洋、明治、早稲田、
東海、城西、中央学院、山梨学院、
大東文化、日大、帝京、日体、順天、
神大、拓殖、中央、東京国際、上武
の20校と学連選抜によって競われる。

334名の韋駄天がエントリー
(16人×21チーム=336人ながら
上武大学が14人のため)していて、
出身高校を目安に県別に集計すると
兵庫県25、千葉県23、愛知県22……
と、昨日のブログに書いた。

奈良県は0人となっているが、
あくまで出身校ベースなので
奈良県出身者が必ずしも
いない訳ではないのである。
昨今越境は当たり前だ。

また、全エントリーの集計で、
実際襷を掛けるのは210人だから、
例えば静岡は18人で四番目だけれど
確率としては0人になる可能性も残す。

数字はともあれ、おらが村おらが町の
出身ランナーの勇姿が新年の
爽やかな陽光に照らされるのが「箱根」。

……とか書いてるうち、気づけば大晦日。

明日は社会人駅伝日本一を決する
「ニューイヤー駅伝」ではないか(^^)v

正式名称は「第60回全日本実業団駅伝」。
参加43チームでの戦い。
前段の流れでいえば、18チーム28人の
鉄紺卒業生がエントリーしている。

前回2位のコニカミノルタに
山本浩之、設楽啓太。
同4位Hondaには石川末廣、
設楽悠太、田口雅也。
などなど黄金期のメンバーもいれば
発展途上時代のベテランまで。
中には箱根路を走れなかった者も。
さて。
東洋大出身のランナー27戦士のうち
上州路で襷を繋げるのは何人いるだろう。

***

本年も大変お世話になりました。
本編は年をまたいで明日完結……予定(^_^;)
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郷土愛とか母校愛とか(上)

2015年12月30日 | スポーツ
箱根駅伝の区間エントリーが発表に。
注目の神野大地(青学4年)は5区山登り。

また、激戦の時代に色濃くなった
エントリーでの闘いは今年も激しく、
青学は久保田和真(4年)らを、
東洋は服部兄弟の弟・弾馬(3年)らを、
他校も馬場翔大(駒沢4年)や
横手健(明治4年)といった看板走者を
補欠に回して腹の探りあいだ。

「学生史上最強」と原晋監督自身が言い、
自らを鼓舞するフレッシュグリーン軍団を
マスコミはじめ誰もが一強に推す。
28分台11人は確かにモンスターだ。

蛇足ながら28分は一万メートルの記録で、
普通ならエースと言われる持ちタイムである。
つまり10区間の箱根では1人走れない過酷さ。
そしてこのチーム内での競争が
青学の力の源である。しかも!
所在地の表参道、サザンなどOBOG等
明るいイメージの校風そのままに
《その一瞬を楽しめ》を標榜する。

出雲を制した際、東京で見守る神野に向かい、
全員でカメラにおちゃらけた姿は
その象徴的な画であった。
とどめかのよーに、連覇を狙う箱根で
掲げたテーマは《ハッピー大作戦》。

我が母校の《一秒を削り出せ》とは
余りにも、あまりにも対照的。
まさに駅伝的な「忍耐」そのままの
二文字を心にひたむきに走る東洋。
重ねてスクールカラーが鉄紺と
これまた地味極まりないのだ(汗)。

そんな我が校のポイントは復路の
山を下る6区・口町亮(3年)と考える。
服部兄弟は当たり前に走って貰わないと
モンスターと戦う以前の話になる。

柏原らを擁した黄金時代ですら
優勝できなかった全日本を初めて制した、
そのレースの最優秀選手の口町は、
独特のフォームで走る大型ランナーだが
あの走りで、あの坂を下り切れるのか
素人ながら心配この上ない。

勿論、試走含めシミュレーションも重ねての
酒井俊幸監督の指名とは思うけれど……。

前置き(?)が長くなったが、
「箱根」には、母校の応援とともに
おのおのの地元出身選手を応援する
甲子園と同じような楽しみがある。

出場20校と学連選抜から334名が
今年はエントリーしていて、
その内訳は兵庫県25人をトップに、
千葉県23人、愛知県22人と続き、
奈良県を除く23都道府県2国となる。

ちなみに2国はエチオピアとケニア。
ケニアは北海道、山形、新潟、京都と
並ぶ5人を輩出している。

ただ国内でいえば、この数字は
高校単位で計上している。
例えば兵庫は西脇工11、須磨学園6
等を足した数字になる。

学校単位だとトップの西脇工以下、
豊川(愛知)と伊賀白鵬(三重)の9人、
西京(山口)8人、浜松日体(静岡)7人と続き、
なるほど駅伝名門校がずらりと並
……ん?、…伊賀白鵬?
知らないなぁと思いきや、上野工が
上野農と上野商の三校統合で
2009年に生まれた三重県初の
「総合専門高校」なのだそうだ。

1000文字を超えたので〈中〉に続きます。
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歳末雑記からの……

2015年12月29日 | 身辺雑記
クリスマスのデコレーションを
こないだまで施していた百貨店の、
入口に昨夜は門松の飾り付け。

そんな池袋の路上で大型観光バス炎上
とゆーのをテレビのニュースで知った。
燃えたのは朝9時前、我が家から
直線距離で200メートルほどの場所
(あくまで直線。なんたって広大な
立教大学などが間を隔てている)
なのに全然気づかず、速報の映像に驚いた。

夕刻。
銀行に行った帰りに少し寄り道して
事故現場に行ってみたけれど、
もう何時もと変わらない風景だった。

ただ、地面が少し濡れていて、
焦げ臭いにおいがまだ残ってはいたが。

光文社の少し池袋駅寄り。
反対側には東都モータースの茶色いビル。

我々の業界的にいえば劇団昴の
事務所が近いとも説明可能だ。
あ、昴といえば。
大山に稽古場があるのだけれど、
そこで年末に稽古しているのが
『別役実を歌う』である。

今年の春に開幕して、年をまたいで
来年夏までの長い開催期間の
〈別役実フェスティバル〉の一環として
フェスに参加した劇団
(俳優座や青年座や円ほか多数)の
歌自慢踊り自慢が集まって(?)
別役芝居の挿入歌などを歌う第一部と、
フォーク界の重鎮・小室等さんが
伝説のバンド「六文銭」の流れをくむ
「六文銭'09」を率いての第二部。

本番は新年早々の1月5日、6日。
両日とも夜6時半開演。
会場は東京芸術劇場シアターウエスト。

むむ、完全に告知の風情だな(><)

まぁ僕が理事末席の「製作協」の面々が
数人、実行委員として頑張っていたり……、
かみさんも出演したりするのである。
とゆーか(^_^;)
ベテランや名門劇団の役者が揃うなか
おこがましくもステージングとゆー大役を
ひょんなことから担っていたりもするのだ。
ε=┏( ・_・)┛
いやはや。

チケット5000円なり。
ですが、このブログ読者の皆様は
特別に4500円でご覧いただけます。

興味あるかたは
theatretheater1966@gmail.com
までお気軽に。


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梅屋敷と壁

2015年12月28日 | 身辺雑記
梅屋敷と聞いて、あぁ京急の駅ね、と
すぐ解る者は果たして何人いるだろう。

アトリエ・センターフォワードvol.12
『THE WALL―ある寓話―』
(作・演出/矢内文章)は
昨日千秋楽を迎えた(初日は12/18)が、
その劇場最寄駅が梅屋敷である。



と言ってもシアターノルンまで10分程度ある。
乗換を考えれば蒲田駅から歩く人が大半だ。
約18分。裏道を使えば15分くらいか。


梅屋敷は東邦大学大森病院の城下町
と言っても過言ではないだろう。

写真は道路反対側の5号館前から撮ったもの。
右手前から3号館、2号館、
1号館は背が低いので見えなくて、
左奥は医学部の建物になる。
ちなみに2号館裏に6、7号館もあり
周辺には薬局が沢山存在する。

とはいえ大森と蒲田の間に位置する町は
したまちの風情があって、
車がすれ違えない幅の駅前からの商店街は
衣料品店や魚屋、蕎麦屋など老舗が並ぶ。

僕の古巣のセカンドバンクでもあった
「芝信」もあり、週末で休みの支店前には
股引など古き良き日本の下着を売る出店と
隣に花、向かいにはカレンダーを商う店が
元気な売り声をあげていた。



かと思えば。
路地裏にはハリウッドを冠した美容院、
インド・ネパール料理のお店など
インターナショナルな顔(?)も……。

梅屋敷の駅舎自体は高架に建て替えられた。

劇場からみれば線路の反対になる
第一京浜は年明けに迫った箱根駅伝のコースだ。

そんな街の片隅・・・住所でいうと
大森西になる元鉄工所を改装した小屋で
上演された『THE WALL―ある寓話―』は
オールキャストオーディションで選ばれた
若き16人に、代表の矢内を加えた陣容。

〈そんな遠くない未来の、
そんなに遠くない場所で〉
繰り広げられる熱~い舞台であった。

戦後70年、世界各地で勃発するテロ……
2015年を総括するような作品。

矢内のメッセージが伝わる二時間弱でした。
個人的にもこの舞台が今年最後の観劇。
(お客様ではなく受付のお手伝いに入っての
観劇ではあったが……)
2015年を締め括るに相応しい素敵な作品でした。

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碧雲荘と太宰

2015年12月25日 | 制作公演関連

一昨日、無事終幕した
J-Theater「日本人作家シリーズ」
語り芝居『太宰治特集』
(12/21~23、小劇場「楽園」)
作/太宰治、構成/原きよ、
演出/小林拓生

千秋楽は祝日とも重なり、盛況。
太宰のイメージとは異なる
意外な作品群に好評を得た。

さて、前回の続きです。
22日昼の公演後の
「太宰サミット特別篇in世田谷」の話。

荻窪にある碧雲荘は後述のとおり
太宰ゆかりの建物である。
その古い下宿の取り壊され、福祉施設建設の
計画がある。いやほぼ実施が近い状況だ。

「荻窪の歴史文化を育てる会」
(会長/岩下武彦・中央大学文学部教授)の
話を要約すると・・・

杉並区天沼の碧雲荘(へきうんそう)は
太宰治が昭和11年から12年に居住し
『Human Lost』を執筆、また『富岳百景』
では物語に登場もする。
建築の立場からも昭和初期に建てられた
和洋折衷の「高級下宿」で都内に現存例がなく
貴重な文化遺産である。

区は隣接地と合わせて福祉施設と
特養老人ホームの建設を計画している。
会はその点に反対しているのではなく、
貴重な「文化」との共存を模索している。

芝居本編は1時間10分程度のため
休憩を挟まず一気にアフターイベントへ。
ほぼ全員が残り、岩下会長と、
出演者(構成も)であり、太宰朗読の一人者で
会のメンバーでもある原きよのトークに
耳を傾けた。
「まずはこのことを多くの人に知って欲しい」
という第一義は果たせたのでは ないかしら。

興味を抱いた方、Facebookやホームページで
詳しい情報を是非ゲットしてください。



22日は原が一足早い千秋楽。
写真はアフタートーク後に自然発生した
「記念撮影会」のひとこま。

僕自身の制作の舞台もこれにて終了。
しかし!
下北沢演劇祭参加作品の稽古が週末に。
そしてアトリエ・センターフォワード公演の
お手伝いに昨日と明日行ったりする。

第12回公演『THE WALLーある寓話ー』
作・演出/矢内文章
シアターノルンにて、27日まで。

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太宰とMとN

2015年12月23日 | 制作公演関連
小学生の頃、少し背伸びをして
大人の小説なぞ読み始めると、
読めない漢字を一所懸命調べたことと
登場人物のアルファベット表記に
違和感を覚えた幼き自分を
強く記憶している。

日本語の文体に合わないよな~とか、
具体性を出したくないのは判るけど
ほかに工夫はなかったのかな~と、
盛り上がり始めた喉仏をさすりながら
生意気なことを考えていた。

そう書いておいての『太宰とMとN』(><)

J-Theaterの2015年最後の舞台は
ラストにふさわしくオールスターキャスト。
春夏秋冬、実に11作品を上演・・・
例えば八月は『祈り三部作』、
『近代戯曲コレクション』、
『近代能リーディング』という具合に
ひとつの公演で2~5作品を届けるのが
J-Theaterのスタイルだ。

さらにいえば三部作と銘打つわけで
『祈り~』は三篇からなり、
コレクションと言うからには近代戯曲三篇
と複数短編によるプログラムも多い。
延べ出演者数は二百人をゆうに超している。

そこからの選抜キャストで幕を開け
本日千秋楽の、語り芝居『太宰治特集』である。

Mはそんな2015シーズンにおいて
最も働いた一人と言えるだろう。

春には演出助手を兼ねて舞台に立ち、
夏には演出デビューを果たした。
秋は、売り出し中の「劇団チョコレートケーキ」
日澤雄介の演出を受け、
そして冬……タイトルロールの太宰を演じる。
(クロスのダブルキャストにつき、
21、22日は編集者役。本日昼夜が太宰)

社会人を経て、この世界に飛び込んだMは
他の面々より一際年嵩であるから、
若い衆と同じテンポで歩んでいる余裕はない。
そんな状況下、365日を3~5年分の
経験に充てられたように見える。

もっともそれでもまだ足りないから
来年以降も努力を惜しまず励んで欲しい。

続いてN。
主宰の小林拓生が必ず演出に立つが
前述のように外部からの演出家も必ずいる。

アニメーションからオペラ、映画と
幅広いフィールドで才能を発揮する
宇井孝司のチームで頭角を現した男は
稽古場でのいじられ役を経て、
前説に二回続けて抜擢(?)され、
秋にはイレイザーヘッドの主要な役を得た。

そして今回、小林演出作品でも
『貨幣』の大尉という大きな配役を勝ち得た。

見た目と裏腹に実はJ-Theater常連の中でも
下から数えたほうが早い。

のびしろは充分だ。
ただ最大の弱点は「客」を持っていないこと。


写真は昨昼のアフターイベント
「太宰サミット特別篇in世田谷」。

長くなった。
詳しくは明日書こう。
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太宰特集、初日は満々席

2015年12月22日 | 制作公演関連
J-Theater恒例、小屋入りした夜の幕開き。

いわゆる演劇ではあるのだが
今回は初めて「語り芝居」と銘打った。
太宰の朗読に注心する原きよとの
コラボレーション企画だ。

彼女がこれまで読んできた
一般的には太宰らしくないといえる
ユニークな短編を立体化した舞台。
その初日(昨夜)、遠路青森からゲストも招き
アフタートークも開催した。

『失敗園』『尼』『貨幣』からなる本編は
1時間10分……体感はさらに短かったか、
席を立つ方は誰もいなかった。

太宰と並ぶ津軽の雄・寺山修司の
記念館から世良さんを迎え原とのトーク。

憶測だが《暗い》が代名詞の作家・太宰の
意外な作品群を見た方々は
驚きながら、同時に「何故?」を解消したい!
と席を離れなかったのではないかしら。

世良さんからお誉めの言葉も頂いて、
まぁ社交辞令を差し引いても自信を得ての二日目朝。

あ、既報の通り今回の『失敗園』は
毎日異なるキャスティング……つまり
全日全ステージ“初日”となる、
この新鮮さはマックス70の小屋で
良い緊張感を出演者・観客が共有する。

そんな空気も受けてのアフタートーク
……だったと確信すらする。

いや(-_-;)憶測だの確信すらするだの
書いたのは、その時間に制作は
初日乾杯の酒等を買い出しにいって
話を聞けてないのですε=┏( ・_・)┛

感謝を込めて、少し宣伝・・・
正式には「三沢市寺山修司記念館」。
寺山の母・はつさんから寄贈された
遺品の保存公開を目的に平成9年開館。

テラヤマ芸術はもとより、
三沢市の総合芸術発信基地の
一翼も担っているそうです。
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ぼうねんかいと太宰。

2015年12月20日 | 制作公演関連

忘年会を「望年会」なんぞと
書くようになったのは何時からだろう。

一年の諸々を忘れて明るい新年を望む。
意味としては成程だけれど、
実情はやや自嘲的な気持ちが強い
と、感じているのは僕だけだろうか。

一昨日は横浜のとある団体の忘年会。
大量の酒と肴が並ぶなかで乾杯の前に
ぶっちゃければ宣伝をさせていただいた。

主宰の篠本賢一の巧みなアウトラインのあと
主演俳優・佐々木梅治が実演という、
初めてのご挨拶としてはインパクトある
見事なパフォーマンスであった。

そう、遊戯空間の閉幕間もない
『仮名手本忠臣蔵』の動きのひとつだ。

ただ制作なのに……主宰と主演俳優、
さらには美酒達を残し一人早退けした。
なんたって別の本番が迫っている。

それはJ-Theater『太宰治特集』。
今大詰めの段階で、明日は初日。

その衣装の何点かは太宰と縁のあるものだ。
彼の写真で有名なのが、銀座のバーで
木製スツールに胡座をかいて座す姿。
店は「ルパン」。今もある老舗だが、
本公演の構成と出演の原きよが、
初代ママから譲り受けた着物がある。

三鷹の屋台の女将からも頂き物があり、
つまり生前の太宰が目にしたかもしれない
衣装が舞台上に登場するのだ。

J-Theaterにはすっかりお馴染みの
やすだまことの能管演奏や、
スクランブルキャスティングとともに
見処の一つとなる。

「スクランブル~」はJ-theater得意の配役。
『失敗園』は5パターンあって、
つまり全ステージ異なる顔触れになる。

以前も書いたが、太宰の短編四篇を
1ステージ3本という構成で届け、
『貨幣』はシングルキャスト、
『尼』『清貧譚』はダブル。

忘年会の季節。
「暗い」の代名詞の太宰を何故、と
思う方も多いと思うが、どっこい
今回も四篇はユーモアに富んだ作品。

21日19:30
22日15:30/19:30
23日13:00/17:00

小劇場「楽園」にて
前売2500円

チケットはinfo.jtheater@gmail.com
にて承ります。

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ぬ企画最期の宴

2015年12月18日 | 制作公演関連
「ぬ企画」は今夏の「その11」で
23年間の活動にピリオドを打った。

番外公演も1本あり、単純に割れば
2年に1本ペースだったと言える。
が、道程は決して平坦ではなかった。

92年に旗揚げし、翌年の6月に「その1」、
8月に「その2」、さらに12月「その3」と
いきなりハイペースで作品を打ち出し、
94~98年は1本ずつコンスタントに公演。

つまりあのピッチで走り抜けば、
その25くらいは行っていた勘定だ。

高橋信吾、高橋真理子の二人で立ち上げた
「ぬ企画」に僕は旗揚げから制作で関わった。
つまりやたら「高橋」の多いユニットで、
初期の頃は半分冗談で高橋姓の
キャストスタッフを募集して
「高橋プロジェクト」を目論んでもいた。
閑話休題。

僕はあくまで外部制作として
けれどレギュラーであった。
先に真理子が抜けて、僕は97年に
某新劇の劇団にひょんなことから入団し、
「THEATRE-THEATER」を一度畳んで
とある下北沢の外れの専属になった。
「その6」の終わった直後のことだ。

「その7」は98年。確か信吾が
しはかたしなの名義を使いだしたのも
ここからではなかったかしら?

ここで大きくペースダウンして、
「その8」は4年後の2002年、
次作までまた4年の準備期間を要した。

鈍調は収まらない。な、な、なんと
「その9」の06年から6年の沈黙。

一方僕はといえば。
長らくお世話になった東演を2011年退団。
で、翌年に長い眠りから覚めた「ぬ」の
「その10」から戦列に復帰する。
そして今年のファイナルにも参戦。

だから。
全12演目中9本に制作で参加したわけだ。
出席率7割5分。

そんな「ぬ」の最期の宴が昨日開催された。

初期から関わった濃ゆいメンバー5人で、
「その3」以降の全10本を上演した劇場
「あくとれ」のある中野に集った。

野郎、しかも初老ともいえる面子で。
だが、なんたってあと一息で四半世紀
に迫る歴史の「ぬ」である。
遅れて来る者も2人あり、楽しい酒席になった。

地元に帰っただの、店を出して成功、
結婚して離婚して今は事実婚だの
……上演してきた演劇作品よりむしろ
濃い物語を知ることにもなった。

ただ一つ確かなのは「ぬ企画」は終止符。
けれども信吾は新たな創造拠点を
模索しているということ。

23年といえばストレートで大学を出た
社会人一年生の年齢だ。
信吾が次の領域に踏み出すということだ。

新しい企てにも勿論馳せ参じる所存だ。
あくまでこちらの腹づもりは、だが。
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太宰治と僕

2015年12月15日 | 制作公演関連



父が青森県の五所川原市出身である。
昔、吉幾三が世に出るきっかけとなった
『俺は田舎のプレスリー』という曲中に登場して
田舎の代名詞的に思われた時期もあったが、
津軽地方においては寧ろ大きな街なのだ。
最近は立佞武多(たちねぶた)で有名だ。

そんな五所川原……ん?まさか(汗)
念のため「ごしょがわら」と読む……は
1950年代、津軽の周辺町村を合併し
拡張していった歴史があるが、
2005年久しぶりに合併したのは、
あろうことか金木町と市浦村。
市浦はいいとして、金木を合併するとは。

金木といえば太宰治である。

今、太宰治のプロフィールは
青森県五所川原市(旧金木町)出身
となっている。本当に申し訳ない。

何が申し訳ないのか我ながら微妙だが、
「金木の殿様」と呼ばれた津島家に
生まれたのが太宰であって、
そこは絶対譲れないのである。



と熱く「地元のヒーロー」について語りながら
J-Theater〈日本人作家シリーズ〉
語り芝居『太宰治特集』
~失敗園、尼、貨幣、清貧譚~
へと話題を移すわけだが……
下北沢の小劇場楽園にて来週の月曜日開幕。
水曜日まで全五回公演。

さて。
津島修司(太宰の本名)の乳母は
近村タケ(のち結婚して越野姓)。
そして僕の父の母、つまりばぁちゃんは
高橋タケ。

そんな奇妙な縁もある芝居は、
2015年、僕にとっての最終公演でもある。
制作及び制作協力含めて十八本目。
きっちり締めさせていただきます。

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