麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

プール開き

2024年06月28日 | スポーツ

6月なのに真夏のようです。

海にプールにかき氷など恋しくなる

御仁も多いことでしょう。

  

筆者は正直ソソラれないのですが、

パリ五輪のプール決定には興味津々。

 

 

ネーションズリーグで結果を残し、

見事! 第1ポットに入った

バレーボール日本代表男子。

プールCで第2ポット以下のチームを

待っていたわけですが……。

 

アメリカ(5)、アルゼンチン(8)、

ドイツ(11)と同組に。

実力伯仲のインドアバレーなので

楽勝はないのだけれど

でも結果、Cは良いポットに

 

※括弧数字は世界ランキング。

以下も同様。

 

そして死の組は、B。

ポーランド(1)、イタリア(4)、

ブラジル(6)、エジプト(29)で、

伊国か伯国が消えるのだ。

いや世界ランク1位の波蘭国が

決勝に進まない可能性もある……。

 

レギュレーションは、

各組の上位2チームと各組3位から

成績上位2チームの計8チームが

決勝トーナメント進出となっている。

だから波・伊・伯とも決勝Tも、

勿論あるわけである。

 

うわぁ〜

既にハラハラドキドキじゃあ〜

バレーの海に溺れるぜ。

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もうろく

2024年06月25日 | スポーツ

昨日、高校野球のことを書いた。

今年は106回目の夏になるという。

 

第100回記念大会から、もう6年。

……そんなに?

通常の北海道・東京に加えて神奈川など

7地区からも2代表の56校で争った、あの。

レジェンド始球式と称して、

バンビこと坂本佳一(59回大会・東邦)、

桑田真澄(65〜67回・PL学園)などが

登場してスタンドが湧いた、あの。

そして「金農旋風」の吹いたあの、

2018年から時は過ぎたのである……。

 

もうろくねん。

モウロクもするわけじゃわい。

 

 

耄碌していないのが、鉄紺。

一昨日は全日本大学駅伝の関東選考会。

前回大会でシード権を逃したチーム

20校が相模原ギオンスタジアムに集結。

 

そう、東洋大学は昨年の55回大会で

まさかの12位に沈み、予選会に回った。

 

が!

下馬評ではシード権争いと評された

箱根で「一秒を削り出す」走りをみせ、

総合4位(復路は堂々の3位)。

その勢いは、新チームでも加速

 

まず第1組。

岸本遼太郎(3年)と松井海斗(1年)が

序盤を引っ張ると、後半仕掛けた

神大・滝本と明大ルーキー・成合を

9400mで松井が捕えて1位フィニッシュ。

 

2組で網本佳悟(3年)、3組では石田洸介

(4年)もトップでゴールテープ。

さすがに全組を制するほど甘くはなく、

最終組では小林亮太(4年)が8位、

主将・梅崎蓮(4年)も粘って11位。

 

各校2人ずつ4組の総合タイムで

上位7校が本大会に進む一発勝負

東洋は、東海に次ぐ2位通過で

17大会連続32回目の出場を決めた

 

特筆はやはり石田の復活だ。

スーパールーキーとして入学するや、

出雲5区、全日本4区で区間賞の

鮮烈デビュー

しかし期待された箱根は未出走!

2年次も石田の走りは戻らず、

ついに3年は三大駅伝全休となった。

その洸介が還ってきた!!

 

 

ちなみに一枚目の写真は立教のキャンパス。

5位に食い込み伊勢路への切符をゲット!

一方、明治が8位で出場を逃した。

 

 

2024-25シーズン

大学駅伝はまず出雲から始まる。

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すげこう

2024年06月24日 | スポーツ

神奈川県立菅高等学校。

弟の母校である。

 

1983年に産声をあげたので

私が受験する頃にはなかった。

なので、新設校のイメージである。

が。

ありゃ、もう開校から40年以上に。

5つ下の弟が五十路越えなんだから、

まぁそうなるわな〜。

 

その平凡な神奈川の公立高に、

ドラフト候補のピッチャーが!

というニュースを目にした。

NPBだけじゃなくメジャーリーグの

スカウトも注目だと。

 

そんな彼の出た中学校は

川崎市立金程中学校。

私が二十歳の1986年創立で

やはり新しい……否。

【オロオロ絵文字】以下同様

こちらは40年ジャグの歴史

 

父が起業して、柿生の社宅を出て

越したのが百合ヶ丘の高石。

そこからほど近いのが金程だ。

Mattの卒業した学校だったりする。

彼の本名は桑田将司。

 

プロ注目の右腕は岩瀬将。

180cm80kg、最速143kmは

カリフォルニア生まれらしい。

 

神奈川大会開幕は7月5日。

菅の初戦は11日、逗子開成戦。

勝ち上がると春の県大会四強の

第1シードのひとつ向上と

恐らく当たることになる。

 

全国屈指の激戦区神奈川から

憧れの甲子園への道は遠い。

最初の大きな山になる2回戦。

 

ちなみに私の母校・生田東は

都知事選の日に座間総合と。

勝つと、第1シード横浜戦。

・・・クジ運悪っ

 

あ、今更ですが「すげ」高校

「かなほど」中学と読みます。

 

 

そんな駄文をこねくっていたら、

甲子園ブックが届いた。

facebookでプレゼントするというから

応募していた。

東京大会の全出場校が網羅されている。

今は都内在住だが、神奈川ほどには

正直興味がない

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EL埼玉

2024年05月31日 | スポーツ

サッカーの話が続いています。

だからいっそ、今日もそれで行きます。

始まりはフクアリでの観戦。

ジェフ千葉レディースの主催試合。

相手はEL埼玉。

 

正式には「ちふれASエルフェン埼玉」で

活動開始は1985年。

「狭山市スポーツ少年団アゼリアFC」の

少女部として誕生し、91年独立。

その際「ASエルフェンFC」に。

ASエルフェン狭山FC(2002)、

ASエルフェン埼玉(2014)と改称し、

川越に本社を置く「ちふれ化粧品」の

ネーミングライツで8行前の

現在の名称になったのが2016年。

 

愛称は、EL埼玉、AS埼玉、ちふれ。

現在のホームタウンは4市

(狭山、飯能、日高、熊谷)で

前3つは隣接し、熊谷がポツンと遠い。

地図で見ると所沢や川越に近い3市が

下の方、つまり東京市区寄りで、

上の方の熊谷は群馬県境。

 

その闘いの方に目を移せば、

ボンバーこと荒川恵理子はじめ、

山郷のぞみ、大野忍ら代表経験者を

擁したこともあり、

国内リーグ最高峰のWEリーグに

初年度から参戦している。

 

ちなみに12クラブ中、埼玉県は

浦和レッドダイヤモンズ・レディース、

大宮アルディージャVENTUSと

EL埼玉の3つ。なんと4分1を占める。

 

サッカーのオールドファンにとって、

静岡と並び埼玉は「蹴球どころ」で

『赤き血のイレブン』のモデルとなった

浦和南が高校三冠を達成したのは1969年。

少年キングでの連載が翌年から、

そして同年早くもアニメ化され、

主人公・玉井真吾を日本中の男子が真似た。

ただ初回放送時、筆者はまだハナタレ。

恐らく再放送を見て「サブマリン」や

「ブーメラン」にハマったのだろう。

念の為、二つとも必殺シュート

 

そして、完全に忘れていたけれど、

昭和40年代にして日本国内に

プロサッカーリーグが結成され、

玉井らがそのテストを受ける……

ところで物語は終わる。

 

嗚呼、Jリーグ誕生の四半世紀前。

 

話を戻す。チーム名のASは、

前身のアゼリアのAと

狭山、埼玉、さらには県西部の

「西セイ」のSなのだそう。

独語のElfen(エルフェン)は11、

つまりイレブンで、加えて妖精

(英語のelfin)を連想させるクラブ

「ちふれASエルフェン埼玉」。

 

サポーターは、埼玉の緑深い地から

千葉の海風吹くスタジアムでも

熱い応援を繰り広げていました。

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クリアソン

2024年05月30日 | スポーツ

 

G〜〜OAL goal Go〜al

きっとゴール後のシーンなのでしょう。

 

 

実は工事現場の、フェンスのラッピング。

新宿区内の某所で見掛けまして、

迷いなくスマホにおさめました。

 

二枚目の写真が解りやすいかな?

「クリアソン新宿」というクラブ。

ライセンスはJ3を保持していますが、

現在はまだJFLで戦っています。

そのクラブを建設会社が応援しています、

というメッセージがドドーンと。

 

「クリアソン」は代表・丸山和大が

立教大4年時、サッカーサークル引退後の

場として、彼自身が創設したのが始まり。

2009年に都社会人サッカーリーグ参加。

(株)Criacaoと法人化したのが13年。

18年にCriacao Shinjukuに改称し、

翌年には関東サッカーリーグ2部昇格。

 

……そんな歴史を持つクラブの監督を

今、〈あの北島〉が務めている。

 

 

名門・市立船橋高で、1年と3年で日本一

特に最上級生の第75回大会では得点王。

また選手権通算16得点は当時の最高記録

大きな注目と期待を背負い、柏レイソルへ。

4年目には得点王争いに絡み、代表入りした

あの、北嶋秀朗!!

 

プロ17季を柏〜清水〜柏〜熊本でプレー。

計367試合84得点。

Jを代表するストライカーの一人だ。

 

 

ポルトガル語で「創造」を意味する

Criacaoは体育会学生のキャリア支援や

人材育成を主たる事業とし、

その一部門として位置付けられた

サッカークラブはCriacaoの社員と

社員外選手で構成されている。

 

現在1勝5敗3分で14位。

クラブカラー紫のクラブは、

昇格には遠く、逆に降格は真後ろにある

(16位自動降格、15位はプレーオフ)。

 

だが

スポーツ振興、学校と地域との連携等々、

多岐にわたって区と包括連携協定を結び、

主催ゲームでは様々なイベントを展開。

運営はしっかりしている。

 

強いチームを応援するのも良いけれど、

てっぺんに向かって伴走するのも

面白いのじゃないかしらん。

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フクアリ〜ミックスゾーン

2024年05月29日 | スポーツ

さる土曜日に、女子サッカー

WEリーグを観に行ったのだ。

 

……ありゃ、もう4日も前か。

と、語る「フクアリ」は三日連続。

ようやっと最終回。

 

 

グッズショップでは、我がヤクルトが

胸スポンサーのシャツを発見

 

くるりと真後ろを向けば、

道路を挟んでJFEスチールの工場群。

 

 

JR蘇我駅構内から西口を出て球技場まで

ジェフ、ジェフ、ジェフに染まっていた。

 

 

そのメインストリートに並ぶ店の

一軒が「アゴラ」。

 

話にちょいちょい演劇が混じるけれど、

駒場東大前駅の「こまばアゴラ劇場」が

今月末で閉館となる。

〈静かな劇〉と呼ばれるジャンルを

確立した平田オリザの持ち小屋で、

彼が主宰する「青年団」、

そこから派生した「青年団リンク」の

上演のほか、地方で活躍する劇団の

東京公演にも積極的だった。

 

 

人の集まる場所を指すギリシャ語の

「agora」は広場と訳される。

なので今更だが、演劇用語ではない。

 

「フクダ電子アリーナ」は球技専用ゆえ、

陸上競技場と併用のスタジアムとは

臨場感がまるで違う。ピッチが近い!

 

そうそう、サッカー観戦以外も

ビーチテニス、モルックなども楽しめる

素敵な「広場」だったのだ。

  

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フクアリ〜コイントス

2024年05月28日 | スポーツ

フクアリ

正式名称は千葉市蘇我球技場。

施設所有は千葉市で、

指定管理者が「SSP UNITED」。

SSP社は、千葉マリンスタジアム、

ジェフユナイテッドなど4社から

構成されている。

 

そしてネーミングライツが

東京都文京区に本社を置く

医療機器の製造販売業「フクダ電子」。

2005年開場以来、契約を継続更新中!

 

 

そんなスタジアムに足を運んで・・・

2024年5月25日、WEリーグ

ジェフユナイテッド市原・千葉

レディースvsちふれASエルフィン埼玉

・・・を観戦。

 

まずは、オシムの像がお出迎え。

2003年から06年途中までの約3年半、

ジェフユナイテッド市原(当時)を指揮、

ヤマザキナビスコカップ優勝など

クラブ黄金期を築いた名将は

日本代表監督として、我が国蹴球界の

レベルアップの功労者でもある。

銅像は昨年6月に除幕。

 

フクダ電子アリーナと女子サッカー生観戦、

どちらも、お初

 

 

ゴール裏にサポーター。

Jリーグと変わらぬ熱量であった。

メインシートも多くの常連や家族連れで

埋まっていたのだけれど、

バックスタンド、サイドスタンドは

クローズ。私の観戦した22節でいえば、

約1800人をギュッと凝縮していた。

 

 

女子サッカーの現実だ。

千葉Lの1試合の平均入場者数は

900弱とリーグ公式サイトにある。

対埼玉は、ぽかぽか陽気のためか、

運営の努力か、倍入っていたわけだ。

 

運営といえば、少数精鋭で頑張っていた。

と書くと、やや上から目線かしら

私達の業界は、いわゆる「商業演劇」以外

もっと小さなキャパシティで苦労していて、

駆け出しの小劇場などは

受付を友人知人に「お芝居はタダで観て、

あとお弁当だすね」とお願いする。

ゆえに決して大きなことは言えない。

 

 

蘇我駅から競技場まで、ジェフに彩られた街。

夢の国も楽しいとは思うけれど、

女子サッカーも選択肢に入るといいな〜

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フクアリ〜ウォーミングアップ

2024年05月27日 | スポーツ

某大手物流会社Sで深夜バイト

巨大倉庫での「仕分」。

仕分けると言っても、手で抱えられる

当たり前の段ボール箱ばかりではなく、

タイヤだの冷蔵庫だのまでが

ベルトコンベアを流れてくる。

その頃はよく乗降していた駅。

 

 

上のカレー屋さんにも

随分お世話になりました。

 

あの頃は、りんかい線に乗り換えたが

25日(土)は京葉線に乗った。

 

あまり使わない路線は海沿いを走り、

「舞」という字がチラッと見えた処で

やたら沢山降りた。

人が集まる何かがあるのかしら?

そういえばお城みたいのも遠くに……。

その後、景色はしばらく工場や倉庫や

トラックなど地味なものになったが、

僕は川崎の臨海部で産声をあげたので

DNAに刻まれた何かが「懐かしい」と

体内奥部でささやくのだった。

 

「幕」がつく駅でもまた、多く下車。

背中に同じ数字の服を着た親子や

Mの帽子を被った若者らがホームへ。

 

演劇人のはしくれだから、

「舞」にも「幕」にも反応しがち

 

快速電車はさらにビュンビュン走り、

半時間ほどで目的地の蘇我駅に到着。

鉄道駅の着地点ではあるけれど、

ゴールはもう少し先だ。

 

【つづく】

 

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おかえりなさい、いってらっしゃい

2024年05月26日 | スポーツ

高橋藍(らん)は、東山高校から

日体大を経て、Vリーグには所属せず

いきなりセリエAでプレーしたから、

厳密には「おかえりなさい」

ではないとも言えるが……。

「日本におかえりなさい」と

大きなくくりでは言えるだろう。

 

日本代表には2020年初選出。

伊国に渡り、パドヴァ(21-23年)

からモンツァへ移籍。

今季、リーグ準優勝の原動力となり、

迫るパリ五輪でも石川祐希とともに

メダル奪取の柱になるプレーヤーだ!!

 

帰る者あれば往く者あり。

 

高橋と同年に代表に招集された

大塚達宣(たつのり)は当時大学2年。

ポジションも同じアウトサイドヒッター。

タツはセリエAのパワーバレー・ミラノへ。

 

小3「パンサーズジュニア」で

排球人生をスタートさせ、

京都・洛南高から早大へ。

そして22年パンサーズに入団し、

Vリーグでは最優秀新人賞に輝いた

 

受賞でいえば。

大塚は、高2の「新・春高バレー」で

鎮西(熊本)に敗れ準優勝。

翌19年は優勝し、自らMVP。

高橋は翌年の72回大会で優勝&MVP。

 

 

藍が、日本で袖を通すのはサンバーズ。

実兄の塁と高1以来のチームメイトとなる。

 

嗚呼、さまざまなドラマがありすぎて、

書き切れない

 

まずはネーションズリーグ。

男子は、現在出場国ランキングで、

なんとトップ

石川と高橋の二枚看板抜きで

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宮下遥

2024年05月10日 | スポーツ

《有機合成におけるパラジウム触媒

クロスカップリング》の研究成果で

根岸英一、鈴木章がノーベル化学賞の

栄誉に浴した2010年、

バレーボール全日本女子に選出された

宮下遥は、当時15歳。

この年齢での代表入りは史上四人目。

 

前年「黒鷲旗」と「プレミアリーグ」、

要は日本排球界最高峰のトーナメントと

リーグでの史上最年記録を成した

178cmの大型セッターには、

大きな大きな期待が集まった。

 

結論からいえば。

宮下の才能は、代表では

発揮されることなく終わった。

ある世代のバレーファンは

古川靖志を彷彿するのではないか。

 

川崎市立生田中学校から

藤沢商高(現:藤沢翔陵高)に進み、

春高バレーで躍動

前衛では小気味よいスパイク、

下がれば強気のトス回しで

藤商を牽引し、第9、10回大会で

史上初の連覇を達成

1982年、順天堂大学3年時に

全日本入りすると、

翌年のアジア選手権でベスト6、

セッター賞も獲得。チームは優勝。

 

低迷を始めた男子バレーの救世主

……と思われたが、当時の攻撃陣は

「天才・古川」のセットアップに

残念ながらフィットしなかった。

翌年のロス五輪は7位

 

猫田勝敏、竹下佳江らに代表される

打ちやすいトスが、

日本バレーのセッター像として

長らく続いている。

大型化も何度か試みられたが……。

 

同様に宮下は全日本で当落があり、

招集時も必ずしも主戦ではなかった。

 

 

そんな「ハルカ」も気づけば29歳。

昨今のバレーボーラーは、

他競技に倣い移籍も増えた中、

岡山シーガルズでのみプレー。

 

今季での「早すぎる引退」発表を

誰よりバレーの神様が驚いた……

のかもしれない。

 

1971年創部の東芝(横浜)の

活動停止を受け、日本バレー界初の

クラブチーム「シーガルズ」として

Vリーグ参戦。拠点を富山県黒部市に。

1999年のことだ。2001年岡山市移転。

06年から名称を「岡山シーガルズ」。

 

以来、プレミア準優勝もあれば、

チャレンジリーグ降格と、

悲喜こもごものクラブの歴史。

 

2024年5月6日。第72回黒鷲旗

全日本男女選抜バレーボール大会

女子決勝。デンソーエアリービーズを

ストレートで破り、初優勝

 

チーム初のビッグタイトルであり、

(国体5連覇などはあったが)

ワールド・グランプリ2014の銀が

最高順位だった宮下にとっても

初めての一等賞となった。

 

「上げる人の右側が強すぎて、

あれぇって」 と、初胴上げが

かなりローリングした感想とともに

「もう一生ないな、この経験。

3回上げ終わった、上げてもらった後に

感じました」と宮下は語った。

 

遥か遠くから、多くのバレーファンが

その胴上げに加わっていたことだろう。

……筆者を含めて。

 

 

冒頭、化学の一等賞から始まったのは

根岸岡山大学名誉博士との「岡山」繋がり。

 

【文中敬称略】

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