花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

元慶寺 革堂(行願寺) 西国三十三箇所

2012年12月21日 | 旅行

            

今週の火曜日、今年最後の寺巡りに滋賀県から京都に行ってきた。”塔を見る”ぐらいの目的で始めた小旅行だがだんだん欲が出てきて仏像を拝観したい、西国三十三箇所も回りたいとなり今ではかなりハードなスケジュールの時もある▼西国三十三箇所の2寺である。先ず番外だが欠かせない寺、元慶寺(がんけいじ)である。写真1が山門である。中に入ると左に本堂があり正面に御朱印をしてくれる建物がある。花山法皇が始めた観音巡礼が現在の西国三十三箇所につながっていると言われているが花山法皇が出家した寺と言うことで番外になっている▼写真3は山門から、そして写真4は正面から臨む通称革堂(こうどう)と呼ばれている行願寺(ぎょうがんじ)である。十九番札所である。今回は急ぎの旅でもありお参りし御朱印帳に記載してもらい早々に去った▼どちらの寺も近くに駐車場がなく、またそれ以上に場所がわかりずらく車で行くのはちょっと厳しいところである。今回は同行してくれた人が車の中で待っていてくれる間での拝観で済まさせてもらった▼これで今年は終わりと西国三十三箇所の御朱印帳を改めて見てみる。1番の青岸渡寺はH11年、31、32番の長命寺、観音正寺はH14年それから今年まで飛び今年は番外3寺も含め18寺をお参りした。長い空白の年月、観音様もあきれておられるだろう。観音様よりも周りの人が言う”性格だなー”と。”おっしゃるとおりです”と言わざるを得ない・・・懺悔。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19日の朝 名古屋の駅前、岐阜の駅前 岐阜城

2012年12月20日 | 景色

      

朝、目を覚ますために始めたウォーキングがこの12月で3年を経過した。景色を見、花を見そして鳥達を観察しながら30分ぐらい歩く。毎朝、NHKのラジオ体操をしてからスタートするため一年を通してほぼ同じ時間帯である。7時前後の30分だが冬のみが日の出の時間と重なる▼昨日もいつもの通り神社でのお参りを済ませ山手方向に上る。昨日の日の出は6時57分、背中に太陽が上るのを感じる。写真1はその太陽がまさに今、山並みから顔を出そうとしているところである▼昨日は今冬一番の冷え込みで写真を撮ろうと手袋を少しの時間外すだけでも指がかじかんでしまうぐらいだった。ただ、このピリピリと肌を刺す寒さは空気を浄化して遠くの景色を鮮明に見せてくれる。写真2は名古屋駅前が茶畑の霜除け送風機の向こうに見える▼写真3は岐阜方面で右側が駅前のビルそして桜の木の向こうが金華山である。写真4は金華山を少し拡大したものである。山の左頂上に岐阜城らしきものが見えている。岐阜城は織田信長が世に出る足がかりとした城である▼今、池波正太郎著の”真田太平記”を読んである。昨晩が奇しくも本能寺の変であった。物語の中では真田の忍びお江は京都の安楽寺の側でこの異変に遭遇する。真田信之、幸村の父昌幸の暗躍がこれから始まる。胸がわくわくしてしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次の冬の準備 ストーブ薪材の確保 薪割り機

2012年12月19日 | 田舎生活

                       

昨日は早朝から今年最後の寺巡りに行ったためブログを休んだ。その前日すなわち選挙明けの月曜日はやっと雪がなくなり久しぶりに一日、薪割り等をした。このところ庭木を倒したもの、柿・梨畑をつぶしたものなどの木を頂くことが多く、庭のあちこちに山積みされていた▼写真1はその一山で梨の木である。一応、割ればいいように長さを揃えて切ってある。この木が一番古く2ヶ月ぐらい、この状態である。サボっていた理由ではなく置くところがなかったため放置していた。まだ、これには手が付けることが出来ず、その後にもらった庭木から始めた▼写真2,3は薪割り機(圧縮式7トン)でケヤキの大木を割っているところである。直径30cmぐらいあるが木の真ん中からは割れなかった(写真2の中心))。写真のように少しずらし剥ぐように割っていく。ヒノキの木は粘りがあり割るのに苦労する。その点モチ、スギなどは気持ち良いぐらいにパラっと割れる▼写真4は玄関先の薪置き場である。5画に区切られているがその写真真中左2つが次の冬の備えての薪である。右に空きが見えるがこれを今、使用中である。今年3区画目と言うところである▼薪の準備高はこの3倍ぐらいはあるだろうか。写真5は割ったが置く棚のない薪、そして写真6が部屋内の薪入れとストーブである。もう次の冬の準備をしているなんて”アリとキリギリス”のアリもびっくりだろう。これぐらい順調にお金も貯まると言うことないのだが・・・前日の日曜日の競馬はまたまたマイナスだった・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長久手2 古戦場跡 池田 恒興

2012年12月17日 | 旅行

    

昨日、名都美術館を訪れたことを記した。長久手と言えば“長久手の戦い”と思い古戦場を調べていた。美術館から1kmも離れてなく帰りに寄る予定だった▼写真1は古戦場後に立つ碑で”長久手古戦場”と記されている。信長亡き後、徳川家康と豊臣秀吉の主権争いの戦いだったと思う。秀吉側が破れ家康の存在を世に示したと言われている。跡地は小さいが公園風に作られていて散策が出来る。春の花、秋の紅葉の時期は奇麗なのではないかと思う▼駐車場の横に資料館がある。入場料はいくら?と恐る恐る近づく、無料!直ぐに入る。戦いの流れの説明、絵などが掲げられている写真2は何枚かある戦図の1枚である。この戦いで池田恒興、娘婿の森長可などが戦死している。池田恒興はその時、大垣藩主だったようだ▼帰宅して池田恒興について調べてみると、我が池田町に墓があることを知った。何時か近いうち(禁句?)に行ってみたい▼1992年のNHK大河ドラマ”信長”の池田恒興役は的場浩二氏が演じていたことを覚えている。あのするどい目での迫力ある演技が記憶に残させたのかも知れない。戦国時代の一人として池田 恒興を忘れられなくなった瞬間である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名都美術館 ”麗しき女性の美”展 上村松園 鏑木清方 伊藤深水

2012年12月16日 | 旅行

      

16日には特別展が終わる、とギリギリ滑り込みの形だったが長久手市にある名都美術館に行ってきた。特別展は“麗しき女性の美”と題し美人画家上村松園・鏑木清方そして伊藤深水の展示会である。▼絵画の善し悪しを見る力は勿論ない(威張ることはないが)。失礼な話しながら、美人画を見たいぐらいの気持ちである。写真1は名都美術館の入り口、写真2はもう少し退いて写したものである。入るといきなりの伊藤深水の“鏡獅子”に圧倒される。3階まで50点弱の展示であったがただ見いるのみである▼美人画なる絵を鑑賞に行ったのは初めてである。印象に残るものはたくさんあったが上松松園の”楊貴妃”と”花がたみ”は忘れられない。楊貴妃周辺の景色がスダレ(?)の向こうに見える。透かした描画の素晴らしさは本物の絵でないとわからないかも知れない。また”花がたみ”と言う作品の狂った女性の顔は美しいが凄味があり今も眼に浮かぶ▼写真1の写真に戻るが薄紫色の岩に“名都美術館”と彫りこまれている。その上にかかる木は葉が枯れているがカエデである。このカエデ、紅葉の時はちょっと見物、と思わせるものだった。美人画、穏やかな美しさは良いものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする