田中角栄の秘蔵っ子だけに、叩けばホコリが際限なく出てくる小沢が辞任を表明した。
福田とは、閣僚配分は自民10、民主6、公明1まで話し合い、小沢本人は、副総理であったという。
例えて言えば、関ヶ原の戦いで、東軍と西軍が今や合戦間近と緊張感が高まり、槍をしごいているときに、大将が、一人のこのこと敵陣に入り、我が軍は次の総選挙で勝てないから自民に白旗を掲げて降参します、と言うようなもので、安倍が敵前逃亡なら、小沢は敵の軍門に下る裏切り行為ととられてもしようがない。
さて、小沢の会見では、取り繕ったことを朗読していたが、一言で言えば、福田から連立の話を持ちかけられ、党に帰って皆に相談したところ、駄目と言われたので、私に対する不信任と認め辞める、ということであるが、幼稚園児の駄々っ子と同じで、意味をなさない。
辞任した本当の理由は、日本エスタブと米国CIAの謀略と恫喝によって辞めざるをえなくなった。
ナベツネと森が考えたのは、あわよくば民主党との大連立、それが叶わぬなら、小沢グループとの合流により、参議院における少数与党を解消することだった。
但し、それは自民党の都合であり、小沢にとっては関係ない話であるばかりか、次の総選挙で民主が政権奪取の勢いを見せる中、驕る平家・自民が没落していくのは自然の成り行きであり、それを助ける意味は何も無い。
しかし、ナベツネと森の策謀は、小沢を恫喝することによって、民主を分断し、自民党を回復させようとした。つまり、守屋問題・防衛利権を東京地検特捜部を使ってメデイアに暴露し、小沢に繋がる元議員らの名前をちらつかせながら、胴元の小沢を恫喝するものであった。
これはエジソンが創業したアメリカを代表する巨大企業GEが防衛利権がらみで名前が出て、テロ特措法を成立させるために、米国CIAとシーファー大使が日本政府と小沢に圧力をかけた結果でもある。
小沢は、結果的にそれに巻き込まれ、大連立を画策し、少なくても小沢グループの一新会を自民党に合流させる構想を練った。
しかし、一新会は動かなかった。なぜなら、ついて行こうにも筋が悪すぎて、それは自殺行為である。
小沢だって、無理筋というのは始めから分かっている、そもそもの動機付けはナベツネとアメリカからの脅かしであり、政界40年のキャリアと元・自民党幹事長・凄腕の小沢でさえも、袋小路の中で自爆をせざるを得なかった。
冒頭に述べたように、小沢は自民党権力史の中枢に長年いた最後の田中派そして経世会であり、取ろうとしてもとれない権力の瘡蓋をべっとりとつけている。
経世会打倒の執念に燃える小泉の「人生には上り坂、下り坂のほかに、マサカがある」と意味深な発言をしたのは、国会が始まる10月初め、森喜郎、町村以下、清和会の面々を前にしてであった。
思い起こせば、福田との党首会談に臨んだときから小沢は白装束を着ていたのだと思う。だから、小沢の顔は、ずうっと青ざめていた。
兵隊を連れずに大将だけが敵の陣地に寝返っても意味は無い、早晩、これらのことが露見する事は必定であり、大騒ぎになって首を切られる前に、自ら切腹したというのが真相だ。いや、もっと正確に言えば、小沢は始めから自民党と連立を組むつもりも、自分が自民に寝返ることも、夢想だにしなかった。
参議院選での大勝利、シーファーとの公開会談、密室党首会談はしないという宣言、そして政権奪取の勢いにありながら、シンデレラが12時の音を聞いた途端かぼちゃの馬車になるように激変して、次の総選挙では民主は勝てない発言、2大政党制が持論でありながら連立にのる、極め付きは小選挙区制では絶対にありえない自民・民主の大野合。不思議な小沢シンデレラ。
これらのバラバラの珠をまとめて、一つの意味のあるものにする一本の糸は、
権力が小沢に放った言葉「ロッキードの田中角栄になりたいのか、小菅の3畳一間に入れられて、寒い冬を越すことになるぞ」。
おそらく、党首会談に乗ったその時点で、小沢は白装束になり、最後は切腹・辞任することに腹を決めていたのだ、と読む。
そこまで、小沢は追いつめられていたのだ。
野生の動物は、自分が病気になっても弱いところを見せまいとするという。
なぜなら、敵対する相手にやられるからだ。
最後にすることは、獣も分け入らない深山の洞穴に身を横たえ、孤独の咆哮を一つ放つだけだ。
まさに政局は,マサカの戦国時代だ。
(妖刀ムラマサを引き寄せ、口に含んだ水を霧状にかける)
福田とは、閣僚配分は自民10、民主6、公明1まで話し合い、小沢本人は、副総理であったという。
例えて言えば、関ヶ原の戦いで、東軍と西軍が今や合戦間近と緊張感が高まり、槍をしごいているときに、大将が、一人のこのこと敵陣に入り、我が軍は次の総選挙で勝てないから自民に白旗を掲げて降参します、と言うようなもので、安倍が敵前逃亡なら、小沢は敵の軍門に下る裏切り行為ととられてもしようがない。
さて、小沢の会見では、取り繕ったことを朗読していたが、一言で言えば、福田から連立の話を持ちかけられ、党に帰って皆に相談したところ、駄目と言われたので、私に対する不信任と認め辞める、ということであるが、幼稚園児の駄々っ子と同じで、意味をなさない。
辞任した本当の理由は、日本エスタブと米国CIAの謀略と恫喝によって辞めざるをえなくなった。
ナベツネと森が考えたのは、あわよくば民主党との大連立、それが叶わぬなら、小沢グループとの合流により、参議院における少数与党を解消することだった。
但し、それは自民党の都合であり、小沢にとっては関係ない話であるばかりか、次の総選挙で民主が政権奪取の勢いを見せる中、驕る平家・自民が没落していくのは自然の成り行きであり、それを助ける意味は何も無い。
しかし、ナベツネと森の策謀は、小沢を恫喝することによって、民主を分断し、自民党を回復させようとした。つまり、守屋問題・防衛利権を東京地検特捜部を使ってメデイアに暴露し、小沢に繋がる元議員らの名前をちらつかせながら、胴元の小沢を恫喝するものであった。
これはエジソンが創業したアメリカを代表する巨大企業GEが防衛利権がらみで名前が出て、テロ特措法を成立させるために、米国CIAとシーファー大使が日本政府と小沢に圧力をかけた結果でもある。
小沢は、結果的にそれに巻き込まれ、大連立を画策し、少なくても小沢グループの一新会を自民党に合流させる構想を練った。
しかし、一新会は動かなかった。なぜなら、ついて行こうにも筋が悪すぎて、それは自殺行為である。
小沢だって、無理筋というのは始めから分かっている、そもそもの動機付けはナベツネとアメリカからの脅かしであり、政界40年のキャリアと元・自民党幹事長・凄腕の小沢でさえも、袋小路の中で自爆をせざるを得なかった。
冒頭に述べたように、小沢は自民党権力史の中枢に長年いた最後の田中派そして経世会であり、取ろうとしてもとれない権力の瘡蓋をべっとりとつけている。
経世会打倒の執念に燃える小泉の「人生には上り坂、下り坂のほかに、マサカがある」と意味深な発言をしたのは、国会が始まる10月初め、森喜郎、町村以下、清和会の面々を前にしてであった。
思い起こせば、福田との党首会談に臨んだときから小沢は白装束を着ていたのだと思う。だから、小沢の顔は、ずうっと青ざめていた。
兵隊を連れずに大将だけが敵の陣地に寝返っても意味は無い、早晩、これらのことが露見する事は必定であり、大騒ぎになって首を切られる前に、自ら切腹したというのが真相だ。いや、もっと正確に言えば、小沢は始めから自民党と連立を組むつもりも、自分が自民に寝返ることも、夢想だにしなかった。
参議院選での大勝利、シーファーとの公開会談、密室党首会談はしないという宣言、そして政権奪取の勢いにありながら、シンデレラが12時の音を聞いた途端かぼちゃの馬車になるように激変して、次の総選挙では民主は勝てない発言、2大政党制が持論でありながら連立にのる、極め付きは小選挙区制では絶対にありえない自民・民主の大野合。不思議な小沢シンデレラ。
これらのバラバラの珠をまとめて、一つの意味のあるものにする一本の糸は、
権力が小沢に放った言葉「ロッキードの田中角栄になりたいのか、小菅の3畳一間に入れられて、寒い冬を越すことになるぞ」。
おそらく、党首会談に乗ったその時点で、小沢は白装束になり、最後は切腹・辞任することに腹を決めていたのだ、と読む。
そこまで、小沢は追いつめられていたのだ。
野生の動物は、自分が病気になっても弱いところを見せまいとするという。
なぜなら、敵対する相手にやられるからだ。
最後にすることは、獣も分け入らない深山の洞穴に身を横たえ、孤独の咆哮を一つ放つだけだ。
まさに政局は,マサカの戦国時代だ。
(妖刀ムラマサを引き寄せ、口に含んだ水を霧状にかける)