麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

とうえい(本文)~セントラルの凄腕

2023年11月30日 | 身辺雑記

東映の岡田茂社長(当時)から招かれ、

黒澤満は東映セントラルフィルムへ。

1977年のこと。

彼は凄腕の映画プロデューサー

 

1955年「日活」に入社。

梅田や名古屋の支配人等、劇場職から

製作畑に移ったのは70年。

が、日活はかつての栄光からは凋落し、

翌年大きく路線を変更する。

 

〈ロマンポルノ〉

その命名も黒澤だと言われている。

 

他のいわゆるピンク映画とは一線を画し、

のちに日本映画界を牽引する

神代辰巳、周防正行、相米慎二、森田芳光ら

多くの監督を輩出したロマンポルノ……。

 

黒澤は73年、日活の撮影所長に就任するが、

77年、役員会がリストラを敢行。

古参社員更迭動議に、黒澤もともに退社。

ここで文頭の、東映移籍となる。

 

セントラルフィルム旗揚げ第一弾は

『最も危険な遊戯』。主演は松田優作。

殺し屋・鳴海昌平が主人公のハードボイルド

「遊戯シリーズ」は3作品製作された。

東映にとどまらず『Wの悲劇』など角川映画、

『あぶない刑事』などテレビドラマも手掛けた。

 

優れたアンカーマンで、企画から実現までの

スピードが早く、予算に厳しく、大胆なカットが

作品性を高めたこともしばしば。

 

そんな黒澤の、今日が命日。

肺炎のため85歳で亡くなったのは2018年。


やりたいことどはなく、できることをやる。

そんな映画プロデューサーだった。

 

*****

 

とうえい(序文)から10日も空いてしまった。

 


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