麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

尼の泣き水☆再び

2007年11月30日 | 東演
 訪中レポートにかまけてましたが、東演はもちろん未来に向かって進行形を続けておりまして、例えば明日は、南保大樹が外部出演する『尼の泣き水』の本番です
記憶の良い方は「あぁ、あれを演るのか」とお思いでしょう。
 そうです。海老名に伝わる伝説に材を得たモノ・オペラで、二年前に初演された作品です!
 大きな反響を呼び、我々劇団員すらチケットが入手できなかった舞台の、待望の再演なのです。

 海老名在住の声楽家・作曲家の甘利真美さんの脚本・作曲・独唱による舞台に、南保は語り手として、ヒロインの尼の愛する漁師を演じます。

 どのくらい盛り上がっているかというと、昭和12年創業「御菓子司・山口屋」さんが新作和菓子として『尼の泣き水』を発売したほどです「黒ごまくるみ」と「ゆずはちみつ」・・・伝説自体は古くからあるわけで、モノ・オペラだけの力ってわけではありません。
 そもそも
 多くの人が歴史の授業で習う海老名の国分寺と深く関連しています。
 奈良時代、聖武天皇が発した国分寺建立の詔(741年)で、全国に国分寺と国分尼寺が建てられたことは脳の奧の引き出しの隅にあると思いますが、その代表格として紹介される相模国・国分寺。
 往時は七重塔があり、現在は街のシンボルとして駅前広場に縮小再現されたものが建っている。近代的なショッピングモールのド真ん中に「歴史」を刻むべく鎮座しているのだ 

 つまり海老名には長く根付いてはいて、ただ人口流入出による「新海老名市民」など知らない人も増える中で、このモノ・オペラが掘り起こす大きなきっかけになったのは確かなようだ。

 話を『尼の泣き水』に戻しましょう。
 その七重塔の輝きが相模川の水面に光って、肴が寄りつかないと南保演じる漁師は困り「他の場所に移るしかない」と恋仲の尼に告げる。漁師を思う尼は、国分寺に火を放ち、捕らえられ処刑されるが、その場所から湧き水が……というのが大筋です。

 いよいよ明日、海老名文化会館小ホールにて。開演は13時半です。今日の明日では予定も立ちにくいでしょうが、近隣の方、興味のある方は東演まで。

 ほかにも、奥山浩、星野真広、安田扶二子の同期トリオが、ギイ・フォワッシイの『関節炎』を青年座の千田恵子さんの演出で・・・長くなったので、詳しい話は別の機会に。
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あおげば夜叉が映画のない手紙

2007年11月29日 | 鑑賞
 中国から帰って四日目の火曜(11/20)から観劇を再開しました。

 まず青年座『あおげばとおとし』(本多劇場)
 売れっ子・中島淳彦が手練れぶりを発揮。卒業式の近い小学校の職員室を舞台に“あえて”意表をつかないストーリーを展開。
 舞台の向こう。。。観た人それぞれの、懐かしい小学校の像を結ばせる狙いと見た!
 青年座の達者な役者たちだからこそ成り立つ舞台。
 しかし何故、黒岩氏の演出する舞台の照明はあすこまで暗いのだろう。雨が降ってる昼休みが、夜中の職員室と同じくらい暗かった…。

 11/22馬場ひかりソロダンス『夜叉ケ池』(俳優座劇場)
 畑違いのコンテンポラリーを見る。世界でも活躍するベテランのソロ。長年仕事をともにしている照明や美術とのチームワークも良く、幻想的な1時間でした。
 客席に、背広姿の大人の男性の多かったことが、その層になかなか足を運んで貰えない東演としては羨ましかった…。
 
 11/24劇団☆A・P・B―Tokyo『さらば映画よ〈スタア篇〉』(ザムザ阿佐ヶ谷)
 やはり寺山芝居はザムザとよく合う。が、話の筋よりショー的要素の濃い『さらば~』のような作品だと、舞台がやや小ぶりか。その分客席も利用して(客いじり含む)広がりを意識した工夫もあったが、中央のベッドと上手と下手のセットのあまりの大きさを払拭するには至らなかった。
 制作目線で言えば、入口で配られた布の靴袋は音の問題と環境、両面で◎と思った。

 同日、文京区区制60周年記念事業・劇団昴『宛名のない手紙』(文京シビックホール)
 まだJOKO演劇学校在学中の安藤さくらが良かった。見事なポーセぶり。今後の昴を背負う逸材か?!
 宮沢賢治が25歳の時、上京した際、文京区本郷に住んでいたことから、立ち上がった企画らしい。作品自体は、昴の代表的舞台のひとつ。賢治の作品を散りばめながら、賢治とトシ、チュンセとポーセの兄妹が重なり合う優しい物語だ。これまでは脚本の菊地准自身の演出だったが、今回、河田園子にバトンタッチ!

 まあ、つまりタイトルは上記4作品の作品名を繋げたものです。
 下北沢-六本木-阿佐ヶ谷-後楽園。いやあ、日々、いろんな所で様々なイベントが行われていますネ、今更ですが・・・。
 改めて思います。

 さて、実は12月は見なければいけない作品が目白押し。
どれくらいこなせるかしら?

【文中敬称略】
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訪中譚⑤~長春その2

2007年11月28日 | 中国公演07
 長春の、最初の夜にシャワーが水だった、って話の続きです

 そもそもヒネったら当たり前にお湯が出るなんてことが「世界」で言えば珍しいわけで(と、言い切るのは乱暴すぎ?)、中国に限らず、海外では覚悟しなくてはいけません。
 長春着が22時過ぎで、美味しい水餃子を食べて呑んでですから、おそらく10月24日(水)零時を回った頃のことでしょう。
 そんな夜中にお湯を出せ!って方が無茶だよ、と、考えられなくもないのです。世界標準では。。。

 とにかく通訳の常虹さんが、あっちの部屋からこっちの部屋と飛び回っていたそうです。

「おそらく」とか「そうです」とか、推量&伝聞で語らなくてはならないのには訳があって、その頃僕は、皆を部屋に帰したあと、弊団制作の横川と通訳の朱海慶氏、全行程の受入担当・徐鋒くんと、一昨日も紹介した長春で我々の面倒をみてくれた包さん&厖さんが同じレストラン内の個室で、明日以降の打ち合わせをしているところに合流していたからです。

 そんなこんなで朝になり、仕込み日。

 ホテル(園東賓館)と同じ敷地内の劇場(東方大劇院)までテクテク歩くと、今度は暖房が入らないと言う。
 と言うのも、「明日、一斉に街(長春)に暖房が入ります」。
 なるほど、さすが社会主義国家です
 ところが翌日・・・「街には入りましたが、劇場の配管工事が終わらなかったので明日になります」と。確かに仕込みの最中に、トンカンカンコンギーギーブフォッと、金槌とのこぎりとバーナーの音が派手にしていたものナ。

 一方、ホテルのお湯は、部屋によって出たり出なかったり、あるいは皆が使わない早朝には出たゾなど・・・つまりは不具合がその後も続き、そうして劇場の暖房も、最終的には長春5日目の『恋森』開演前ギリギリにようやく入ったのだった。

 と。なんだか散々な所みたいですが、こんなことは小さなことで。。。いや、そう言い切るとまた語弊が出ます。プロの役者が、日中国交正常化35周年記念の舞台に立つのに、風邪でも引いたらどうする!と、厳しく先方に抗議しなければいけないという面もある。ただ、とすればプロなら“お湯が出ない、暖房が入らない”という中でも100%のパフォーマンスを見せなければとも考えられます。。。

 あれ?
 今度は「え?そんな風に内部で揉めたの?」と言われちゃうか?
 そーじゃなくて。例えば
 僕と橘さんの411号室は、3日目に念願のお湯に遭遇するも、4日目にシャワーノズルの根っこが破損。「明日直す」と言われるも、その夢(?)が叶うことなく去ることになる。
 けれども、そこで体調も管理しつつ、カタコトの中国語を交え服務員とやりとりしたりして、結構愉しませていただいた。
それこそ、海外公演の醍醐味じゃあないかしら。
 
 長春のホテルと劇場回りには何もなく、歩けばすごい砂埃で視界が効かないことに加え、目や喉のケアが大変だったりもしましたが、メンバーそれぞれ、街に繰りだしては、ちょいと離れた超市(スーパー)を見つけ、その1階で人だかりのできる安くて旨いマントウや其処此処の路地に出没する屋台の大きくて甘い焼き芋、「長春その1」にも書いたホテル裏の餃子館などなど美味いモノを見つけては、舌鼓を打ちまくった! さらにはタクシーで1メーターの街の中心に足を伸ばし、ウォールマートでお買い物e.t.c

 皆、アクシデントも含めて長春を大いにエンジョイしていました。
 そして何より、芝居へのリアクションが良かったのが長春
 
 その話は、次の機会に。。。
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訪中譚④~長春その1

2007年11月26日 | 中国公演07
 大連での『恋森』公演(10/22)の翌日は早くも移動!
 少し早めにホテルを出て、大連の見所をバスに乗り、駆け足で見、駅で各自昼食を取って、14:35発の列車で長春へ。

この路線は、かの満鉄が敷いた線路をそのまま走るというもの。

 大連に近い旅順を見られなかったのは残念でしたが、【重い歴史】の刻まれた線線路の上を揺られながら、日本が傀儡国家「満州」の首都・新京を置いた長春に着いたのは夜の22時に近かった。
 つまり9時間近い移動。

 駅には、吉林省演出公司の“ハイテンション経理”こと包さんと、同じく経理だが、こちらは穏やかな厖さん(元踊り手で現在は主任舞台技師)が出迎えてくれた。[*]
 ちなみに「公司(コンス)」は会社で、「総経理」が社長なので、経理=日本で言う「経理」ではない。辞書には「支配人、マネージャー、企業の責任者」とある。
 そして、ホテルに着くと、疲れを癒してくれるような出来たてのギョウザが!(&ビール
そう、このあたりといえば「ギョウザ」が名物。
 実際、以後ホテルでは全日朝食にギョウザが出たし、またホテル近くの餃子館が安くて旨かったので、キャスト・スタッフともに昼に夜にと、お世話になりまくった

 そうして明日の『臨時病室』仕込みを控えて、静かに夜は更ける・・・と思われたが、結果的には皆の印象に強く残る6dayは、この夜から始まるのであった。。。
まず部屋に戻ってシャワーを捻るとお湯がでない

 まあ、そのあたりは明日以降に
 
だと、短いので、以下[*]解説

 我々日本の演劇人と違い、中国で演劇を生業とするのは「国」に認められた、いわばエリートであり、もともとは行政単位の「劇場」に所属する「俳優」と「技術者」の集団だったわけである。
 それが昨今の社会状況の変化で、自己採算性も問われたりしてたりもするけれど、まあ、難しい話はさておき、だから例えば前述の「厖さん」の名詞には、「吉林省文化活動センター」内の「吉林省舞台専業技術センター」経理。あるいは「中国文芸演出物資協会常務理事」とか、皆モノモノしい役職がある。
 彼に限らず、どの公演地でも皆そうだ。
 そーゆーのに結構弱い敏腕Pだし、逆に向こうもそーゆーのがないと甘く見てくるので、次回行くときは、先般、なんとな~くの流れで就任した「日本新劇製作者協会理事」ってのを付けようと密かに誓うのだった!
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好き好き☆IC乗車券キャンペーン

2007年11月23日 | 身辺雑記
 僕が最も信頼を寄せる衣裳プランナーの竹内陽子さんが、コンテンポラリーダンスの衣裳を担当した、馬場ひかりソロダンス『夜叉ケ池』を拝見すべく俳優座劇場へ足を運んだ。
 昨夜のことだ
 いつもはシモキタから急行で一駅の代々木上原で千代田線に乗り換え乃木坂まで出て、そこから15分弱歩くのだが、訪中公演の疲れの残るところに厳しい寒さも重なったので、六本木までメトロを使った。
 改札を出たのは開演5分くらい前。

 と、改札の外になんだかやけに派手なマシーンがある

 あとからわかるのだが、東京メトロが地下鉄開通80周年を記念して企画した「数寄数寄IC乗車券キャンペーン」の、専用タッチ端末だった。

 僕が中国に行ってる間に始まっちゃってる企画だと、駅のラックのリーフを読んだところ解った。期間は11/1~30。今更乗っかるわけにもいかないが、ザッと読んだところ意外と僕にはハマりました。

 要は地下鉄の駅名の「数字」・・・銀座一丁目の「1」、二重橋前の「2」ってな具合に10個の駅(ブログ末に駅名列記)を選んで、専用の端末を置き、そこに手持ちのパスモかスイカをタッチさせるとポイントが溜まるってものなんだけど、僕がステキだと思ったのは。。。護国寺を「5」とするのは、まぁありとして、六本木一丁目を「六」と「本」の文字の中の「+」と「一」で「7」としている点だ。

 別に「六」と「一」で7でいい気がするのだが、細かな遊び心が僕をくすぐりました

ただ、不公平なこともある。
 要は通勤通学で当該駅を利用する人は、じゃかじゃかポイントゲットできるわけだ。リーフもヌカリなくそこには触れていて、通勤で九段下を使う人は28Pになる※と。つーことは、護国寺に住んで銀座一丁目に通い、その会社がチャリで行ける距離の八丁堀に支店なり他部署なり倉庫を有していて、週に三回は行くとすると…
…まあ計算はしないけど、大した数字になるわけです。

 また、新しい路線なので力を入れたのか? 南北線には対象駅が3駅(四ツ谷、六本木一丁目、麻布十番)あるのに銀座、丸ノ内、東西、千代田は1駅と差がある。
(まあ均等にはいかないか

 でも、青山一丁目や本郷三丁目など「数」入ってるのに外れた駅もあるからなぁ…。

 まあ、細かいことは置いても、遊び心のある企画だなあと、僕は思いました。ハイ。
 新劇界でもやるか、劇団の枠を越えたスタンプラリーみたいの

 ※1タッチ1Pに加え、ボーナスポイントdayってのもあるらしい。

 対象駅=銀座一丁目、二重橋、三越前、四ツ谷、護国寺、六本木、六本木一丁目、八丁堀、九段下、麻布十番
 
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福さん生地を訪ねる~ちっチャ(イ)ナおはなし/壱

2007年11月22日 | 中国公演07
 大連は福さんの生まれた場所だ。

 福さんとは『恋でいっぱいの森』の共同演出を務め、一ヶ月に及ぶ全行程にも同行し、会場の条件の違う中で、もっとも作品が輝くように、小屋ごとにタクトを振ってくれた福原圭一さんのことだ

 そんな福さんは、今回、大連での公演を誰よりも楽しみにしていて、『臨時病室』が先に幕が開くも幸いして、その間に3歳までを過ごした大連を大いに闊歩していた。。。

 同じく『恋森』の振付のため大連入りしたみっちゃん先生(渡辺美津子さん)や、『恋森』出演で体の空いている弊団のベテラン豊泉らと数人で市場を見て愉しんでいた時のことだ。
「どうやら計り売りらしいが、どーやって買ったらいいのかなぁ」などとガヤガヤやっていた所に、「日本の方ですか?」と声を掛けられたという。

 声の主は中国人の女性。けれども、夫は日本人で、日本に住んだこともあり、その言葉は言われなければ外国籍と解らないほどのきれいな日本語だったとか・・・。

 この出会いがきっかけで、その日は彼女のガイドで苦労なく「昼食」にもありつけ、さらに翌日、福さんの記憶を辿って「生誕の地」を探すことになったそーな。。。

 で結果は・・・苦労はしたが見つけることはできず、でも、その中で様々な出会いがあり……ってな展開か、苦労の末、感動的に生地を発見するか、まぁどちらかなわけですが、な、なんと、後者だったそうです。

 もちろん、生まれた家はもうなかったけれど、恐らく、このあたりだろう、という所を目にして、福さんは劇場に戻って来られました。
 その日は『臨時』の中国公演初日(10/20)
 お世話になった彼女のご家族を、招待させていただきました。

 さすがに30日間、しかも中国5都市を巡ったので、メンバーそれぞれに素敵な出会いを経験したことと思われますが“人生”という長い時間を背景にしているだけに、このエピソードは、なかなかなものでした。

 全て伝聞につき、少々あっさり書いたけれど。。。


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訪中譚③~大連その3

2007年11月21日 | 中国公演07
 10/20(土)19:30、『臨時病室』がまず先陣を切りました

 『臨時』は3人きりの会話劇、『恋森』はパラータで初演の作品なので、ともにでっかい劇場で、しかも海外でどんな反応をいただけるか、かなりドキドキの幕開けでしたが・・・
 開場前から、劇場のドアの向こうには多くの観客の姿が
 客席はほぼ満席。大連の演劇関係者、在住の日本人、日本語学校の団体鑑賞に加えて、多くの一般客が、ぞくぞくと客席へ!

 訪中ブログの初日に書いたように、日系企業が多く、その流れで日本語学校も多い「大連」という土地柄もあってか、大変熱心に観てもらえました。
   
 5年前の訪中公演で、携帯が鳴ると話しながら席を立ち、ロビーに出、終わると戻るというのがヘイッチャラだった中国を知る我々東演。
 携帯普及率がさらに伸びた今回、覚悟はしていたけれど。。。思ったほどではありません(?)でした。確かに、ゲームをしている子、おかしを食べながら話しているグループもあったけれど。

 でもそれって、特別“中国の日本語学校”に限らない世界共通のこと。
 様々な生徒がいて、ちょいと金のある親に無理に入れられて全然勉強する気のない子、ヤル気満々だったが思いのほか難しくて挫折している子、結構興味あるのだが真剣に見ると「マジメじゃん!」と言われちゃうから、つい悪い仲間とツルんじゃう子など。。。まあ、そういうことだと思います!
 全体からみれば、目立つけど、一部に過ぎません。

 海外公演経験豊富なスタッフからも「これだけ観てくれたのはスゴイよ!」とお褒めの言葉(?)をいただきました。



 あ、そうそう。ブログ1回に1日分のペースで行くと30回シリーズになるので、ボチボチ回転を速めて、一気に『恋森』(10/22)の舞台についても触れてしまうと、やはりミュージカルということで《見栄え》のするせいか、写メをバシバシ撮られました。
反応として、喜んでもらえている証拠なので嬉しくもあり、芸術鑑賞のマナーとして、どおよ?という気持ちもあり(細かく言えば、美術や照明、衣裳などの著作権の問題も発生するので…)、複雑ですが、お国柄というのもあるし・・・まずはスタートの大連、好評のうちに終了
 中国で言えば、完了(ワンラ)。

【長春公演レポートは、
  来週のアタマにお届け予定です。
  週の後半は中国のこぼれ話を
  ひとつくらい書けたら……、いいなあ。。。】
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訪中譚②~大連その2

2007年11月20日 | 中国公演07
 10月19日、大連での仕込み。
 ホテルからバスに乗り込んで、会場へ

 大連電視台大劇場は、テレビ局の局内(1階)にあり、歌謡ショーの公開録画等にも使われる小屋だ。
 乱暴に言えば、NHKホール。。。NHKホールは局内にないし、あれほど立派じゃないけど、つまりTV局所有で、かつ貸劇場でもあるって意味で…。
 ここで、しょっぱなから“中国的な”お出迎えを受けた

 爆竹での熱烈歓迎なら嬉しかったが、その日、大連で「全人代」の式典が開催されていて、劇場スタッフがまるごとそちらに行ってるから、音響室も空かなければ、バトンも降りて来ないという。。。日本ではありえないけど、中国ではさほど問題じゃない状態(?)で仕込みが開始された。。。「開始された」というか、具体的には、出来るところからやっていくしかない!という、そんな午前。

 今回、『臨時病室』『恋でいっぱいの森』とも大道具・小道具の一部を中国に発注していて、遥か上海からトラックに乗って無事についていたので、『臨時』のベッドや『恋森』の櫓、舞台面に敷くパンチカーペットなどなどに、日本から持ち込んだ衣裳に小道具など、そーゆー手の付けられるところから準備は進んでいったのだ。
 
 そうそう、その中国製パンチは、日本で使用していたものとは随分違うフエルト地で、使っていくうち伸びちゃうので少々困った。
 中国に同質のものがないとは思わないが、予算と合わなかったのかも…。

 結局、係りの人はお昼前には来て、もろもろ動き出すことが出来たのだが・・・(※)

 さて、テレビ局というと華やいだ印象だが、共産圏では国抱えのせいか、悪い意味での公務員気質が残っていて、客席も汚いし、楽屋も掃除している気配なし。
 『臨時』に出演する矢野泰子が、楽屋の引き出しを開けたら、灰皿がわりに使われていたのだとか……。
(ちなみに全館禁煙です

 今、中国のテレビ事情は、各局自主採算が謳われていて、コマーシャルもバンバン入る激しい競争があり、ニュースキャスターなんかもカッチョいいのだけど、まあ、末端では・・・ということでしょうか。

 とにかく、日本の優秀な外部スタッフの頑張りで、初日の仕込みを終え、いよいよ幕は開くのであった・・・。

 ※=前日書いたように、ツアー全体を「上海美演出経紀有限公司」が担当し、大連の現地制作は「大連芸隆演出有限公司」が担っていました。このパターンは5都市とも同様。
 前述の、人がいないという場合も、日本側スタッフ→日本制作→通訳→上海美→大連芸隆→劇場という流れになるわけで、こんなこと一つ取っても海外公演は大変なのダ。

  
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訪中譚①~大連その1

2007年11月19日 | 中国公演07
 10月18日、東演としては二度目の中国公演に総勢33名で出発。
 02年同様2作品を持っての巡演の、始まりは大連。

 大連は、今や中国有数の貿易港で、近年の成長は国内のみならず世界からも注目されている。街には様々な国籍の人々が闊歩していた。
 中でも日本は地理的に近く、また歴史的背景もあって、多くの日本企業や日系企業が進出しているそうだ。

 奇しくも『恋でいっぱいの森』の共同演出を務め、今回の全行程をともにした福原圭一氏が、大連生まれだったりするのだが、そのへんのエピソードについては後日詳しく書こう…。

 さて、大連周水子国際空港にて、『恋森』の翻訳及び全行程の通訳を務める朱海慶氏(日本在住、本業は画家、書家)と本公演の総受入団体「上海美演出経紀有限公司」の徐君らに迎えられ、降り立てば、生憎の雨。。。パラパラ程度の、バスで5分のホテルに着く頃にはやむほどの雨。。。は、ところが、これ以降帰国の日まで、ほぼ一ヶ月降ることがなかった。
 手続きを終え、空港を出たのは16時過ぎ。この日は明日に備え、各自、荷を解き、周辺を散策(スタッフは打ち合わせのために劇場へ)して過ごした。

 歩いても空港まで10分かからない、その名も大連国際机場賓館が宿泊先。カンのめぐりの良い方はお気づきでしょう。机場が中国語の「空港」。
 4ツ星で、2階のレストランはなかなか豪勢だったが、フロントは小銭が不足ぎみらしく、両替に苦心した。僕と橘さんは粘って3000円を日円→中国元に出来たが、そのあとの面々はまとめて1万円にしてのエクスチェンジとなった。

 やっぱ両替すると、気分がグッと海外っぽくなる!
 ただ、大連とはいえ市内からは車で30分ほど離れた場所で、ホテルの向かいは団地風の集合住宅。いわゆるベッドタウン。
 コンビニや超市(スーパー)を覗いて、夕食は近くのレストランで、戌の肉などを食しました。
  
 コンビニ。。。チェーンではなく、地元のよろず屋風。。。の隣は、美容院の内装工事をしていたが、わずか200Mほどのエリアに理容院&美容院が他にも4~5軒あった。
 結果的に大連に限らず、中国はどこも床屋が多かった。しかもかなり遅い時間まで開いていた。…まぁ床屋のグルグルはあるが鏡も椅子もなく、肌を露わにしたお姉ちゃん達が座っている、いわゆる風俗店もあったのだが、大連のホテル回りは全て、ちゃんとした店(?)でした。

 そんなこんなで、大陸初日は静かに暮れて行った・・・。
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ぽっかぽかのシモキタ並びにヨコハマ

2007年11月18日 | 東演
昨日は少々冷え込んだが、今日はいい天気。
 上海が温かかったので助かる。

 劇団全体としては、16日に無事中国から戻って、役者は土日オフで、明日月曜に荷下ろし及び返却・整理の作業を・・・。

 制作者は、土曜は通常の業務。
 今日の午後は横浜で会議があるので出席

 で。僕的には、土日は下北沢演劇祭「世田谷区民上演グループA」の稽古なので、昨日と今日顔を出して・・・今日は前述の会議で今から移動なので、ちょっとしか見られなかったけれど・・・やはり1ヶ月の稽古の成果が見て取れた。
 
 正直、もうちょっと固まっていて欲しかったというのが本音だけど、とにかく難しいホンなので(まぁ僕が選んでてて言うのは気が引けるけど…)差し引くと及第点かな?

 成田かのら帰りにも思ったが、ヨコハマの夜景・・・ベイブリッジや高いビルの輝き・・・は上海に似ている。(上海が似ているのか?)
 いずれにしろ、港として栄えて、街として先鋭化して、国内の他の地域から“憧れの目”で見られる地として、二つの地が共通している点に異議のある人は少ないだろう。。。

 おっと、そろそろ出かけなくちゃ

 普段なら、ヨコハマ→中華街、ってな展開だが、できればやきとりとホッピーがいいなあ…。


 さあ! 月曜から《訪中公演レポート》開始・・・・・・予定。

役者のブログでは写真満載で
     既に訪中公演の記事がアップされてますので
     是非、ご来場くださいませ。
      (劇団東演公式HP、トップページ左下)  
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