タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

二軍歩きで

2020年11月10日 | 山歩きから
季節がひとつ前に進んだからでしょうか、北西方向から雲が流れて来ることが多くなりました。

仲間たちとの裏山歩き、予報は晴れなのに雲に覆われている時間が永くなっています。

    

実は、、、昨日チョッと頑張りすぎて、、、、

今日は腰が少しだけ重かったので、リクエストして中国自然歩道を歩くことにしました。

今日も頑張ってギックリ腰になると大変ですから、、、、、。

仲間たちは荒谷林道まで足を延ばしていましたが、タカ長一人は自然歩道の最高地点でストップして、そのあたりを2~3回行き来しながら仲間たちを待ちました。

早々に帰ってきたのは二軍の2名。

彼らと一足早くカフェ46に行きました。

    

カフェ46に着くころには晴れてきて、寒さを気にかけることなく仲間たちの帰りを待つことが出来ました。

紅葉を始めた裏山を見ながら仲間たちより先にコーヒータイム。

    

388メートル地点もこちらから見ると三角形の山に見えます。

あそこから手前に下りてくるルートは拓いていないので、この件案をこの冬に片づける必要があります。

そのようなことを考えながらのんびりとした時間を過ごしました。

   

本日の参加者は15名。

少しだけ少ないようですが、他の何名かは九州のどこかで行われているクエまつりに行ったようです。

どのようなものか、、、、、これからネット検索してみます。

    

そのうち仲間たちも帰ってきて、いつものようなコーヒータイム。

シッカリおしゃべりして、記念撮影して帰りました。

あちらでのんびり、こちらでおしゃべりのタカ長でしたが、それでも歩数は1万歩超えです。

腰を痛めたわけではないので歩数をかせいでも問題ありません。

ただ、急登を避けたかったのでわがままを言わせてもらっただけです。

その時の状況によってわがままも言わせてもらい、それが通るのが裏山歩きのいいところです。

これはタカ長だけのわがままではありません。皆さん同じように、自分の庭を歩いているような裏山歩きですから、このようなことも出来るのです。

これから夜の部が始まる今日のタカ長です。


季節がひとつ、、、

2020年11月09日 | 山歩きから
    

独りで裏山を歩いてきました。

いつもの駐車場からの窓ヶ山ですが、太陽の角度も変わって面白い写真が撮れそうな雰囲気になりました。

駐車場に着いたとき、窓ヶ山にスポットライトのような陽が当たり、シャッターチャンスだったのですが、車を下りてカメラを向けた時はご覧の通り、、、、、、。

一瞬の差でシャッターチャンスを逃したようです。

    

わが裏山ではここだけと言える、植林されていないエリアの紅葉もすすんできました。

狭いエリアですが、実際に足を踏みいれると思いのほかの急斜面で、そのうえ岩がゴロゴロしているところです。

落ち葉も深く、チョッとオーバーに言うと落ち葉雪崩を起こしそうなエリアなので、タカ長たちはここを裏山の秘境と名づけて立ち入り禁止にしています。

かく言うタカ長も一度登り、もう一度だけ下りました。つまり二度足を踏みいれただけです。

あのエリアの下には、わが裏山ではそれなりの滝がありますが、そこへ行くのも足場が悪くて最近はご無沙汰しています。

    

裏山に入るときは毎回撮る尾根ですが、この尾根も色づいてきました。

ここも落ち葉が厚く積もるところですが、傾斜がないので問題なく歩くことが出来ます。

    

    

    

70番鉄塔から見る窓ヶ山や東郷山方面の風景ですが、この風景も変わってきました。

山肌の上を流れる雲の影を見ていると、季節がひとつ前に進んだことを実感します。

毎度、毎度同じような写真を貼り付けるようですが、このような広い風景が撮れるところは少ないのです。

展望などあまり期待できないわが裏山ですが、そのような尾根を歩いていると、、、、、

           

    

時々ハッとするような紅葉に出会います。

紅葉する木は1本か2本しかないので、写真らしい写真は撮れませんが、、、、、

それでもその紅葉に陽が当たるとハッとします。

それは紅葉の名所でもない裏山を歩くタカ長たちの、ささやかな楽しみでもあります。

これからはそのような風景を求めて歩き、、、、

そのうち70番鉄塔から雪をいただいた山を見ることになるはずです。

今日は人っ子一人いなかった裏山、尾根道の上をイノシシが仕事をしたあとが延々と続いていました。

季節がひとつ前に進み、冬が少しだけ近づいてきたようですね。

タカ長の山ときどきタカ見では季節外れですが、ハチクマの写真を公開しています。


古い山の友は

2020年11月08日 | 山歩きから
    

久しぶりに手にした本を読みながら古い山の友を思い出しています。

筆者の谷本蝉丸さんは関西にお住いの山のベテラン。

蝉丸さんと山を歩く機会には恵まれませんでしたが、奥様の幸子さんとは北アルプスを歩いたこともあります。

宝塚に住んでいる鳥友とも共通の友だちで、、、、、、

と言うことは幸子さんは山友それとも鳥友?

    

その時の山歩き、後立山の尾根から見る剣立山が最高でした。

中でも唐松山荘の喫茶室の窓越しに見る風景、額に入れた絵のようでした。

その幸子さんは同年配の人、今も山を歩いておられると思いますが、ずいぶん長いご無沙汰が続いています。

今は北アルプスの岩稜を歩くことは出来ないでしょうが、どこかの里山を一緒に歩いてみたい気持ちはあります。

    

古い山友と言えばma_kunさんたちと高御位山を歩いてから10年が過ぎてしまいました。

あっという間の10年、グズグズしていてやり残した山ばかり多くなっているのを感じます。

今では信州はおろか関西も遠くなっているような気がしています。

    

庭の紅葉も色づいてきました。

明日からは気温が下がる予報が出ています。

遠くの山には行き難い状況なので、せめて近くの山を歩きたいと思っています。




蔵座高原のこと

2020年11月07日 | 山歩きから
蔵座高原と聞いてピンとくる人はどのくらいいるのでしょうか?

全国的には無名で、地元広島でもその名前を知っているのは少ないのではないでしょうか。

タカ長たちの山グループでは口にしたことはありませんし、広島で山を歩いている人でもご存知ない人のほうが多いのではないでしょうか。

ネット検索するとヒットするので、完全な死語にはなっていないようです。

地図を見ると間違いなくその名前が記載されています。

でも、少なくともタカ長は日常の登山活動の中で蔵座高原という名前を口にしり聞いたことはありません。

    

高岳からの帰りその蔵座高原に立ち寄りました。

深入山の南側、そう、このあたりを蔵座高原と言っていました。その名を口にしていたのは若かりし頃のことです。

    

タカ長の記憶では、その頃の蔵座高原は何もない所でした。

その蔵座高原でテン泊して深入山に登り、深入山から向深入山を通って餅ノ木集落に下り、そこから三段峡を歩き、、、、

三段峡の入り口である柴木まで歩いていました。

三段峡は有名な観光地ですからそこまで帰ればバス便には困りませんでした。

これが深入山登山の定番コースで、何度も歩きました。

    

その蔵座高原のどのあたりにテン泊していたのか、具体的な記憶は無くなっています。

そこに滞在しながらのんびりした生活をしたこともあります。

ある年の早春、キブシの花が咲いているところで広島市内から来た女性二人組と出会い、そのキブシの花をバックに写真を撮ってあげたことがあります。

住所を聞いて郵送しましたが、それから先の記憶はありません。そこからロマンスが始まったとか言うことなど無かった記憶です。

    

その時も蔵座高原でテン泊していました。

その時とは、世の中が安保、安保で騒然としていた頃です。

タカ長たちは世の中の騒がしさをよそに、蔵座高原で仙人のような生活をしていました。

蔵座高原での一番の思い出、と問われれば迷わずその時の、仙人のようなテン泊生活と答えます。

    

ここまで車で来れば山頂まで約1時間の登り。その意味では深入山は小さな山です。

狭い意味の登山として考えれば、今のタカ長でも物足りない小さな山です。

これから歳を重ねて、脚力が落ちてくると、その小さな山が丁度良い山になるのかも分かりません。

広島では間違いなく名山である深入山。

タカ長が最後まで通うのはこのような山かも知れません。

昨日の高岳の写真はタカ長の山ときどきタカ見で公開しています。

上の黄色をクリックしてご訪問いただけると幸いです。


若いと言うことは

2020年11月05日 | 山歩きから
    

公開するかしないか、チョッとだけ迷った写真です。

若き日のタカカノ、まだ「女房殿」になっていない頃の写真です。

ゴールデンウイーク、信州の高原をめぐる山旅の最後、野辺山高原で写したものです。

山旅の最後、特大のキスリングはスペース十分で、パッキングのことなど考えないで適当に詰め込んだ感じです。

そこにあるものをパッと詰めこんで、力任せにガンガン歩いていたような、タカカノの性格丸出しの写真です。

山旅に出発するときはこのようなパッキングは出来ません。

それなりに気をつけていました。後ろから見ると頭が見えないくらいのキスリングを担いで信州の高原をめぐっていました。

    

正面に赤岳がかすかに写っています。

この時期の高山に登るだけの力が無かったタカ長たちは高原歩きを楽しんでいました。

その頃のことを思うといつも思うのですが、あの頃何をを食べながら旅をしていたのでしょうか?

旅の途中で買い物をした記憶もないので、何もかも持って出かけていたのでしょうか?

いずれにしても、少々の重さなど気にとめないで、ガンガン歩いていたあの頃が懐かしいですね。

この時の山旅ではありませんが、戸隠高原から柏原まで歩いたとき、振り返った視界にキスリングと青空が見えたことを今でも鮮明に覚えています。

目線より高いキスリング。そのようなものを担いで山旅が出来たのですから、若いっていいですね。

    

この程度の斜面でもえっちらおっちらの、今のタカカノです。

タカ長も同じようなことですが、この写真との間には五十数年の時間が流れているのですから仕方ありません。

いたずらに過去を懐かしむわけではありませんが、タカ長たち二人にこのような時間があったことを、今では嬉しく思っているのです。

タカ長の山ときどきタカ見は今日も金子みすゞの詩です。

ご訪問のほどよろしくお願いいたします。


同窓会のような登山

2020年11月04日 | 山歩きから
このブログで紹介したことのある「同窓会のような登山」を昨日行いました。

出発点の内黒峠には加藤武三のお嬢さま、姉妹をふくめて8名が集まりました。ささやかな同窓会登山です。

せめて赤帽さんが来てくだされば9名になり、野球のチームが組めたのに???

    

内黒峠から牛小屋高原に車で移動、ここから夏焼のキビレを経て山頂を目指すコースです。

「父が好きだった恐羅漢山を歩きたい」と言うお姉さまのリクエストによって決めたコースです。

タカ長たちが先月ファミリー登山で歩いたコースとまったく同じコースです。

    

山の紅葉はほとんど終わっていました。

いまは内黒峠の峠道やふもとの集落あたりが紅葉の見ごろだったようです。

    

加藤武三の長女は小学校の先生をされた人で、タカ長の母校にも赴任されていたことがあります。

その先生が地元紙のコラムに投稿されていたものを読んだのがすべての始まりだったようです。

娘から見たお父さんとの思い出などをうかがいながら歩きました。

   

ちょっと意外だったのはお父さんとの登山経験はほとんど無い、と言うことです。

子どものころは、山と言えば山菜などを採りに行くところで、登山の対象ではなかったそうです。

深入山や雲月山に山菜を採りに行ったのが良い思い出だったそうです。

   

お二人が登山を始められたのはお父様が亡くなってからでした。

誰かに誘われて恐羅漢山に登られました。

山を歩いている時、急に雪が降ってきて山は薄化粧。そのときユキザサの赤い実と白い雪のコントラストが彼女の心を一瞬にとらえたようです。

「一瞬で山にはまりました」と懐かしそうに話されていました。

ユキザサの赤い実と白い雪、タカ長にも思い出がある風景です。

    

天気図が冬型になり、山頂に着くころには風が強くなりました。

陽も陰り、寒くなりました。

山頂で急ぎ昼食。

    

              

昼食を済ませて早々に下山開始。

この時期ですからそれなりの支度はしていますが、それでも寒い山頂でした。

本当はもう少し山頂でのんびりしたかったのですが、、、、、。

下山している時、久しぶりに手がかじかむ感覚を味わいました。

本宅が狭くなったのでタカ長の山ときどきタカ見で紅葉の写真を紹介しています。

こちらもご覧いただけると幸いです。



内黒峠で

2020年11月03日 | 山歩きから
    

広島県で一番標高の高い内黒峠、標高1000メートル。

タカ長たち広島の登山者には色々な思い出のある峠です。

    

峠道のそばに、広島県の登山の草分け的な存在である加藤武三の碑があります。

今日はその加藤武三のお嬢さまたちとの登山です。恐羅漢山を愛している人たちの、同窓会のような登山です。

    

その登山の前に加藤武三の碑にお参りしました。

ここが今日の出発点です。

    

花は供えました。

この写真を見て何か足りないと感じた人は加藤武三のファン、と言えるような気がします。

寒いから一杯のめと老人がすすめる
一杯のむとのぼりがくるしいのだが
見あげる峠路の
なんという繚燗
豪華の錦繡
肌をそめる紅葉を
この目の底に焼きつけるには
一杯入った方がよさそうだ

一杯のんで目を細め
二杯目の盃をほす

軒先の縁に座って
三杯目の盃に映す
空の青さよ
    -内黒峠   加藤武三


これを読めばコメント不要、何が足りないか分かりますね。

    

皆が揃う前に峠の近くを歩きました。

タカの渡り観察をしていた広場も草に埋もれているようでした。

ある年の秋ものすごい数の小鳥類が渡り、峠に信号機を設置しないといけないようだ、と冗談を言ったこともあります。

またある年にはこの空をイヌワシが飛んだこともあります。

山以外にも色々な思い出がある内黒峠です。

そして今日、また新しい思い出を頂きました。感謝、感謝ですね。


鳥友が逝って

2020年11月02日 | 日々雑感
    

何年か前のことですが、親しい鳥友が一足早く逝ってしまいました。

仲間内でも元気印でした。そのような鳥友の死、人に生き死には分かりません。

どちらかと言えば病弱なイメージだったご主人が残されましたが、そのご主人も先月亡くなられました。

子どもさんもいないと言うことで、昨日親戚の人と故人の親友で遺品整理が行われ、タカ長たちも呼ばれました。

遺品の中に双眼鏡などがあったからでしょう。

正直言っていまさら双眼鏡など欲しくはありません。

ただ、そのような中古の光学製品も東南アジアの学生たちには高級品で、そこに寄付する手立ては知っています。

そのために呼ばれたのですが、、、、、

マンションのフロアいっぱいに積まれたものを見ながら、鳥友との楽しかった探鳥旅行を思い出していました。

    

    

彼女とは多くのところへ行きましたが、一番遠かったのはカナダでした。

この2枚はバンクーバーのスタンレー公園での探鳥風景です。これはツアー旅行で、タカ長も皆さんについて行くだけ、気軽で楽しい旅行でした。

    

国内で遠かったのは北海道。この時はレンタカーでまわりました。

北海道から九州まで、思い出してみればずいぶんたくさんの探鳥旅行をしました。

その鳥友のマンションに行って足の踏み場のないほど積まれた遺品を見ていました。

どこかの国に持って行けば宝の山ですが、タカ長たちにはそれほどの物欲もありません。

彼女やご主人との思い出の品を少しだけ頂いてきました。

    

彼女のマンションも拙宅も、床面積としては似たりよったりですが、、、、

その家にあるものを床に積むとひどいことになることを実感しました。

元気なうちに処分するよう娘から何度も言われていますが、、、、、

それが出来なくて困っているのです。

今の日本人は本当に多くのものにかこまれて生活しているのですね。

最初の写真は開聞岳登山の時に撮ったもの、最後の写真はその開聞岳、薩摩富士です。

タカ長の山ときどきタカ見は金子みすゞの詩です。




本日休業

2020年11月01日 | 日々雑感
    

午後から用事があるので、朝のうちに中国自然歩道を歩きました。

山を歩いている時は疲れを感じませんでしたが、午後の用事を終えて帰宅すると疲れがドカッと出てきました。

そのため本日休業です。

自然歩道を歩きながらカメラを上に向けて撮った写真です。