戦国時代が好きな人は当然、知っているだろう。私も歴史は得意ではないが関ヶ原の戦い前後だけは好きで多少は知っている▼先日、明神湖からの帰り道、竹中半兵衛重治の出生の地を訪ねた(生まれは隣町揖斐郡大野町と言われている)。写真1は半兵衛の陣屋跡とそこに立つ半兵衛の銅像である。竹中半兵衛は美濃国の国主で岐阜城主の斎藤義龍・龍興に仕えた。後に羽柴秀吉(豊臣秀吉)の参謀(軍師)となり黒田官兵衛とともに”両兵衛”と称された▼播磨三木城で別所長治を攻めている時に36歳で病死している▼写真2、3、4は竹中半兵衛が眠るとされる禅憧寺(ぜんどうじ)である。半兵衛が亡くなった三木市から移葬したと言われている▼半兵衛の墓所は現在の三木市に2ヶ所ある他、滋賀県にもある。地元民としてはここに眠られ逸話にも残るような才覚を授かりたいものと思う▼ゴルフで”たら、れば”がよく言われる。”あのパットが入っていたら”とか”あのOBがなければ”などと使われる。戦国時代、織田信長と並びこの人が”もう少し生きていたら”どうなっていたかと考える1人である。 HP”望郷+田舎暮らし”の”塔を訪ねて”に安楽寺八角三重塔などを追加しました。http://inakaikeda.iza-yoi.net/tou.html